DEEP METAL BATTLE

すぎな之助(旧:歌帖楓月)



5 聞こえぬ石牢

「……両親がいない。親族もいない。となると、誰が未成年である彼女の責任を取るのかという話になります」
 中将の声が響く。
 夕刻近く、領主の館のサロンには、国軍管理職と、領主とその親族らが集まって、少女の処遇について話し合っていた。
「それはあの子自身が負うことになりましょうなあ」
 領主が太った指を組み合わせてすりすりと動かしながら、他人事として呑気に言った。
「先程、調べさせましたがね。村の子供はロイエルを除いて全員揃っていました。ということは、今回のこの騒動は、ロイエル一人がやったんですよ。やれやれ、立派なジョン先生に養ってもらっているってのに、こんなことをしでかすとは、全くなんて子でしょうねえ」
「たしかに、あの子の他は全員確認できましたが」
 中将はそう言って腕を組むと表情を鋭くする。
「ディープメタルが発見された以上、今回のこの件、『子供のいたずら』ではないのです」
「ああ、何かその、難しい物が関わっているってことは、まあ、わかっておりますとも。ですが……、」
 領主は言葉に詰まり、ためいきをついた。
「しかしやはり、ロイエル独りでやっていたんですよ。責任ならあの子自身に。子供子供といいますけどね、もう17歳ですよ。赤ん坊じゃないんですから充分に分別はついてます」
 中将は聞き流した。
「彼女の後見人、ジョン医師に責任を取ってもらう、というのが筋でしょうね」
「えっ、ジョン先生ですか!?」
 領主の顔色はみるみる青ざめる。せわしなく手指を動かし始めた。
「いやっ、いやいや……ええ、そうです、たしかにそうですが、ドクターには、何の責任もない。ないですとも。医者がそんな、」
 やりとりをじっと聞いていたアンネ准将は、わずかに開いているサロンの扉を睨みつけた。
 先ほどからずっと、領主の娘たちがのぞき見しているのだ。アンネに睨まれ、娘たちはそろそろと扉を閉めるが、しばらくすると、また扉がわずかずつ開いてくる。
「責任のない後見人など、聞いたことはありませんが?」
 中将がやんわり微笑んでそう嫌味を言うと、
「いやあ。でも、そんな、ジョン先生にそんな重い責任なんて気の毒なことですし、」
 と、領主がしどろもどろに言い募り、最後にぼそりと本音を言う。
「なんと言っても、ドクターは、村に生き残っているたった一人の医者です。……それに、あの、うちのエミリの……許婚者でしてね?」
 アンネ准将は、扉からこちらを覗き見ている金髪の巻き毛の優美な少女を見た。
 中将も、准将の視線を追って少女の姿を目に入れた。
「きゃッ!」
 エミリは中将に見つめられたと知ると、悲鳴をあげ、バタン! と音を立ててドアを閉めた。
「おお。すみませんね。しつけがいきとどかず」
 領主は、娘の失礼に冷や汗をかきながらも、愛しそうに言った。
「しかし、あんなに純情な子なんです。もしも、許婚者に何かあれば、あの子がどんなに傷つくかと思うと……うう」
 エミリの父として、領主は顔を曇らせ、涙を目尻の皺にしみさせた。
「そんな可哀想なことはできませんよ。私だって、親なんですから」
 本当に純情だというなら、「許婚者」を持つ身で、これ見よがしに短い丈のドレスを着て、中将にまとわりついたりはしないはずだ、と准将は苦々しく思った。
「困りましたね」
 壮年の男性に泣かれて、中将は苦笑した。
「医師には責任を負わせたくない、というのなら。……では、本当の責任者に責任を取ってもらいましょうか」
「え!? それは、どういうことです?」
「あの、それは……?」
 領主の親族たちが顔をこわばらせて、腰を浮かして尋ねる。
 彼らは思っていた。それはつまり、この村の責任者である領主その人のことかと。もしそうならば、領主一族の不祥事となってしまい、村における立場が弱まってしまう。
 中将は、その笑みを、徐々に鋭いものに変えていく。
「オウバイですよ。捕らえて首都へ送致します。そうすれば、長く続いた紛争は収まり、あなたたちも湿地を埋め立てることができるというものです」
 それを聞いた領主一族は、ほっとして息をついた。
「ああ、そうでしたか」
「なるほど。それはそうですね」
 しかし、と、領主が言った。
「それは、難しいのではないですかな? そんな面倒をせずとも、やったのはロイエル一人ということにしませんか? この3年間、誰もオウバイの姿を見ていないのです。それを、どうやって見つけるというのです?」
 親族の一人が、おそるおそる言い足す。
「それに、あの、オウバイ自身がオロチなのではという噂もあるのですよ。……おそろしい」
「フフ、」
 それを笑って済ませたのは、准将だった。
 中将が言い加える。
「もしそうならば、この機会に、大蛇駆除までできるということになります。それは大変結構なことだ、とは、思いませんか?」
 青年中将の言葉に、領主側一同は呆然とした。
「そんな……」
「……そんなことが、できるはずもないでしょう……」
 のん気が五体に染み渡った領主ですら、苦い顔で首を振った。
「とても無理だ。無理ですよ。オロチに、手を出すなんて、村の誰もそんなことができるなんて思いませんし、するはずもない」
 村で長く生きれば生きるほど、わからざるをえない。あの獰猛な大蛇を駆除するなど。無謀の二文字なのだ。
 そんな中で、中将の落ち着いた声が、救いのように領主たちの胸に響いた。
