DEEP METAL BATTLE

すぎな之助(旧:歌帖楓月)



〔IF〕1 もしもロイエルとエミリが逆だったら……
(すぎな之助(旧:歌帖楓月)の前置き)
これはお遊び企画です。キャラクター入れ替え編『もしもロイエルとエミリが逆だったら……』

 辺境の地ケイタムイ。広大な湿地帯のなかにその町はある。
「シマゴシカのひ弱な都会人! いいかげんにオウバイ様のことは諦めて、汚ねえ首都に帰るがいいや!」
「そうだそうだ! 俺たちゃあ、ヒック、恐いもんなんか、ういい、ないぞー!」
 酔っ払った男性が酒屋でわめき散らしている。昼の日中から酒場には大勢の客がいる。どの客にも多かれ少なかれ、負傷した跡があった。
 ケイタムイはここ数年間、世界から注目されていた。特殊紛争地域、国軍対住民の戦いである。紛争の始まった当初は誰も、ここまで戦いが長引くとは思っていなかった。紛争の原因は領主と住民間の土地使用をめぐる問題で、どの地域にも見られる珍しくもないない「いざこざ」であり、国の軍が出向く必要などないはずだった。なのに、こうなってしまったのは、ある老婆の存在が国家に知れたからだったのだ。
「おまえたち! 何を騒いでいる!」
 真っ青な軍服を着た若い女性が酒場に入り口に立つなり大声を上げた。
「あれまあ、アンネ准将じゃないか、首都に帰ってたんじゃないのか?」
 ヒソヒソ声があちこちで上がった。
「うわさの中将がシヤドからこっちにきたからじゃないのか?」
「ああ、だからか。いいねえ、恋心かねえ。ひっひっひ」
 その女性は話の一部が耳に入ったらしく、こめかみに青筋をたてた。
「そこ! 何を話している!」
 酒場は、しん、となった。
「いいか! おまえたち! 本来ならば、とうに皆殺しにあっていてもおかしくない身だということ、よく肝に銘じておくんだな」
 高いが迫力のある声でいっきにまくしたてると、青筋をたてたままのアンネ准将は、軍靴の音高く酒場を去って行った。あちこちで忍び笑いがでる。
「ひひひひ、おおこわ。准将の勇ましいこと」
「やー、勇ましい勇ましい」
「あんまり勇ましいと、嫁の貰い手いなくなるぞー。へっへっへっへ」
 酒場の男たちは、突然の国軍准将の登場と退場を肴にして、さらに杯を重ね始めた。

「ロイエル、すまないけど今日も頼みますよ!」
 町の診療所。中年の医師が、少女に頼み事をしている。
「ウフフフフ! おまかせください!」
 金髪巻き毛の可愛らしく清純そうに見える少女が、とても自信に満ちた声で請け合っている。
「そうですか! ロイエルはいつも自信たっぷりで、いいですね! では、いいですか? 今日はゼルク・ベルガー中将がこの地に到着している予定です。彼に、この石を渡してほしいのです。渡すのが無理ならば、石をぶつけて触れさせるだけでもいいんですよ」
 そういうと、まだ若い医師は少女に、親指の先程の小さな緑色の石を手渡した。少女は窓の外に輝く太陽にその石を透かしてみた。すると、石は美しく輝く。ロイエルは大仰に感動した。
「まあ、なんて美しいの! まるで宝石のようだわ! そう、これはきっと、オウバイ様の念がこもっているから、こんなにも気高く美しいのですわね!」
 すると、医師も感動して大きく頷いた。
「ええ! 絶対にそうですとも! ああ! さすがはオウバイ様! 御祖母様、どうぞロイエルをお守りください」
 指を組んで窓辺に向かって祈り始めた医師に対し、少女は楽しそうに笑う。
「おほほほほほ、ドクター、オウバイ様に祈ってくださるなんて、このロイエルにはもったいのうございますわ! 私でしたら絶対に大丈夫です! オウバイ様の石を持っているんですから。いつも通り万事完璧ですわ!」
 しかし、医師は心配そうな表情になった。
「いいえ、今回来ているゼルク・ベルガー中将は切れ者だと聞いています。ああそれに、そうだ、彼は穏健な人物だとも聞いています。こちらの話に耳を傾けてくれるかも」
 そんな言葉を聞き、ロイエルは、「ゼルク・ベルガー……」とつぶやいて、視線をさまよわせると、ふと考え込み、そして口を開いた。
「まああ……そうですの? それは恐ろしいですわね? でも、話の通じる相手でもありますのね? ところでドクター? そのゼルク・ベルガー中将という人、何歳くらいですの? 男の方? どんな姿なのでしょう? どんな家柄かしら? 何時頃ここに到着しますの?」
 ロイエルは矢継ぎ早に質問を繰り出した。今度は医師の方が首をかしげる。
「どうしたのです? ロイエル。君が敵を気にするなんて、めずらしいですね」
「えっ?」
 ロイエルは、極上の笑顔で言いつないだ。
「だってドクター。ゼルク・ベルガー中将は、ケイタムイにきた軍の人間では珍しく切れ者なんでしょう? それなら、用心のために詳しい情報が必要ですもの」
 ドクターは感心した。
「ほほお。ロイエル、相変わらず作戦家ですねえ。……む? しかし、以前来たソイズウ大佐の時は、そんなこと一言も尋ねませんでしたよね?」
「ほほほほほ! だって、あのときはそんな必要ありませんでしたもの! まったく余裕でしたわ!」
「おおー。そうでしたね! あなたは、あっと言う間に彼を倒してしまいましたものね! 強かったですよねえ、ロイエル」
「ほほほほほ! お褒めいただき光栄ですわ! そう、私、ドクターとオウバイ様の為に、この腕と知識とその他もろもろを磨いてきたんですもの! ソイズウなんて目じゃありませんでしたわ!」
「そうですよね! ああ! いとしのオウバイ様! ロイエルはこんなに忠義心のある立派な子に育ってくれましたよ! じゃ、ロイエル、いってらっしゃい! まかせましたよ!」
 ロイエルがいつもどおり、あまりにも自信たっぷりなので、医師は感激し、感涙にむせんだ。
「ええ! あ、ドクター、それで、ゼルク・ベルガー中将とは、どんな人なんですの?」
「あ、そうですね、そうでした。彼はね……」
 そうして、少女は医師から『敵』の情報を聞き出すと、一層、気合がみなぎったようだった。
「ほほほほほ! では、ロイエル行ってまいります!」
 少女はそう言うと、さっそうと窓から外へ飛び出した。ちなみにここは3階である。
「ああ、なんてかっこいいんだロイエル! ああ! 我が愛しのオウバイ御祖母様。どうか、ロイエルをお守りください」
 医師は少女が飛び出した窓から空を見上げると、指を組んで祈りを捧げた。

 ケイタムイの住民対領主の紛争は他愛のないものだった。町を取り巻く湿地を埋め立てるか、それともそのままにしておくか。領主は埋め立てようとし、住民の、ほんの一部が埋め立てに反対していた。当初は誰もが、反対する一部の人々のことは無視して、領主と多数派の住民が一丸となって埋め立てを進めるつもりでいた。が。村一番の年寄りらしいが年齢不詳の魔法使いオウバイの反対により、そうはいかなくなったのである。彼女のあやしい呪術のおかげで、村人が大勢洗脳されてオウバイの味方をするようになり、湿地の埋め立ては、はかどらなくなってしまった。湿地にはオロチという大蛇が住んでおり、村の出入りは困難となっている。そのため村人と外部の人々との交流や物流はとても難しい。村のための湿地埋め立てなのに、オウバイの反対は、普通に考えるならば非常識な逆ねじ論だ。
 
 領主の館へと、少女は優雅かつしとやかに走った。医師から託された小石を持って。そして、見かけは清純そうにほほ笑みながら、いろんなことを考えていた。
 うふふふふ! ドクターの話では、大層若くて有能な指揮官らしいわね! でも、湿地を埋めるなんて、この私がさせませんわ! 国軍の兵士なんて、私が片っ端から蹴散らしてやるわ。この、オウバイ様の石と、そして、そう! この私の完璧な美しさと魅力で! それにしても、ふふ、このケイタムイは過疎の村で、若くて素敵な殿方なんてとっても少ないんですの! ……ほほほ! ちょうどいい獲物が、私の住む村にやってきた、ということですわね! ほーほほほほほ! 

