DEEP METAL BATTLE

すぎな之助(旧:歌帖楓月)



8 夏の去る音

 湿地の消失が、村に大きな変化をもたらした。

 喫茶店「女神の部屋」では、つい先ほどまで、湿地の水を使ったお茶や軽食が出されていて、行き場の無い子ども達がたむろしていた。
 紛争が始まって三年の間、多くの子ども達はそこで日中を過ごしていた。
 それは、家庭と、学校の機能が崩壊したからだった。
 紛争が始まって、すぐに、若い女性教師が変死した。井戸の暗い水に、ちぎれた顔が浮いていた。
 若い男性教師は沼の岸辺でふくれた水死体で打ち上げられた。
 経験を積んだ女性教師は、子ども達に、争いではなく勉学の素晴らしさを説こうと努めたが、校長からどこかへ異動させられた。
 経験を積んだ男性教師は、人が変わったように酒びたりになり、やがて学校に来なくなった。
 教頭は、村の異常を首都にいる家族へ知らせる手紙を書く途中で、破られた手紙を床に散らかして、家からいなくなっていた。
 校長は、別人のように人柄が変わった。おだやかでお人好しで、酒が飲めなかったはずの彼なのに、短気で陰険になり、酒場の隅で身を潜めるようにして一日を過ごすようになった。今は行方不明となっている。酒場に転がっている背広を着た干からびた死体は、彼かもしれない。
 紛争が始まると、子ども達は、すぐに居場所を失った。
 家に居ても、親が「湿地の水から作られた酒」を飲むばかりで構ってくれない。それどころか「学校へ行け」と追い出される。授業が無いのだと説明しても、親はわかってくれなくなっていた。しぶしぶ、村に一軒だけの喫茶店「女神の部屋」に来たのだった。そこで食事を摂り、時間をつぶしていた。この店では、お金の無い子供たちには、無料で飲食を提供してくれた。
 ここに居れば、なぜか寂しさを忘れた。
 なぜか時間を忘れた。
 何をするわけでもないのに、いつしかぼんやりと一日が過ぎていた。
 午睡の夢のように、気だるい時間が流れた。
 心に空虚が積み重なっていった。
 子どもたちの誰もが、こんな時間の過ごし方など望んでいなかったのに。しかし、他に居る場所がなかった。どうしてなのか、体を動かして遊ぼうという気持ちも、無くなっていた。
 女神の部屋で、一体誰が自分の食事を作ってくれたのか、子ども達は知らない。
 それがどんな食事だったのか、誰も覚えていない。
 子ども達は、寝床の家と、日中を過ごすこことを、ただただ往復して生きた。
 そうして、子供達の心が疲れて麻痺したころ、
 一人、また一人と、小さなその姿が消えていった。
 死体が沼のほとりに落ちていれば、まだ良い方だった。
 「女神の部屋」は、湿地の消失と時を同じくして、消えた。
 その場所には、白砂の地面が残っているだけだった。

 湿地が消えた途端、大人たちは正気に返った。
 大人たちは慌てて酒場から出て、各々の家へと戻って行った。
 皆、まるで今まで異様な夢を見ていたような気持ちだった。
 夢心地で、
 酒を飲み、
 眠り、
 オウバイを賛美し、
 「紛争」に加担してきた。
 気付けば、紛争のあった期間と同じ分の「現実の記憶」が、欠落していた。
 しかし、彼らの体には、消せない汚濁が蓄積されている。
 3年もの間にわたる多量の飲酒と、それに含まれていたディープメタルが、彼らの肉体と精神とを蝕んでいた。
 取り返しはつかない。

