DEEP METAL BATTLE

すぎな之助(旧:歌帖楓月)



1 ケイタムイ

 辺境の地ケイタムイ。大昔に地下鉱があったが、掘り尽され埋め戻された。そこから大量の地下水が湧きだし、周囲は湿地帯となった。
 その中に1つだけ、なだらかに土を盛ったような島があり、村があった。かつては鉱夫の集落だったらしいが、今、その名残はない。住民は農業と漁業で細々と生きていた。へき地で不便な地理的条件ゆえ、国から補助金が出される。それでようやく村は成り立っていた。村の名も同じく「ケイタムイ」。あえて別の名をつける「いわれ」も「特徴」もなかった。
 しかし、今、この村は軍から注目されていた。
 ケイタムイでは、数年に渡り、紛争が続いていた。
 始まった当初は、誰も、ここまで長引くとは思っていなかった。争いの原因は土地開発だ。「湿地を埋め立てるか否か」について意見が分かれ、紛争となった。ただ、そんなものは、種類や程度の差こそあれ、どの地域にも見られる「いざこざ」であり、激しい戦闘もなかったことから、国軍が出向く必要などない。裁判沙汰にして決めてもらうがせいぜいだろうとされていた。
 なのに、こうも長引いたのは、ややこしい性質の金属が紛争に関わっていたことが「わからなかった」為である。
 それは、「ディープメタル」という希少で特殊な金属だった。湿地の水に含まれていたのである。生き物がその金属を体内に取り込むと、循環器系、消化器系、神経系、呼吸器系、免疫系、内分泌器系、全ての器官系に蓄積される。そしてその濃度により、あらゆる疾病や不調を引き起こす。さらに、個体だけの問題では終わらず、周りにいる健康な生物に対しても、ディープメタルは、「魔術的な影響」を与える場合がある。厄介な物質なのだが、引き起こされる事象が種々様々で、特異的な性質がないため、よほど深刻で広範な影響が出ない限り、成分分析にかけるにいたらない。そしてそこまで至った場合、人道から外れた研究対象にされて「むごいこと」になる。それも、分析がためらわれる一つの理由であった。
 その物質が関わっていると分かったのがつい一昨日だ。
 以後、単なる紛争の頭に「特殊」という文字が付いた。ディープメタルが関わると、たった二文字のそれがつく。ディープメタルは軍でも機密扱いの物質であるため、一般人が勘繰ったり不審に思うような名称はつけないことになっていた。

 午前8時とはいえ、夏の日は高い。村に1つだけある薄暗い酒場には、すでに大勢の客がいた。
 いつから飲んでいるのか知れないが、異常なほどのアルコール臭が漂っている。まるで酒樽をひっくり返したようだ。
「シマゴシカの腰抜け軍人は、いいかげんにオウバイ様のことは諦めて、汚ねえ首都に帰ればいいんだよ!」
「そうだそうだ! 湿地は埋めさせねえからな! 俺たちには恐いもんなんかねえ! オウバイ様がついてるんだよ!」
「何がトクシュフンソウだよバーカ!」
「どこがトクシュだっつーんだよ! 前と何にも変わってねえだろが!」
 酒に呑まれた男性客らが、くだをまいている。どの客にも、多かれ少なかれ、負傷した痕があった。あちこちに、酔いつぶれて転がる人影があった。光の当たらない部屋の隅にうずくまっている黒い影などは、ぴくりともうごかず、死んだように眠っている。
「お前たち朝から何を騒いでいる!?」
 真青な軍服を着た若い女性が、酒場に入り口に立つなり、声を張る。脂肪が少なく筋肉のついた細いが力強い立ち姿だった。赤胴色で前髪の長い短髪は無造作にあちこちはねている。碧の鋭い瞳。目元に若干の色香はあるが、全体の雰囲気が「細い筋肉質の青年」だった。引き結ばれた口元は同僚にとっては頼りになるが、酔客には「興ざめ」な印象だけを与えた。制服の下は、体のあちこちが包帯に包まれていた。三日前の夜、「紛争の首謀者」に襲われた彼女は、生命の危機に晒されながらも、この紛争の異常さを当局に訴え、ひいてはそれが「ディープメタル」の分析発見につながったのだ。村にとって彼女は「恩人」のはずなのだが、機密なのでそれが明かされるはずもない。