「誤解しないでいただきたいのですが。私たちは、村の皆さんに何かしろと言っているわけではないのですよ。あなたがたは何もしなくていいのです。我々国軍が、全てを行ないます」

 領主の館の地下には、石牢があった。村で犯罪が起こったときに、罪人を一時的にここに捕らえておくことになっていた。百年近く昔は、ここはそのまま刑に服する場であったが、現在は、国軍が引き取りにくるまでの留置所となっていた。
 時刻は、夕刻を過ぎていた。
 牢の灯りは小さな青白い光の電灯1つのみ。薄暗かった。
 ロイエルは、そこで、膝を抱えて座り、悔しそうに唇を噛んでいた。
 今まで、こんなことなかったのに。
 ここに捕らわれているのは彼女一人だけだった。一緒に行動していた少年たちは、消えたままここに来て、口々に「僕も姿を見せて謝るから」と言ってくれたが。「家族に心配を掛けちゃ駄目」というロイエルの強い反対にあい、しぶしぶ家に戻っていった。
 洗面器をぶつけられた少女の額が、ずん、と痛んだ。
 浴場で捕まえられてから、ここに入れられるまでの記憶があやふやだ。気が付いたら、もうここにいた。
 中将が投げた洗面器が頭に当たったり、その前に、そうだ、湿地に行ったからフラフラしていた。色々重なって、どうやら気を失ったらしい。
「……」
 これは大失態だ、と、自己嫌悪に陥った。……捕まっちゃった。
 少女は、自分のふがいなさに、ため息をつき、そして心の中で2人に謝った。
 ドクター、ごめんなさい。ドクターの言うとおり、もう少し、慎重にあたるべきでした。オウバイ様、ごめんなさい。せっかく預かった石を無駄にしてしまいました。
 そして、ロイエルは自分の来ている服を見た。
 気が付いたら服もこの白いものに変わっている。エミリが持っている「ワンピース」にちょっとだけ似てるけど、あんなヒラヒラフワフワしていない。この布地は、さやさやしてしっとりしている。
 ロイエルは無くなった自分の衣服に思いをはせた。気を失ってる間に、誰かが着替えさせたんだわ。私の服、どうなったのかな。濡れたままでよかったのに。ドクターからいただいた大切な服だったのに。返してもらわないと。
 そんなふうに考えているところに、階段を下りて、こちらへ向かう足音がいくつも聞こえてきた。話し声もだ。
 少女は緊張して身を固くした。
「中将、自分もご一緒させていただきたいのですが」
 この声は、アンネ准将だ。
「いいえ、アンネ准将、あなたにはジョン医師の所へ行って、今回の件を話してもらいたいのです。できれば、領主殿の『純情な娘たち』を連れて。その方が彼も警戒を解くでしょうし」
 ……これは「ゼルク・ベルガー中将」だ。
「たしかに。では、私は指示通りにいたします。しかし、中将、僭越ながらどうかお気をつけください。オウバイの呪術は本当に恐ろしいものでした。私ごとですが、身をもって体験しましたから」
 近づいてくる2人のやりとりを聞いたロイエルは心の中で反発した。
 領主の娘たちが純情ですって? 一体、どこに目を付けてたらそう思えるのかしら? オウバイ様のお力が恐ろしいものですって? 悪鬼には恐ろしい術なのは正解よ。でも本来は美しく偉大なお力なの。皆を幸せにするのに。……国軍の人たちったら何も知らないんだわ、可哀想に。どうして、軍の人たちって、真実を見ようとしないのだろう?
 少女は、下唇を噛んだ。
 やっぱり、真実は、オウバイ様を信じる者だけがわかるんだわ。
 オウバイ様。あなたの理想の世界が、早く来ますように。国軍の人たち、早く帰ればいいのに。
「准将。あなたは、その娘たちを連れて、医師の所へ事情を聴きに行ってくれませんか? あの石の件、何か知っていると思うのです」
「そうですね。直ちに参ります」
 ロイエルは、不安で目を揺らした。
 ドクターのところに? ……私の後見人だからだ。どうしよう。万能のオウバイ様、どうかドクターをお守りください。
 2人分の軍靴の音が近づいてくる。
 それにつれて、ロイエルの緊張と悔しさとが募っていった。
 あんな、少しも強くなさそうなくせに、中将だなんて! そんなのに負けてしまうなんて、悔しい!
 そして、彼が現れた。兵士1人引き連れて。
「こんばんは、ロイエル。寒くないかい?」
 中将が穏やかにほほ笑んで挨拶した。
 膝を抱えて座っていたロイエルは、返答の代わりに、横目で睨みつけながら首を横に振った。暑いくらいだ。
 彼がどんな丁寧なあいさつをしようと、感じがよかろうと、敗北の屈辱がはらされはしない。それどころかより一層強まった。
「君の話を聞きに来た」
 中将はやや腰を落として、睨みっぱなしのロイエルに話しかけた。
「あなた、兵士見習いじゃなかったのね?」
 不機嫌な声を返すと、相手は少し笑った。
「そうだね」
 ロイエルには、彼が指揮官だということが、未だに納得できないでいた。
 どうして彼が指揮官で、しかも「中将」なの?
 国軍って一体、どうなってるの? 上には、もっと、頑丈な、それなりの外見の人が就くべきなんじゃないの? おかしくない?
 鍵音がした。お付きの兵士が鍵束をもって中将を案内し、牢の中へ入れる。
 ロイエルは、鍵の行方を注視した。うまくすれば逃げられるかもしれない。
 感情的な気分を、冷静な方へ切り替えなくては。
 少女は息を吸って吐いた。
 そうだ、私がどんな負け方をしたかなんてどうでもいい。それよりも、私の失敗から、ドクターやオウバイ様を危険な目に遭わせてしまうかもしれない。真に気をつけないといけないのは、そこだ。
 絶対に、オウバイ様とドクターを、国軍の人たちから守らなくては!