 ゼルク・ベルガー中将は、ロイエルを連れて村を歩いていく。道々に、村の様子が目に入る。
 停滞し隠蔽されてきた負の時間が動き始めた。辺りに荒廃が広がりつつある。
 すえた臭いの漂う荒れた家の軒下で、表情を失い、顔色が悪く痩せた大人達がちらほらとうずくまっている。以前は、大人の男は酒場に、女は屋内の隅に居て、暢気にくだをまいていたものだった。
 あちこちから、家族を探す叫びが聞こえる。悲鳴や、泣き声も。
 紛争は解決した。
 だが、DM事件は、これから真の姿を表す。
 明日には調査隊が入る。そして、その前に、今夜から研究院が出てくると言っている。
 村は、その機能を失うだろう。
「もっと悪くなるんだわ……」
 小さなつぶやきが耳に入り、ゼルク中将は、腕に抱えた少女に目をやった。聞き流すことはできなかった。自分が考えていたことと同じ言葉だったので。
「何のこと?」
「……」
 独り言のつもりだったのに聞き返されて、ロイエルは無視しようかどうしようかと少し考え、やがてぽつりと答えた。
「村のこと」
「どうしてそう思うんだい?」
「だって。当たり前、でしょう?」
 指揮官の薄青い瞳に、少女の夕焼け色の目が真っ直ぐに向けられた。
「悪鬼と戦っていたお二人が捕らえられたのですもの。これから、誰が代わりに戦うの? 誰も戦わないし、戦えない。悪くなって当たり前だわ」
「『悪鬼』?」
 これはまた宗教的な存在が出てきたものだと思ったが、あるいは、国軍の蔑称のつもりなのかもしれないと考え、青年は尋ねる。
「悪鬼とは、何のこと?」
「何、って、」
 ロイエルはじれったそうに返す。
「わからないの? どうして? こんなにあちこちに悪鬼の仕業があるのに」
「仕業……」
 紛争の被害のことか? しかし、それをあえて「悪鬼」と表現する必要はない。
 おかしい。
「すまないけど、わからないんだ。教えてもらえる?」
「ほんとに? 信じられない」
 少女は芯から驚いた様子だったが、「でも、」と翻した。
「でも、あなたは、村に来たばかりだものね。外の人には、わかりにくいかもしれないわね。それに、あなたは軍の人だから、先入観があるのかも。わかったわ。教えてあげる」
「ありがとう」
「悪鬼の仕業はね、」
 目を伏せて、静かな独白のように、少女は話し始める。
「悪鬼の仕業は、とてもわかりやすいの」
 相手を納得させよう、説き伏せようというのではなく、風景を示すように、話してきかせる。
「それは村のあちこちにある。あなたにもわかるわ」
 彼女としては決して好意的ではないのだろうが、聞く方はそれでもずっと聞いていたいと思う響きだった。
「とても酷いのよ……」
 これが自信に溢れた生意気で高圧的な口調であれば不快感を覚えるのだろうが。彼女の声は澄んでいて、そこにひっそりとした愁いがにじむ。だから、もっと聞きたくなる。
「例えば、井戸の水を飲めなくしたり、村人を食い殺したり、労働の意欲を無くしたり、」
「え?」
 そこで、中将は耳を疑った。
 それは、全て、オウバイの仕業だ。
 その話は、昨夜、彼が彼女に対して、紛争首謀者がしたこととして言って聞かせた話だった。彼女は、それを全く信じなかった。
「ロイエル、」
 呼びかけに、少女は眉を寄せた。
「まだ続きがあるのよ?」
「遮って悪いけれど、質問していいかな?」
「質問?」
「その『悪鬼の仕業の話』というのは、」
 嫌な、予感がする。
「なに?」
 きょとんとしている少女に、中将は確認した。
「ジョン医師から聞いたこと?」
「ええ」
 ロイエルが嬉しそうに微笑んだ。
「そうよ。これが『真実』なのですって。悪鬼に狙われている可哀相な村の人達は知らないことだから、真実を知っているドクターと私とで、美しく偉大で万能なオウバイ様の理想のために戦うの」
「……へえ、」
 呆れ果ててめまいをおぼえるほどだった。
「私達は、『悪鬼』と戦っているの」
 首謀者の養女は静かに凛と言い切る。
 中将はゆっくりと瞬きをしてから、確認する。
「……村人を殺したり、おかしくさせたり、飲み水を奪う『悪鬼』と、戦っている?」
「そうよ」
 傷ついた体で、とても清々と笑う。
「……」
 青年は内心を押し隠して、少女を静かに見つめた。
 それは『悪鬼』がしたことではない。全て、君を酷い目に遭わせてきた老婆と医師とが、呪術とディープメタルを使って犯した罪だ。
 そう言って聞かせたい。
 けれど、彼女は、それを決して信じないだろう。その点では、昨夜の地下牢では、自分の方が思い知らされたのだ。
 ゼルクは、あえて少女に聞いた。
「君にとってオウバイとジョン医師は、どこまでも理想の存在なんだね?」
「そうよ。わかったら、お二人を解放して」
「駄目だよ。さっき話したように、この方が、二人の身の安全のためでもある。今、君が教えてくれたことだって、村人は信用しないだろう」
 ロイエルがためいきをついた。
「みんなは誤解してる。仕方のないことだけど……」
「ロイエルは、『正義は私たちにある』と、思っている?」
 指揮官の言葉に少女は目を見開く。そして、少しだけ表情を明るくした。
「……中将は、少しは話がわかるのね」
 青年は逆に不愉快になった。
「聞いてみただけだよ。私は決して同意はしない」
 するものか。こんな境遇の子を仕立てるような「正義」などに。
 少女は顔を曇らせた。
「……やっぱり、あなたは、嫌な人」

