万の物語/十二万ヒット目/十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


25

 深夜。夜の底。
「あふぅん、夜のオシゴトが思いのほか長引いちゃったわァン、」
 卯月の部屋の片隅に生まれたあくび混じりの声には、不必要な秘めやかさがあった。
「明日も早いのにん、……ああふ、」
「あー、クソ、眠ィ、」
 しかし、次に聞こえてきたのは、この時刻に聞くには不釣合いな幼いものだった。
「まァ、部下のタメだからよォ。俺って、やっぱりイイ上司だよなァ。て、ことで、よいしょっと」

 卯月は夢を見ていた。
 密林を歩く夢だった。
 変な生き物がいっぱいいた。
 ここが、ウヅキが教えてくれたコウチなんだと思った。
 ウヅキは居ない。
 よし、ウヅキへのみやげに、珍しい虫とか採って帰ろう。いつも世話になってるからな。
 卯月は、手当たり次第に採った。どれもこれも逃げずにぼんやり捕まえられた。こんなトロ臭い生き物、俺、じゃなくてアタシが生きてる街なら、あっという間に皆殺しになってるな、と思いながら。羽の生えたヘビ、二本足のカマキリ、真っ赤なカエル、人の言葉をしゃべるトカゲ。
 すると、トカゲが卯月に話しかけてきた。生意気そうな子供の声だった。
「オイ、起きろ卯月」
「なんで俺の名前知ってんだお前」
「おきろってば。俺が眠いのに寝るなクソガキ」
「起きてるだろ? 何言ってんだこのトカゲ」
 そこに、色っぽい蝶が飛んできた。それも話しかけてきた。
「アハン、卯月ちゃんったらー。寝るときは取らなきゃ苦しいわよ?」
 桃色の蝶は、卯月の周りをぐるぐる飛んだ。
 胸が楽になった。
「なんか知らねえけど、ありがと」
 一応礼を言ってみた。
「ウフン。それにしても、よぉーく眠ってるわねーェ。そおだ。イタズラしちゃおッかしらァ?」
「寝てねえよ。お前らそろって面白いな。あ、わかった、ここらじゃ起きてるのを「寝てる」って言うんだろ? さすが変な場所だなあ。すげえや。お前らおみやげ決定」
 卯月がむしろ感心していると、ちょうちょは「おはようのチュ」と言って、ほっぺたにとまった。
「やめろよ舐めんなよ、くすぐったいってば、」
「卯月ちゃァん、起きて、」
 蝶はほっぺたにとまったまま話しかける。
「やめろってば、あはは、くすぐったい、」
「起きないとォ、ウヅキ君が怒るようなコト、しちゃうからァ、」
「あははははは!」
「やだもう、この子ったら笑ってるクセに起きない。うふぅん。……ホントに、イタズラしちゃおっかなあ。アタシも、ちょっと頑張ればオウジサマ的な感じにバケられるし、」
「あははははははッ!」

 笑いながら目が覚めた。
「ハハハハハ……って、」
 真っ暗な部屋。
 腹のあたりが苦しい。なんか載っている。
「オイ」
 クソ生意気な子供の声が、すぐそばから降ってきた。
「……なんだ?」
 すぐそこに、うねった黒髪があって、黒い目があった。よく知っている、いじめ甲斐のある奴のものだった。
「なんだお前、セイシェル! クソチビ!」
 飛び起きようと思ったが、うまくいかない。
 卯月の腹の上に、セイシェル懲罰執行部長が正座をしており、見下ろしていたのだ。
「どけチビ! 重いぞクソチビ! どけよ、うんこセイシェル!」
 捕獲された昆虫のようにもがく卯月を、男の子はせせら笑った。
「ひゃははは、どうだ、重いだろ。わざと重くしてやってんだぞ?」
 だが苦しいにもかかわらず、卯月は鼻で笑って返す。
「へッ、ウソつけチビ。デブって重いんだろチビ! デーブ! デブチビ!」
「んだとッ!? ふくよかなおぼっちゃまと言えッ!」
「デブデーブ! お菓子食いすぎデーブ! ウヅキから聞いてるぞ菓子食いすぎなんだよ! だからデブるんだよデブ!」
「ウヅキ畜生ッ、このクソガキ! 寝てた時はなかなか可愛かったのに起きたとたん憎ったらしいったらないぜ! おいガキ、最後通告だ、『ふくよかで愛らしいおぼっちゃま』と言い直せッ! そしたらおとなしく帰ってやるよ! こっちも眠くてしかたねェんだからなッ!」
「ふざけんな。その前にどけ。誰が俺の上に座れって頼んだよ? 帰れ。さっさと帰れ、走って帰ってやせろクソデブチビ」
「よしわかった」
 姿が消えた。
「……。なんだ、チビもなかなかオリコウさんになったな。よしよし、」
 卯月は、あっけなさに拍子抜けしたが、前向きな気持ちで寝なおすことにした。
「寝よっ」

