DEEP METAL BATTLE

すぎな之助(旧:歌帖楓月)



14 夜明け前の友情

 午前2時。
 二人を助けたアインシュタインは「筋トレが終わったら、すぐまた来るからな」と言い残して消えた。
 ユリの企業のビル最上階、「要人警護用のフロア」の利用許可を得て、二人はそこにいる。
 アインシュタインに運ばれたゼルクはベッドに横たわって眠っている。胸の上には、数輪のイワギキョウの花が置かれている。「お守り」と術者は言っていた。
 紫の長髪の術者から彼の看病を頼まれて、ロイエルはそばに椅子を持ってきて座って見つめていた。
 彼の頭の後ろの髪留めは解かれ、肩下までの薄い色の金髪が枕元に広がっている。熱は無いし静かに眠っているが顔色はひどく悪い。
「……」
 この人は、どうして私を守ってくれたのだろうか?
 自分の下腹部に手を当てる。痛みは嘘みたいに消えていた。アインシュタインが魔法でとってくれた。
 膝の上には、彼からもらった一輪のイワギキョウの花。「友情の証」と言っていた。
 そしてまた、中将を見つめた。
 ゼルク中将……なんて難しい人だろう。
 彼をどう思えばいいのか。複雑すぎて、思いがまとまらない。
 尊敬するオウバイ様とドクターを捕まえて首都へ送った。絶対に許せない。この人の所為でお二人の理想がくじかれた。
 私は死んでもよかったのに、私を助けた。
 首都に行きたいといった私をここへつれてきてくれた。それは、彼の敵であるお二人を助けるためなのに、なのに連れてきてくれた。
 どうして?
 そして……どうやら、さっき、命がけで守ってくれた。
 彼は私の敵に違いない、……でも私にここまでしてくれた人なんていない。
 その上、怒りをぶつけるなら自分に、とさえ言った。
 どうすればいいんだろう。
 どう思えばいいんだろう。
 恩人だなんて、思えない。
 感謝できない、私は死ぬべきだから。
 でも、どうして彼はこんなにしてくれたんだろう。
 わからない、この人。
 私は、お二人のために命を捨てるのは全く構わない。むしろ捨てたい。
 でも、この人は何のために、私を命がけで守ってくれたの? 彼にとって私は何の価値もないのに。……意味が分からない。
 彼のことは許せない、その上、わからないことだらけだ。
 わからなさすぎて、胸が苦しくなる。
 ふと、ドクターとの最後のやりとりが思い出された。
 涙がこぼれた。
 ドクターの悲しみ。理想が潰えた悲しみ。そうさせてしまった私への怒り。
 あのまま殺されていれば、ドクターの心は安らいだのに。
 何故私はあんなことを言ってしまったのだろう。抵抗してしまったのだろう。
 死にたくないと思ってしまった。心の全てでお二人を尊敬してお二人の道具でいるつもりだったのに。
 自分には、お二人が憎む「理想の実現を妨げる悪鬼」が潜んでいたのかもしれない。
 それが、私を道具として使い物にならなくしたのかもしれない。
 私は全身全霊でお二人の理想の実現を願っていた、はずだったのに。
 私には悪鬼が潜んでいたのだ。お二人を裏切り、こんなことにしてしまった。私の所為だ。私が破滅に導いたのだ。死にたい。だけど、せめてお二人を救い出してからでないと。
 ロイエルはゼルクを見た。
 彼が目覚めたら、どうにかして二人の居場所を聞き出そう。
 それにしても酷い顔色だ。
 さっき……どんな目に、遭っていたんだろう。
 最後は「黒焦げ」って、アインシュタインさんが言っていた。こんな姿は一生見たくなかったって。
 どんな痛みだったんだろう……。
 そんなにまでして、どうして守ってくれたのだろう?
 ロイエルは、長く、重く、息をついた。
 お二人に対して私ができなかったことを、この人は、私にした。
 そこまでする必要なんて全然なかったのに、胸が痛む。でも感謝はできない。だからといって怒ることなんてできない。なんて考えればいいのか全然わからない。
 彼にとって、オウバイ様とドクターの価値はない。それなら、お二人を慕う私の価値は、もっと無い。
 そんな人間をどうして守って助けてくれたの?
 訳が分からない。
 