 そして、領主の館にたどり着いた。
 ゼルク・ベルガー中将は、館の裏に回った。
 領主の館の裏手にある広い草地には、国軍が天幕を張って駐留していた。
「ゼルク・ベルガー中将、お帰りなさいませ!」
 居並ぶ男性兵士達は、敬礼でもって指揮官を迎える。倦んだ紛争を解決させた青年を、皆、まぶしそうに見つめていた。
「ただいま。オウバイとジョン医師は石牢に?」
 散策から帰って来たように応じて確認する。
「はい。二人とも沈静な状態を保っています」
 兵士達は男だらけである。女性はアンネ准将只一人だった。その彼女だが、現在は領主の館を守っているので、ここにはいない。
 だから、男ばかり、ずらりといる。
 ロイエルは彼らを見て息を呑み、身をすくめた。
「……」
 途端、心臓の音が速く大きくなった。
 昨日までは何ともなかった。それどころか、兵士さん達のこと、好きだった。
 それなのに、今は怖くてしかたがない。自分の心が、勝手に取り替えられたような気がする。……例えば、悪鬼から。
 怖い。
「ロイエル、」
「!」
 ゼルクに呼ばれ、少女はひどく驚いて身震いした。さほど大きな声ではなかったにもかかわらず。
「……」
 動揺した目で、自分を抱き上げている青年を見上げた。
 どうしよう。
 こわい。
 体の中に、空気と一緒に恐怖が流れ込んでいく。たまっていく。
 脚の内側が震え始めた。膝から先の感覚が消えた。考えがまとまらない。

 どうしよう。
 この人が一番怖いはずだけど、周りに沢山いる男の人の気配の方がもっと怖い。
 冷や汗が浮かんできた。首の後ろや背中が、ぞっとする。
 ここに、居たくない。どこにも居たくない。
 でないと、こわいことになる。

 少女の変化に、中将は眉を寄せた。
「医療班に召集を掛けてくれ」
 指示しつつの足取りが、速くなった。

 医療班の天幕は、領主の館の裏壁に接して建っていた。
 通常の紛争と大きく違う点、それは、医療班の出番が極端に少ないことだった。負傷者がほとんど出ない。あるいは、すでに遺体となって発見される。
 そんな訳で、医療班がこれまでに一番多く行ってきたのは、兵士らの定期検診だった。
 それゆえ、ゼルク中将からの召集を掛けられた医療班の医長と技官達は、別に急ぎ足で天幕に集結する必要もなかった。彼らは全て天幕の中におり、椅子から起立して敬礼すればそれで済んだ。
「ゼルク中将、お疲れ様です」
 早速、天幕に姿を見せた青年に、ほっそりした中年の医長が一礼する。医療班の面々は、指揮官の姿をざっと見た。
 どう見ても、この子の方だろう。
「どうなさいました?」
「なんでもありません!」
 返答は、上官が抱えている少女からだった。
 これは何かあるな、と、医療班は彼らのやりとりに集中した。
「中将、わたし、帰る、放して、」
「駄目だよ」
 おののいて首を振るロイエルを、ゼルク・ベルガーはしっかり抱えなおした。
「い、嫌、」
 青年に強く触れられ、少女は声を震わせた。
「放して、中将っ」
「彼女の耳を塞いでくれないか?」
 中将の言葉に、若い技官が「はい」と応じた。
「なにするの!?」
 悲鳴を上げる少女に、技官は「大丈夫だよ。お嬢さんが心配することは何もないからね。落ち着いて。さあ、ちょっと失礼するよ」と穏やかにゆったりと言葉を掛けながら、そっと両耳に手を当ててしっかりと塞ぎ、彼女に届く音を遮った。
「医長、この子は養育者のジョン医師から性的な暴行を受けている。処置をお願いしたい」
 必要最小限に抑えた言葉に、医長は「わかりました」とうなずき、そして、確認した。
「ゼルク中将。昨日いただいたDM汚染対処法に則ってということになりますか?」
「ええ、医長」
「わかりました。DM洗浄の準備をして」
 医長が技官たちに出す指示を聞きながら、中将は、ロイエルをさっと見下ろすと、小さく付け加えた。
「彼女はひどく動揺しています。処置に抵抗する可能性が高い」
 それに、「そうですか」と、うなずきが返された。
「では、鎮静剤を入れましょう。眠った状態で処置を受けた方が、肉体的にも精神的にも、苦痛が少ないでしょう」
「頼みます」
 周りの技官たちはそれぞれ準備に取り掛かる。
 中将は、少女の耳を塞いでくれている技官に「もういいよ。ありがとう」と言って、彼を仕事に戻した。
「何するつもりなの!?」
 耳が自由になり、ロイエルは恨めしい相手を見上げて詰問した。体がガタガタと震えている。
「何を話していたの!? 答えてっ!」
 ゼルク・ベルガー中将は、おびえきった涙に侵食された少女の瞳をきちんと見て、答えた。
「君が不利になることは何も話していないし、何もしないよ」
「嘘だわ」
 きっぱりと言い切ると、ロイエルはもっともな反発をした。
「だったら、私にも聞かせるはずだもの!」
「そんなことはないよ」
 しかし、相手はどこまでも静かだった。
「耳に聞こえること全てが、君にとって有利になることじゃないだろう? 逆に、聞こえなくても、君にとって有利になることもある」
「……え?」
 わかりにくい返事に、少女は困惑した。
「ごまかす気?」
 疑うまなざしを、青年は首を振って交わした。
「とんでもない。私は、正直に話している」
「……」
 嘘をついてるとは思えない。青年の静かな言葉に、ロイエルは戸惑った。どう言い返せば、この不安な状態から逃れられるだろうかとあれこれ考えるが、思い浮かばない。そんな自分にも腹が立った。
「降ろして! 帰るの!」
「駄目だよ。ちゃんと手当てをしないと、体を壊す」
 そこに、技官が声を掛けた。
「中将、こちらの診察台へお連れください」
 穏やかな案内を耳に入れた少女は、しかし、鳥肌を立てた。