「んなわけないよねェ、卯月チャン?」

「!」
 卯月は飛び起きる。
 聞こえてきたのは、とても低い男の声だった。
 体中から冷や汗が生まれた。
「……どこだ?」
 枕を強く抱いて、卯月はきょろきょろとあたりを見回す。見えない。何も居ない。
「どこだよ?」
 見えない。何も見えない。居ない方がいいのだが、居るに違いないのだ。
「おい? 居るんだろオッサン、」
 枕を抱くというよりも、しがみつく格好になって、少女はおろおろと探した。
「オッサ
「誰がオッサンだァ!?」
 目の前にヒゲ面の岩のような男が現れた。
「ギャアアアアア!」
 卯月は飛び上がって驚いた。枕は手放さなかった。
「うわーオッサン!? うわあうわああ!?」
「オッサンオッサン連呼するなッ! どこまでも失礼だねえ卯月チャーン?」
 枕にすがりつく卯月の両腕を掴んで持ち上げ、セイシェル機動部長は「せいやーッ!」と天井に放り上げた。
「ギャアアアアッ!」
 落ちてきたところを軽々と受け止めて、涙まみれになってガタガタ震えている少女にニヤリと笑いかける。
「独りで寝るのが悪いんだよー卯月チャーン。どしてウヅキ君と寝なかッたのォ? そしたら助けてもらえたのにぃ。んんー?」
「近寄るな怖いから近寄るなぁッ! うっせえオッサン! 頼んだけどウヅキ一緒に寝てくれないんだもんッ! ウヅキのバカーッ!」
「ほうほう。ところで卯月チャン、すっかり可愛くなっちゃったねエ」
 強面豪腕部長は感心するついでに卯月の頭のにおいを嗅いだ。
「オーいい匂い」
「離せオッサン! 怖いから離せよォ!」
「オッサンって言うな卯月チャン! 俺のことは、」
「なんだよ?」
「……」
 部長は妙な沈黙を作った。
「俺の、ことは、」
 そして、コフン、と、体格に見合わぬ控えめな咳払いをした。
「ああ、ゴホンエフン。俺のことは、お、おにいちゃん、て言え! 『セイシェルおにーィちゃん』て!」
 妙に照れた口調だった。
「は? なんで? 無理」
 正直に思ったことを答えた卯月は、愚かにもセイシェルの機嫌を損ねた。
「おいッ!? 無理ってなんだよう! 年上だから、お、お、『おニーイちゃん』でいいだろうがよ!」
「いや無理」
「うおおんッ!」
 セイシェルがこの外見で泣き出した。
「卯月のバカぁあッ! オッサンのささやかな願いくらい、かなえろよバカァアッ! かなえてくれたら今夜はおとなしく帰って寝よって思っていたのにィ! 眠いのにィイ」
「だって無理だろ。オッサンに『お兄ちゃん』はどう考えても不自然だろ。いいからさっさと帰って寝ろよ」
「バカーッ! オッサン相手にでも、例えば兄弟だったら『おニイちゃん』て言えるだろバカー!」
「オッサンは俺の兄キじゃねえもん。だから当然無理」
「うわあんッ! もういいもんッ! 怖がらせ再開するもんッ! そいやーッ!」
 泣きながら、機動部長は少女を天井に放り投げた。
「ギャー!?」


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