 その階下。
 ユリは仕事を再開し、夫のガイガーは妻からきつく「上に行っては駄目!」と言いつけられていた。
「でも視ることはできるんだよなあ」
 ソファに身を沈め、ヘッドセットモニタを付けて、情報処理課管理官は二人の様子を監視する。
「かぁわいいぃなあ……」
 ガイガーはエヘエヘと笑ってロイエルを視る。
 あの仕事熱心な友人にそんなつもりはなかった「かも」しれないが、よくもまあ、あの「オッサンのお下がりの作業着を着て髪の毛をひっつめにくくった、野山に生きていそうな子供」がこんな可愛らしい娘だとわかったものだ。感心する。いや、かわいいから連れてきたわけではない、ということはよくわかっているが。わかっていないのだったら、相当に運がいいなあと思う。
「しかし、『本当はそうなんだよねー?』って男心を勘繰りたくなるくらい可愛いなあ」
 目を閉じたゼルクのそばで椅子に腰かけ、少女はじっと彼を見つめていた。甘いとかそんな雰囲気は皆無で、注視しているわけだが。
「ゼルク君には悪いことしたなあ」
 ガイガーの妻がこしらえて、ゼルクとロイエルに体験させた「改変セキュリティープログラム」に、夫は少したじろぎを覚えていた。
「とんだプログラムもあったもんだ。ユリちゃんの趣味かしら。警備じゃなくて加虐だものな。感覚接続がうちの訓練用シミュレータに比べると劣ってるのは当然だが何よりだった。しかし劣るとしても酷かったな。イジメいくない」
 ガイガーもこのモニタを通して仮想現実を見ていた。それから各要素についても「公開可能な数値」については情報開示して見ていた。見た結果、自分のお嫁さんが「えげつない」ということがわかった。あるいは「了見が狭い」だった。疑わしきは苦痛に満ちた罰を与える。逃がさぬためなら殺害やむなし一撃必殺。害虫駆除だ。今回はアインシュタインがいたからよかったものの、そうでなければ完全に駄目だ。
「……お?」
 目からモニタの位置は決して変わらないのだが、ガイガーはある光景に、ちょっと身を乗り出した。
 それまでじっと座っていたロイエルが立ち上がり、床に膝をついてゼルクに顔を寄せたのだ。
「おおお!?」
 ガイガーは色めき立った。

 ロイエルは、もう一つの、種類が全く異なる疑問をずっと感じていた。
 彼からは何故かいい匂いがする。
 これも不思議なことの一つだった。
 一体、なんなのだろうか? 香水かとも思ったがそんなはずはないだろうし。
 何か、花のようなお茶のような香草のような、そんないい匂いがするのだ。
 髪の毛からするのだろうか? 呼気からするのだろうか? それとも肌から?
 生物にとって臭覚はもっとも原始的な感覚であり、快と感じるそれに惹かれるのは当然のことだった。
 なんだろう? どこからするんだろう?
 少女は無意識に身を乗り出し、香りをきいた。
 ……いいにおい、
 くらくらする芳香ではない。澄んだ空気を初めて吸ったような。肺が喜ぶという感覚か。
 特に彼はそうだが、首都は空気が違う、と気づいた。
 ケイタムイとは空気が違う。すごく、吸いやすい。
 ロイエルは、深呼吸してみた。体にまだ残っている淀んだ空気を出して、新しい良いものに交換するように。
 彼が元気になったら聞いてみようかな。知っているかどうか、わからないけど。
 少女はいつの間にか青年をごく間近で見つめていた。
 するとイライラしてきた。彼がお二人とその理想を奪った張本人だからだ。
 だけど、お二人に会いたいという私の願いをかなえてここにつれてきてくれた。怒りをぶつけていいって言った。……認めたくないけど守ってくれた。
 また、どうしていいかわからない感情があふれかえった。
 この人、困る。