 診察台という言葉そのものが、酷く怖くなっていた。

「嫌、」
 歯がかちかちと音を立てた。
 嫌だ怖い、
 そんなところ、行かない、
 そこは、いたくて、くるしくて、さむくて、

 ……ころされる。

「中将っ!」
 首謀者の養女はゼルクにすがりついた。
「やめて! 嫌よ!」
 取り乱した少女に、指揮官は当惑した。
「ロイエル?」
「お願い、連れて行かないで! 中将、お願い!」
 今の今までひどく反発していた「敵」に対して、少女は、人が変わったかのように必死で懇願する。
 それどころか、逆に、彼しか味方がいないかのように。
「お願い! 嫌よそこには行かない! 連れて行かないで!」
 胸にすがりつき、青ざめて取り乱す少女の姿を、中将は息を呑んで見つめた。
 診療所を去り際、この子は、更地になった処置室跡を見て、体を震わせた。
 あの医師は、この子に何をした? 冷遇されているのにもかかわらず全身全霊で慕い続けてきたこの子が、ここまで怯えるくらいに。
 どんな目に遭わされた?
「……ロイエル、」
「助けて、お願い!」
 まるで、彼女の言う「悪鬼」に襲いかかられているかのように、ロイエルは悲鳴を上げた。
「いやだこわいたすけてっ!」
 首に手を回してしがみついた少女を、ゼルクは抱きとめた。
「大丈夫だよ、」
 必死の力でしがみつき、おびえて泣く少女の耳に、しっかりと言葉を届ける。
「もう大丈夫なんだ。君は助かったんだ。ロイエル」
 彼女の背後に、医長が立った。
 右手に、極細い針のついた注射器を持っていた。
 指揮官と、目で合図を交わす。
 借物の大きな上着を着た、少女の背中を少しめくり、現れた白い皮膚に、医長は静かに注射針を刺した。それはとても細くて、打たれた感覚がない。
 そして、ゆっくりと注入した。
「……は、」
 少女が息をもらした。
 中将の首の後ろで組んでいた腕がほどけ、するりと彼の肩に落ちた。
 ロイエルは、くたりと意識を失った。
 脱力した華奢な肢体を、再びゼルクが抱き上げて、診察台に上げた。
 技官により、上着の止め具が外されて脱がされる。ズボンも途中までは脱がされたが、乾いた血液によって皮膚に布地が張り付いていたので、大方をはさみで切り裂き、付着部は精製水で血液を流してから取り去った。
 白い絹布をDM除去液に浸し、全身を濡らす。十分ほどそのままにした後、乾いた絹布で拭き取った。
 医長は触診と聴診により全身状態をみる。
「アフターピルの注射、準備して。目立った外傷は……頭に打ち身跡、と。何かあったら大変だから、X線写真撮っとこうか。写真見て、変だったら僕に教えて」
 技官に指示して、少女の身体に薄緑の布を掛けてやり、携行用のX線検査装置にて撮影を行わせた。
「あとは、今のところ、まあいいかな。では、とりかかるか。準備できた?」
「はい。医長」
 ありがとう、と応じて、軍医は、意識を失っている少女の耳にゆったりと穏やかに語りかけた。
「ロイエル。今から治療するね。痛くないようにするし、なんにも怖いことはないよ。きれいにしてあげるから、安心して」
 声掛けをして、足元の方に戻った。
 白い脚を開き、最小限あらわにして、記録をとる。
 なめらかな樹脂製の手袋を着け、できるだけ優しく触れて、傷を洗浄して治療すると、薬剤を塗布した。
 中年の医長は顔をしかめる。
「酷い状態だな。……なんてことをするんだろうなあ……。自分が育ててきた子だろうに。敵じゃないだろう、身内だろうに」
 技官らも眉をひそめている。そのうちの一人が吐き捨てた。
「悪鬼め、」
 医長はとうとう舌打ちした。
「全くだ」

