DEEP METAL BATTLE

すぎな之助(旧:歌帖楓月)



19 毒を満たした白い花瓶

 10時35分。
 ゼルク中将は、ロイエルが眠ったのを確認し、ベッド脇から立ち上がった。
 すると、アインシュタインが現れた。
 手招きをして無言で室外に誘い出し、数室離れた居間に連れて行った。
 ここの内装も、緞通とソファは象牙色、木製の調度品は飴色をしていた。
 二人は、長方形の飴色の卓を囲んで4つ並んだ1人用のソファに、向かい合って腰掛けた。
「ロイエルのことは私も『見て』いるから安心してくれ。ケイタムイに調査隊……キルヒホッフ中将が到着した。風水師のリョウマを連れてきたようだが」
 ゼルクは眉をひそめた。
「感覚が鋭敏な風水師に、ケイタムイはきつくないか?」
 魔法使いは「それがな、」と切り出した。
「リョウマ自身が強く望んだらしいのだ。『風が変わった』『この体で直接遭いに行きたい』と」
 風水師とは、気象や地形、またはその他の自然現象を利用して、それが人間に与える影響を知覚し、予知する人々のことだ。魔法使いのように直接的な力を行使することはできない。そして、彼らは独特の言い回しをする。
 アインシュタインは続ける。
「ケイタムイに移動するなり、面白いことを言って倒れたんだと」
「面白いこと?」
「まず、消えた湿地を指さして『巨大な鉱竜の尾です』、次に領主の館を指さし『それに乗ることができた民です』。そこで鼻血吹いたんで、キルヒホッフが『もう首都に帰れ』って促したんだけど、頑なに拒否したんだ。『もう一つ、遭いたい場所がある』と」

 酷く消耗し、苦しそうに呼吸する風水師リョウマを、キルヒホッフ中将はおぶってやり、白い砂地を踏んで、彼が望む場所に連れて行った。
 それは、ジョン医師の診療所だった。
 近づくにつれ、リョウマの呼吸は乱れ、くぐもった唸り声を上げる。
 灰色の直毛を背中でくくり、薄紫色の四角い布頭巾をかぶり、同色の前合わせの上着にゆったりしたズボンを身に着けた、穏やかな細い目の50代の男は、ごふごふと咳をしたのちに、暗い灰色の制服を着た中将に謝った。
「中将すみません、あなたの服を汚してしまいました」
 漂ってきた新たな血の香りに、キルヒホッフ中将は「もう止した方がいい」と告げるが、相手は「いいえ、もうすぐそこです。是非とも、お願いします」、と、低姿勢ながらも強く懇願する。
 明るい褐色の短髪に、太い眉、力強い大きな瞳、やや低めの鼻梁、厚い唇、立派な体躯をしたキルヒホッフ中将は、リョウマの、ある意味いつもどおりの「仕事に対する真摯すぎるほどの姿勢」が、今度ばかりは心配になってきた。
 しかし、そんな彼がそうまでいうほどの何かがあるのだ。
 中将は「わかった」と応じてそこへ連れて行った。
 ゼルク・ベルガー中将の剣によって斬り離された、残りの建物の前に着いた。
 リョウマの喉が、ヒューヒューと嫌な音を立てた。
「……ああ。中将、是非、ゼルク中将に伝えてください。あなたが連れている『毒を満たした白い花瓶』は、鉱竜に溺れ狂った女の腹で生き残った唯一の娘だと。なんて美しい……、あなたはその花瓶の毒を除き、麗しい花が咲けるような良い水を……」

「ここまで言って意識を失なったんだと。今は首都に強制送還されて軍病院で治療を受けているが、容体は、言ってみれば計測器の針が振り切れて壊れたみたいなもので、風水師としてはもう使えないかもなあ、と」
「……」
 ゼルク中将は伝言を聞いて驚愕していた。
「私には、彼女がオウバイの娘だという風に聞こえたが?」
 アインシュタインは、それを受け止めてうなずいた。
「彼ら風水師の言葉は単純明快ではないから困る部分もあるが。私もそう聞こえたな」
 あの老婆は十数年前に妊娠可能な体であったのか? 実の娘を何故孤児と偽った? 実の娘を生贄にしてまで叶えたい不老長寿への欲望の原動力はなんだ? どこまでがDMの影響なのか?
 疑問は数々浮かぶ。
 だが、ゼルクは首を振って、それ以上の憶測を意識的に止めた。
「調査隊の術者らが、遡及魔法で過去を覗いて記録を作るだろう」
「ケイタムイ事件単体なら2、3日で映像化できるとのことだった。しかし、リョウマは湿地のことを『巨大な鉱竜の尾』と告げた。彼ら風水師の言葉では、DMを『鉱竜』と言い換える」
 アインシュタインはそこで言葉を切り、独白のように言った。
「しかし、竜の尾は消失した。今、竜そのものはどこにいるのか? それは単体なのか? 移動するのかしないのか?」
 彼はふわりと微笑み、まるで答えを知っているかのように楽しげな空気を滲み出した。
 ゼルクはそんな「友人」を見つめるしかない。
 視線に気づいた魔法使いはちょっと舌を出してから、身を乗り出し、ゼルクの頭ををげんこつで軽く小突いた。
「心配しなくても、俺はお前らの『味方』だよ。楽しませてはもらうがね?」
「……たまにだが、お前の掌の上で戦っている気になるのは、気のせいか?」
 本心から中将が問うと、友人は怒った。
「ふざけんな! 戦いたいのは俺だ! だがどれだけトレーニングしても、筋力がつかねえんだよ!?」
 腕相撲してみろよ? と、魔法使いの方から切り出したので、ソファから身を乗り出して卓の上に肘をついた。
 魔法使いの細い手と握り合う。
 あっさり、ぱたんと負かした。
 屈辱に、アインシュタインの左頬がぴくぴくと痙攣した。これでも全力だ。
「これが証拠だ畜生!」
「成程これではな……」
「しみじみと傷口に塩塗るんじゃねえよ!」