 結果、女准将は、ろくでなしの酔漢どもにせせら笑われる。
「あれー? なんだよ。アンネ准将じゃねえか。ツージョーニンムの前指揮官様が何の用だよ今更。ヒヒヒ」
「首都に逃げ帰ったんじゃかったのか? もう用無しだろーがツージョーニンムーは」
 ヒソヒソ声があちこちで上がった。
「大怪我して、ピイピイ泣き帰ったとか、聞いたんだがなー?」
「け。あれだよ。うわさの色男中将が、新しい指揮官としてシヤドからこっちにきたからじゃないのか? 結局、女は男、それも色男ときたもんだ。見ろよ、見たことねえ色の軍服だ。ありゃきっと、首都警備の色だぜ。アンネちゃんは異動もそこそこに、首都からお着替えもせんで、はせ参じたんだぜ。ヒヒ」
「素敵なあのお方に一目お会いしたいーってか。ひっひっひ」
「任務の引継ぎねえ、何の下心かねえ」
 その真偽と悪意が入り混じった与太話が耳に入ったらしく、准将は、こめかみに青筋をたてた。
「こそこそと、くだらない口を叩くな!」
 酒場は、張りのある怒声に殴られたように、しん、となった。
「いいか? 本来なら、お前たちは、家族から引き離されて収容所に送致され苦役についても当然の身だということ、よく肝に銘じておくんだな? 誰の温情で村にいられると思っている!? そうして飲んだくれていられるのも、今のうちだ!」
 女性としては低い迫力のある声で一気にまくしたてると、青筋をたてたままのアンネ准将は、軍靴の音高く酒場を去って行った。
 客の沈黙も同時に去った。すぐにあちこちで忍び笑いが漏れ聞こえる。
「おおこわ。准将殿のなんと勇ましいこと。あれじゃ、嫁の貰い手も腰抜かすわな。今まで独りもんな訳だ。ケケケ」
「きひひ。恐ろしくて股間が震えあがったぜ。酒でも飲んで落ち着くか」
「ドスの聞いた声で酔いが醒めちまったよ。しかたない。嫌だが、まーた飲みなおさんといかんなー」
 酒場の男たちは、感情的な准将の登場と退場とを肴にして、さらに杯を重ねる。

「ロイエル。また、神聖な使命を果たす時が来ましたよ」
 村の南、湿地のほとりに立つ村の診療所から、男性の声が聞こえてきた。まだ診療時間ではないのか、患者はいない。そこは木造の2階建で、1階部分が診察室や処置室などの診療所部分と応接室、2階は医師の私的生活の場だった。今、村に残された医療機関は、村はずれにあるここ一つきりだった。
「準備はいいですか?」
 診療室では、茶色のおかっぱ頭の中年男性医師が立ち、少女をにこやかに見下ろしていた。先ほどの声の主は彼だった。下がり気味の細い眉と眼の周り、そして薄い唇の付近にも若干の皺が刻まれていた。
 少女は、こぼれるような微笑を浮かべてうなずいた。
「はい、ドクター。どんなことでもよろこんで!」
 彼女はやわらかい薄茶色の髪を肩下まで伸ばし、長いまつ毛にふちどられた、黒目がちで潤んだ美しい夕焼け色の瞳をしていた。卵型の小さな顔に整った鼻梁と華奢な顎、うっとりするような端麗な美少女だった。しかし、その細くなよやかな肢体は、男物の作業着に無粋に覆い隠されていたし、散らして風になびかせれば、さぞ風情があるだろう絹の髪も、頭の後ろでひっつめにきつく結われていた。その様は、みすぼらしい箱に隠しこまれた宝石のようだった。
 少女の明るく元気の良い返事に、医師は、よろしい、と、満足げに笑い返した。