「それで、オウバイは見つからないのですね?」
 領主の館に、静かな低音の声が響く。声の発し主はゼルク・ベルガー中将。軍人らしいすきのない立ち姿と、軍人らしからぬ穏やかな表情が不思議に調和している。
「はい、中将」
 先程酒場で怒鳴り散らしていたアンネ准将が毅然と答える。
 中将が鋭い眼で准将を見つめる。
「3年間、ですね?」
「はい」
 そう 応じたアンネ准将は、ふう、と、ため息をついた。
「まったく、情けないことですわ。」
 中将が不思議な顔で問い返す。
「そうですか?」
「はい、過去、大佐まで出向いているのに何故解決できないのかと」
 中将がため息をついて静かに答える。
「仕方ありません。それが呪いの力なのでしょう」
「……いいえ、中将。少なくともソイズウ大佐の件については……」
 アンネは言いよどんだ。ゼルク・ベルガー中将は、首をかしげた。
「どうしました? 准将?」
 アンネ准将は、言いにくそうに口を開いた。
「中将、これは、誰にも言えなかったことなのですが、……彼は、どうも、たった一人の少女に倒されたらしいのです。サシで」
「は?」
 ゼルク・ベルガー中将は、怪訝な顔をした。
「少女に?」
 アンネ准将は、ため息とともにうなずいた。
「ええ。中将、これは誰にも秘密にしておいたことなのです。この紛争を担当するのみが知る得る極秘事項なのです。あのとき、倒れていたソイズウ大佐の身体には、ハイヒールの靴跡が。彼、表向きはオウバイの術で負傷したということになっているのですが、実は……」
 ゼルク・ベルガー中将は、まゆを寄せてため息で遮った。げんなりしているようだ。
「口にしたくないことならば、それ以上はけっこうですよ、アンネ准将。私も、彼のうわさは知っています」
「まあ……。やはり、中将のお耳にまで、彼の趣味に関する噂は聞こえてらっしゃいましたのね」
 アンネ准将は、ほっとして、それ以上口を開かなかった。

「よく集まってくださいましたわ、頼もしい皆さんたち。今日も、ロイエルのお願いがあるの。私が中将の居場所に行き着くまで、皆を眠らせて欲しいの。できるかしら? 皆さん?」
「まかせといて! ロイエル!」
「俺たち、オウバイ様の弟子だよ! あなたは、大船に乗った気持ちでいて!」
 少年たちの元気の良い返事に、少女は花咲く笑みで頷く。
「まあっ! ありがとう、うれしいわ。みなさん。……ああっ、でも、あなたたちの身に、もしもっ、万が一にでも危険なことになったら、ロイエル、あなたたちのことがとても心配なの! そうなったら、あなたたち、わたしを置いて、先に逃げて」
「そんな!」
 少年の一人が首を振り、優しく言った。
「かよわいロイエルを、そんな危険な場所に置いて行ったりはしないよ? フフ?」
 残りの少年らも急いで言う。
「お、俺だって!」
「ぼ、ぼ、僕もだよっ! ロイエル! 君、君さえ無事なら! 僕はなんだって……」
 ロイエルは感激し、涙ぐんだ。
「ああ。なんて優しい人達なの皆さん」
「なあに、か弱いロイエルのためさ! それじゃ、いくよ!」
 屋敷の裏手、彼ら4人はひそひそと言葉を交わした。4人とも姿が消えている。少年たちがオウバイから学んだ術の一つだ。
「じゃ、皆さん、……また、あとで、ね」
「ロイエル、しばらく心細いだろうけど我慢してくれよ。じゃ、女神の部屋で会おう」「ロイエル、俺に任せて」
「ロイエル、僕、帰ってきたら、き、君に言いたいことが……。あ、あ、それじゃ、女神の部屋で!」
 4人はそれぞれバラバラに別れた。
 しばらくして、
「う……」
 館の人々に異変が起こった。
「うーん」
「はれ? やだ、どおしたのかしら、わたし……ねむい」
 皆が眠りに落ちていく。3分もすると、館中寝息だらけになった。
 姿の消えたロイエルが館の中を走る。ドクターがああ言っていた、中将はどこ? どこにいるの? きっと今頃、私の忠実なしもべ達がかけた術によって眠ってるはずよ! チャンスだわ! ほほほ! もう何が何でも、抜き差しならない状況に追い込んで、うまいこと中将とゴールインしてしまうのよ! このさい、私がオウバイ不老不死の為のいけにえだってことなんて、どうだって良いことだわ! 私の幸せが第一よ! 他のことなんて、全くの論外だわ! ほほほほほほ! さーあ、待ってらっしゃいな、中将! 
「うふふ。バラ色の未来が、近づいていますわ」
 ロイエルは眠っている人々の上を身軽にとびこえて階段をのぼった。
 2階の廊下には領主の娘が2人仲良くくずおれていた。
「ふふ……」
「やだあ、……うふふ」
 楽しそうに寝言を言っている。娘たちの無邪気な寝顔を見て、ホホ、そうやって呑気に寝こけてるがいいわ! その間に、中将は私のモノよ! と、内心で高笑いしたロイエルは、2階の部屋を片っ端から見て回った。
「……む? この部屋にも誰か、いるようね?」
 ある部屋では、アンネ准将がひっくりかえっていた。
「……ううーん……。中将、今回の任務……」
 アンネ准将は、彼女の事を知る人がいたら、きっと今迄に見たこともないような類いの優しい微笑みを浮かべていた。
「ふううん……。アンネ准将も、中将に気があるのね……。この冷血鉄仮面ヒステリー女までもが」
 寝言を聞いてしまったロイエルが、冷たい目で准将を見下ろす。
「私の未来への障害その一だわ。うふ、まあ、この麗しい私に敵なんていないけど、念のために……邪魔者は取り除かなきゃね……」
 ロイエルはそう言ってにやりと微笑むと、室内を見回し、油性のマジックを発見した。「ふふふ、この手の超堅い人間には、これよ!」
 きゅきゅきゅ、と、眠るアンネ准将の顔に落書きをしていく。
「『独身街道爆進中! 』……と。そして、泥棒ヒゲと、ほっぺたにナルトマーク。おまけに、鼻水も書いてさしあげるわ。……ほほほ、彼女、立ち直れるかしら?」
 そうしているうちに、ロイエルはふと思った。……この館中の若い女って……私と中将との愛の障害物になり得る可能性、あるわけよね? 
 ロイエルは、油性マジックを握り締めたまま、館を徘徊した。若い女ではなかったが、領主婦人を見つけだすと『有閑マダムご意見無用』と、顔に書いておいた。あと、顔のしわをなぞっておいた。
「このババア、実は一番やばいのよね。旦那のほかに何人も男を囲ってるし、変な薬は作りまくってるし……もしか、正体不明のオウバイって、……こいつのこと?」
 そして、ひとしきり、屋敷中の女の顔という顔に落書きしまくったあと、ロイエルは、2階から聞こえ続ける水音が気になった。
 浴場から聞こえるのかしら? 
 おそらく、この音は、2階の一番東側にある大浴場から聞こえてくるものだ。ロイエルの鋭すぎる勘が、「そこに、何かある!」と告げた。眠っている無防備な人々の山を容赦無く踏み越えて、ロイエルは浴場へ全力疾走した。
 ここだわ! 絶対に! 何かあるわ! 
 大量の水が流れ、排水口に吸い込まれる音がする。
 ロイエルは、用心深く浴場の扉を開けた。すると、大量の湯気があふれ出て来た。
 悔しいことに……何も見えないわ。
 熱湯でも撒き続けない限り、こんなにたくさんの湯気はでないはずだわ。誰か風呂を使ってた、いいえ、その最中で術にかかって寝ているのかもしれないわ。
 そこで、ふと、ロイエルは、考えた。「もしも、湯船の中で術にかかって熟睡した人がいて、そのまま溺れて水死してたりしたら……」ま、それは私のせいではなく、オウバイ様のせいよね。彼女のおぼしめしで、私は動いただけだもの。そうそう。私は全く関係ないわね。
 ロイエルは遠慮なくずかずかと浴場に足を踏み入れた。
 すると、
「誰だ?」
 前方から、声が聞こえた。
 ! 起きている人がいるわ。しかも、若い男の声! ……中将ね! 
 ロイエルはずんずん歩を進めて、声のした方へと向かう。3人の下僕たちのお陰で、中将以外の館の人間は皆眠りについている。私が仕事を終えたという合図をするまで。私の姿は誰にも見えないはず。そう、見えないのよ! しかも、……お風呂だわ! ふふふ! 
「チャンス、ですわ。ほほ」
 ロイエルは、口中でそうつぶやき、不敵に微笑んだ。
 ロイエルは湯気の向こうにおぼろげな人影を見出し、懐から緑色の小石を取り出した。 が、小石を投げようとしたところで、思い止どまった。
 これが当たれば、中将はオウバイの術にかかるのよね? 
「……」
 ロイエルは、試しに小石を浴場の出口に倒れていた使用人に投げてみた。
 こつん
 当たった。
「おうばい……さま……おうばいさまぁ……うるわしい……すてき……」
「……」
 ロイエルは、沈黙した。
 やっぱり! 思った通りだったわ! 石に当たったせいでオウバイの虜になってる。うっかり中将に投げ付けるところだったわ。あぶなかった。
 オウバイったら、まったくどういう奴ですの? 万能のオウバイのくせして、せこい方法で中将をたらし込む気だったのね! 許せないわ! 
 ロイエルは、気を取り直して、浴槽の奥へ向かった、
 が、
「えっ? きゃああっ!」
 引っ繰り返っている使用人から、浴場の奥へと振り返った所で、エミリは何者かに襟首を捕まえられて、浴槽にほうり込まれた。
「いやーんっ! ひどぉいですわー! 予定より早いじゃありませんの!」
 どぶん。上がる水柱。
「いやあん! 最低ですわ! 水を飲んじゃいましたわ!」
 が、間髪入れず、ザバアアッと、むしろ男らしさすら感じさせるほど勢いよく、ロイエルは浴槽から立ち上がった。
「フッ! なんて手荒い方なの」
 それでもって、浴槽の縁に立って自分を見下ろしていたゼルク・ベルガー中将を、浴槽内へ引きずり込んだ。ロイエルは、可憐だが腹黒い微笑みを浮かべた。
「うふふ。さぁて、この機に既成事実をつくっちゃうんですわ! 私の策略に引っ掛かりましたわね! 中将! ほほほ!」
 が、中将も不敵に笑い返した。
「引っ掛かったのは君だ。馬鹿なことを。軍服を着ている人間に対して、君に何ができる?」
 浴槽に足は浸かってしまったが、少女より彼の方が力は上だった。再び襟首を掴まれてロイエルは猫のように持ち上げられてしまった。
「なにするんですの! ああっ! 本当ですわ! なんでお風呂にいるのに服着たままですの? やだわ! この服一体どうなってるんですの? ボタンが先なんだかベルトが先なんだかさっぱりわかりませんわ! ……このボタン、どうやってはずすんですの?」
 しかし、持ち上げられたままでも、なお、ロイエルは中将に執着していた。
「悔しいですわっ。そうだわ……! 中将、私のお願い聞いてくださいな。その服脱ぐの、ご自分から協力していただけませんこと?」
 その上、なんと、いけしゃあしゃあと、そんなすごい事まで頼んでいる。
「……」
 呆れ果てて二の句が告げられない中将。苦い顔で目を閉じ、ため息が漏れている。
 ロイエルは首をかしげる。
「ねっ? 私、見てお解りのように、19歳の見目麗しい儚げな乙女ですわ? 幸い、今なら屋敷の者は全員眠っておりますわ。こぉんなシチュエーションって、仕組まない限り、ありませんことよ?」
 中将は、何も言わずに握っていた少女の襟首をはずした。
 ざぶん。
「ごほごほごほ! ぐふっ! ひどおい! げふげふっ! なんてことするんですの?」
 浴槽から、お湯を気管に詰まらせて咳き込み、鼻水をたらした顔だけを出して抗議するロイエルに、中将は言葉を返そうとしたが、嫌そうな表情になって、しばし口をつぐんだ。
「……。私が言うのも変だが、役と一緒に名前も変えたほうが、ややこしくなくていいんじゃないかい?」
 ロイエルは、いやだわ中将ったら、と笑い飛ばした。
「そぉんなこと、いまさら言ったって駄目ですわよ。もう話は進んでますの。……。じゃあ『愛してるよ、エミリ』とか、『エミリが大事だからだよ』とか『昨日のことをおぼえてはいないのかいエミリ? 』って言えます? いやぁん、言ってもらえるなら、私の名前を今からエミリにしましてよ?」
「……何で知ってるんだい?」
「『つて』はいくらでもありますわ」
「……。良い話を聞けたよ。管理官によろしく伝えてくれないかい?」
「いやん。何のことかしら? どうしてそこで管理官が出てくるんですの? ロイエルわっかんなぁい、ですわ。やだわ、話が横道にそれましたわね。……はっくしゅ!」