「ディープメタルというのは、初めて発見された事件『キノクシ鉱山村の惨劇』の際、掘り尽された坑道の一番深い部分から見つかった鉱石ということで、その名が付けられた」
 アインシュタインが昔語りをする。
 その時、ゼルクは生まれていない。
 200年前の事件なのだ。
 魔法使いはゼルクにあえて言う。
「お前らはキノクシ鉱山村の映像を何度も見ているから今更とか思うかもしれんが、情報保管課のアストンに頼んで、もう一度、映像化された事件を見せてもらうんだな。ケイタムイ事件を経た後では、もしかすると、何か新たな発見があるかもしれん。長くぬるく続いた紛争、短期間に起こった惨劇、どちらも村一つが消えた。そしてどちらも、一人の少女が事件の鍵を握っていた」
「……ああ」
「お。ロイエルがうなされてる」
 唐突にアインシュタインが話を変えた。
 ゼルクを見る。
「行ってあやしてやるといいよ。俺はここで待ってるから」

 数部屋隔てた寝室の扉を開けると、ロイエルが寝汗をかいて閉じた目から涙をにじませてうなされていた。
 ゼルクは彼女のベッドに歩み寄り、彼女の身を起こして抱き上げ、ベッド脇に腰を下ろして膝の上にのせた。汗で額に張り付いた前髪を、指ですいてやる。
「……」
 ロイエルは目をぼんやりと開けると、彼のことを怖がりもせずにしがみ付き、さめざめと泣く。
 ゼルクは少女を優しく抱きしめ、背を撫でながら「怖い夢見た?」と尋ねると、すがるように見返された。
「オウバイ様とドクターを助けて……」
「……それはできない、」
「どうして? 助けてっておっしゃってるの。たすけて、」
「……できないんだよ、」
 嗚咽にしゃっくりがまざる。中将が背を優しくさする。
「ひどい、ちゅうしょうなんかきらい、」
「うん、」
「だいきらい」
「いいよ、それで、」
「……」
 置いていかれた子供の顔をして、ロイエルがゼルクを見つめた。夕焼け色の瞳から涙がぽろぽろこぼれた。
 唇から悲しい泣き声が溢れ落ちた。
 泣きじゃくる少女を中将は少し強く抱きしめる。
 より悲しませてしまった、と、青年は困惑した。
 どう答えてあげればよかったのか? わからない。
「泣かないで、」
 大切そうに、背中をさする。
「泣かないで」
 おそらく、彼女は理解できない感情を持て余しているのだろう。収集をつけられないのだ。
「……ちゅうしょう、わたしのこときらい?」
「……」
 唐突な問いに、彼は何と答えたものかと思った。
「……きらい?」
 世界でたった一人取り残されたような顔をして、全てを奪われて首都に来た少女は問う。
「好きだよ?」
 寄越された本心を、しかし、少女は顔を傾げて一層泣くしかない。
「ごめんなさい……私はわからないの、」
「わからない?」
「どうすればいいのかわからないの。貴方のこと嫌いなのに、私は貴方をどうしたらいいかわからないの。考えれば考えるほど、わからなくなるの……」
 本当に嫌悪しているのなら、そもそも触れることすら拒絶する。こうしてしがみついたりしない。恐慌したとき、助けを求めたりしない。でも彼女には「わからない」のだ。
 ゼルクは問う。
「君が私を嫌いなのは、オウバイとドクターの件があるから?」
 少女はうなずく。
 そんな彼女の頭を、中将はなでる。しかし全く嫌がるそぶりは見せない。
「ロイエル、私に触れられるのは、嫌?」
「……」
 言葉なく、ロイエルは首を横に振る。涙が頬を伝って落ちる。
「こうしてると、安心する?」
 瞳から涙が次々に落ち、少女は両手で顔を覆ってうなずく。彼女は嘆くしかなかった。本当にわからないのだ。
「……どうしたらいいの? 私には、わからないの、中将、」
「わからなくていいよ。私は君のことが好きだよ。困ったらこうして守ってあげるから、」
「私はあなたのこと、嫌いなのに?」
「君が嫌じゃなければこうしてあげる」
「……」
 ロイエルは涙をこぼしながら中将を見た。
「……あなたにとって、私は何の価値もないのに、どうして好きなの?」
 ゼルクは静穏に、生贄だった娘を見た。
「私から好かれるのは、嫌?」
「嫌じゃない、」
 涙は止まらない。
「嫌じゃないの。だからわからないの。あなたが、あなたにとって役に立たない私を好きっていうことも、私にはわからない。私は貴方のこと嫌いなのに、あなたからこうして赤ちゃんみたいに甘やかされてるのを、……嫌だと思ってない」
 哀れに思って、中将は少女を抱きしめた。
 愛情を注がれたことがないのだ。彼女は。
 ロイエルは青年にしがみついて、生まれたばかりの感情を持て余して嘆いた。
「私は私がわからないの」




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