「『おおお!?』じゃないだろうこの覗き魔」
 ぶっきらぼうな言葉と共に、ガイガーのヘッドセットモニタが取り上げられた。
「おおお!?」
 不意を突かれた熊のような男は大層驚いた。振り向くと、紫色の長髪の青年が、ソファの背後に立ってヘッドセットモニタを握りしめ不機嫌極まりない顔でこちらを見下ろしていた。アインシュタインだ。筋トレが終わったらしい。
「何見てんだよ変態」
 魔法使いから突き刺さってくる軽蔑の言葉とまなざしに、ガイガーは口を尖らせた。
「仕事だよ仕事お!」
 紫の瞳が怒りに染まった。ドスの聞いた指摘が返ってくる。
「仕事だとお? そのお前の仕事だがな。ツメとワキが甘すぎる」
「……」
 熊男はもそもそとソファーを降りて土下座した。返す言葉もない。
「ごめんなさぁい」
 アインシュタインは顔をしかめた。
「まずゼルクに謝れ」
 下げられたままの黒い短髪ゴワゴワ頭から怖々と声が返ってくる。
「謝ろうにもまだ寝てるし。ユリちゃんが『行ったらダメ!』って言ったし。まずは君にお手数掛けました」
 てすうだぁ? と、魔法使いは舌打ちした。
「んなものよりもな、お前の嫁さんの仕打ちが俺の精神にどれだけの負荷をかけたか、謝るんだったらその辺を謝れ」
「ごめんねごめんね。俺だってあの可憐なユリちゃんがあんなことするだなんて……うっうっ」
 術者は、乙女のように顔を両手で覆ってウソ泣きするガイガーの頭をぐいと掴み、自分の方に上向けた。
「顔と性格が一致するような人間なんているわきゃねえだろうが!?」
「そそそそうよね!? そういやアインシュタイン君も顔と性格が不一致だわああ、そういやそうだわああ」
 ごつい男は、優美な男を見上げておののきながら納得した。
 アインシュタインはガイガーの頭から手を離すと、両手を腰に当てた。
「で、そのユリちゃんは何やってんだ今?」
 ガイガーは正座した両腿に両手を突っ込んでモジモジした。女子なら可愛い姿だが。
「お仕事デス」
 友人のこめかみがピクリと動く。
「ほんとすげえなお前んとこの奥さん。あんだけしといてケロっと職場復帰かよ」
「てゆうかぁ、逆に、『お仕事の邪魔されてプンプン!』て感じデス」
「真面目で結構だな?! 旦那と違って! どっちも腹立つわ!」
 術者はチッと舌打ちして「じゃあな!」と部屋を立ち去ろうとする。
「アッ、ボクも一緒に連れてって魔法使いのお兄さん!」
 少年のような声を作って追いかけるごついガイガーに、アインシュタインはシッシッ、と手を振った。
「お前、奥さんから上に行くなって言われてるだろうが!」