「今回は彼女一人の責任、ですね」
 中将の静かな声が響く。そろそろ夕刻、領主の館のサロンでは、中将と領主とその親族が集まっていた。
「全く同感ですな」
 皆、異論はなかった。
「オウバイが紛争の首謀者に違いはないが。それとは別に、ロイエル、彼女を捕らえるべきですね」
 中将はそう言って腕を組み、苦い顔でため息をついた。領主もごもっともです、と、芯から頷いた。
 中将が、そういえば、と、つぶやいた。
「彼女の後見人は、ここの診療所の医師でしたね? 彼にも責任を取ってもらわねばなりませんね。監督不行き届きですから」
「……へっ?」
 ところが、中将の言葉に対して、領主はすっとんきょうな声を出し、その顔色は青ざめた。そしてせわしなく手指を動かし始めた。
「いやっ、いや……ええ、そうです、たしかにそうですが、ドクターには何の責任もないのです。なあ、奥方や。って、……あ、いないんだった」
 アンネ准将も領主の娘たちも、領主夫人もここにはいない。顔に書かれた落書きを洗面所で消している最中だ。
「いいえ。責任は無くとも、捕らえる理由はあるでしょう。ロイエルが言うには、彼はオウバイの共犯だそうです。一応は容疑の対象になります」
 中将がやんわり微笑んでそう言うと、
「……う、うーん。そうなんですがね……」
 と、しどろもどろに言い募り、最後にぼそりと本音を言う。
「ドクターは町に残っているたった一人の医者ですし、……それにあの、エミリの許婚で、……あ、奥方や!」
 ここで、ようやく女性陣が室内に入って来た。しかし、顔の落書きはどうしても落ちなかったらしく、少しずつ残っていて、皆、苦虫を噛み潰した表情である。
「まったく! なんて子なの!」
 まず、領主夫人は怒りの声を上げた。
「あなた! ドクターとの縁談、無かったことにしてもらえませんこと? こんな野蛮なことをする子の後見人なんて、……絶対にエミリの夫とは認めません!」
 こめかみに青筋を立て、鬼のような形相の夫人に、領主はびびった。
「ひっ! ……へ? お前、今なんて?」
 夫人は首を振った。
「縁談は無しですわ!」
 そして、怒りの夫人は、中将の方を向いてこう言い放った。
「どうぞ中将、あの野蛮人3人をお好きなようになさってくださいまし! 煮るなり焼くなり売り飛ばすなり、どうぞご自由に! 領主の意見としても、それで良いですわね? あなた?」
「はっ! はいっ! 結構です!」
 あっさりと、3人の身柄は国軍の管理下に置かれることとなった。