「どうぞ、中将」
 牢の外では、鍵束を持った兵士が上司を案内しつつ、同情の視線をロイエルに向けていた。彼とロイエルとは顔見知りで、その目は語っていた。「悪ふざけをした子ども相手に、ここまですることないのにな」と。
 ロイエルは、兵士を見て苦笑した。「ドジ踏んで、捕まっちゃった」と、冗談みたいに済ませるように。
 兵士もそっと笑い返した。「大丈夫だよ、心配しなくてもすぐ出してもらえるよ」と。
 国軍の兵士達は、村の子供には優しかった。住民対国という対立している立場でありながらも、子供には敵意を向けなかった。子供には何の罪もない、というのが、彼らの共通認識だったからだ。
「鍵は私が預かる。君は、上に行きたまえ」
 中将は、牢の外の兵士にそう命じた。
「しかし、私は牢の見張りの役目を言い付かっております。もしも、中将に何かありましたら」
 しぶる兵士に、指揮官はきっぱりと言う。
「何かあったら必ず呼ぶ。行きたまえ」
 命令に、部下は背筋を正した。
「は、はっ。了解しました」
 鍵は牢内にいる中将の手に渡った。
 ロイエルの目は、その金属に釘付けとなった。
 彼から鍵を奪えば、逃げられるかもしれない。
 中将は立ったまま腕を組んで、膝を抱いているロイエルを、苦笑しながら見下ろした。
「君が『全部、一人でやった』と言っている、と聞いたけど。それは本当?」
「……」
 ロイエルは、彼を見上げて眉をひそめた。
 自分が座り込んでいて、相手が見下ろしてる。この立ち位置は、さっきの浴場で見つかった時と、同じみたいな気がする。
 またも腹が立ってくるのを感じつつも、努めて冷静に答えることにした。虚偽を。
「そうよ。3年目にして、ようやく分かってもらえたようで、嬉しいわ」
「たった一人で3年も? 14歳の頃からか。……それはまた、随分と頑張ってきたものだね?」
 軽く肩をすくめつつの言葉を返された。
「ちょっと待って、どうしてあなた、私の年を知っているの?」
 顔色を変えたロイエルに、中将は穏やかにほほ笑みながら答えた。
「捕まえた、という扱いだからね、君のことは。身辺は調べるさ」
 捕まえたという言葉に、ロイエルの怒りが蘇ってきた。
 なんで、よりによって捕まった相手が、こんな強そうでも何でもない人なんだろう。
 もっと強い人に、そうよ、例えば、ソイズウ大佐みたいな強面の巨漢に負けたのなら、まだ納得できるのに。
 何か、言ってやりたくなった。
「ゼルク・ベルガー中将は知らないの? 人とちゃんと話をしたいなら、同じ目の高さにならないといけないのよ? 見下ろすのって、失礼だわ?」
 中将は、睨み続けるロイエルを見つめ、「知ってるけどね」とうなずいて、少しため息をついた。
「知っていたら実行するべきでしょ?」
「君が、そんな恰好のまま膝を抱えてさえいなければ、私も膝をついて話せるんだけどね」
 ロイエルは、首を傾げた。
「私が膝を抱えていることと、あなたがそうしないのに、何の関係があるの? ないでしょ?」
 相手は眉をひそめた。
「……。無邪気な子だなぁ」
「どういうこと?」
 何を言っているのだろうか? 彼は。
「いいよ。君の要望どおりにするから」
 腰を下ろして、ロイエルとほぼ同じ目の高さになった。
「これでいい? それで、聞きたいんだけど、あの小石はどうして手に入れたんだい? あれには術が掛けられていたようだが」
「あんな小石なんて、湿地に行けば、いくらでも手に入るわ」
「それは初耳だね。湿地は砂地ばかりだと思っていたけど。それでは、姿を消す術は?」
 ひたりと見つめられたロイエルは、自分の嘘がばれないように、ことさら強く睨み返した。
「簡単よ。湿地に入って、一心に念じればいいの」
「それも初耳だな。では、酒場で酒浸りの負傷者の傷がすぐに治るのも、湿地の水が使われているから?」
「そう」
「同じように酒場に行った国軍の兵士には、何も起こらないのは?」
「だって、あなたたちは村人じゃないでしょう? あなた達は湿地をつぶすためにやってきたのでしょう? そんな余所者の為になるようなことなんて、起こるわけがないわ。湿地のは只の水じゃない。神聖な術が掛かっているのだから」
「それを全部、君がやったというのか? 呪いの全てを?」
「そうよ。だけど訂正して。これは呪いなんかじゃない。世界に光をもたらす、神聖な術よ」
「やれやれ。困った子だね」
 指揮官の心からの苦笑に、少女はより一層腹が立った。子供扱いして、バカにしてる。私はもう17歳なのに。
「ねえロイエル。嘘はもう止そうか? 首謀者のオウバイはどこにいる?」
「私よ」
 挑むように言ってのけた。
 これが全くのでたらめであり、相手もそれをわかっているだろうことは明らかであったが。
 でも、とロイエルは思った。
 私は、絶対にお二人を守る。
「なるほどね」
 ゼルク・ベルガー中将は、しかし、うなずくしかなかった。
「君がオウバイではないという証拠はどこにもないからな」
 国軍側は、少女の嘘を覆せるだけの証拠は持ち合わせてはいない。オウバイは、3年間、一度も姿を見せたことはないし、「呪術」の体系も性質も不明だ。
 目の前の少女が、本当に老婆だということもありうるのだ。オウバイが「若返りの呪術」を使っているかもしれないのだから。
 だが。
 彼は、それで引き下がりはしなかった。
 右手で、ロイエルの額を軽くはたいた。
「いたっ! なにするの!?」
 さっき洗面器を投げ付けられたところだった。
 コブができたままの場所に、正確に手が当たった。
「痛い? すまないね。てっきり治っていると思っていた。まだ、治していなかった?」
 白々しい声が降ってくる。「馬鹿にされた!」と腹が立つ、そんな調子の声だった。
 むっとして、頭を手で押さえ、少女が睨んだ。
「術はそんな軽薄に使っていいものではないの!」
「村人のは早々に治すのに?」
「他の村人はいいの。自分には駄目なの! 自己鍛錬という言葉を知っている? 私、それをしているの」
「それなら、聞くけど」
 中将が、表情をきつくして尋ねた。