「お父様。ゼルク中将がお戻りになられたみたいですわ?」
 領主の館の、赤い絨毯と、金の猫脚できらびやかな刺繍の布張りがされた柔らかな長椅子や椅子が優雅に配置された豪奢なサロンでは、ふかふかの椅子に腰掛けた壮年の主の背中に、フリルとレースの丈の短いドレスをまとった愛娘が抱きついた。
「おやおや。なんだいエミリ」
 ムッホッホ、と、父親はのろけた笑みを浮かべる。
「だったらお迎えに行かなければならないねえ。でも、これじゃ、お父様が立ち上がれないじゃあないか。うちの可愛いお嬢ちゃまは、いつまで経っても赤ちゃんだなーあ」
「うふん」
 令嬢が、鼻にかかった笑みをもらす。
「お父様、エミリのお願い、き・い・て? そしたら、離してあげる」
「なんだいなんだい。おねだりかい? んもーう。エミリちゃんはだんだんとお母様に似てくるねえ。甘え上手ちゃん」
「いやぁん。お父様ったら、わたくし、お母様よりも謙虚でしてよ?」
「あっはっはっは、そうだねえ」
「貴方、エミリ」
 じゃれあう父子に、ぴしりと呼び声が届いた。
「おおう! 奥方や」
「あらやだ。お母様」
 動揺して肩を揺らす父に対して、娘は悪びれもせず愛くるしい笑顔を浮かべ続ける。
「大好きな美しいお母様、何か御用ですの?」
 優雅な領主夫人は、ふんわりと扇で顔を仰いだ。
「そうよエミリ、いいお返事だわ。女性はいつでも愛想と笑顔を忘れずに。そうすれば悦ばれて愛されますからね」
 領主が拍手してよろこんだ。
「うまいこというもんだ! うちの奥様もお嬢様も、たいした一流品だよ。ハッハッハ」
「さあさ、楽しい親子の会話はここまでです。中将殿をお迎えにまいりましょう?」
「ああん、お母様、そのことなんですけれど」
 娘は、母の所に小走りで近寄った。
「なんです?」
 そうして上目遣いで母親を見た。
「……エミリね、素敵な中将様のこと、好きになっちゃったみたいなの」
 夫人は眉をそっと上げて、顔をふわふわと扇で仰いだ。
「ええわかってますよ」
「まあッ」
 娘は頬を赤らめた。
「お見通しですのね。素晴らしく聡明なお母様を持てて、エミリ幸せだわ。それでね、ドクターのことよりも、ずっと、ずっと、好きになっちゃったみたいなの」
「それもわかっています」
「お母様は女神様のようだわ!」
 すました領主夫人と、もてはやす娘との会話に驚いたのは、父だけだった。
「なんと! 中将殿のことを、そこまで好きになっていたのか!? エミリや、そうだったのかい?!」
「お父様。……隠していて、御免なさい」
 しおしおとうつむき、エミリは「私には素敵で立派な婚約者がいるのだから、忘れようと努力してきたのですけれど」と涙をにじませて、また顔を上げた。
「でも、どうしても、抑えきれなかったのです。ああ、お父様、こんな悪い娘があなたの子である資格はありません。ふしだらな私を叱ってくださいませ」
 領主はぶるぶると首を振って、盛大に涙した。
「なにを叱るものかね! 私の可愛いお嬢ちゃまを!」
 そして、重い体を椅子から努力して立ち上がらせると、がっぷりと娘を抱きしめた。
「お前はわたしの宝物ちゃんだ! 中将殿と婚約したいのなら、させてやるとも! お父様が、お願いしてみようね。エミリみたいないい子は、ドクターの時と同じように二つ返事で許嫁になってくれるよ。絶対にねえ」
「なぁんて優しいお父様なんでしょう。エミリは、本当にこんな立派なお父様とお母様の子供でいいのかしら。ああ神様、わたくしにはあまりにも過ぎた幸せですわ。エミリに一体何をお望みなの?」
 そんな父娘を、夫人は優雅に見つめる。
「ホホ。それなら、私は、夫と娘に恵まれた『幸せな領主夫人』ということねぇ? ホホホ。さあ、玄関にまいりましょう」

 国軍の医療班の天幕で、深く眠る少女は、診察台から通常の寝台に移された。身に着けていた衣服は全て解かれて処分され、患者用の前合わせを着せ付けられている。
「処置は終わりました。麻酔が覚めるまで、こちらで様子をみましょう」
 医長の言葉に、中将はうなずいた。
「ありがとう。覚めたら連絡をください」
「わかりました」
 そこに、兵士が入ってきた。
「ゼルク中将、」
 その表情は、仕事というには少し硬さが取れていた。
「何か?」
「子ども達が、ロイエルに会いたい、と、来ているのですが」
「子ども……」
 思い当たる節があった。
 その気配は、診療所からずっと、おそるおそる付いてきていたのだ。
 それは、地下牢で感じたのと同じもので。
「数は三人?」
「そうです」
「……」
 中将は少し考えた。
 おそらく、会わせられる機会は今が最後だろう。しかし、だからこそ、この状態のロイエルに会わせていいのか、どうか。
 子ども達はどう感じるだろうか?
「直接会って話してから、決めよう」