 夕刻となった。ここ、今は夕闇に沈みつつある領主の館の地下には、石造りの牢があった。町で犯罪が起こった際に罪人を罰するためのものである。
 そこに、ロイエルはいた。
 この私としたことが! 風呂場では、しくじってしまいましたわ! 次の機会こそ、必ず、ですわ! 
 囚人が不審な動きをするのを見落とさないために、石牢には各所に明かりが灯されており、随分明るい。その中で、ロイエルは不敵な微笑みを不気味に浮かべていた。今、牢に捕らえられているのは彼女一人。一緒に行動していた少年たちは、ロイエルの命令で町に戻っているはずだった。
 ……あの子たちはもういらない。これ以上うろちょろされては、私の「中将をものにする計画」に差し障りが出るわ。あ、そうそう、ドクターごめんなさい。私、金輪際、ドクターから離れて、自分の未来に生きることにするわ! 中将はドクターの言っていた通りの、いけてる人だったわ。……ふふふ、見てらっしゃい、中将、あなたは私の物よ! そして、顔も知らないオウバイ様、……ごめんなさい。せっかくの石でしたけど、あなたごときなんかに、中将は渡しませんことよ! 
 などと、ロイエルが、ねじれた思念に燃えているときに、檻の外から階段を降りる足音が聞こえて来た。
「!」
 来ましたわ! と、ロイエルは会心の笑みを浮かべた。こちらへ向かう足音がいくつも聞こえる。話し声も。
 この足音の中に、絶対にいるわ! 彼が! ホホホ! 
「中将、自分もロイエルの取り調べにご一緒させていただきたいのですが」
「いいえ、アンネ准将。あなたは上にいてください。あの少女に話を聞くだけですから。まだ彼女を正式に逮捕した訳ではありません。ですから、」
「……そうですね。くやしいですわ。では、逮捕し次第、私は彼女にさっきの仕返しを……あ、いえいえ、自分の犯した過ちをしっかりと反省してもらうことにしましょう。では、私は医師の所へ話を聞きに行って参ります。しかし中将、お気をつけて。あの娘、ただ者ではありません」
 近づいてくる男の声と一所に止まったままの女の声。女の声の方は、どうも怒りのせいでか、震えている。ほほほ、私を恨んでますわね、彼女。ふふ。あれは油性ペンだからそう簡単には消えなかったはずですわ! ほーほほ! いつもいばり腐ったあの女の、屈辱に震える顔が、目に浮かびましてよ。フフフ、いい気味ですわ。と、ロイエルはほくそえんだ。
「では准将、医師の所へは後程私も参りますから、それまで、よろしくお願いします」
「はい!」
 そう、彼女、ドクターの所へ行く訳ね。だって、私がオウバイのこととか、ばらしちゃったものね。ごめんなさいね、ドクター。あ、そうだ、ドクターとオウバイに全部の責任を取ってもらって……私は被害者ってことで、無罪にしてもらえばいいのよ。うーん、二人に脅されて、泣く泣くやってた、って感じがいいかしら? 私は、悲劇のヒロイン、ですわね。フフフフフ。
 会話に聞き耳をたて、えんえんと策略を練っていたロイエルの元に、何人分かの軍靴の音が近づいてきた。近づいてくるにつれて、ロイエルの表情はしおらしい乙女のものに変化していく。
 そして、
「こんばんは、ロイエル。様子を見に来たよ」
 兵士を3人引き連れて牢を訪れた中将は、両手で顔をおおって泣き崩れていたロイエルを目にして呆れた。
「なにをやっている。まったく」」
 ロイエルは牢に身を投げ出し、これ見よがしに、さめざめと泣きじゃくっていた。
「うっううっ……」
 付いてきた兵士が、気の毒そうに自分を見つめる気配を感じ、ロイエルは両手の平で隠された顔を笑みの形に歪めた。ふふ、ひっかかってるわ。
「泣いてないで、起きなさい。ロイエル」
 中将はやや腰を落として、檻越しに、泣いているロイエルへ話しかけた。
 ロイエルは、今、顔を上げて中将と話をするのは得策ではないと考え、泣き続けた。彼には、牢の中に入ってもらわないといけないのだ。すると、カシャリと鍵音がした。お付きの兵士が鍵束をもって中将を案内し、牢の中へ入ってきた。ロイエルは心中で喝采をあげていたが、表面上はか弱げな表情で涙をこぼし、弱々しく身を起こして、「不遇の少女」の外見を見事に取り繕った。
 牢の外では他の兵士が、同情の視線をロイエルに向けた。ロイエルは、儚げにそちらを向いて、2しずくの涙をこぼした。すると、兵士は、非常に同情に満ちた表情になった。可哀想に、だまされている。
 中将が深刻なため息をついた。少女に対してである。
「鍵は私が預かる。君たちはもういいから、上へ行っておいてくれ」
 中将は牢の外の兵士らにそう言った。
「はっ……。お願いします」
 兵士は、おとなしく去っていった。少女の哀れな様子を見るに忍びなかったらしい。
 そして、二人きりになった。
 中将は立ったまま腕を組んでロイエルを見下ろした。
「嘘泣きは止したまえ」
 ロイエルは、はらはらと涙をこぼした。
「嘘泣きだなんて……ううっ。あんまりですわ……。中将、私、私、どうしてこのような境遇になったのかさっぱりわかりませんの! ああ! 私はただ、ドクターのおつかいで、小石を届けに領主館に来た、それだけのことですのに。なぜ? どうしてですの? どうして私が、こんな冷たい牢に捕らえられておりますの? ううっ……」
 繊細優美で可憐な乙女が、石牢に捕らえられて涙を流す。一見、不幸な境遇で、可哀想である。
 しかし、中将の同情は買えなかった。
「それは置いておいて。ロイエル、ひとつ尋ねたい。ソイズウ大佐、彼を、完膚無きまでに蹴ったのは、君だね?」
「ううっ、それは一体なんのことですの? ソイズウ? その方、一体どなた? そんな、蹴りに蹴って蹴り倒して殺すだなんて、ああ恐ろしい。私にはできませんわ」
「だれも蹴り殺したとは言って無い」
「ええっ! 生きてたんですの? あの変態男!」
 シーン、と、沈黙が落ちた。
「君がやったんだね、ロイエル」
 ロイエルは両方の頬に手を当てて、愛らしく首をかしげた。
「いやんそんな、そんなこと、ロイエルできない。あ、そうだわ、……中将、ロイエルにこんなふうに拒否されたことあって? あの子じゃ無理でしょ?」
「話がややこしくなるからやめなさい。さて、じゃあ、していないというのなら、この靴を履いてもらえないか? ロイエル。当時の現場に残っていた物なんだが」
 中将は、綺麗なピンヒールの靴を取り出した。ここで、初めてロイエルがまずそうな表情になる。
「……なんで、まだ残ってたんですの?」
「履く気があるのかい? ないのかい?」
 ちっと舌打ちし、ロイエルはその靴を履いてみせた。ぴったりだ! 
「君がやったんだね? ソイズウ大佐を」
「だあって、ドクターがやりなさいって、おどすんですものお! か弱い私はドクターのお仕置きがこわくてえ」
「嘘をつきなさい」
 だが、ロイエルは、きょとんとして、首をかしげた。
「ホントですわ? ……あ、やだ、中将。もしか、ロイエルから聞いてないんですの? ドクターの、『お仕置き』の話」
「……は?」
 なにそれ、という怪訝な表情の中将に、ロイエルは説明を始めた。
「あれってー、すごくなかなかでしてよ? 生娘のまんまでもやり方次第でかなりやれるもんですわよね? って、……あ……、しまったですわ。やっぱり、これってロイエルの言えない秘密? やあだ、私ってば、……言っちゃった……。ま、いいですわ。聞かなかったことにしてくださいな」
 一見無邪気そうな「ロイエル」の言葉だが、話の内容は穏やかでない。ゼルク・ベルガーは目に見えて凍りついている。
「……」
 しかし、ここにきてロイエルは、ニヤリと笑ってしまった。
「まあ中将ったら、すごい真顔ですわ。あはん……、そんなお顔って貴重だわ。……痛いっ! げんこつでぶちましたわね!」
「初めてだよ、君にひっかかったのは」
「うふん。そおかしらぁ?」
「……しまった。話がずれた」

 一方、こちらは医師の家。そこでは、アンネ准将と領主の娘ら2人と数名の兵士らによる事情聴取が行われていた。
「残念です。ドクター。私たちは、今まで、あなたの誠意を信じて来ましたのに」
 アンネ准将の沈鬱な声が響く。
 ドクターは、悲しげに笑って、首を振った。
「すみません。あなたがたを騙すつもりなど、毛頭なかったのですが……」
 アンネ准将は、目を伏せて息をついた。
「ドクター。あなたと、オウバイ老のしたことは、たとえ、どんな理由があろうとも、犯罪なのです。あなたは、最初から最後まで、いいえ、今まで、私達国軍と、反対派の住民との間に立つ、調停役をされてこられました。それが、……紛争の首謀者だったなんて……」
「すみません、准将。そう、私のしたことは、罪なのかも知れません……。ですが、捕らえられているロイエルは、……彼女は何も知らないのです。彼女を許してやってはいただけないでしょ
「とんでもありませんっっっ!」
 アンネ准将の怒りに満ちた声が、響き渡った。
「ア、アンネ、准将……?」
 いきなりの大声に驚くドクター、そして、兵士と領主の娘ら。
 アンネ准将の目は怒りで赤く血走り、頬はピクピク引きつっていた。
「あのロイエルだけはっ! なにがあっても、たとえ太陽が西から昇ったとしても! ぜっっったいにっ、ゆるしませんっっっ!」
「ま、まあ、まあ、落ち着いて、アンネ准将……」
「落ち着いてられるもんですか! あの娘! 私の顔に、よくもあんな下品な、ら、らくがきをっ! きいいっ! ゆるしてはおけないわ! あのこわっぱが!」  怒りを通り越し、もはやヒステリーの発作状態になっているアンネ准将を、兵士らが押さえた。
「准将が錯乱している!」
「押さえ付けて外の風に当てて頭を冷やさせるぞ。はいはいはい、准将、お怒りはごもっともですよー? あなたは正しい。ごもっともです。さあ、おとなしく向こうへ行きましょうねえ?」
「きいいい!」
 兵士らは、暴れる彼女を引きずって扉の向こうへ消えた。
 残った人間、ドクターと領主の娘2人は、呆然と、彼らの消えた扉を見つめた。
「こ、こわかったですね、お嬢さんがた……」
「なんかそれっぽいって思ってたけど。やっぱり、アンネ准将ってああだったのね。やばー」
「無理もないわ。アンネ准将と母上の落書きが、一番ひどかったんですもの」
「うーん言えてる」
 ふう、と、3人は、ためいきをついた。
「で、あなたがたが私に会いに来た理由は、なんですか?」
 話題を変えるべく、ドクターが二人の令嬢に語りかけた。
「えっ?」
 エミリはとまどった。ローズがそれをつっつく。
「お姉様が、縁談のことでお話があるんですって」
「ほう? なんでしょう? エミリ?」
 促されたが、エミリは口ごもった。
「ドクター、あの、」
「なんですか? エミリ?」
 中々言い出せないエミリに、ドクターは微笑んだ。
「わかってますよ。今度の件で、私との縁談は、無かったことになるのですね?」
「ドクター、私は嫌です。ドクターと、ドクターと結婚したいの」
 ドクターは、笑って首を振った。
「駄目ですよエミリ。あなたには、まだまだ未来がある。それに、早まってはいけませんよ。このとおり、私は犯罪者だったわけですから。ね? 若いあなたが、人生を棒に振るような真似を、してはいけないのです」
「ドクター、でもわたし、ドクターの事が好きなの。私、ほんとうにドクターのことが好きなの。犯罪者でもいいの。だって、だってドクターは、この村のことを真剣に案じて、それで、そうされたんでしょう?」
「エミリ……」
「私、わかります」
「……」
 見つめ合う二人。ちょっと部外者になってしまったローズが、頭をかく。
「あの、じゃ、私、帰るね」
「あ、ごめんね、ローズ。つい深刻になっちゃって……」
 謝るエミリに、ローズが首をひねった。
「おいおい。だめよそんなこと言っちゃ。人を人とも思わない態度がなくちゃ、エミリ姉様じゃいわよ。あー調子狂う。」
 エミリが渋い顔になる。
「ごめん。でも、わたし、ほーほほほとか、高笑いできそうにない」
 ローズがしみじみうなずく。
「いや、いいのよ。そうよね。あんなの本人しかできないわ」

