DEEP METAL BATTLE

すぎな之助(旧:歌帖楓月)



11 夫婦の秘め事

 首都シマゴシカ。
 夜半に降り始めた小雨は、終わる夏の気配をほんの少しだけ漂わせていた。
 都心に立つ超高層ビルの、最上階より一階下のフロアが、若い夫婦の自宅兼妻の仕事場の一部であった。
「ユリちゃーん、」
 筋骨隆々、黒髪剛毛のスポーツ刈りに、強い口髭と顎ヒゲを蓄えた、熊のような男が、新妻の職場スペースに入ってきた。妻を呼ぶ声は優し気であるが、常はどっしりと低い声であることが想像できる。
 自宅部分と妻の職場部分は厳密な線引き以上の、厚い特殊隔壁で分断されていて、それが例え夫であっても、例えば扉部分での虹彩認識等々の検査に合格しなければ、通してもらえない。室内は、さまざまな機器が整然と並んでいた。それは情報機器のサーバであったり、ガラス器具であったり。その他計測機器であったり。
「あらガイガー。どしたの?」
 耳の下までの長さの真っ直ぐな黒髪、そして同じ黒い瞳、清楚可憐な二十代半ばの女性が、白いコーヒーカップを片手に振り向いた。
「部屋でゼルクさんの覗き見してたんじゃないの? 何の用?」
「やなこといわないでよお。准将以上の軍人の監視は任務だってのにい」
 妻の清楚な口調で明け透けな物言いに、夫は肩をすくめて身を揺らした。恥じらう乙女のような言葉遣いと所作であるがゆえに滑稽である。
「あのねユリちゃん。旦那様から奥様に、お願いがあるの」
 両手を合わせて身をくねらせて、自分よりも30センチは低い女性相手に、彼は膝を折ると「上目遣い」を繰り出した。
「うーん。私、今夜は徹夜で仕事だって言ってたでしょ。断っちゃおっかな?」
「いやんいやん。ガイガー泣いちゃう」
「旦那様。わたくし奥様としては、明け方までお仕事するから集中したいのよ?」
 奥さんは、手にしたコーヒーカップを黒い実験台の上に乗せ、腕組みして首を傾げた。
 外見と裏腹に、困ったような表情からは、彼女が取り扱う仕事の「凄み」が滲み出ていた。
「おうちの最上階を貸してもらいたいの」
「フロア全部?」
「うん」
「何に使うの?」
「お友達の隠れ家に」
「それは誰?」
「ゼルク君」
「彼は今ケイタムイにいるね? あなたが覗き見していた」
「急いで連れて来ないといけないの。おねがいおねがい。こんなこと頼めるのユリちゃんだけなのよう」
 ごつい夫は、どうしようもない商売女の泣き落としのように媚び頼んだ。
 ユリは、とある民間企業の幹部であり、それをさらに統括する大企業の大幹部のご令嬢だが、実力で現在の立ち位置にいる。だからこそ、夫をまともに見つめ返して尋ねた。口調は清楚だが、響きは堅剛だった。
「どうして? その理由を具体的に話してもらえないかしら?」
「機密事項」
 ユリはゆったりと首を横に振った。
「駄目ね。それじゃとても貸せないわ。それこそ彼のことはガイガーの職場でなんとかしたらいい」
「ディープメタル事件 特異例 研究領域間の軋轢 命の尊厳」
 夫は、次々と単語だけを口にした。
「それで答えているつもりなの?」
 妻の首は傾げられたままだった。
「早くしないと女の子が一人標本にされちゃうの」
「よくある話だよね。研究院では」
「生きてないと価値ないの」
「それもそちらではよくある話じゃないの」
 ユリは片眉を上げた。
「何を今更感傷的になっているの? それほど貴重なら、それこそ軍で匿う場所を作らなければ」
「軍では逃げ場がないんだ。あの子可哀相なんだよ」
「DM事件では他にももっともっともっと可哀想な人がたくさんたくさんいるよね? その子だけ特別扱いは変だよ。ゼルクさんは何を入れ込んでいるの? そしてどうしてうちの最上階に? そりゃあセキュリティーは万全だけど、一人の女の子に貸すなんていう、軽い施設じゃないのよ? ……まあ今は空いてるけど。その前は金積まれて辟易するような芸能人匿ったけど」
「そうでしょそうでしょ? 空いてるから頼むのよ。ユリちゃん、耳貸して? 秘密の話、」

 強面の夫は、可憐な妻の左耳にそっと「覗き見報告」をした。地下牢でゼルクがロイエルになにをしたかである。

 みるみるうちにユリの表情が曇った。
「不祥事じゃないの!」
「いやあのその、背景が色々とあって、」
「不祥事に背景があるのは当たり前です。理由になると思わないで? ああそう、ふうううん。ガイガーは不祥事をかばうのね。そういうの、『友情』として扱うのは、私にはわからないけど」
「ユリちゃん冷たい」
「冷たくない。私には沢山の部下がいます。部下はキツいなかでも真面目にきちんと一生懸命に働いてくれます。そんなうちの最上階に、そんな理由のふしだらな男女を匿う? ……まあ女の子は被害者だけど、男の方を許せない」
「いやいやいや、僕のお友達の下半身の不始末じゃなく、女の子をかくまってって、そういう人道的な気持ちなの」
「でもゼルクさんも一緒に来るんでしょ? 女の子1人じゃなく」
 ユリは眉をひそめた。
「ねえガイガー。私が、自分の目と頭で確かめないと納得しないという性格、知ってるわよね?」
「はいもちろん存じております」
 でかい図体の夫の萎縮した返事に、小柄な妻は胸を張った。
「私は民間の術者よ。わかってるわよね?」
「はい、そこに惚れました」
「では、あなたのお友達が、ほんっとうに私が信用するに足りるかどうか、試させてもらってもいいわね?」
「は、はいぃ?」
 ユリは普段の清楚な雰囲気を消し去り、怜悧に夫を見つめた。
「そちら国軍は、ゼルクさんに対して一切の援助をしないこと。私の課す試練を、無事でも無事でなくても、『私がゼルクさんを信頼するに足る人物であると認められる形』で乗り越えたら、最上階を使わせてあげます」
 ガイガー管理官は泣きそうになった。嫁が怖いからである。
「何する気なの? ユリちゃん」
「ガイガーには、一切教えません。もし介入したら離婚するから」
「……ふえええ、」
 拝み倒して結婚してもらったガイガーは泣き出した。公僕としてすべき返答を忘れて泣いていた。
「もしも、試練の中で、万が一、彼と彼女とが命を落としても、決して私は責任はとりません。それに、今この状態は国軍にとって不祥事でしょうから。死亡した理由についてもそちらがこちらに迷惑をかけることなくうまく処理せねばならないのよね。そういうことを踏まえて、私は動きます」
「ユリちゃん厳しい……」
 あら厳しくなんかないわ、と、人を束ねる役職の妻は、ゆったり笑った。
「簡単に言うとね、ガイガー。私は、十代の女の子をレイプしたくせに英雄ぶってる軍人が大嫌いなの」
「ぶってないよお。……ユリちゃんてば感情的」
 管理官が恐る恐る反論めいた言葉を返したところ、民間企業の幹部は不愉快そうに眉をひそめた。
「私、基本的に外見のいい男って信用しないの。だいたいが女の敵だもの」




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