万の物語/十二万ヒット目/十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


15

「ギャアア! 熱ッッ!」
 午後、海の見える丘の上の小さな家に、悲鳴が響いた。
「うわぁ、卯月ちゃん、大丈夫? 卯月ちゃん、」
 熱せられたフライパンの金属部分を気軽に素手で触れた卯月が、ヤケドをしたところだった。
「駄目だよ。この取っ手のとこ以外は触っちゃ駄目なんだよ。どうしよう、卯月ちゃんが、卯月ちゃんが、」
 マサヤは、少女の負傷に驚き戸惑って半泣きになった。そのがっしりした青年の左隣に小さな影のようにぴったりと寄り添うサヨが、少し眉をひそめて、弟の二の腕の肉をぎゅっとつねった。
「キャッ、痛い!? ねねね、姉さん、何?」
 自分の痛みに涙をこぼしたマサヤは、姉に耳を貸す。
「わぁん、姉さん。うん、わかったよ。卯月ちゃんの手当てだね?」
「手当てせんでいいからッ! 次! 次どうすんのか教えてくれよマサヤァ!」
 しかし卯月本人が力強く断った。
「でで、でも、でも、その左手真っ赤だよう。駄目だよ、冷やそうよぅ」
 おろおろするマサヤに、卯月自身が喝を入れる。
「しっかりしろよマサヤッ! いいから次いくぞッ! ホットケーキの種とかいうの、コレ、フライパンに入れたらいいのか?」
「あ……、えっと、ちょっと熱しすぎみたいだから、とりあえずフライパンをこっちの濡れぶきんの上に置いてみてって……あああああ!」
 マサヤが悲鳴を上げた。
 卯月が「よしッ!」と、また素手で気軽にフライパンをわしづかんでいたからだった。
「熱ッ!?」
「きゃー! 卯月ちゃんッ! うわぁん痛いよ姉さん!?」
 みっともない騒ぎの間でも、心地よい潮風は吹きぬけていく。

「ただいまー。卯月ちゃん来てるのね? 今日のおやつは、」
 学校から帰ってきたミマが、ニコニコ笑いながら食堂にひょいと顔を出した。
「どうしたの!?」
 そして驚いた。
「よう、ミマ」
 卯月がご機嫌で手を振った。
「今日もお邪魔してるぜ」
 両手とも包帯でぐるぐる巻きになっていた。真っ赤なしみがところどころにじんでいる。
「うわあああん、ミマちゃあん」
 兄のマサヤが、泣きながらミマのところに歩み寄ってきた。彼の左隣には、弟の二の腕をつねったままのサヨがくっついている。
「卯月ちゃんが、卯月ちゃんが、怪我とヤケドをしたんだよぅ!」
 兄の情けない迫力に押されて、妹は頬を引きつらせて一歩下がった。
「なんで兄さんが泣くの?」
「うわーん。だって、だってひどいんだよ、」
 マサヤが左隣を指さした。
「姉さんが、僕をつねったまま放さないんだよう。『泣くなこの軟弱者!』とか言って、僕をいじめるんだよう」
「……」
 激しく泣きじゃくっている兄に、ミマはなんと答えればいいものかわからなくなった。とりあえず姉を見た。
 姉は凶悪な形相をして、弟を睨みつけていた。
 妹にはわかった。姉さんは、今は口が利けないけど「ミマにバラすんじゃねえよこの腐れマサヤが」って、言いたいんだわ、と。そして、「兄さんも兄さんだし、姉さんも姉さんだわ……」と、めまいをおぼえた。
「なあミマ。俺な、マサヤからホットケーキとサラダの作り方習ったんだ。これでウヅキが厚いやつ作れるようにしてやるんだ」
 一番酷いことになっている卯月が、それは嬉しそうに話しかけてきた。
 困った性格の兄姉の件は捨て置くことにして、ミマは、ご機嫌な友達に笑いかけた。
「へえ。よかったね卯月。……で、手がそんなになったっていう訳なんだ」
「そう。へへへッ。やっちまった!」
 嬉しそうだ。なんて嬉しそうなんだろう。
 ひまわりみたいに笑ってる。
 だから、ミマは、聞いてみたくなった。
「卯月はウヅキ君のことが好きなんだね?」
「おう」
 さらっと返事がかえってきた。小気味よい。
「ウヅキは俺に部屋も貸してくれたし、うまいもん食べさしてくれるし」
「あ、なるほど。それは強力な理由ね」
 感心するミマに、卯月は一層強くうなずいた。
「おう!」
 涙を拭き拭き、マサヤが「それじゃ、ミマちゃんも帰ってきたことだし、皆で食べようか」と言った。
 ミマは姉にそっと目をやった。
 姉は、弟の左腕を握って、こくりとうなずいた。
 ……ああ、姉さん、よかった。
 ミマは嬉しくなった。兄を見ると、彼も姉を見下ろしてひどく嬉しそうに笑っていた。

 今日は、一緒に食べられた。
 サヨは喜んでいた。
 弟の腕に隠れて、食堂を見回す。
 お客様の卯月ちゃん。
 妹のミマちゃん。
 そして、……マサヤ。
 あんなにつねってやったのに、こいつときたら、嫌な顔一つしないで、私を腕に掴まらせてる。ほんとにバカなんだから。
 こいつ、これからもずっと、「泣き虫マサヤ」のまんまなんだろうなあ。
 これからもずっと。
 私のために。
 ……可哀想なマサヤ。
「どうしたの? 姉さん」
 視線に気づいたバカマサヤが、にこにこ笑って私を見た。
「おかわりいる?」
 そうじゃねえよ。いらねえよ。
「あれ。姉さん、髪の毛にホットケーキのかけらがついてるよ。なんで?」
 そりゃお前が取り分ける時に、俺がつままねえかビビッて飛ばしたクズだろうが。お前が責任持って取れ。
「姉さん可愛い」
 撫でるな。
 ……グズマサヤ。泣きたくなるじゃねえか。


←戻る次へ→

万の物語 作品紹介へ inserted by FC2 system