「3年前から、この村の医者が次々に死んでいくのを、ロイエルは何故、放置している? 医者が一人しかいなくなったために、治療を受けられずに死んでいく人が多いと聞いたよ? どうして助けなかったんだい? 村人である医者と病人は、それこそ一番に助けるべきじゃないのかい?」
「それは……」
 ロイエルの表情が曇る。悪鬼の所業だとは聞いていたが、でも、最近ドクターは患者さんをあまり診ない。そして万能であるはずのオウバイ様は死者を生き返らせない。……どうしてだろう、と疑問に思った。でもすぐに、オウバイ様が何か高尚なお考えでもってそうされたのだから、何も間違いはないのだ、と、思い直した。疑ってはいけない。信じなければ。
 しかし、中将に言い返すための、「自分がそうしたのだ」という理由を考え付くことはできなかった。
 中将が静かに微笑む。
「質問に答えられなくなったね」
 鍵の束が音を立てる。ロイエルはあせった。
「待って、」
「もう話は終わり」
 中将はそう言って立ち上がり、牢から出て行く。
 振り返ってロイエルの目の前の床に言葉を置いた。
「今夜はここにいなさい。明日の朝になったら、家に帰すから。ロイエル、君に罪はないよ」
 牢の扉が、キイと開く。
 ロイエルは慌てて声を上げた。
「どうしてっ!?」
 胸の動悸が速まるのがわかった。
 それでは困るのだ。私一人がやったということでなければ。
「私がやったって、言ってるでしょう! どうして、罪が無い、なんて言うの!?」
 立ち上がって、彼の側に行き、言いすがる。
「私が、一人で、やったの!」
 必死の抗弁に対して、彼から返されたのは、少女にとっては歯がゆいことに、苦笑だった。
「こんな紛争をね、君みたいな子が一人で起こすことは不可能だ。今まで君たち子供がやってきたいたずらについてもだ。責任は、それをやらせた大人が取らねばならない。君の後見人はドクタージョン、そして、彼の祖母は呪術者オウバイだね」
「……!」
 少女が、凍りついた。
 ……オウバイ様とドクターに、罪を負わせる気だ。
 そんな。
 今まで、心の中で力強く灯っていた神聖な光が、突然やってきたゼルク中将という風に煽られ、消されようとしている。
 そんな。
 だめ、
「私に責任は、無い、って、言うの?」
 かすれた声に、軍人のうなずきが下された。
「そう。それじゃ、お休み、ロイエル」
「待って!」
 ロイエルは、牢を出て行くゼルク・ベルガー中将の、背中の上着の裾を必死で引っ張った。扉が開いた今なら、逃げられないこともないが、それどころではなくなった。オウバイとドクターに、国軍の手が伸びようとしていると知った今、逆に、彼を決してここから出すわけにはいかない。
「違うの! どうしてわかってくれないの!? あたしが全部、全部やったって言ってるでしょう!? オウバイ様もドクターも関係ない!」
「どうしてそこまで庇うんだい?」
 ため息と共に、中将はゆっくり振り向いた。
 鋭い目で、ロイエルに確認した。
「今までこの村で、何が起こってきたのか、君は本当にわかってそう言っているのか? 村人の命綱だった医者達を毒殺したのも、何の罪も無い乳児や幼児達を沼に引き込んでなぶり殺しているのも、若い女性達の血液を抜いて惨殺しているのも、今まで来た複数の指揮官を殺したのも、深刻な副作用を起こす術で村人を廃人にして生殺しにしていくのも、君一人でやったというのか?」
「……え?」
 ロイエルが、目を見開いた。
「それは、違うわ?」
 それは違う。ドクターがいつも教えてくれる、悪鬼の所業だ。私たちと敵対する存在の。
 この人、何、言ってるの?
 それを私たちの所為だと思ってるの?
「違うわ! それは悪鬼がしていることよ! 私のはそんな術じゃないもの! そんなひどいことしないわ!? 私は神聖な術で村を楽園にするのよ!?」
 激しい感情で身を乗り出し、くってかかる少女の両肩をやんわりつかんで、中将は距離を離した。
「君は、2人から何も知らされていないんだよ」
「だから私が1人でやったって言ってるでしょう!? あなたこそ何も知らないのよ!」
「知らないかどうかは置いておいても、それだけの罪状が重なると、当然、死刑は避けられない。これは事実だ」
 それを聞くと、少女は誇らしく笑った。
「死ぬのなんて怖くないわ。信じることのために死ねるのなら、本望よ! 殺せばいいでしょ!? どれだけ嘘で汚されても、真実は美しいままだわ!」
 ロイエルは、喜んでいた。
 私一人が死ねば済むんだ。悪鬼の所業を被るくらい大したことはない。それで、オウバイ様とドクターが救われるのなら。
「本当に困った子だな」
 ゼルク・ベルガー中将は、ロイエルの真っすぐな表情を渋い顔で確認すると、ため息をついた。
「色々な嘘を信じ込まされているみたいだけど。……まっすぐな子だから仕方ないのかな」
「なんですって?」
 馬鹿にされた、と、ロイエルは思い、眉を吊り上げた。
「何の嘘もないわ! 私は真実を知っているの!」
「話がかみ合わないね。……後見人のジョン医師が、君に、そう教え込んだのかい?」
 再びため息をついて、中将がそう確認すると、ロイエルは即座に否定した。
「違うわ! 言ってるでしょう? 私が全部やったの! ドクターは全然関係ないわ!」
「もういいから。ここで一晩頭を冷やしてから、帰りなさい」
 歩み出す中将の上着の裾を強く引く。
「行かないでっ!」
 彼を外に出したら、お二人の求める理想の楽園が実現しなくなる、少女は恐怖した。
「私が首謀者だって、認めてよ! 私を罰して!」
 力の限り引っ張っているのに、彼はびくともしなかった。それどころか、簡単に歩き出せそうな余裕さえ、その涼しい表情と悠然とした体躯から感じ取れた。
 この人、こんな外見なのに、もしかして、ソイズウ大佐より、ずっと強い……?
 力を込めすぎて震えがきている少女の腕を、中将は目に留めて、あきれた。
「君を首謀者だと認めるまで、私をここから出さないつもりか?」
「そうよ?」
 ロイエルは無理に笑った。
 この人をここから出したら、おしまいだ。
「だって私が全部やったんだもの。そうよ私が村の人たちを苦しませたの!」
「それが認められたとして、君が死んでどうするんだ?」
「死ねるなら本望よ。すばらしいことだわ」