「前向きで献身的で、大変結構ですよロイエル。あなたの一生はオウバイ様のためにあるのです。では、本日のあなたの使命をお話しましょう。国軍の指揮官が代わりました。怪我をしたアンネ准将の後任として、ゼルク・ベルガー中将なる者が着任したそうです。今回は、彼にこの『小石』を渡すのです。もしも、それが無理ならば、投げつけてもいい。とにかく触れさせてください。そうすれば、たちどころに彼はオウバイ様の術にかかることでしょう。わたくしたちの理想である楽園の実現を信じてくれるようになるはずです」
「はい!」
 医師は、少女に、親指の先ほどの大きさの、緑に輝く石を掌に載せて見せた。
「さあ、オウバイ様の『忠実な道具』であるロイエル。あなたに、奇跡の石を授けましょう」
「謹んでお預かりします」
 少女は、小石を両手で受け取った。
 そして、恭しく掲げ持ち、窓外でキラキラと光る朝の陽に石をかざした。
 それは、謎めいて艶やかに輝いた。よくみると、緑の他に黄色や紫の光も混じっている。
「石がいつも美しいのは、オウバイ様の念がこもっているからなんですね」
「それだけではありません。この世の美しいものは全て、オウバイ様の御威光によるものなのです。彼女の美がきらめいているのです。オウバイ様の美は絶対なのですから」
 医師は深くうなずき、指を組んで窓辺に向かい、じっと目を閉じて熱っぽく祈り始めた。
「ああ、愛する麗しの御祖母様。どうか、あなたのために働くロイエルを、神聖なる湿地を埋め立てようと蠢く卑劣な悪鬼どもからお守りください」
「そんな。恐れ多いことです」
 少女は首を振って、にっこり頬笑む。
「ドクター、私のために祈ってくださるなんて、もったいないことです。私は、万能のオウバイ様の石を預かったのです。今度も間違いなくうまくいきますよ。村は、また一歩、楽園に近づくのです」
 しかし、医師は、珍しく心配そうに「いいえ、」とつぶやいた。
 今まで、少女に仕事を頼む時には見せたことがない表情だった。
「いいえ、今回の指揮官、ゼルク・ベルガー中将は、今までの者達とは違う部署から配属された切れ者だと聞いています。それにアンネ准将も戻ってきたようです。彼女が中将に妙な入れ知恵をしてないといいのですが。あ、しかし、」
 少しの明るい笑みが加わった。
「そうでした。彼は、穏健な人物だと聞いています。むやみに戦わなくても済むかもしれませんね。こちらの話に耳を傾けてくれるかもしれませんよ?」
 だが、少女が首を横に振った。
「私なら大丈夫です。覚えてらっしゃるでしょう? 私、あの巨漢のソイズウ大佐にだって、神聖な使命をまっとうできたのですから」
「ロイエル、その話にはヒヤヒヤしたのですよ。あなたは、もっと、自分が女性なのだということをわかっていて欲しい、たしなみとかわきまえ、つつしみなどを持っていてほしいものです……」
「? それこそオウバイ様が守ってくださったのでしょう」
 医師の持って回った言い方が理解できなかったので、少女はひとまずにっこり笑ってそう言うと、身軽に、開いた大きな窓から外へと飛び出した。この仕事を言いつかるときは、ドクターの命令で、ロイエルは扉からの出入りをしてはいけなかった。
「では、行ってまいります。ドクター。昼食は台所のお鍋に入ってますから、よそって食べてくださいね?」
 不気味な深緑に淀んだ湿地を臨む庭に、美しい少女は降り立って、ドクターをまぶしそうに見上げた。その真摯な瞳には尊敬の念が満ち満ちていた。
「ええ、いってらっしゃい。ロイエル」
 顎にたるみが見えてきた中年医師は、優しく笑って手を振って、見送った。

 少女の姿がなくなると、医師は両手指を組み、窓から見える湿地に向かってさらに熱っぽく祈った。しかし瞳には冷酷で異常な光が、不気味な沼の波のように揺らめいていた。
「世界の美の化身オウバイ御祖母様。あなたに捧げる生贄のロイエルをお守りください。もう間もなくですよ。貴女と私だけの、夢の楽園まで……」
 医師は、尊崇する祖母のことを思う。今はもう、湿地の中でしか美しく生きられなくなった、呪術者のことを。