 そして、再び、領主の館。
「ううっ、わかっていただけませんのね? 私は、ただ、あのお二人に命令されるがまま、働かされておりましたのよ?」
 涙を流して肩を震わせるロイエルの、これで何度目かはわからない罪状否認だ。
 対して中将は、表面上の微笑みとともにため息をついた。
「よくわかったよ、ロイエル。つまりドクターとオウバイとを捕らえて真相を聞くことができなければ、君は被害者であり続ける訳だね?」
 ロイエルが、ひっく、としゃっくりを上げる。
「どうしてそんないじわるをおっしゃるんですの?」
「事実だろう」
 ひっく、と、ロイエルがしゃっくりを続けた。中将が仏頂面になる。
「いいからその泣きまねをやめなさい」
「泣きまねじゃないですわ。中将がひどいことばかりおっしゃるんですもの」
「一つ聞いていいかな? 何故、それだけ泣き続けているのに、顔が腫れない?」
「日ごろの鍛練の成果ですわ。顔が腫れるなんて醜い姿、私にはありえませんわ。あ、中将、私も質問してよろしいかしら? そろそろ『行間を読む』じゃありませんこと?」
 ロイエルの意味不明な質問に、中将は、舌打ちをした。
「どうもいけないな、うちの管理官は」
 ロイエルは、言ってることがわからない、というように、可愛らしく首を傾けた。
「なんですの? 管理官は関係ありませんわ?」
「だったら素直にロイエルになりなさい。話が進まない」
 中将の指摘に、ロイエルは首をかしげる。
「あら? ですから、そろそろじゃありませんこと? でないと、夜が明けませんわ?」
 中将は鼻で笑った。
「だったら認めるかい? 全部君がやったことを」
「どうして? どうして、中将は、そんな意地悪ばかりいうんですの? ううっ。ロイエル、身に覚えのない濡れ衣なんか、着る訳にはまいりませんわ。あ、でも……」
 ロイエルは、しばし、視線をさまよわせた。何かを、考えている。そして、「あ、わかった」とつぶやいた。
「でも、ドクターもオウバイ様も、かわいい私を育ててくださった恩人ですもの! ですから私はオウバイ様とドクターをかばいますわ! 中将、たとえ、か弱い私をひどい目に遭わせ続けて来たお二人であろうとも、この、何の罪もない私が、二人を国軍から守ります! ですから、中将、あなたを牢から出す訳にはいきませんわ!」
 がしゃん。
「ぁあっ!」
 中将が、施錠をして牢から出て行った。靴の音のみが、石牢に響く。
「おかしいですわ! 二人をかばったら、ああなるんでしょう?」
 返事はなかった。
「いやですわ! 意地悪しないでくださいな! 中将ったらぁぁ!」
 遠ざかる靴音。
「……ちっ。作戦その2、失敗しましてよ。ちょっと自己犠牲精神のアピールが足りなかったかもしれませんわね」

 夜も更けてきた。医師の家では、エミリとローズとドクターが、話し込んでいた。アンネ准将たちは、あれきりで領主の館へと帰ってしまったらしい。
「ドクター、あなたさえよろしければ、私、領主の家を捨てて、あなたと結婚したいのです。」
「いいえ。だめですよ、エミリ。私は明日、軍に捕まるに決まっているのです」
 エミリはうつむいた。
「では、ドクターへの戒めが解けるまで、ずっと私、お待ちしています。あなたがお嫌でなかったら」
 ドクターは首を振る。
「そんなことは無駄です。おやめなさい。なぜなら、私は、きっと、もう帰ることはないのですから」
「そんな……」
 悲しそうな顔になったエミリは、しばし沈黙した。
 ローズがそんな姉に、気をとりなおすように言う。
「ほらー、ね? もういいじゃん? 姉さん若いんだからさ? ドクターのお言葉通り、別のいいなずけ見つけようよ!」
 妹のその言葉が終わると同時に、エミリはすっくと立ち上がった。今まで消沈していたエミリが急に機敏に動いたので、ドクターとローズは少なからず驚いた。
「ど、どうしたのよ? エミリ姉」
「エミリ? 一体、」
 エミリは、二人をきりっとした態度で見下ろすと、
「いいえ。だめよ。村の為につくしてきたドクターが捕まるなんて、私、納得できないの。だから、ゼルク・ベルガー中将様に、話をしてみます。あの方、話のわかりそうなかたでしたもの。ドクターのひととなりを話せば、罪を軽くしてくださるかもしれません。それでは、善は急げだわ。ローズ、私は今から帰るけれど、あなたはここで待っていて。あとで使いをよこすからね、夜道は危ないから、決して一人で帰っては駄目よ。じゃ、」
 さらさらと、一気に言い終えると、エミリはドクターの家を駆け出して行った。
「ああ! お姉様? ……あー、行っちゃったよ……」
 いきなりの姉の行動に、呆然となるローズ。
 ドクターも驚きで目を丸くしていた。
「エミリ……。私のために、そこまでしてくれるとは……」

