万の物語/十二万ヒット目/十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


20

 台所の火の前で、卯月がウヅキに料理指導をする。
「えっとな! マサヤが言うには『弱火でゆーっくり焼いてあげればよく膨らむんだよ!』だそうだ! ほんとにふくらんでたんだぞ! さあ、やるんだウヅキ!」
「……ほんとか?」
「やるんだウヅキ!」
「……」
 たったそれだけでうまくいくはずがない、と、半信半疑ながらも、卯月の両手の惨状と、マサヤの料理の腕を考えて、ウヅキはひとまず言うことを聞いた。
 いつもは、フライパンに種を落として、中火でとりあえず両面焼き色を着けてから、弱火にして中に火を通していたのだ。
「いいか! まずフライパンをあっためて、油を入れて、そんでフライパンを濡れたフキンの上で『ジュッ』ってして覚まして、弱火にして種を入れるんだ!」
「わかった」
 言われたとおりにして、種を流しいれた。
「それじゃ! 俺がいいって言うまでゼッタイひっくり返すなよ! ここゼッタイだぞ! いいかウヅキ!」
 卯月は妙に気合が入っている。
「わかった」
 ウヅキは応じて、しばらくは無言で待った。
 しかし、いつもならひっくり返す頃合が来ると、落ち着かなくなる。
「……まだなのか?」
「まだだ!」
 さらに待つ。種の表面にプツプツと穴が開いてきた。
 ウヅキはそわそわしてきた。
「いくらなんでも、……もう、いいんじゃないのか?」
「まだーッ! 待てと言ってるだろうがウヅキィ!」
 叱られた。まるで躾けられているようだ。
 さらにさらに待つ。種全体がプツプツした穴だらけになり、さらに表面がちょっと乾いてきた。
「今ーッ! いまひっくり返す!」
 卯月が、さながら剣術の試合の見切りのごとくに鋭い声を上げた。
「やっとか……」
 これでは、パサパサに乾燥したものができるのではないか、と疑いながら、とりあえずひっくり返した。
 きつね色に焼かれた面が現れて、ウヅキは「お」と思った。
 思わず、種をフライパン返しでぎゅっと押さえつけそうになる。
「だめーッ! さわっちゃだめッ!」
「!」
 驚いて引っ込めた。
「怒ることか?」
「ああそうだ!」
 首を大きく振って力説された。
「そうなのか?」
「そう! 何もせずに待つんだウヅキィ!」
 熱く命令された。
「……」
 うんざりした。しかし言うことは聞かなければならない。
 やがて。
「!」
 ウヅキが目を見開いた。
「膨らんできた」
「だろ!?」
 卯月が嬉しそうにうなずいた。
「こっからどんどんむくむく膨らんでくるんだ!」
「……」
 思わずフライパン返しを使いそうになるウヅキに、卯月が「まだだめだーッ!」と叱り付けた。
「膨らみ終わるまでいじっちゃだめだッ!」
「まだなのか」
 フライパン返しで抑えたりひっくり返したくなる衝動と闘っているウヅキの目前で、ホットケーキは膨らんでいく。未だ見たことのない厚さへと。
「……これだ」
 ウヅキの顔がほころんだ。
「さっき卯月が言ったとおりだ。本当に、私が作ってきたものの三枚分、いやそれ以上はある。すごい。本で見た通りのだ」
「だろ!? でもまだだぞ!」
 ようやくウヅキは待つのが苦痛ではなくなった。
 やがて。卯月が言った。
「よし! もういいぞッ! 皿に移して!」
「ああ!」
 卯月の勢いがやや移った様子で、青年はホットケーキをフライパンから真っ白な丸皿に移した。
「できあがりー! どうだウヅキ!? 厚いだろ!? な!?」
 喜びはしゃぐ卯月の頭を、ウヅキは思わず撫でた。
「本当だ。すごいな卯月!」
「うひゃー!」
 撫でられたのが嬉しかったらしく、少女は歓声をあげた。
「食べてみろ、食べてみろよッ! すっげ、ふかふかでおいしいから!」
「じゃ、半分ずつしよう、」
 ウヅキの申し出を、卯月は「何言ってんだよ!?」と拒否した。
「いいからお前全部食えって! うまいぞー?」

 夕食は、朝食と似たような献立になった。ホットケーキと野菜サラダと魚の蒸し焼き。
 だがホットケーキが革命的に違った。
「感動した」
 食べ終わって、ウヅキがつぶやいた。
「こんなに厚くふっくらとできるとは。マサヤさんにお礼を言わなければ」
「そうだろ?」
 卯月がしみじみとうなずく。
「マサヤはなあ、実はすげえんだよ。だけど、マサヤには自信が足りないんだ。『そんなぁ、こんなの大したことないよぅ』とか言うんだよ。そうじゃないだろっての。それがもったいねえところだよ。アイツ、自分が天才だって知らないんだよなあ」
 まるで人事評価をする管理職のようなことを言う。
「そうか」
「そうなんだよ」
 肯定する卯月に、ウヅキは感心した。
「ますます尊敬する」
「おいおい、そりゃちょっとマサヤを褒めすぎだろ?」
「謙虚は美徳だ」
 青年の断言は、少女には響かなかった。
「え? なんて? むずかしいこというな。わけわかんね」
「……そうか? ところで、お前、よくその手で平気で食べられるな?」
 卯月の両手首から先が包帯でぐるぐる巻きにされてるのを見て、改めて聞いた。
「食えるよ。だってミマがちゃんと指別々に包帯で巻いてくれたし」
 卯月は怪訝な顔で答えた。どうしてそんなことをあえて聞かれるのかわからないといった様子で。
「そうじゃなくて。痛くないのか?」
「いてえよ。でもそれとこれとは別だろ?」
「そんなはずは、……別なのか?」
「別だ。決まってるだろ」
 力強く言い切られた。
 そして失笑された。
「お前なぁ。ウヅキ、手が痛い何が痛いって言ってて食えなくちゃおしまいだろ? そんなんじゃ野垂れ死にだぞ」
「!」
 言われて今更思い出した。そうかこいつ野良だった、と。
「すまんな。卯月にはそうだよな」
「俺にはじゃねーよ。あ、アタシな。アタシだけじゃなくてみんなそうなの!」
 きりっと凛々しく言う卯月を、ウヅキは、少しだけ、かっこいいなと思った。
「なるほどな」


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