「大丈夫か?」
 ふらふら立っている子どもらに、兵士達が心配して声を掛ける。
「フェローもエフォートもヴィクトルも。具合が悪いんじゃないか。座ったらどうだい?」
「ううん」
「大丈夫だよ」
「気にしないで」
 日焼けした小さな顔が三つとも、青黒くなっている。
 肩でせいせいと息をしている。
 膝がわなわなと震えている。
 時おり顔をしかめてわき腹をおさえる。
 昨日、通りかかりの兵士があいさつされた時は、あんなに元気だったのに。
「椅子はないけど、地面にでも腰を下ろした方が楽じゃないか? ロイエルに会えるまで、時間がかかるかもしれないんだし」
「いいんだ。おじさん、気にしないでよ」
「僕ら、ぜんっぜん平気だからさ」
「それより、……会えるかな?」
 青い顔をして小刻みに震えながら立っている子達に、兵士は「会えるといいな」と言うしかなかった。彼にもわからないのだ。
 ただ一つ明らかなことは、この子達が今にも倒れそうだということだ。
「よし。私も、様子を見に行ってくるから」
 見かねて、というよりも、自分も何かしないと心残りになる気がして、兵士はきびすを返した。もし会えないというならば、ちょっとロイエルの様子を見て、それを伝えてやろうと思った。
「おーい! ヴィクトル、フェロー、エフォート!」
 しかし、医療班の天幕から明るい声が飛んできて耳に入ったので、彼は胸を撫で下ろした。
 見ると、天幕から出てくる同僚は、若い上官を連れている。
 よかった。
「おい。会わせてもらえるかもしれんよ?」
 振り返って、兵士は笑いかけた。
「期待していいぞ」
 三人の子どもの一人、茶色の髪のフェローが、「へへ」と笑った。
「ほんとに!? よか……」
 笑ったままの顔で、前方に倒れた。
「おいフェロー!?」
 兵士は驚いて、十歳を超えたばかりの男の子を支えた。
「大丈夫か、しっかりしろ、」
 全身がビクビク震えている。起こしてやると、意識無く開いた口から、泡が湧いてだらりと流れた。
「!」
 兵士は、少年を抱えるのをやめ、地面に横たわらせた。
 残り二人の子たちの様子をみると、彼らも自分のことで精一杯らしく、必死の形相になって、もうすぐ来る中将の方を見つめ続けていた。

 医療班の天幕を出ると、向こうに少年たちの姿が見えた。
 中将に、隣に立つ兵士が「あの子達ですよ、」と指し示して、そして呼びかけた。
「おーい! ヴィクトル、フェロー、エフォート!」
 曇りの無い目をして、一心にこちらを見つめていた。こちらに走って来たい気持ちを、一生懸命にこらえるようにして。
 会わせてやる方に、気持ちが傾いた。
「あっ、」
 兵士が声を漏らした。
 笑顔を浮かべた少年が、倒れたのだ。 
「急ごうか」
「はい、」
 二人は子ども達の所へ駆けた。
 近づくにつれ、酷い顔色が伺えた。
 状況的にみて、十中八九、ディープメタルによる中毒症状だろう。その症状は一つに限局されたものではない。人により、また、汚染部位や蓄積の度合いにより、さまざまな症状が現れる。
 倒れた茶髪の少年には、兵士に対して「医療班の所へ連れて行ってくれ」と指示をして、中将は残り二人に声を掛けた。
「大丈夫かい?」
 大丈夫ではないとわかってはいるが、相手の返答を引き出すためには、しなければならない問いだった。
「平気です」
 すらりとした金髪の少年がうなずいた。青黒い顔をして、震えているが、きりっと強い目で見返した。
「僕たちを、ロイエルに会わせてください」
「いいよ。連れて行こう」
 兵士に指示して、抱き上げて連れていかせた。
 ほっそりした体付きの黒髪の少年は、きっと嘔吐感をこらえているのだろう、何度も唾を飲みながら中将に聞いてきた。
「ロイエルは、元気、なんですか?」
「会ったらわかるよ」
 今ここでは答えてやらない。
 答えを得て安心させてしまったら、二人ともそのまま昏倒しそうな状態だった。
「行こうか」
 抱き上げるために手を差し出すと、少年は首を振った。
「でも、自分で歩いた方が」
「どうして?」
 うながすと、少年の目がとまどって揺れた。
「途中で……吐くかも」
「構わないよ。向こうにはお医者さんがいるから、手当てしてもらえるよ」
「でも、あなたの服とか、汚したら、」
「いいよ」
 青年は男の子をひょいと抱え上げた。
「行こう。ロイエルに会えるよ」