「ただいま帰りました! ゼルク・ベルガー中将様はどこに? さあ教えて!」
 息せききって、館へと駆け込んで来たエミリの鬼気せまる迫力に、館の使用人らは、驚きながらも、「地下牢にいらっしゃいます」と教えてくれた。
 エミリは走る。
 彼に話せば、もしかしたら聞き入れてもらえるかもしれない! だって、ドクターは穏やかで優しくて、いつも村のことを大切にしてこられた、それは立派な人なのよ! 罪を犯したとはいえ、それは自分の為にではなく、村のことを思ってされたことなのよ。
「ゼルク・ベルガー中将!」
 地下牢へと降りる階段のところで、エミリは中将を見つけることができた。
「おや、エミリ。どうしました? あなたは、うちの准将と一緒にドクターの家へ行っていたはずでは?」
 首をかしげる中将に、エミリは、息を切らせてはあはあ言いながら、返事をする。
「アンネ准将でしたら、ずっと早くに、具合を悪くされて戻って来てらっしゃるはずですわ。私は今帰って参りましたの。中将にお話があって」
「私に話? その前に……アンネ准将は元気だったはずだが……」
 エミリは、複雑な表情になった。
「ドクターが、ロイエルを許してほしい、と頼まれたら……准将は大変取り乱されて、兵士の皆さんに連れて戻られましたの」
 それを聞いて、中将は同情しているような、呆れたような顔になった。
「そうですか。わかりました。ではエミリのお話しを聞きましょう。私に何か用でしょうか?」
 ええ、と、エミリは、相手の目をしっかり見つめて、うなずいた。
「ドクターのことなのです。あの方は、本当に良い方なのです。紛争の首謀者として捕らえられるのでしょうけれど、……許してくださいとは言えませんが、少しでも罪を軽くしていただけるならと思って。中将様に話を聞いていただきにきたのです。ドクターは悪くないのです、あの人は、心の底から村の為を思って、そうされたのです」
 確かに、と、中将は控えめに相槌をうった。
「あのドクターは、村人に限らず、兵士の間でも評判が良いですね。私は彼と直接話してはいませんが、表立っては悪い人間ではなさそうだ」
 表立っては……という言葉に、エミリは引っ掛かるものを感じた。
「ゼルク・ベルガー中将、ドクターは本当に村の事を思ってらっしゃるかたなのです。人々に対して、別け隔て無い思いやりを持てるかたなのです。ですから、私の父もドクターのことを、ゆくゆくは領主にと、望んだのですわ。私の話では不十分だと思われるのならば、どうぞ、是非、ドクターと直接お話しなさってください。そうすれば、あの方のひととなりがわかっていただけると思います」
 エミリの真剣な表情に、ゼルク・ベルガー中将はわずかに考えを改めたようだ。
「なるほど。それほどおっしゃるのならば、捕らえる前に、彼と話し合う必要はありますね。」
 そして、中将はほほ笑んだ。
「ですが、エミリはドクターを案じるあまりに、忘れているようですね。捕らえられた後には、必ず裁判が行われます。そこで、今のように証言すればいいのです。あなたや、ドクターの世話になった村人たちが、寛大な処分を願うのならば、ドクターの罪は軽くなるかもしれません」
「本当に?」
 エミリの顔が輝く。
「では私、村の皆さんにお願いしてみます。それから、お父様とお母様にも、婚約の解消をやめていただかなきゃ」
 そんなエミリのうれしそうな顔を見て、中将も笑った。
「あなたはドクターのことを大層思っているのですね」
 そう言われて、エミリはにっこり笑ってうなずいた。
 と、そんな、暖性の雰囲気漂う中に、湿性の寂しげなすすり泣きが割って入った。
「うううっ……なんて、お気楽なお嬢様ですの……。この冷たい石牢には、ドクターにもてあそばれた、幼なじみである私が、罪を着せられて、打ちひしがれ、涙に濡れてますのに…………。なんて冷たいエミリなの。ロイエル、悲しい」
「ロイエル?」
 二人が立っている階段からは姿が見えないが、ロイエルは石牢の中から、か細い声で泣いている。か細いとはいっても、二人のいる所からロイエルのいる牢までは結構な距離がある。その上でなお、聞こえるということは、「これみよがしの大声」という表現の方が、正しいかもしれない。
「そう、ロイエルですわ。あなたの幼なじみの、ロイエルですわ。ううっ……ここは冷たいわ……、寒いわっ……そして、さきほどは、今そこに立っていることは間違いないゼルク・ベルガー中将から、いわれのない誹謗中傷その他色々の精神的苦痛を受けましたし、ううっ、身も心もずたずたのロイエルは、ここでもう、自害してしまいそう……」
 と、すらすらと、か弱げな声だが流暢に、そして、離れた相手に聞こえるようにはっきりとそう言う。
「ロイエル……」
 気になったエミリは、階段を降りて、石牢のロイエルのところへやって来た。
「ううっ……来てくれたのね、エミリ……」
 ロイエルは、鉄格子のそばに泣き濡れて立ち尽くしていた。
「私……お風呂に落とされたのに、暖かい服一つもらえませんでしたのよ。この木綿の服一枚だけですわ、ああああ……なんて寒いの凍えそう……」
「ロイエル、今は夏よ?」
「……(ちっ、余計な突っ込みを冷静に入れやがったわ)。ううっ、エミリにはわからないでしょうね、石牢は夏でもひんやりなんですわ。ああ、ドクターとオウバイ様の奸計によって、私の人生はめちゃくちゃにされてしまいますのね……ううっ」
 ロイエルがそう言った瞬間、エミリの、それまでそれなりに同情的だった表情が一変した。
「馬鹿おっしゃい! ぜんぶあなたが仕組んで来たんでしょ? あなた私に言ってたじゃないのずっと! 『ほほほ! ドクターなんてこの私にかかれば簡単に操れちゃいますわ! 』とか、『オウバイ様も案外間抜けよね! 私が湿地の水なんか不味くて全然口にしてないこと、気づいてないようよ! 』とか、私は覚えてるわよ!」
「げっ!」
 自分にとってに不利な証言をされて、ロイエルは引きつった。しかし、心外そうに、強く言い返した。
「まあああ! あなたまで私を陥れる気ね? ひどいわ、……幼なじみなのに、私を、罪人に仕立て上げるのね? ああっ、なんてひどいの!」
「幼なじみだからこそ、あなたの所業なんて全部知ってるんじゃないの!」
「まあっ、なんですって?」
 ロイエルが、本当のことを言われて怒った。
「生意気! あなた! 金持ちだからって、いばってるんじゃないの?」
「……は? 何言ってるの……って、あ、痛い、やめなさい!」
 檻の中から腕を出したロイエルが、エミリの髪の毛を思いっきり引っ張った。
「いた、いた、痛いっ、やめなさいよっ! ロイエル!」
「ホホホ! 私が何のために檻のそばに立ってたか、わかったかしら? あんたを陥れるためよ! ついでに、首も絞めちゃうわ! オーホホホホ! ……うっ、痛い、このっ! あんた何よ! 抵抗するって言うの? 金持ちのくせに!」
 エミリもお返しに、ロイエルのほっぺたを思い切り引っ張ってみた。
「金持ちとかそういうの関係ないわ! ロイエル! あなたの、その、ねじ曲がった根性、たたき直してあげるわ……、ちょっと、何するの? う、苦しいっ、」
「ほほほ! 私に勝とうなんて、思い上がったわね、エミリ! さあ、それ以上余計な言葉を紡ぐ前に、楽になるのよ!」
 ロイエルが、本気でエミリの首を絞めた。右腕でエミリの首を引っかけて、鉄格子を利用して締め上げる。
「ちょっ、冗談、」
「冗談? さあ、これは冗談かしらねえ? ホホホホホ!」
「いいかげんにしなさい!」
 中将がロイエルからエミリをはぎとった。
「げっ……! 中将!」
 ロイエルはエミリとの戦いに集中するあまり、中将が石牢へ戻って来たことにすら気づかなかった。
「はぁはぁはぁはぁ……ありがとうございます、中将、……死ぬところでしたわ」
 息も絶え絶えで、本当に命が危なそうなエミリ。中将に抱えられるようにして支えられている。
「あっ、なんですの! ひどいわ! 中将! ……どうして、檻の中にいて不利な私よりも、その金持ちで説教好きのエミリなんてかばうんですの? 不公平すぎるわ……なんて、不憫なの? 私……」
 中将がすかさず返す。
「君こそ、何故、檻の中にいる身でそこまで有利な立場に立てるんだ? 見なさい、エミリがぐったりしてるじゃないか!」
「私が有利? そんなこと気のせいですわ? む……。ちょっと、中将、何を、他人の婚約者を、抱きかかえたまんまにしてるんですの?」
 中将はロイエルを無視した。そしてエミリを別の名で呼ぶ。
「ロイエル……」
 熱を帯びた相手の表情に、エミリは怪訝な顔をした。
「……? 違うわ、あたしは、エミリです……ってば、」
「医師の婚約者であれば、君とドクターは、うまくいっていたのかもしれないな……」
 自分を抱き上げた中将に、エミリは抵抗した。
「……中将っ。だからあたしはエミリだってば」
「ロイエル、」
 少女の長めの前髪をかきやりつつ、彼は顔を寄せていく。
「や……、」
「ロイエルは私でしょっ!」
 エミリ、もとい、ロイエルが鬼のように怒った。
「何いちゃついてんですの! 中将、あなた、相当いい度胸されてるのねえ? この、あたくしの前で、よくも堂々と……」
 中将は、笑って返した。
「堂々? でなければ君が情報をつかんでるわけがないだろう?」
 冷笑するゼルク・ベルガーと、敵意あふれる笑みを浮かべるロイエル。二人の間に見えない火花が飛び散る。
「ふっ! わかりましたわ! あなたをたらし込んで味方につける作戦はちょっと変更しますわ! 代わりに、あなた以外の兵士を、私の魅力で引き込んで、可哀想な美少女の身の上に情状酌量させて、とりあえず無罪放免を狙いますわ! あなたを私の夫にするのは、その後ですわ! フフフフフ!」
 びしっと、中将を指さして、高らかに言い放ったロイエル。対するゼルク・ベルガーは、非常に意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「考えが浅いな、ロイエル。たとえ兵士が信じたとしてもだ。私と、君に落書きをされた女性たちは、決して君を許さないよ」
「んまああ! これほど優雅で繊細で可憐な私が、ただのありふれた女達に負けるなんて思ってらっしゃるの? ホーホホホ! 浅いのは中将かもしれませんことよ?」
 ロイエルの高笑いに、エミリは眉をひそめた。
「ロイエル、あなたって子は……私、あきれて物が言えないわ」
「行こうか。エミリ」
「はい」
 はあ、と、二人はため息をついて、地下牢を去った。
「ちょっと! なに呆れてるんですの? あなたがた、こんな私を見て、可哀想だとは思えないんですの?」
 声だけは可愛らしいロイエルの声が、深夜の地下牢に響き渡った。

 翌朝。中将とエミリと、何人かの兵士とが、医師の家を訪れた。
 湿地から立ち上る霧が、村を白く煙らせている。
「おはようございます。ドクター」
 エミリは、先頭に立って医師の家の扉を叩いた。
「ドクター?」
 返事がない。
 エミリは、不安になった。まさか、ドクターの身に何かが? 
「ドクター? ドクター! ……おかしいわ! いつもは、朝がとても早い方なのに!」
「落ち着いて、エミリ」
 まさか、逃げたか? 中将はそのような事を考えながら、エミリを脇に避けさせて、扉を壊すべく、部下に指示を出そうとした。
「……ぅぁー……、はいはいはいぃ……今開けますよおぉぉ……」
 ところが、呑気な声が、家の中から漏れ出て来た。
「……」
 次に、がちゃりとドアが開いて、寝癖のひどい頭の、半分以上寝ぼけているドクターが、顔を、のっそりと出した。
「ド、ドクター……おはようございます。その、どうしたんですか? いつもは早起きのドクターが、」
 ドクターのめずらしい姿に驚いたエミリは、思わず尋ねた。
「ああ……エミリ、おはよう。いやー久しぶりによく眠れましたよ。いつもは、早起きのロイエルの朝食を作るのに、もっと早起きしないといけないので、つい寝不足でね。まあ、ロイエルは低血圧らしくて、朝は力が出ないと言っていましたから。忠誠心に厚いロイエルですから、そんな時くらいは、私が動かねばね。ふあー……」
 ……だまされている、と、エミリと中将は思った。