 輝く笑顔を見て、中将が舌打ちした。
「……たちが悪いな。君を育てた医師は、」
「どうしてドクターを悪く言うの!? 私がそう思ってるの!」
「君は、」
 中将は、ロイエルの今の姿を頭の先から脚の先までつくづくと見た。
 浴場で捕まえてから、そこでお湯を浴びせて、着替えさせた。領主の館では、こんな少女が囚人になるとは想定されておらず、衣服が無い。当時は、私以外全て眠り込んでいて、適当なものを揃えられなかった。
 結果、国軍兵士が鎧の下に着用する薄手の長衣を着せた。下着はない。それゆえ、女性としての体の線があらわになっているのだが、……この子ときたら、まったく頓着していない。
 いい加減こちらも目のやり場に困る。
「ジョン医師から、女性としてのたしなみとか習わなかったのかい?」
 ロイエルはきょとんとした。
「今は、そんな話関係ないでしょ?」
「いや、おそらく今一番君が気にしないといけないところだと思うんだけどな」
 裸の上に、白い絹布の長衣一枚しか来ていない。腕は全部露わになっているし、裾は膝丈だが、脚の両脇は太ももからスリットが入っている。襟も詰まっているとは言い難い。
 なのになんの頓着もしていない。普通の育ちの娘なら大騒ぎしてまともな服を要求するところだ。
「ちょっと放しなさい。館の人に頼んで服をもらってくるから」
 青年は自分と彼女のためにそう言うが、少女は頑として手を離さなかった。
「駄目! 認めてくれるまで絶対離さないわ!?」
「……ほんとうに、何もわかっていない」
 ゼルク・ベルガーを真っすぐ睨み上げたままのロイエルに、何度目かの彼のため息がかかる。
「わかってるわ! 死ぬのは簡単だって言いたいんでしょう? 安易に死を選ぶなんて浅はかだって言いたいんでしょう? だけど私は違う! 理想のために死ぬの! これは意味ある死なの!」
 毅然とした表情を向けるロイエルに、げんなりした中将は、少し考えると、からかうような表情を見せた。
「ロイエル、……何をわかっていないか教えてやろうか?」
 少女は真っすぐに見返した。
「馬鹿にしないで。世の中のこと、大体わかってる」
 中将は、ふ、と息をつきながら笑った。
「私はこれでも忙しい身でね。辺境の紛争処理に、前任者達のように3年も費やす余裕がないんだ。そうだな、ロイエル。行間を読む、空気を読む、……こんな言葉を、知っている?」
「知ってるわ」
 うなずくロイエルに、彼の方が打ちひしがれた。
「もういい」
「……何の話? 空気なら読めるわ。だって、そうでないと、ドクターの診察のお手伝いなんてできないもの。患者さんが本当に言いたいこと、わからないでしょ?」
「わかった。言葉を変えよう。君は、自分について何もわかってない、と言いたいんだ」
 だんだんと、ロイエルは、彼が何を言っているか、わからなくなってきた。
「ねえ、何の話をしてるの? 紛争の話をしてよ」
 問いに答えは無く、中将は目を伏せて、長い息を吐いた。今までのため息とは、何かが違っていた。
「君はきっと、『そういう存在』として育てられてきたんだな……」
「何を言ってるの?」
「2人にとって価値があるのは、君だ」
「価値ですって?」
 上着の裾を握り締めたままのロイエルを見つめると、ゼルク・ベルガー中将は再び牢の鍵をかけ直した。そして壁際へと歩き、入り口の鉄格子のところで立ったまま困惑しているロイエルに、手招きをした。
「こっちにきたまえ」
 怪訝な表情を浮かべながらも、少女は中将の方へやってきた。
「何?」
 中将は目を伏せて静かに笑っていた。
 ロイエルは、なぜか、恐怖を感じ、踏み出す足がすくんだ。
「ここから出してもらえないことには、私は任務を遂行できないからね」
「私を首謀者だと認めたら、出してあげるわ?」
 薄青い目が、少女の瞳を捕まえた。
「君は首謀者にとって重要な存在だ、ということは認めてもいいよ?」
「それ、どういう意味なの? ……痛い!」
 中将は、浴室で掴まえた細い手首を、もう一度わざと強く握って引き寄せ、悲鳴を上げさせた。
 肩を押して後方へバランスを崩す。このまま倒れると頭を打つという焦りから、とっさに、ロイエルは中将の首に手を回した。
 ゼルク・ベルガー中将は、そのまま、少女を石の床に組み敷く。

「!?」
 ロイエルは、どうして自分が倒されたのか、何より、どうして彼が自分の上にのしかかってきているのかがわからず、動揺した。
「え、え?」
 青年の下に、偽りの仮面を剥がされた初心な少女が現れる。
「私が君に、これから何をするつもりか、わからないだろう?」
 そのとおりだった。
 ロイエルは、どうして彼が冷たく笑うのか、わからない。それを見て、背中が冷たくなる理由も、わからない。想像だにしなかった状況に、頭がついていかない。
「どいて、」
 細い体が身じろぎするが、彼はびくとも動かない。
「どいて、中将、」
 動かない彼の重みと圧迫感に恐怖を感じ、押しのけようと肩に両手を掛けたが、鼻で笑われた。
「では私は牢から出ていいということだね?」
「駄目よ! 絶対出さな
 途中で、少女の威勢の良い声が消えた。
 口に何か被さって、中に何か入ってきた。
 どうして彼の顔がこんなに近くに来てるんだろうと思った。
 舌に、今まで知らない、温くて自分で動く柔らかい物がからみついてきた。
 なにこれ!?
 ロイエルは何が何だかわからなくなり怖くなって、首を振った。
 そしたら、顔を、両手で押さえつけられた。
 唇が濡れたものでふさがれて声が出ない。口の中で何かが動く。
「ん、ん、」
 口の中がどんどん濡れていく。息をどうやってすればいいのかわからなくなっていく。たまらなくなって飲みこむしかなくなったが、むせて咳き込んだ。
 すると口を覆っていた物が離れた。ひどく近くにあった彼の顔も離れた。顔を押さえていた手も離れて、ロイエルの両腕を捕まえた。  何度も咳をして、やっと息ができたけど、中将はロイエルの上から動かない。
「私を牢から出す気になった?」
「嫌!」
「こんなことをされても、答えは『嫌』なのか?」
 ロイエルはやはり何を言われているのか理解できなかった。  こんなことってどんなこと?