 もしかして、この香りの元は魔法使いがくれたイワギキョウからするのではないかと思いつき、ロイエルは紫の花を顔に近づけた。
 しかし、残念ながら何の香りもしなかった。
「それは、普通の花とは少し違うんだ」
 声を掛けられて驚き、顔をあげると、アインシュタインがすぐそこにいた。
「……アインシュタインさん、」
「『さん』はいらないよ?」
 しかし、困ったように眉を下げた少女に、「どっちでもいいや」と譲歩した。
 魔法使いは少女の隣に立った。
「やっぱ眠ったまんまか。もしかしてゼルクなら、とか思ったんだけど」
 紫色の髪の青年は腰をかがめ、友人の髪をすいてやる。
「よしよし。いい夢見ろよ」
 そしてその手を額に当てる。
「トラウマにはならないかな。訓練の時に似たようなので色々シミュレーションしてケアしているから大丈夫か」
「トラウマ……?」
「心の傷のこと」
 魔法使いは軽く笑ってロイエルを見た。そしてベッドに腰掛け、友人が連れてきた少女をじっと見ると、気の毒そうな顔をした。
「ロイエル。頭撫でていい?」
「え?」
「頭撫でるだけ。撫でていい?」
「……どうぞ、」
 ロイエルはおとなしく頭を撫でられた。少女よりはがっしりしているが、ゼルクよりはほっそりした手が伸びて、薄茶色の髪のなかに指を入れた。
 なんだかとても心地よかった。ドクターから頭を撫でられたときは誇らしくてくすぐったかったが。種類が違う心地よさがあった。この不思議な香りに似ていた。
「うーん」
 対する魔法使いはどんどん気の毒そうな顔つきになっていく。
「……あの?」
 どうして彼がそんな表情になるのかロイエルには見当がつかず、困ってしまった。
「どうしたんですか?」
「敬語とかいらないよ?」
「じゃあ、……どうしてそんな顔するの?」
「ロイエルは、こんな顔されるのは嫌?」
 聞き返された。
「何故だかよくわからないから、聞いたの」
「そっか。ちょっとこっちにおいで?」
 腕を引かれて、ロイエルはアインシュタインの腕に軽く抱きとめられた。彼の膝の上に腰を下ろして腕に包まれる。
 少し驚いたが、ロイエルは恐れを感じなかった。彼の中性的な外見から、異性だという感覚は持てなかった。というよりも、何か別の存在のような気がしていた。「友達」とは、こういう感覚なのだろうか?
「僕はね、ロイエル」
 頭を撫でながら、アインシュタインが言う。この先の道のりを説明するように。
「多分、君を、すぐに変えられると思う」
「……?」
 何を言っているのか、ロイエルには理解できなかった。
「どういうこと?」
「うん。僕が言っていることは、きっと、ずっと後で、君が分かることだと思う。僕にとってそれは、とても簡単なことなんだ。だけど、君には……」
 アインシュタインは言葉を切り、天井を見上げ、そして少女を見つめた。まるで広げられていない地図を見るように。
「アインシュタインさん?」
「僕と君とは友達で、きっと僕が君をすぐに変えた後も、普通に友達であり続けられるだろう。わかんないか。わかんないよね」
「……わかんない」
「ごめんな。でもどうしても、今、君に言っときたいんだ」
 ロイエルの頭をゆっくりと2度撫でた。
「変えるのは簡単なんだけどな」
 魔法使いは、眠るゼルクを見た。
「ロイエルは、ゼルクのこと、嫌い?」
「……」
 少女は難しい顔をした。
 アインシュタインは複雑な顔で苦笑した。
「ごめんごめん。もう聞かない。返事もいらない……さて、」
 笑顔を改めて、魔法使いはロイエルに言った。
「君ももうお休み。ゼルクは僕が看ておくから」

 午前5時半。
 ベッドでごうごう眠るガイガーのそばに、仕事を終えたユリがやってきた。
 呆れた顔をして見下ろす。
「幸せそうに眠っちゃって! ガイガーったら、お友達のこと心配じゃないのかしら!?」
 男のそばに落ちているヘッドセットモニタには目もくれず、妻は、食卓の上に置かれたノートパソコンを開ける。あれは、無造作に転がされてはいるが、れっきとした軍の備品なので厳重なセキュリティーが敷かれている。部外者は使用できない。
 だから自分のパソコンで自社の最上階の部屋を見るのだ。
 そこには辺境から連れてこられた少女、そしてガイガーの友人がそれぞれのベッドで眠っており、そして、二つのベッドの間に立ち、顔をあげて「こっち」を見上げて不敵に笑っているのは、術者として絶対に敵に回してはいけない青年だった。
 ユリは額に手を当てた。
「うーん。許してくれないのかなあ。一応、隠れ家は提供したんですけど」
 つぶやきは相手に届いたらしい。何でもありの相手に。
 声無く、口の大きな動きだけで、相手は「い」「や」「だ」「ね」と伝えてきた。
「あああああ、」
 ユリはノートパソコンの前の椅子にぐしゃりと座り込み、両手を組んで眼精疲労に痛む目を押さえてうつむいた。
「やっちゃったかぁ……わたし、」

 夏の終わり。もうすぐ夜が明ける。




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