 そして彼は過去を思い返す。「麗しの女神オウバイ」が領主に対して行なった、もったいなくも素晴らしい奇跡を。

 ケイタムイでは20年ほど前から、「湿地にすむ大蛇が、人間を食う」ようになった。それまではそんなことはなかった。なぜなら、村に住む「善き呪術者オウバイ」が村を護ってきたからだ。彼女の力を恐れた大蛇は人を食うことをしなかった。おそらく、その代わりに、魚や、湿地に水を飲みに来た獣を襲って食っていたと推察された。村の外に多く生息する肉食獣は、湿地の蛇を恐れて侵入しない。橋は作らず、小舟か浅瀬を渡って人々は村を出入りしていた。
 だが、彼女は年を取り、力が衰えたのか、めっきり姿を現さなくなった。
 そして間もなく、「大蛇」が人を襲い始めたのである。
 初めの2年は月に1人か2人。「運が悪かった」程度の頻度だった犠牲者の数は、徐々に増えていった。
 5年ほど前からは、ついに、毎日のように犠牲者が出るようになった。怪我で済んだ者はいない。必ず食われて命を奪われ、行方不明のままか、死体の一部が湿地のほとりに打ち上げられた。あるいは血だけを吸われた死体があがった。夜行性らしく昼間の被害はなかった。
 村では、危険な大蛇の棲む湿地を埋め立てようという話が持ちあがった。
 当然、領主や大多数の村人が埋め立てを推進した。反対するのは、ほんの数人、湿地に棲む魚や貝を獲る漁師が「これが生業だし、行政からの生活補償狙いでまあ一応」という形だった。強硬な反対派はいなかった。
 国からの補助金と漁業者の生活保障金を得て、速やかに湿地は埋め立てられると思われた。
 しかし、3年前の初夏のある日、オウバイが、領主の館に現れて、強い反対の意思を示したのだ。
 オウバイは、村ではやや小高い場所にある林に囲まれた瀟洒な石造りの領主の館へ偉そうにやってくると、強引に領主の執務室に押し入った。そして、柔らかい皮のふかふかなソファに埋まっている、小太りで頭髪の薄い領主に面会すると、背骨をぽきぽき鳴らして胸を張り、開口一番言った。
「湿地を埋め立てると聞いたがね。あたしゃ反対だよ?」
 若い頃は、仮面と長衣の下に美貌と豊満な肉体を隠していると噂のあった呪術者は、今や、痩せて小柄で背中の曲がった、濁った陰険な目を血走らせた皺くちゃの醜い老婆になっていた。全く見る影もない。
「領主や、あそこにすむオロチっつー大蛇を知っているかね?」
 老いぼれた姿と、馬鹿馬鹿しい質問に、領主は失笑した。
「久しぶりだねえオウバイさん。見ないうちにすっかり変わっちまって。いきなりやってきて、何を寝ぼけたことを言ってるんだい。知っているも何も、あいつを駆除するために、我々は湿地を埋め立てようとしているんだよ。村の出入りが危なくて仕方ない。あんたこそ、一番わかっているはずだがね?」
「フフン? そりゃなんのことだね?」
 動じも憤慨もしないで堂々としたままの老婆を、領主は、逆に哀れんだ。
「……ああ、まったく。しっかりしてくれよオウバイ婆さん。村人から尊敬された善き呪術者だったあんたも、年食って呆けに呆けちまって、何も覚えていないのかい? 私は本当に情けないよ。その大蛇が悪さしないように呪術で村を護ってきたのは、他ならぬ、あ・ん・た・じゃないか!? そんなことも覚えてないくらいに呆けちまったのかい? 久しぶりに会えたと思ったらこれか。……可哀想になあ。孫のジョン先生を呼ぶから、お家に帰んな?」
 オウバイはケタケタと笑った。
「おやおや、これは困った領主様だ。本当のことを、なーんにも知らないときてるんだからさ。可哀想だねえ? おめでたいねえ? そんなんじゃ領主は務まらないよ。じゃ、教えてやろうかね。いいかい、言って聞かせてやるから、忘れるんじゃないよ。決して、あれを殺してはいけない。あれのお陰で、我々は今まで生き永らえてこられたのだからねえ。大事にしなくちゃいけないよ? わかったかい?」