「ロイエル。君は、今、私から何をされているか、わかっているか?」
 少女は指揮官に捕まえられた腕に力を込めた。
「どいて、中将」
 はあっ、と息が吐かれた。
「だから、これでどうしてわからないんだ。ジョン医師は、どういうつもりで君に何も教えてないんだ。彼の考えが理解できない」
「ドクターはあなたの知らない真実を御存知で理想を求めているの」
「そういう話じゃないよ」
 両手が引っ張り上げられた。頭よりも上で、左と右の手首がまとめて捕まえられた。
 私は、自由を奪われたこんなときこそ、笑わなければと思った。
 今のこんな状態に相応しい、ドクターから教わった言葉がある。
「どんな状況になっても、真実は一つよ。世界はオウバイ様のためにあり、私はオウバイ様の栄光によって生かされているの!」
「……」
 ゼルク・ベルガー中将が、押し黙った。
 私は、勝ったと思った。
 オウバイ様の真実の前に、悪鬼は力を失うのよ。
 目を伏せて、中将が笑った。
「?」
 意味がわからない。
「なんで笑うの?」
「もう笑うしかないからだよ」
 あごの下に、中将の手が触れてきた。
「?」
 長い指が、小さな口に押し当てられる。
「さわらないで、」
 嫌だと首を振るが、指は、ロイエルの口をぬぐうように往復した。
「中将、」
 止めて欲しい。訳がわからないことは。
「最後通告だ。ロイエル、君の性別は女で、私は男だ。わかるよね?」
「当たり前でしょ?」
「そうだけど。どうして、あえて今聞くのかを、察して欲しかったんだが。それで、君より私の方が力が強いということも、わかるよね?」
「そんなことはないと思うわ。真実の力なんて、心の目で見なければ、わからないものよ」
「そこまでしなくてもわかるくらいに、表面的な力の強さの問題をたずねている」
「表面的なことに興味はないわ」
「どこまで純粋培養されているのか、正直恐ろしいよ。ロイエル、今、私は君の自由を封じている。君は女で私は男だ。私は、これから、君に、酷いことをするつもりなのだが。何をするか、わかる?」
 私は、私の使命として言うべきことを知っていた。
「どんなことをされても、私の信念や理想は変わらない。私が首謀者だと認めるまでは、あなたを絶対にここから出さない」
「立派な言葉ばかり刷り込まれて、大事なことを何一つ教わってないのが、憐れでならないよ」
 少女は馬鹿にされたとしか思えなかった。
「あなたに憐れまれる理由なんか、どこにもないわ!?」
「これからわかるよ。嫌というほどね」
 冷たい笑顔に脅されるほど、私は子供じゃない。だから、余裕を持って笑い返してやった。
「それなら、私は一生わからなくていい。死んでもわからないと思うわ……きゃぁ!」
 中将はロイエルの衣服の裾をまくりあげた。
「なにするの!? 駄目っ、」
 下半身が露わになる。  しかし少女は別のことに腹を立てた。
「今、話してる途中でしょ! どうして人の話を最後まで聞けないの? なんでこんなことするの? 失礼だわ!」
「こうすることについて、今まで私は君に延々と丁寧に説明してきたつもりだけど、それでもわからなかったか? 呆れるよ」
「嘘。あなたはそんなこと一言も言わなかった!」
「じゃ、今、ちゃんとわかったね。君も体を大切にしたいだろう? それこそジョン医師が嘆くよ? さあ、これ以後おとなしくして、私たち国軍の邪魔をしないと約束しなさい。それなら止める」
「嫌よ。おなじこと、何度も言わせないで! ドクターには関係ない!」
「だったら、これ以上のことをして、おとなしくさせる」
 ロイエルには「これ以上」の意味が全くわからなかった。
「なに、する、つもりなの?」
 鈍いにもけなげさにも程があるだろうと呆れるほどにきれいな少女の目を見る前に、中将は息を長く吐いた。
「……君が思っている以上に怖いことだよ」
「怖い物なんかないわ。あるとしたら理想が潰えるときよ」
「言って聞かせたい気持ちは山々だが、なにせ時間が無い。もういい。せいぜい怖がって、できれば後悔してもらいたい。恨むのはいくらでも恨めばいい」
「怖がらないし後悔もしないわ? あなたなんか大嫌い。……う」
 ゼルク中将に捕まえられてるロイエルの細い手首が、開いた口に押し付けられ、彼女は口がきけなくなった。手の骨に、自分の歯が強く当たって、痛い。
「嫌われたくはなかったんだがな。君には」
 沈んだ感じの声だけど、ロイエルは自分の手が邪魔で、相手の顔が見えない。
 敵同士なのに、何を言ってるんだろう。初めて会った時の印象が甦る。やっぱり、この人、甘いんじゃないのかと、何も知らない少女は思った。
 そして、彼女は思いを強くした。
 何をされてもわたしは、わたしの信念を、貫く。
 お二人の邪魔なんて、させない。

 三人の夜の来訪者を、ジョン医師は、紅茶と焼き菓子と笑顔でもてなした。
「ロイエルが作りおいてくれたお菓子です。おいしいですよ」
 甘い香りの焼き菓子に、領主の娘ローズは「やった! ロイエルのお菓子!」と声を上げると、早速、両手でつかみとった。
「夜分に申し訳ございません」
 恐縮するアンネ准将に、ジョン医師は穏やかに微笑んで首を振る。
「いいえ、構いませんよ。……ときに、そちらに迷惑をお掛けしてしまったロイエルは、元気ですか?」
 最後の遠慮深い問いは、養育者として当然の心配だった。
「はい。その件につきましては、国軍が責任をもっておりますから」
 医師は深々と頭を下げた。
「すみませんね。私の教育が行き届かず。とんでもない悪戯をしてしまったようで、」
「いいえ。ロイエルは良い子です。今回の件だって、何か事情があるのでしょう」
 首を振る准将に、村で一人の医師は、「いいえ。領主様宅を騒がせたのは事実ですから。後できつく言って聞かせます」と返した。
「おいしー!」
 大人たちの会話をよそに、領主の次女は、お菓子を次々に口に放り込んで歓声を上げている。
「ねえ、ドクター! ロイエルが、ドクターの手伝いをしてない時には、うちに働きに来るように言ってよ? おやつ作ってもらいたいの!」
「ローズ! 馬鹿なことを言うんじゃありませんわ?」
 そこで、それまで、ただニコニコニコニコと笑顔を浮かべていた長女のエミリが妹をたしなめた。
「ロイエルは、ドクターのお手伝いさんなんですの。村の皆様の命を守るドクターの、大切な大切な大切ーな、お手伝いさんなんですのよ? うちの館に来てもらいたくありませんわ?」
 フン、と、妹が鼻で笑う。
「お姉様のヤキモチやき。見てらんない」
「なんですって!?」
 図星をさされた姉が顔色を変えたのを見て、ローズは、医師に申し上げをした。
「ドクター。うちのお姉様ときたら、ドクターという許婚者がある身でありながら、今度来たゼルク中将様にお熱なんですよ!? そういうの、どう思いま……ガフ!?」
 姉の左手が、鮮やかな勢いで、意気揚々と無駄口を叩くために大きく開いた妹の口に、焼き菓子を三つほど突っ込んだ。
「おだまりなさい。このいやしんぼさん」
 その手さばきを目にした准将は、「この子、何か武術をたしなんでるわね」と、少し見直した。
「ドクター、違うんですの。ローズこそ、嫉妬しているのですわ? 今度来られたゼルク中将様は、とっても、とっても、優秀で素敵な方ですの。だから、エミリは、村のためを思って、あの方に色々と情報を提供しているのですの。……ああ、それなのに、」