 中将が医療班の天幕に戻ると、一番最初に連れてこられていた、意識喪失の少年は、すでに除去処置を受けている最中だった。実践はロイエルに続いて2例目だが、すでに技官たちの手際は良くなっている。
 金髪の男の子は、ロイエルのいる寝台の隣で、兵士に肩を支えられて立ち尽くしていた。
「ロイエル、怪我してるの?」
「大丈夫だよ。ヴィクトル。ロイエルはお医者さんから治療をしてもらって、薬で眠っているだけだよ」
 兵士の言葉を聞いても、彼は自分の目から涙が落ちるのを止められなかった。
「……ごめんよ。僕達、逃げちゃって……なんで、ロイエルだけ……ごめん、」
 くるりと振り返って、ヴィクトルは中将の方を見た。
「ゼルク・ベルガー中将、僕たちも、ロイエルと一緒に捕まらないといけないんです。僕たち、みんなで、色々なこと、してきたんです。ロイエルだけじゃないんです」
 中将が抱き上げている少年も、うなずいた。
「ヴィクトルの言うとおりです。僕たちを捕まえてください。ロイエルだけがやったなんて、嘘です」
「知っているよ」
「だったら、お願いします。僕たちを捕まえてください」
 中将は苦笑した。
「私は、きっと、君たちよりも沢山のことを知っているよ?」
 少年を抱きかかえたまま、ロイエルのいる寝台の際に立つ。
 黒髪の少年は、眠らされている少女を見ることができ、「ロイエル……」とくぐもった声を漏らして、鼻をすすった。
 二人は少女と会えて、それぞれに思う所を噛み締めている。
 中将は少年たちの顔を見て、彼らの「会えてよかった」という気持ちが一段落したのを確認してから、言葉を続けた。
「君たちは誤解しているね。ロイエルは捕まってないんだよ。君たちは全員悪くないんだ。だから、捕まえる必要は無い」
「でも、……でも、じゃあ、ロイエルはどうしてここにいるんですか?」
 金髪のヴィクトルが聞いた。
 中将は軽く笑った。
「怪我をしたから、治療するためにここにいる。ジョン医師は、今は治療できないからね。君たちは……ひょっとして、ジョン医師が捕まるところを、見ていたかな?」
 ヴィクトルは顔をこわばらせた。
「ごめんなさい。見てました。ドクターが兵士さんたちに運ばれて行くところまで」
「そう」
「あれは、ドクターが『捕まった』ところだったの?」
 黒髪の少年が聞いた。
 中将は彼を降ろしてやり、肩を支えてやった。
「そうだよ」
「……じゃあ。僕達が、ドクターとオウバイ様のお手伝いをしてきたのは、悪いこと? ……うぇっ、」
 黒髪の男の子は、口を押さえた。
「どうしたんだよ、エフォート?」
 心配そうに尋ねるヴィクトルも、せいせいと苦しそうな呼吸になっている。
「二人とも。横になって、お医者さんから診てもらった方がいい」
 中将の言葉により、技官らが近寄ってきて、二人をそばにある寝台へ促した。
 ロイエルがそこに居るので、二人は素直に横たわった。
「……さっきから、すごい具合が悪くなってて、」
「やっぱり風邪かなあ? ドクターがいれば、よく効く薬くれるんだけど、」
 二人でぼそぼそ話している脇で、技官たちが洗浄の準備に取り掛かっている。
「……ロイエルにあえてよかったな……」
「うん……」
 子供たちの会話は途切れて、それきり、静かになった。

 洗浄され眠っている三人の子どもを前に、医長と中将は話した。
「汚染に伴う症状が顕著でした。予後は思わしくないでしょう」
「首謀者から、だびたび使い走りを頼まれていたようですね。もしかしたら、ディープメタルの結晶に触れる機会もあったかもしれない」
「今後、このような患者が多く出た場合、現在の我々医療班の人員数では対処しきれなくなるおそれがあります。患者個々の状態を比較して、救命優先を考えないといけませんね」
「明日には研究院から医療系の研究員達も来ます。それまでよろしくお願いします」
「わかりました」
 医長は、少女の方を振り返る。
「そう考えると不思議ですね。この子は、ロイエルは、」
 そこで首を傾げる。
「中毒症状が無い」
「ええ」
 中将もうなずいた。
「あのオウバイ、そして、ジョン医師ですら、湿地消失後に状態が一変したのですが……」
 ロイエルは変わらない。負傷はしたが、ディープメタルの中毒症状は、まったく現れていない。
 ワクチンを打たれているはずはない。あれは軍の内部にしか存在しない。
 特異的な症例だ。 
 必ず、研究院が目をつけるだろう。
 そうしたら、
「ロイエルには、耐性があるのでしょうか?」
 医長の言葉は、当然思いつくものだった。
「どうでしょうね」
 指揮官は、憶測での返答を避けた。そうして見下ろす視線には憐憫の情が少なからず含まれていた。
 それを察し、また、自身も同じ思いであった医長は、言及せず、代わりのことを言った。
「女の子ですから、今夜はアンネ准将の居室あたりで寝させた方がいいでしょう。早いうちにお連れになりますか?」
「もう、場所を移して大丈夫でしょうか?」
「ええ、構いませんよ」