 老婆は、領主とまったく正反対のことを言った。それも、幼い子にお行儀を教え諭すような口調で。
「いいかげんにしてくれよ、婆さん。今までアンタがしてきたこと、本当に覚えてないのかい? 何度も言うけど、あんたが大蛇から村を護ってきたんだよ? あんたはそれで、長年、村の皆から尊敬されてきたじゃないか? 全く、別人みたいになっちゃって」
 領主は怒るどころか一層の哀れみをつのらせた。
「老いるってこんな悲しいことなんだなあ。昔は『神聖な役目のために私は人を捨てた』とか立派なこと言って仮面を外さなかったってぇのに、役目も忘れ仮面も無くしたんだろうさ。もうただの婆さんだ」
 オウバイは薄笑いを浮かべるだけだ。
 50代を超えた領主は、そんな相手を見るにつけ、どんどんと悲しくなった。尊敬されていたあの人が、今こんなに失望するような老いを迎えているのである。
「これからは、立派だったあんたが育てた優しいジョン先生が、ちゃんとお守りしてくれるだろうさ。ああ、あんた、自分を襲った盗賊の子供を憐れんで孫として養ったってことも忘れてんだろうねえ。まあ、その孫はお医者さんになった。あんたが立派だったって証は、そんな形できちんと残ったんだよ」
 老婆は呆れて言い返す。
「証だって? バカにするんじゃないよ。ジョンなんて単なる犬だよ。あたしゃアレに隣の犬の名を付けたんだ」
 領主は顔をしかめた。
「何言ってんだい? 昔から、あんたの家の隣に家なんてないだろ?」
 オウバイはケタケタと笑った。
「当たり前だよ! あたしがあいつに名付けたのは、首都で暮らしていた時の話だよ! おかしい領主だねえ?」
「何が首都だよ。アンタは土着の人間じゃないかい。おーい誰か、オウバイ婆さんを家に送ってやっとくれ。ボケてて、見てるだけで気の毒で仕方がない。婆さんは孫先生から良い薬をもらって飲んでおくれよ」
「おいアホ領主や、さっきから、婆さんだのボケてるだのと、よくぞ言ってくれたもんだねえ? この美女に向かって失礼な」
 自分がぞんざいに扱われていると、ようやく理解して腹を立てたのだろうか。老婆は懐に隠し持っていたナイフを取り出して閃かせた。
「美女って何の冗談だよ……おい、婆さん? 何のつもりだ?」
 領主が顔色を変えた。
「あたしゃ、老婆じゃないし、ボケてなんかないよッ!」
「わっ、やめろ!」
 年寄りらしからぬ俊敏さで飛びかかり、体ごとぶつかって、老婆は懐に隠し持っていたナイフで、領主の胸を突き刺す。小太りの体が、やわらかいソファに埋まりこんだ。
「ウグッ!」
 刃は柄のところまで深々とめりこみ、領主はくぐもった声をあげてソファからずり落ちた。
 あまりの出来事に、しいん、と、館から音が消えた。
 執務室に2人いた事務員、出入り口付近でヤジ馬的に見物していた使用人達、皆、その光景に、頭が真っ白になった。
「りょ、領主様が……刺された?」
 誰も止めることができなかった。よぼよぼの老婆が凶行に走るなど、想像もできなかったからだ。
「領主様っ!」
「大変だ!」
 館は騒然となった。
「おいっ! 婆さんよ、なんてことしたんだ!?」
「ただじゃすまんぞ! 『呆けててわからん』は言い訳にならんからな!」
「ジョン先生を呼んで来い! 間に合うかもしれん!」
 騒ぎを聞きつけ、館中から人が集まって来た。
「お黙り!」
 沢山の使用人らに取り囲まれた老婆が、余裕しゃくしゃくで一喝した。そして、ニヤアリといやらしい嗤いを浮かべた。
「イッヒッヒ。美しいあたしの力が衰えていないことを証明してやるよ。おい、誰か、湿地に行って水を汲んできな!」
 館の使用人に命令する。
「何だと? このババア!」
 使用人達の一人が、持ってきた短剣を老婆にむかって振りかざした。