 ドクターの家に通されたエミリと中将は、ドクターから、紛争を起こした理由を聞き出した。ついて来た兵士らは、家の外で待機している。
「ええ。私は、私の尊敬するオウバイ御祖母様の教えに従い、この村ケイタムイの湿地に棲むオロチを生かすべく、罪を重ねて来たのです」
「何故……そのようなことを?」
「……ふふ、信じてもらえるでしょうか。オロチは、あの凶暴な大蛇は、一方でこの村の守り神でもあるのです。あの蛇が棲む湿地の水がなければ、オウバイ様の術は完成しない。この村を厄災から守る、尊敬する麗しのオウバイ御祖母様の術は、作れないのです」
 ドクターは、真摯な表情で、しかし穏やかに笑い、そう言った。
 中将はしばらく考え込んだ。
「あなたの御祖母様の術とは、一体どのようなものなのですか?」
 ドクターは、風景を思い出すように目を閉じる。
「この世で一番尊く美しいものです。一般の魔術体系とは全く流れを異にする、ここケイタムイでのみ実現可能なもの。そのお力には、果てがありません……、何でもできる、万能な術なのです……はあ」
 最後の「はあ」は、感嘆のため息であった。そして、唇には歓喜の笑みが浮かんでいた。 話を聞いていた二人は一様に沈黙した。
「では、あなたの御祖母様の采配によって、ドクターは動かれたのですか?」
 中将がそう問うと、ドクターは首を振って否定した。
「いいえ! オウバイ様の御心と私の心は一つ! オウバイ様の意志、それすなわち私の意志に他ならないのです! ああ! オウバイ様、私の心はあなたの物……!」
 熱病にかかって、彼岸の世界を見ているように浮かされた表情のドクター。
 中将はエミリに、耳打ちした。
「確かにあなたの言うように、村のためにしたことであるようだが……それ以上に彼の御祖母様のためでもあるようです」
 エミリは、複雑な表情でうなずき、中将にのみ聞こえるようにささやいた。
「ええ。……でも、ドクターは良いことをされたと、心から思っておられます。ドクターは、おばあさまのことをそれは尊敬していらっしゃいますから」
「私は、彼が尊敬以上の気持ちを持っているように感じたのですが」
 中将がそう言うと、エミリは、すこし複雑な表情で微笑んだ。
「そう、思われます?」
 そして、まだ陶然とした表情の医師に、エミリはおずおずとたずねた。
「ドクターは、オウバイ御祖母様を、……あ、愛して、らっしゃいますの?」
「ええ! 世界一です! あの方で私の頭はあふれかえってます! あの方無しには生きてはいけません!」
 間髪入れずに返されてしまった。
 エミリは息を飲み、そして、うつむいた。
「そうでしたの。では、……婚約など、解消した方がドクターの御心に添いますのね」
「はい! 実をいうとそうなんです!」
 竹を割ったようにさっぱりきっぱりと答えが返って来た。
「!」
 エミリは目を見開き、「そうですか」とつぶやいて、悲しそうに唇を噛んだ。
「エミリ……」
 中将がエミリを気遣うように見つめる。次に何を言うべきか、逡巡しているようだった。
「エミリ。ドクターからの話を伺うことができましたし、……このあたりで、帰りましょうか?」
 エミリは、うつむいて、何かを飲み込むように喉を鳴らした。
「……はい」
「ちょおっっっと待ちなあっっっっ! 婚約は破棄させやしないよおお!!」
 その時、ここにいる誰のものでもない声が、割って入った。

「!」
 中将はすきの無い表情で、辺りに神経を張り巡らす。
 エミリは、驚いて周囲を見回す。
「誰?」
 しかし、ドクターは、その声を聞いた途端、溶けるような忘我の表情になっていた。
 そんなになるほど魅力的な声ではなかったのに。
「馬鹿だねえ! ジョン! 何が何でもエミリとの婚約は解消しちゃいかんのじゃーよー! そんなことしたら、『領主の財産を食いつぶし、天下の美女オウバイ様が豪遊計画』が、台なしじゃないかっ!」
 再び、声が聞こえた。しわがれた老婆の声が。
「ああ、オウバイ様! 麗しのおばあさま!」
 医師が、へなへなと床に崩れ落ちた。感激による身体の弛緩からくるもののようだ。その上、涙まで流している。
「おばあさま、お会いしとうございました! 前にお会いしたのは、そう2日前! 一日千秋の思いでございました!」
「オウバイさん……」
 エミリの表情が強ばる。
 そして、診察室に、第4の人物が現れた。

「いーっひっひっひ! 村の衆に顔を見せるのは何十年振りかのう? 美女オウバイ様のお出ましじゃあよお!」
 腰がくの字に曲がったしわしわの老婆が、老獪な笑みを浮かべた。どこに美女がいるというのだろうか?
「あなたが、紛争の首謀者のオウバイ老ですか」
 ゼルク・ベルガー中将が、口を開いた。
 オウバイの老顔が彼の方を向く。
「なんだい? 私のファンかい? ウッフーン」
 中将が、怒りの表情になる。
「寝言は寝てから言え」
「ああーオウバイ様! 私以外の者に目をかけては嫌でございますー!」
 ドクターが泣きそうな声を出した。
「うるさいよジョン! 見るんだったら若い男だよ! そんでもって見目形がよけりゃあ言うことないんじゃーい! あんた、いい男だねえーえ? 私の恋人になりたいのかい? うふん、そうなんだ? うふふ、悪いようにはしないよ? うふふ」
「その口、永遠に固めてやろうか?」
「あ、あの中将、落ち着いてください……」
 エミリが彼を気遣う。
 中将は無表情で腰の長剣に手をかけている。彼は、恐らく内心では相当な忍耐を払って数度呼吸を整えた後、再び口を開いた。
「丁度良い所で、お二人が揃ったようだ。これから領主の館でお話しを伺いたいと思うのですが、来ていただけますか?」
 オウバイが、にいいっと笑った。
「あんた、私に命令するのかい?」
「お願いをしているのですが」
 老婆は含みのある笑顔で数度うなずいた。
「なるほどねえ……あんたがあれだね? 今度来た指揮官とやらだね? ふっふふ。紛争のケリを付けるための切り札だっていうじゃないか?」
 中将は静かに笑って首を振った。
「さあ、切り札かどうかは。ただあなたがたの動機を伺わないことには、紛争の性質を見極めようがない」
「いっひっひっひ! たしかにねえ? 謎だらけなんだろう? 理解ができないんだろう? この天下の美女様の心が、さっぱりわからないんだろう? そうだろうねえ。私は神秘的な女じゃからねえ。で、なんで私がわざわざ領主の館に行かなきゃならないんだい? ここだっていいじゃないか」
 忍び寄って来て懐の刃物を突き付けるようなオウバイの言葉に、中将は静かに笑った。
「紛争は村で起こっている。だから村の主の疑問をまず解いていただきたい。ドクターの話によると、あなたは、村のために紛争を起こした様子だ。そして、領主の館の地下牢には、ロイエルがいる。彼女は、あなたとドクターに操られていただけと、自分の潔白を主張している」
「なんじゃとっ!」
 オウバイが仰天した。
「あの我がまま放題の上っ張り(うわっぱり)小娘めえーーー! 今まで好き放題しとったくせして、なんじゃい! わしらの所為とか抜かしよるんか!」
「ええ」
 中将とエミリとが、二人してしっかりと頷いた。
 オウバイは皺だらけの般若のような形相になった。
「うわかった! 頼まれんでも行ってやるわいっ! おのれええ! ロイエルウウウウ! わしゃ一足先に行って、ロイエルをとっちめてやる! ジョン! お前は後から来なっっ!」
 オウバイの姿が、診療室から、フッとかき消えた。
「ああ! オウバイ様ー! 待って下さーい」
 ドクターが大慌てで家の外へと駆け出して行った。
「……行きましょうか」
 中将は、エミリを促した。

 そして、領主の館。
 可憐な少女は、石の上で朝を迎えた。
「……結局、中将とはなんにもありませんでしたわ……」
 苦い表情でため息が漏れる。
「なんてことなの。このわたくしの魅力になびかない殿方がいるなんて」
 何か、効果的な作戦はないかしら。外見とは全く逆の、百戦錬磨の猛者のような抜かりのない思考を、この少女はしている。
「取り敢えず、他の国軍兵士(男)は簡単にたらしこめるからいいんですわ。それで、簡単に情状酌量の根拠は作れますの。だから、もう、私の罪なんて無いも同然。問題は、あの中将ですわ。彼を落とさなければ、私の未来はバラ色にはなりませんの」
 どうすればいいか。あの「エミリ」は、どうやって中将を? 彼女、どういう性格だったかしら? 彼の好みが、彼女のような性格の女だとしたら。
「えっと、くそ真面目で生意気な女……? それも説教好きの。……いやーん、ロイエルにはそんな根性悪なことなんてできなーいっ」
「この根性悪のくそ生意気な小娘! そこにおったかあああ! オウバイ様の怒りを思い知れええ!」
 石牢にて一人悩む可憐な少女に、突然、謎の影が襲いかかった。