「お忙しいところ恐縮ですが、アンネ准将」
「はい」
 領主の館の裏口を出ようとするところで、准将は、領主から声を掛けられた。
 首謀者二人が地下牢へ連行されたので、彼らの監視体制を整え、領主への連絡、首都への連絡等々を終わらせた。これから館の裏の国軍の天幕に行こうとしていた所だった。
 見ると、彼の背後には、夫人と令嬢のエミリまでも立っている。
「何か御用ですか?」
 問いながら、この親子が揃っているのはろくなことではない、と、今までの経験と女の勘とが内心で警告しているのをしかと聞いた。
「ええ。優秀なアンネ准将に、少しお伺いがございまして」
「……」
 おだて方に気味が悪いものを感じる。
 准将が無言でじっと見つめると、領主は「いやさすが。凛としてらっしゃる」とにこにこ笑い、夫人は「ホホホ、貴方、お忙しいお方なのですから、お早く申し上げないと、」とやんわり急かしている。
 親子の一番後ろに「両親の陰に控えめに立つ」令嬢エミリを見ると、初心で気弱な雰囲気を造りつつも眼光鋭く領主夫婦の動向を監視している。
 確実に、くだらない用件だ。
「あの、時に、」
 領主がじわじわと言葉を作る。
「はい」
「あの、へへへ」
 くにゃくにゃと領主が笑った。へつらっている。
「いやー、いつも准将殿は格好がよいですなあ。時に、中将殿はいつお帰りになりますか?」
「もう戻っておりますが。只今は、この館裏手にあります国軍天幕にて、医長と協議中です」
「ほほーう、お医者様、いやいや、医長様とねえ。なるほどねえ、なるほどなぁ。……でしたらお邪魔するわけにはいかないかなあ」
 ……一体、何を言いたいのか? 准将は内心イライラしたが、顔には出さない。
「まもなくこちらに来て、領主殿に挨拶するかとは思いますが」
「ああ、いえ、そういったことを急かしているわけではないのですよ。ほっほっほ。ほっほっほっほ」
 笑いでもって会話の隙間をうめようとする領主に、奥方がにっこりと釘を刺す。
「ホホホ、貴方ったら、お忙しい方をあまりお引止めするのもよくありませんことよ?」
「いやーハハハそうだねえ。ええと、そこで、ですなあ」
 領主はもじもじとみじろぎした。
「はい?」
「准将はご存知でしょうかなあ。あのう、ゼルク中将には、何か特定の女性とのお話などありますのかどうなのか」
「……」
 こんなときに何を言い出すかと思えば。
 准将の頭の中で、ブツリ、と何かが切れた。
 次いで浮かんだ笑顔には、氷のような冷たさがにじんでいた。
「つまり、『交際をしている女性がいるのか』ということですか?」
 そんな用件で私を呼び止めるな! と、叱りたかった。
「ええまあ、そういう訳でして」
 対する領主はどこまでもニコニコと張り付いた笑みを浮かべ続けている。
「あいにく、私は、彼の私的な交際については存じておりません」
「そうですか……」
 領主はがっかりと肩を落とした。その背後に立つ領主夫人は「貴方。やはり国軍の方というのはしっかりしていてよろしいじゃありませんの、公私の別をきちんとなさってることがわかってよかったわ」、と、夫を慰めた。
 一番後ろに楚々と立つ令嬢は、……准将は見逃さなかった、ひどく計算高い笑みを浮かべていたのを。
 気持ちを切り替えたのか、領主はヘラリと笑って一礼した。
「いや、これは、准将のお時間を取らせて申し訳ありませんでした。直接お話してみることにしますよ」
「そうですか。では、」
 軽く目礼し、切り上げて、准将は館を出た。
 彼ら親子の目的はしれている。令嬢エミリの許婚のジョンが捕らえられた今、新しい婿候補が必要なのだろう。だから、うちの中将に目をつけたわけだ。村がこんな状況になっているのに。いや、こんな状況だからこそなのかもしれないが。どうであれ、しぶとい親子に違いない。

 裏口を出ると、すぐに医療班の天幕だった。
「失礼します。お疲れ様です」
 医長と話をしていた中将が、入ってきた准将を見ると微笑んだ。
「お疲れ様、アンネ准将」
 准将は最敬礼をして、「ゼルク中将、紛争首謀者らの確保、おめでとうございます」と言った。
「いいえ。これはアンネ准将や前任指揮官方がなされてきた尽力が実を結んだのです。私は最後にほんの微力を尽くしたまで」
「ご謙遜を。とんでもないことです」
「ところで、アンネ准将。丁度あなたの話をしていたのです。お願いを聞いていただけますか?」
 仕事だとはわかっているが、青年の笑顔に、女心がときめいた。しかし露ほども出さずに、さっぱりと笑って返す。
「お話にのぼるなんて光栄です。ご用件をお伺いします」
 ゼルク中将が手で指し示した。
「この子、ロイエルを、」
「ロイエル?」
 寝台で眠っている。
「こんなところに。どうしたのです? どこか怪我でも?」
「ええ。……今夜は、この子をあなたの部屋で寝かせてやって欲しいのですが」
「構いませんとも」
 応じた後、彼女は、上官と医官の浮かない表情が気になった。両者とも口を引き結んでいる。
「……事情がありそうですね?」
 准将の問いに、中将はうなずいた。
「嫌な話をお聞かせすることになります」

 話を聞き終えても、アンネ准将のこめかみの青筋は消えなかった。
「惨いことを」
 可哀想に、と言って、眠らされている少女を見た。
「許せませんね」
 眉をひそめ、館の方を睨む。その地下にいる首謀者達を。
「彼らは、何を考えて今までこの子を……この子を何だと思っていたのでしょう」
 おぞましい、と、小さくつぶやく。
「平素どれだけ取り繕っていも、所詮は悪人ということですか」




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