 老婆は顎をしゃくった。
「あんた、なんだい、その物騒なものは? この『呪術者オウバイ』に刃向かうのかい? バカだね」
「ばあさんがおとなしく捕まって、地下の石牢に入ってくれりゃあ、使わずに済むんだよ。さあ、」
「ああそうかい。じゃあ、老い先短いあたしゃ、元気な若者の言うことでも聞くとするかねえ」
 手を引いておくれよ、といって、老婆は手を出した。
 チッ、と舌打ちして、短剣をしまった使用人は手を取ろうとした。
「あ、そうじゃ。お駄賃をやろうね。湿地から取れたキレイな石じゃ」
 老婆は懐から黄色い小石を出すと使用人の手に握らせた。
「ほれどうぞ」
「なんだよこんなもの、まあ、きれいだけど」
 年寄りのよくわからない行動に、使用人の男は小首を傾げながら受け取って、ズボンのポケットにしまおうとした。
 だが、「うっ」と声を漏らすと、顔色を無くした。
「く、苦し、」
 喉をかきむしり始める。
 周囲の者が、その異常に眉をひそめる。
「どうしたんだよ?」
 とうとう、彼は口から泡を吹いて顔を青くし、倒れて動かなくなってしまった。
「おい! しっかりしろ! おい!」
 周囲はまた騒然となった。
「なんてことだ! どうなってるんだ!」
「オウバイ婆さん、一体、何をしたんだよ!?」
 怒りよりも、驚きと恐れを表し始めた館の人々に、老婆は皺くちゃな顔で叫んだ。
「うるさーい! ホレ、お前たちもこうなりたくなかったら、今すぐ、湿地の水をくんで持って来やがれってんだよっ! 言うこと聞かないとあたしゃどんどんやるよ? 止まらないよ?」
 今度は、老婆の言葉に従って、一人が館の外へと走って行き、すぐに水を入れた桶を持って帰ってきた。
「いいかい? オウバイ様の素晴らしい呪術を見せてあげるよ! よーく見ておくんだよ?」
 老婆は桶を引ったくると、すでに事切れた領主と使用人にぶちまけた。
 湿地の不気味に濁った水が、出来立ての死体二つを犯すように染み込んでいく。
「ふん! むにゃむにゃむにゃ……」
 そして、寝言のような呪文を唱え始めた。ふざけた口調だった。見守る者の中には「今、後ろからぶん殴っちまえよ」とささやき、目配せし合う者らもいた。
「きぃええっ! 生き返れ、お前らッ!」
 老婆が奇声をあげ、滑稽な声で命じた。なんの威厳も迫力も感じられない。
 ところが、効果はあったのである。
「あ?」
「……え?」
 二人同時に起き上がった。阿呆のようにぽかんと口を開けて。
 領主にいたっては、差し込まれていたナイフの刃先が何故か消え、柄の部分だけが、胸からコトンと床に落ちた。
「どういうことだ?」
 不思議な顔をする領主に、老婆がヒヒヒと嗤いかけた。
「おい、抜け作ども、アンタら確かに死んだよねえ? そう、確かに死んだのさ? でも、このとおり。あたしの呪術で生き返ったんだよ。全ては美しいあたしの呪術の力と偉大な湿地の水のお陰さ。あの水と、ケケ、このあたしさえいれば、『不老不死』になれるのさ?」
 領主は目を丸くした。
「湿地の水、だと?」
「まさか、」
「そんなものが?」
 今の異常な出来事と、皺だらけの老婆の言葉に、人々は戸惑いはじめた。
「不老不死、だと……?」
 オウバイは、「ケッケッケ」と妖怪のように嗤った。
「信じる信じないは、あんたら次第さ? でも、あたしは真実を言うよ? 湿地の水は私の力の素。そして『大蛇』はその守り神じゃ」
 表情が、狂喜に歪んだ。
「あたしゃねえ、信じない奴は見捨てるよ。死んだら死にっぱなしだ!」
「……」
 皆、言葉を失って、嗤う老婆を見た。
 事件の噂は、速やかに村人の間に広がった。
 すると、湿地の埋め立てについて、多くの人が反対するようになった。なにせ、「善き呪術者オウバイ」によって、死んだ領主が、湿地の水で生き返ったのだ。湿地の水が有益であるということを、埋め立てを推進する側だった領主自らが、その体で証明したのだ。