 エミリは悲しそうに目を伏せ、青い顔で「水、水、みずう」と胸をたたいて苦しんでいる妹ローズを見て、はあぁっ、と悲哀のため息をついた。
「それなのに、この、いやしんぼ食いしん坊ローズが、何をとち狂ったのか、とんだ大誤解をしたのですわ。村を心配する私の志は、そんな軽薄なものじゃありませんでしてよ。嗚呼、頭の中まで胃袋になっちゃっている妹なんか持ってしまって、エミリ、とっても辛いわ……うううッ、」
 こらえきれず、エミリの目から涙が溢れ、繊細な指がそっとそれをぬぐった。
 それを見た准将は、「なんて演技力なの。憎たらしい娘だけど、そこは認めざるを得ないわね」と、ある意味で見直した。
「おやおや。エミリ、泣かないでいいんですよ」
 ジョン医師は、おっとりと慰めて、何度もうなずく。
「ええ、ええ。よおくわかりますよ? エミリは、村のことを一番に考える、優しいお嬢さんですものね?」
 エミリは涙ぐんだ瞳で、にっこりと笑い返した。
「ああっ、さすがドクターだわ。何てお目が高いの。エミリ、感激!」
 紅茶をガブガブ飲んで一息ついたローズが、「好きにすればいいわよ、私はおいしいお菓子が食べられたからそれでいいわ」と、小さくこぼした。
「それで、エミリ。今度来られたゼルク・ベルガー中将殿のことを、もっと詳しく教えてください。どんな方ですか?」
 ジョン医師は、膝を少し乗り出して婚約者に問いかけた。
「まあ! よく聞いてくださいました!」
 令嬢は、瞳をキラキラと輝かせた。
「とおっても、とっても、素敵な殿方ですの! 村のことを第一に考えてくださって。私ども領主一族に対しても最大限の配慮をなさいますの。前の、あら失礼ここに同席してらっしゃいますけど言わせていただきますわね? 前の指揮官アンネ准将様は、それはそれは職務に忠実で四角四面で始終渋面にお働きでらっしゃいましたけれども……ああ、途中で負傷されて異動でしたわね?」
 そこで言葉を切って、エミリは、一瞬、短剣の切っ先のごとき視線を女准将にくれてやり、再び、医師を見て、言葉を続けた。
「今度来られたゼルクベルター中将様は! とってもお優しくって! 言葉遣いも丁寧でらっしゃいますし! そして素敵なんですの! 都会の殿方って、素・敵、エミリ、とろけちゃう!」
 甘い笑顔まみれの年下の婚約者に、ドクターは目尻を下げる。
「ううーん。エミリは、いつも感情を前面に押し出す言い方をしますね。気持ちはよく伝わってきましたよ。さすがですね」
「そうですか!? ウフッ! ドクターから褒め言葉、嬉しいわ!」
 二人の会話は、徐々に許婚者同士の砂糖菓子のようなやり取りに変じてきた。
 そこで、アンネ准将は、ひとつ咳払いをして、「ところで、私ども国軍からのお伺いがあるのですが」と話の向きを変えた。
「これはすみません。アンネ准将、どうぞお話ください。一体なんでしょうか?」
 ジョン医師が、背すじを少し正して、准将に向き直ると、促した。
「今回、ロイエルは領主の館に来て、私どもの指揮官であるゼルク・ベルガー中将に、小石を投げたのです。後で判明したのですが、その小石はディープメタルの結晶石だったようで」
「なんですって……?」
 医師が、顔色を失った。
「ちょっと待ってください。ロイエルは、領主様の館に遊びに行くのだと言っていたのです。そう言って出かけたのですよ? 私は、あの子が悪戯して捕まった件、てっきり、館の大切な物を、遊びが過ぎて壊してしまったのかな、と思っていたのですが」
 そこで、医師はよろよろと立ち上がった。
「そんな……。国軍の指揮官に……石を、投げるだなんて、」
 ああ、と、つぶやいて、ジョン医師は右手で額を抑えてうつむき、息を整えて、「なんてことだ」と、つぶやいた。
「そんな子に育てた覚えは、ないのですが……ああ、いや、そういえば、時に彼女はとんでもないお転婆をしますね。扉を使わずに窓から出入りするのですよ。何度注意しても聞かない、そんな頑固なところもありました。……ひとえに、私の教育がいたらないのでしょうね……」
「ドクタージョン、そんなに責任を感じないでください」
「いいえ、」
 アンネ准将の気遣いの言葉に、医師は首を振った。
「こんなことになったのは、養育者の責任です。悪ふざけが過ぎるというものです。あの子が牢に入れられるのは当然、いや、それで済ませてくださった中将の温情に、頭が上がりません」
 投石行為の方にこそ動揺している医師に対して、アンネ准将は、本当にしたかった質問である、「ディープメタルの結晶石を、どうしてロイエルが持っていたのか?」について、確認できなくなっていた。
 彼が、少女の投石行為にこれほど動揺するのならば、それどころではない犯罪行為である「ディープメタルの結晶石の所持並びに傷害目的での使用」については、もはや、想像を超えるものなのかもしれない。
 だが。
 アンネ准将は、そこで、「医師は善良だ」という結論を出そうとする温情を断ち切った。
 彼はロイエルを、外面上はどうあれ、人として扱っていない。中将が調べて発見した、これは事実だ。今まで、彼の人柄から、養女との関係をそういう目で見ようともしなかった。
 彼はロイエルを学校に行かせずに、自分の手伝いとして働かせている。アンネ准将が彼らと関わった範囲でしかわからないが、それでも、ロイエルの衣服は、いつも彼の古着だった。食事も、そういえば医師と一緒に食べている所を見たことがない。ロイエルが給仕をして、彼が、一見穏やかな笑顔で全て食べ尽くしている。
「ドクター」
 頭を冷まし、アンネは問いかける。
「もう一つお伺いしたいことがあります」
 医師は、養女の非行に打ちひしがれた素振りだったが、それでも気丈に、国軍幹部の声に顔を上げた。
「なんでしょうか? アンネ准将」
「ロイエルが持っていた小石は、ディープメタルの結晶石だったのです」
 しかし、ジョン医師は、瞬いた。
「ディープメタル、とはなんです?」
「……ご存じないのですか?」
「あいにくと」
 不思議そうな顔をして、少女の養親は首を傾げる。
「そんな恐ろしい物を、あの子はどこで拾ったのでしょう?」

 時刻は深夜になろうとしていた。
 石牢の見張りを命じられている兵士がいるのだが、上司の命令により、近づけないでいた。
 一階から牢に下りる階段の入り口、しかし厚い扉は閉じられたまま、開けることもできずにいる。
 通常任務ならば、とりたてて心配することはない。しかし、この件、つい先だって特殊任務に切り替えられたものであり、それゆえ、兵士は心配していた。
「中将の帰りが遅い……。何かあったのでは、」
 彼は、本来、通常任務に従事する兵士である。急な切り替えによる要員確保の難しさと、現時点でこの村の事情に詳しい兵士らといえば彼らしかいなかったために、暫定的に継続を命じられた。
 扉を開けたい。
 しかし、指揮官命令である。
 自分は通常任務に就くべき兵士。対する指揮官は、高い専門知識と戦闘能力を要求され、未知の危険を秘めたディープメタル事件を専属に配置される、いわゆる「生前二階級特進組」だった。命と引き換えに特進が与えられているのだ。
 そんな指揮官からの命令なのだ。
 だが。
 彼の内心は、あの沼の色のように不穏なものだった。
 それは、兵士としてではなく、この村に長く居た、血の通った人間として、そう感じていた。
 おかしいんじゃないか? 子供一人の話を聞くのに、どうしてこんなに時間がかかる?