「きゃああああああ! なんなんですの! この小汚ないシワくちゃのクソババアは!? いやあんっ! こわいですわ! 中将様ぁ、助けて! 兵士の皆さん方助けて! ロイエル死んじゃうかもー!」
 突然、天井に出現して、座っていたロイエルの上に落ち、怨霊よろしくのしかかって首を締めようとしたオウバイを、なんのためらいも無く蹴り払って、ロイエルはそう叫んだ。
「ぎゃー!」
 けり飛ばされたオウバイが、石の壁にぶち当たって、べちゃっと、ヤモリのような格好でずり落ちる。
「いやああああ! 恐ろしいおばあさんに殺されるわあああ! 誰かっ、誰か、はやく来てえええええっ!」
 ロイエルは、そう悲鳴を上げながら、床にのびたオウバイにフライングニードロップをくらわせた。
「ぎょわっっ!」
 オウバイがつぶれたカエルのような悲鳴を上げる。
「ああーん! 誰か来て! お願いっ、早くうー!」
 そのまま、コブラツイストに持ち込んだ。
「ぐっ、ぐええっ、いた、痛いだよ! 足が『ミシ』ってゆうただよ! ロープロープ!」
「いやああああん!」
 4の字がためが決まった。
「どうしたっ! ロイエル!」
 遠くから、兵士の声と足音とが近づいてくる。
 ロイエルは、脂汗を流しているオウバイから身を離した。そして、牢の隅に座り込む。
「どうしたんだい! ロイエル!」
 若い兵士たちが大量にやってきた。
「ああんっ! 皆さん! ロイエルとっても怖かったわ! なぜって、そこに死んだふりをしているおばあさんが突然、牢の中に現れて、……ロイエルをっ、ロイエルを殺そうとしたの! 一体誰なのこのおばあさん! ロイエル、とってもこわかったわ!」
 牢の隅でうずくまり、真珠のような涙をこぼし、青い顔で脅え、かたかたと震えている、可憐な美少女。そして、牢のどまんなかで、カエルの干物のようにのびている醜怪な老婆。
 兵士らがロイエルの言葉を信じたのは言うまでもない。

 エミリと中将、そして、彼らについてきた兵士らが領主の館にもどったときには、すでにオウバイとドクターは捕らえられていたのだった。
「一体、何が起こった?」
 中将の問いに、館で待機していた兵士が答える。
「あの婆さん、老体に鞭打ってなんとロイエルを始末しに来たんですよ。でもやっぱり年なんですかねえ? 発作か何かを起こして、今、虫の息で、息子の医者から手当を受けています。二人ともあっさり身柄を拘束されました」
 中将はエミリを連れて、オウバイが手当を受けている部屋へと向かった。
「ううーん、ううーん、足が、背中が、顔面が、痛いよおおおお! わしの美貌が……ううーん……」
「ああ御祖母様! 一体どうして! まるで、あり得ない速度で壁にぶち当たって、背中に細い丸太のようなもので鋭い一撃を受けて、とどめに足を変な方向に曲げられたようなケガじゃないですか! 一体何があったんですかあああ!」
 客間のベットの上で脂汗でうんうん唸る老婆と、そのそばでわんわん泣いている医師の姿があった。
「ぐわああ、痛いんじゃよおーー。ううーんうーん。あああーロイエル! ロイエルー……ゆるさん、ゆるさんぞおお!」
「ああ、御祖母様! 一体、誰がーーー!」
 のびていた場所が石牢であることからして、誰がやったかは明らかだった。
「ロイエル……」
 エミリが、渋い顔でつぶやいた。
 中将も苦い顔をしている。
「……まあ、お陰で首都への搬送が楽になったと言えなくも無いが……」
 そして、二人とも、「むごい」と異口同音につぶやいた。

 ケイタムイの紛争は、こうして、かたがついた。
「なんだかよくわからんが、紛争が解決した! いやあ、めでたいっ! さあ皆! 今日は祝いの宴会だー! 無礼講無礼講! どんどん食べて飲んで盛り上がろう! わっはっはっは!」
 領主が上機嫌で宴を開催し、領主の館の庭で、村をあげての大騒ぎとなった。
「ロイエルのお陰と、……言えなくもないですね」
 領主の接待あいさつ責めからようやく解放され、果物を手にした中将のところへ、エミリがやってきた。軟らかい夕焼け空のような優しい色の、さらりとしたドレスがよく似合っている。
「そうかもしれません。こんばんは、エミリ」
「こんばんは、中将」
 中将は国軍の正式な軍服を着ている。
「ドクターをしばらくお借りしますよ。村には、軍から代わりの医師が来ます。あなたはドクターがいなくなり、寂しいでしょうが」
 中将の言葉に、エミリは静かに首を振った。
「はい……。でも、ドクターは、もしかしたら、帰って来られるのかもしれないのでしょう?」
「ええ。あなたがた村の人々が、ドクターに帰って来て欲しいと願うなら。彼は、罪をそれほど犯してはいない」
 ほとんどロイエルが自主的に暗躍したので、彼が出る幕はなかったのだ。
「うれしい……」
 エミリが、野の花がそっと咲くように笑った。
「多分、お父様もお母様も、ドクターとの結婚はお許しにはならないでしょう。ドクターも……私との結婚は望んでいないようです。それなら私はどなたとも結婚はしないつもりです。……もしも、それで、家を出るようなことになったら、……この家には妹がいるから、大丈夫。ドクターも、おそらく領主の娘ではなくなった私とは、結婚を考えないでしょう。……ただ、ドクターが、帰って来てくださることが、私の希望ですわ」
 まだ二十にも届かない少女から、他から聞くとまるで希望の無い言葉が、微笑みと共に漏れた。
「あなたはそれでいいのですか?」
 中将がそう言うと、エミリは、頷いた。
「はい」
 崩れ落ちる城と運命を共にする城主のような、命運を悟ったような表情をしていた。
「あなたには、まだ、長い長い未来がある。エミリ、私が言ったこの言葉を、忘れないでいてもらえますか?」
 エミリは、中将とは違う国の人のように、思いやりをもってうなずいた。
「……はい」

 そして、
 翌朝、ロイエルとオウバイとドクターを連れた中将ら国軍の兵士が、ケイタムイを出立した。
「さよなら中将」
「さよなら、エミリ」


あとがき代わりに、情報処理課のコメント。

情報処理課職員(女性)
「終わった。けど、なんか、……あれっ、それでいいのって感じ。最後に一悶着欲しかったわね」

〃 (男性)
「あっさりさっぱりでしたね。なんだ。エミリとゼルク・ベルガー中将がうまくいくかなあ、などと期待した僕でしたが。国軍の青年幹部が任地先で会った薄幸の少女、それだけで終わったなあ」

〃 (女性)
「実は、中将が領主夫妻にエミリとの婚約を申し込むっていう部分もあったんだけどね、あと、その後の色々……」

〃 (男性)
「消したんですよね。エミリの堅さに気圧された中将が言い出せなくなったという。言い寄れるほど深い交流もなかったし」

  〃 (女性)
「残念だわ。エミリとしては婚約者がいるわけだから、それ以外の男の人と親しくなることを、意識的に避けていたようだしね」

〃 (男性)
「まあ、普通そうですよね。だからこんなもんかなあ……」

ガイガー管理官登場! 
「そうそう。だから、ゼルク君がさらって行く、くらいしないと面白くないわけだよねえ。はっはっは!」

情報管理課職員(男性)
「わあ!? なんで管理官いるんですか!」

ガイガー管理官
コメンテーターとして僕も必要かな、と思ってね」

情報管理課職員(女性)
「結構です(きっぱり)」

ガイガー管理官
「むっはっは! 照れ屋さん。この場合はね、領主婦人がぐわっと出張って来てだねえ『ドクターのことが忘れられないのならば、この屋敷から出て行っておしまい! 』などと言って、エミリを屋敷から追い出し、そこをゼルク君が不憫に思って連れて帰ると。んで、本編とは異なった、触ることもできないもどかしい関係が展開されると。他人の婚約者だからね。そうそうはねえ。ふふ。育ちの良いロイエルくんなんて、本当触われんぞ」

情報管理課職員(男性)
「おお! それはなんだかいいです」

情報管理課職員(女性)
「でも紙面は尽きました」

ガイガー管理官
「待て次号!」

情報管理課職員(女性)
「次回のIFは別の企画です。(きっぱり)」

ガイガー管理官
「……ケチ」

おしまい。

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