 それからというもの、これまで生活用水として澄んだ井戸水を使っていた村民達の多くが、濁った湿地の水を使うようになった。
 やがて、村の酒場に、「湿地の水から作った酒」が出回るようになった。ひどくアルコール臭の強いものだった。村の男のほとんどが、一日を酒場で過ごすようになった。そこでは、反対派と推進派が小競り合いを起こすこともあったが、不思議なことに、そこで負った傷はたちどころに治癒した。それで、ますます湿地の埋め立ては反対される向きになった。
 人々は口では埋め立てを推進するといいながらも、だんだんと、湿地の水に頼るようになっていった。誰も矛盾に気づかなかった。
 それは麻薬のようだった。
 村人は無気力になり、全てをほったらかしにした。この濁った水を飲めば、生活の悩み苦しみがまぎれるようだった。湿地の水無しには、生きられなくなっていった。
 何故か小競り合いは続いていたが、湿地の埋め立てに誰が反対し、誰が推進しているのか、わからなくなった。
 そもそも、どうして争っているのかすら、わからなくなっている。
 だが、止まらなかった。日中は村人同士で意味のない小競り合いを続け、「大蛇」は夜になると一層人を殺し続けた。それはだんだんと夜陰に紛れて陸地に上がり、人の生き血をすすって殺すようになった。
 それでも湿地は埋め立てられずそのままだった。
 領主の館での事件から1年のうちに、村は、急速に狂い、衰えていった。
 紛争は、もはや村の力では終わることができなくなっていった。人口は減り、近い将来は村の存続も危ぶまれる気配が濃厚となってきた。
 あまり有能とは言えない領主は、めっきりおかしくなった村をなんとかするために」国軍に助けを求めた。
 これで早々に終息と思われた。なにせ争いとはいえ、あちこちで「ちょっとした殴り合い」がある程度なのだ。ただ、住民の意思では止められないというだけの話で。
 しかし、国軍が紛争を終わらせることはできなかった。
 これまでに赴任した指揮官は6名、そのうち3名はこの地で不審死をしたのである。指揮官以外の軍人も年に数人、同じように死んでいく。
 村に複数いた医師もそれぞれに不審死をした。もはや、村に残る医師はオウバイの孫であるジョン一人だった。

 そして今。
 6人目の指揮官が赴任したとの報を受け、領主の館に使いの少女を送り出したジョンは、湿地に向かって、熱に浮かされたように笑う。
「オウバイ様が醜い領主にもたらした素晴らしい奇跡に感謝いたします。麗しの貴女の計画を阻む者、そして貴女様を愚弄する者に無残な死を。貴女の永遠の美に仕え、崇め讃える私には、どうぞ貴女との楽園をお与えください。ああ、間もなく楽園が来るのですね。貴女の生贄ロイエルは、その日まで十分に忠義を尽くし、清らかなまま献身することでしょう」

 領主の館に、静かな低い声が響く。
「3日前にアンネ准将を襲った後のオウバイは、」
そこは石造りで、古めかしくも贅をこらした館だった。しかしその調度品には、「歴史を感じさせる趣味のよい逸品」と、「最近手に入れた成金趣味の光り物」が混在している。
「行方知れずですか」
 声の発し主はゼルク・ベルガー中将。軍人らしいすきのない精悍な立ち姿と、軍人らしからぬ穏やかな表情が、不思議に調和している。
 このケイタムイの紛争における、6人目の指揮官だった。
「はい、中将。村の全てを探し尽くしましたが。残念ながら、発見には至りませんでした」
 先程酒場で怒鳴り散らしていたアンネ准将は、ここでは一転して冷静に答えた。
「どこに身を隠しているのでしょう? 村の中にいないとすると、やはり外へ……」
 中将は顎に手を当てて考える。
