腕の中で、少女が寝付いた。
ゼルクは、風水師リョウマの言葉「毒を満たした白い花瓶」について考えた。
それは彼女のことだ。
毒はDMだ。また、養育者が施した歪んだ教育のことをも意味しているのかもしれない。
DMは除去したが、もう片方が厄介だった。おそらく、今後も彼女をさいなみ続けるだろう。
薄茶色の髪を撫でた。
麗しい花が咲けるような良い水を、注げるものなら注ぎたいが。
良い水とは何だ? 教育か?
青年は、彼女の泣きぬれた寝顔を見つめる。
哀れに思う。庇護欲をかきたてられる。そして悔しさも。
彼らは、この子を、きれいなままで真っ直ぐに歪ませたのだ。
私はこの少女に教育は施せない。そんな距離はおけない。先ほど見た孤独な瞳が頭から離れない。
もっと近くに。もっと近くで。
「要らないかもしれないけれど、私は君に、愛情なら注げるよ……」
ロイエルが次に目覚めたのは昼過ぎだった。
眠っている間、何の夢も見なかった。
すぐそばに、椅子に腰かけて本を読む中将の姿があった。
ロイエルは、それを目にして、ほうっと息をついた。
そして疑問に思った。どうして安心するのだろうか? と。
薄青色の瞳に映るものが、活字から少女に変わった。
口元に笑みが浮かび「起きたね」と言葉を紡いだ。
少女はゆっくりうなずくと、おずおずと尋ねた。
「もしかして、ずっとそばにいてくれたの?」
自分が泣いて彼にしがみついたのは覚えている。苦しむお二人の姿の夢におびえて泣いて、なだめてもらって、抱きしめてもらって、そうしていつしかまた眠っていたのだ。今度は安らかに。
「私が居ても、君は嫌ではなさそうだったからね」
「……ありがとう、」
「礼はいいよ、ゆっくり休みなさい」
「ううん、もういいの。大丈夫だと思う、」
ロイエルは上体を起こした。身体が軽くなっている。
「今、何時なの?」
「午後1時半前だよ」
「そう。……、」
起き上がりはしたものの、するべきことがない。
村にいた頃は、ドクターからの大切な役目を果たしていたり、診療所の手伝いをしていた。
今は、することがない。いや、絶対に果たさなければならない、「お二人を助けること」という目標はあるのだが、残念ながら、今はまだ行動に移すことができない。
「昼食にしようか?」
ゼルクの問いかけに、ロイエルは首を横に振った。
「いいえ。午前中にあなたからもらったので十分よ。それに、夕食の時間はまだでしょ? だから大丈夫」
ロイエルは村での生活を振り返りながら答えた。診療所での昼食時間は、もうとっくに過ぎているため、食事をするべきではない。
その言葉を聞くと、青年は首を傾げた。
「確かに、夕食にはまだ早すぎるけど……」
ふと、彼女と初めて会った沼のほとりでの会話を思いだし、彼は尋ね直した。
「質問を変えようか。ロイエルのお腹はすいていないの?」
「えっ?」
ただそれだけの質問に、少女は驚きを通り越して、ぎょっとした表情を見せた。
「それって、一体、どういうこと?」
「ここは村ではないし、まして診療所でもない。空腹の基準は、君のお腹しかないから、そう聞いたのだけど。どう?」
「私の……?」
ロイエルは、ほそいお腹をさすった。
「……」
まだ答えは出ない。
眉根を寄せて、考え込む。
「そうね、たぶん……空いているんじゃないかと思う」
「じゃあ何か作るよ。嫌いな食べ物はある?」
「いいえ。……きっと、無いと思うの」
ゼルクは椅子から立ち上がり、台所へと向かった。
「あ、」
ロイエルが声を漏らす。
振り返った中将に、少女は聞いた。
「ついて行ってもいい?」
「いいけど。どうして?」
「お台所の使い方を覚えたいの。村のと随分違うから」
「今はとりあえず、私のしていることを見ているといいよ。質問には、わかる範囲で答えるよ」
そう言って、ゼルクは昼食を作り始める。
ロイエルは、彼の邪魔にならないように、少し後ろに立って見ていた。
「薪やガスは無いの?」
「それを使う家もあるけどね。ここのは全部電気のようだ」
「電気……」
深鍋で湯を沸かし、乾麺をゆでる。同時に、別の鍋でも湯を沸かして玉ねぎのコンソメスープを作る。
冷蔵庫に入っていたサラダ用の野菜を切り、少々の香味野菜を刻む。
ツナの缶詰を開けてオイルを抜く。
ゆであがった麺を流水で冷やし、ボウルに入れ、少量のオリーブオイルと刻んだ香味野菜であえ、さらに、ツナ、野菜、ドレッシングを入れて混ぜあわせ、3つの皿に盛りつけた。ボウルにはまだ随分沢山残りがあった。
「こんな御馳走、」
「えっ?」
彼としては簡単な昼食をこしらえたつもりであったので、少女の言葉に少なからず驚いた。
お互いにまじまじと顔を見つめた。
「御馳走でしょ?」
「そう思ってくれるなんて嬉しいけど」
「……?」
ロイエルは大きく首を傾げた。
ドクター用に作ってきた料理は全く別物として、自分が食べていた料理は、蒸した野菜か水草の実と、湿地で取れた小魚を焼いたものだった。
だから、これは御馳走だ。……だが、彼の受け答えはそうでもなさそうだった。
「ねえ、中将、」
「なんだい?」
「もしかして、まさかとは思いけれど、首都ではこんなきれいな料理が普通だったりするの?」
「時と場合によって色々だから、普通の料理というものはないと思う」
「……少なくともこれって御馳走じゃないの?」
「私は簡単な料理だと思っているけど?」
ロイエルは「すごい、」とつぶやくと料理に見入った。
中将は苦笑する。
「食べてみないと、口に合うかどうかはわからないよ。おいで、食べよう」
昼食は、保護者と少女と魔法使いとで食べた。
「おいしいわ、すごく。……ありがとう」
ひどく感動しているロイエルが、それでも口調はおずおずと礼を言った。
「そうかい? 気に入ってもらえてうれしいよ」
うれしいことはうれしいが、それよりも中将は、彼女のこれまでの貧しい食生活が慮られて気の毒に感じていた。
その、お互いに思うところのあるやりとりを聞きながら、魔法使いは素直な感想と質問をした。
「うまいうまい。おかわりあるか?」
「沢山ある」
「やった!」
友人のありがたい言葉に、「じゃあ遠慮なく」と言い置いて、アインシュタインは空になったパスタ皿とスープ椀とサラダの器とを一度に両手で器用に持って席から立ち上がった。
「……」
魔法使いの「いい食べっぷり」に、少食の少女はぽかんとして、彼の背中を見送った。そして自分の皿を見ると、全体的にまだ4分の3ほどが残っている。さて、中将の皿を見ると、あらかた空になっていた。
「私が遅いのかしら?」
中将は軽くほほ笑んだ。
「私とアインシュタインのことは気にしないで、君はゆっくり食べなさい。私たちは仕事柄、食べるのが速いんだ」
「おーい全部もらっていいかー?」
魔法使いが2人を振り返ることなく、料理を見たまま聞いた。
「私の分を半分残しておいてくれ」
「わかったー」
「……」
目を丸くしたロイエルに、青年は頬笑みかけた。
「仕事柄、沢山食べるんだ」
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