 そして、どうして指揮官一人だけでそれに対処する必要がある? 部下に任せてもいいじゃないか。しかも、こんな夜更けだ。
 石牢には、少女一人だけが収容されている。あの子とは顔見知りだった。可愛らしい子で、よく挨拶してくれた。村の子供達の面倒もよく見る。診療所で養われていて、一生懸命に医師の手伝いをしている。
 首都で待っている自分の娘よりも、二つ三つ年長だろう。自分は、家族の生活費と娘の進学費を稼ぐために、ここにこうして踏ん張っているのだ。
 どうして、あんな年端もいかない子を捕らえたのだ?
 できれば出してやりたい。あんな子供を牢に入れる必要性を感じない。いくらディープメタルが特殊な物であろうが、子供一人で何をするというのか。「特殊」と名の付くほどの紛争に、子供が主体的に関われるわけがない。そう、思いたい。
 どうにも、情が先にたつ。あの子と、長く会ってない自分の一人娘とが、被って見えてしまう。
 彼は、指揮官に不信感を抱いた。
 ……それは、彼が若い男だからだった。年齢でひととなりを差別するつもりはないが、しかし、傾向として、若いほど自制の力は弱いものだ。
 さきほど、彼が口にした言葉は、心とは裏腹なものだった。
 ほんとうは、こう言いたい。言いたくてたまらない。
 指揮官は、一体、何をしているのだろうか? あの子は無事だろうか、と。

 焦燥のままに時間が過ぎた。
 上司の命令は絶対という軍規に逆らってでも、扉を開けて石牢に向かうべきではないのか、と、自問する。
 建前として、「指揮官の帰りが遅いので心配になった」というのは、無理なく通用する。彼は、「何かあったら必ず呼ぶ」とも命じていたが、しかし、仮に何かあった場合「呼びたくても呼べない」ような想定外の事態も起こりうるわけである。自分は、それを心配したという立場でもって、扉を開けて様子を見に行けばいい。
 理論武装は整った。
 自分は、行くべきだ。
 兵士は、扉の取っ手を、ぐっと握り締めた。
 厚いはずのそれは、易々と手前に開いた。
「?」
 まるで、何かが援護するかのように。
「……あっ、」
 その正体は、すぐに明らかになった。
 兵士は声を漏らす。
「お、お疲れ様です、中将」
 彼が疑念を持っていた相手だった。
「わたしから離れてくれ。DM汚染の可能性がある。危険だ」
 指揮官は、手を振って命じた。扉の際からこちらに出ようとしない。
「え?」
 何を言われているかわからず、兵士は、返す言葉を捜しあぐねた。
「今なんとおっしゃいましたか?」
「言い方を変えよう。命令だ。私から五歩離れろ。そして、私がこれから言う指示に従ってくれ」
 具体的な言葉が与えられ、兵士は理解できた。
「はっ」
 ひとまず、五歩、下がった。
「これでいいでしょうか?」
「ああ。では、まずは領主の使用人から、彼らの仕事着を一揃い調達してきてくれ。そして、私の部屋に行き、研究院の封緘紙(ふうかんし)が張られた箱を、ここに持ってきてくれ」
「は……。仕事着の調達は簡単ですが。研究院の包みとは、一体どのようなものですか?」
「一抱えある白い箱だ。研究院の物騒な張り紙がしてあるから、見ればすぐにわかる。私の部屋には施錠をしていない。急いで欲しい」
 最後の言葉に、兵士は背すじを正した。
「わかりました!」
 返事と同時に駆けて行った。

 そう時間をおかず、兵士は戻ってきた。
「お待たせしました、中将」
 「研究院謹製」と黒い筆書きがされた白い箱の上に、ここの使用人たちが着ている衣服を載せて、中将の足元に置いた。
「ご苦労だった。君は、今夜は牢での見張りせず、このままここで待機していてくれ」
「……」
 兵士は、ものいいたげな顔になった。
「なんだ?」
「……牢の中にいる子は、元気ですか?」
 指揮官は首を振った。
「元気だと困るので、おとなしくさせた」
「……」
 兵士は息をのんだ。
 まさか暴力をふるったのでは、まさかそれ以上の、と、悪い、そして生々しい予感が頭を過ぎるが、口にはできない。相手は年下でも指揮官である。
「気になるか?」
 その指揮官は、動揺している部下に苦笑する。
「はい」
 思わず、正直に答えてしまった。上官は気分を害するかもしれないが、知らないままで済ませるには、腹に抱えた疑惑の虫と、娘と同年代の子供に対して湧いた情が治まらなかった。
「そうか」
 指揮官は静かにうなずくと、言った。
「君が、これ以後、通常任務を離れて、DM事件に関わる任務に就くと確約するのなら、教えてもいい」
「……え?」
 中将は、扉から右手を差し出した。
「君は、私の手を握ることができるか? ディープメタルに汚染されている可能性が高い、この手を」
 兵士は、後ずさりをした。
 頭の中に、この村で見てきた変死体、惨殺された子どもや女性の体の一部、廃人となって酒場の隅に転がる肢体が、映像として鮮明に甦る。
 触れたら、日常には戻れない。
 首都の、家族の元へは、戻れない。
 兵士という非日常を生きる自分が、さらに、日常から遠く離れてしまう。
 私は何故この職を選んだのか?
 国のため? 違う。純粋に闘いという行為が好きだから? 違う。
 ……自分の力で愛する家族を養うために、安定した収入が得られるのが、この職だったからに他ならない。それ以外は、望みたくない。
「私には、できません」
「では、質問は無かったことにする。君はこのまま、ここで、見張りを続けてくれ」
「……はい」
 厚い扉は再び閉じられ、石牢は沈黙した。




←戻る ■ 次へ→
作品紹介 へ→
inserted by FC2 system