「仮に、彼女が村の外に逃げたとしても、紛争が収まる気配はない。ディープメタルの影響と、そして呪術で操っているのかもしれません。これまでにない異体系の呪術と聞きました オウバイ自身で編み出したのでしょうか」
 アンネ准将がため息をついて、こぼした。
「私としては、今も情けない思いでいっぱいなのです」
 中将が問い返す。
「どうしてです?」
「過去、大佐まで出向いてますのに、何故、解決できずに、今に至るのかと。こんな小さな村の、たかが埋め立ての小競り合いですよ? こんなもの紛争と呼ぶのもおこがましい。それなのに、」
 中将が首を振り、静かに答える。
「仕方ありません。ディープメタル事件だったのですから」
「……でも、こんなに時間を要するなんて、不甲斐ないとしか、」
 表情を暗くする前任者に、彼は穏やかに笑いかけた。
「そう言わないで下さい。准将。あなたのお陰でわかったのですよ。お手柄です」
「中将から、そんなお言葉をいただけるなんて、」
 つい頬を赤らめて恥じらい、准将は慌てて首を振り、表情を改めた。
「とんでもないことです。これは結果としてそうなっただけです。私は不注意でオウバイに襲われ、あまつさえ民間の魔法使いに助けられて首都に転移させられるなどという失態を、」
「そのお陰で管轄がそちらの通常任務から、こちらに移ったのです。あなたはよい発見をしたのです。どうぞ誇りに思ってください」
 端整な青年に微笑みかけられて、准将は、不覚にも少女のようにときめいて、瞳を揺らした。任務中だというのに。
「ゼルク中将、」
 目的なく、つい呼びかけてしまった准将に、中将は笑顔の色を変えることなく告げる。
「准将、引継ぎも終わったことですし、あなたは首都に戻られたらどうですか? 先日受けた負傷は、完治していないのでしょう? 魔法使いの治療を断ったそうですね」
 彼の表情は感情の表れではないのだと、准将は理解して頭を切り替えた。
「いいえ、帰りません。お役に立てると思ったのです」
 微苦笑する彼女の真っ青な制服の内側は、骨折を固定する装具と包帯とに硬く包まれている。
「きっとオウバイは『仕損じた獲物』をまた狙いに来ます。囮として使ってもらえればと、志願しました」
「……どうか無理をなさらないように。では、失礼。私は村を見てきます」
 中将はそう言い置くと、准将の部屋を出て行く。
「お気をつけて、中将」
「はい」
 一人、部屋に残ったアンネ准将は、真摯な表情で、彼の後ろ姿を見送った。
 後ろでまとめられ、肩の下まで届く月色の髪。薄青い瞳。秀麗な容貌。
 准将は、ため息をつく。
 口の端に、抑えきれず、笑みがのぼった。
 夢のようだ。
 ディープメタル事件の特殊任務、その最前線に就く彼と、通常任務に就く私が同じ場にあれるなんて。
 まさか、彼がこちらに派遣されるとは思わなかった。もしも、彼が指揮していたシヤドの事件があんなに早く解決しなければ、彼はここには絶対にいなかっただろう。そして、私が負傷し、その件がディープメタル事件だと判明しなければ、彼がここに派遣されることはなかった。めったにない幸運だ。
 個人的な幸せにひたっていると、廊下から、領主の娘たちの「中将様ー! いってらっしゃいませー!」「村なら私が案内しますわ! お待ちになってくださいな!」という黄色い声が響いてきた。
 准将は、表情を引き締めた。
 はしたない娘たちだ。どうしてこんな状況で軍人に嬌声をあげられるのだ? 仮にも領主の娘だろうに、一体どういう教育を受けているのだ。それとも頭がどうかしているのか?
 彼女はさりげなく娘らの様子を見にいくことにした。ことによっては娘達をたしなめる。准将は厳しい表情でつかつかと部屋を出て行った。




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