万の物語/十二万ヒット目/十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


18

 1時間近くが経過した。
「うっ、……うぅっ、」
 浴室の脱衣場には、頭の先から脚の先までぴっかぴかに洗い上げられた卯月が、床に敷いたバスタオル2枚の上に転がされて泣きじゃくっていた。
「痛てえよぅ、すり切れたよぅ、カラダ溶けたよう、……うっ、うっ、」
「うるさいわッ! これが世間一般で言う『入浴』ってもんなんだよ!? 恨むんならお前の非常識を恨むんだな卯月ィッ!」
 悪役よろしく粗野な言葉を叩きつけたミマの母は、お湯と泡まみれになっていた。
「オラ卯月、ミマが着替え用意してるから、体拭いてそれに着替えろや! 俺はこれから風呂掃除して、そんで一ッ風呂浴びてくっからよォ!」
 ガラビシャッ、と、勢い良く浴室の扉が閉められた。
「うッく……ひッく……」
 涙を手でぬぐいながら、卯月は体を拭いた。お湯の熱さと、汚れを落とす布の摩擦とで、皮膚が真っ赤になっている。ちなみに包帯が巻かれた両手は災禍を免れていた。
「なんか、体が軽いよう。溶けてるこれ。ていうか、削られてるこれ」
「軽くなったのは、きっと汚れが沢山落ちたからでしょ?」
「……へ?」
 見上げると、ミマが腕組みをして立ち、卯月を見下ろしていた。
 頭に顔を近づけて、すう、と、臭いをかぐ。
「そう。これ。これが、この街における平均的な生活習慣をもつ人間の普通の風呂上りの香りだわ。よし。母さんよくやった」
 浴室で豪快に風呂掃除をしている母の影を見ながらうなずくミマを、卯月は不機嫌に睨んだ。
「何言ってんだお前?」
「『臭くない』って言ったの」
「ふんだ。……絶対、これ、どっか溶けてるよ。俺もう駄目なんだよ。ふんだ」
 ぐずる卯月にミマは呆れた。
「だから溶けてないわよ。ほら、体ふきなさい。頭はふいたげるから」
「ううう」
 ミマにタオルで髪を拭かれ、頭をぐらぐら揺らされながら、卯月は座り込んだまま、バスタオルで体を拭いた。
「……これで、ウヅキ、一緒に寝てくれるかなあ?」
 小さなつぶやきを聞き漏らさなかったミマは、耳を疑った。
「なんですって?」
 それまで、まるで愛玩動物の世話をするように、わしわしと頭を拭いてやっていたミマだったが、手を止めて、床の上に膝をつき、年下の女の子を見つめた。
「今、なんて言った? 卯月」
「これならウヅキ一緒に寝てくれるかなあ」
「はぁ!?」
 ほら着て、と、下着を押し付けながら、ミマは聞き加えた。
「なんでウヅキ君と一緒に寝るの?」
「これどうやって着るんだ?」
「なんで着たことないの?」
「パンツは履いた事ある」
「そっちは当たり前でしょ。まったく。両手をこことここに通して、後ろ向いて。留めたげるから」
「何だこれ」
「知らないのにびっくりだわ。後で説明するから、今は私の質問に答えなさい。何、その『一緒に寝る』っていうのは?」
 ミマの中では、ウヅキに対する印象が岐路に差し掛かっていた。
 卯月は着たことの無い下着に、ミマの言うとおりに手を通しながら、答えた。
「えっとな。ゆうべ寝てたら機動部の怖いオッサン部長が部屋に来て、俺のこと宙ぶらりんにしたの」
「どうしてそんなことになったのよ?」
「わかんねーけど。寝てたらオッサンが来てて宙ぶらりんにされてたんだよ」
 卯月は身震いした。まだ体から湯気が上がっているので、少なくとも湯冷めしたわけではない。
「そんで、俺、怖くてギャーギャーわめいてたら、ウヅキが助けてくれて、オッサン帰った。えーっと、怖かったから、土下座して頼んで、ウヅキと一緒に寝てもらった」
「そう。何で機動部長さんが来るのかよくわかんないけど。ウヅキ君がどうこうって訳じゃないんだ。そこがわかったからいいわ。」
 ミマの中でのウヅキの印象は、これで悪化の危機を免れた。
「つまり、卯月ちゃんは、機動部長さんが怖いんだ?」
 ビッと、電撃でも受けたように卯月が身震いした。
「なんで聞くんだよ!? こええよ! 当たり前だろ!?」
「まあ、見た目はそりゃ怖いけどね」
 おっとりうなずくミマに、少女は熱く返す。
「見た目どころじゃねえよ!? 力いっぱい怖いんだよ! うぁあ、もうこの話は止めよう! なッ? やめよ!?」
「そんなに怖いんだ。うん、わかった。やめやめ。ほら、今度はこれ着て」
 ミマとしてはウヅキの印象がさえ悪化しなければそれでいい。別に部長さんのことはどうでもいい。だから未練なく話題を変える。
 卯月は、差し出されたキャミソールを見て、首を傾げた。
「これも下着か?」
「そうよ?」
 レースと刺繍が繊細に施されたそれに、卯月の顔がほころんだ。「わあ。これ着んのか?」
「そうよ。両手上げて、」
「わー」
 卯月がうきうきと手を上げて着せ付けてもらう。
「ひらひらだー」
「こんなの着たことない?」
「ねえよ。うわー」
 立ち上がって、体をゆすって、嬉しそうにしている。
「次、服ね。下着でこんなに喜んでもらえるとは、じゃ、これも喜んでもらえるかな? ワンピースです」
「おおおお! すっげ!」
 一々歓声が上がるので、ミマは可笑しくて嬉しかった。
「なんか喜ばれ過ぎて照れるなあ。私のお下がりだけど、もらってね? 卯月の髪の毛茶色だから、橙色のを選んでみました」
「くれんのか?!」
「うん。もう私には入らないの。よかったらどうぞ着てね。まだあるからね?」
「うッはー!」
「うわ、卯月、興奮して鼻血吹かないでよ?」
「うはー! おほー!」
 ミマは、はしゃぎまくる子馬をいなすような心地で、服を着せ付けてやった。興奮のあまりに跳ねた足で蹴られるんじゃないかしら、と、用心した。

「よし。だいたいできた。髪の毛も乾かしたし!」
「わー! ありがとな! ミマ!」
 脱衣場で二人が盛り上がっていると、浴槽の引き戸が開いた。
「あー、昼間ッからさっぱりしたぁ!」
 ミマの母がバスローブを着て出てきた。
「うぁッ! おばちゃん!」
 先ほど「入浴指導」をされて泣かされた卯月は、声を上げて驚き、「お帰りなさい! おつとめご苦労様です!」と訳のわからない出迎え方をして頭を下げた。
 それに悪乗りして、ミマの母はゆったりと片手をあげて、「おう。出迎えご苦労」と威厳に満ちた低い声で答えた。
「卯月ちゃん。おばちゃんが教えたこと、今後しっかりと守るようにね? 肝に銘じるのよ。ぅわかった?」
「ハイッ!」
 卯月が裏返った声で返事をした。よほど骨身にしみる洗身だったらしい。
「うむ、よろしい。はー外は涼しいわ」
 厳かにうなずくと、入浴教師は重々しい足取りで去っていった。
「……うちの母さんって、あんな男前だったけ?」
 ミマは首をひねったが「まあいいわ」と頭を切り替えて、卯月に視線を戻した。そして、リボンを片手ににこっと笑った。
「どうせだから、髪の毛も結ったげる! せっかく長いんだし!」


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