万の物語/十二万ヒット目/十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


30

「くあぁ、よく寝たぁあ」
 目を覚ました懲罰執行部長があくびをしたのは、昼前だった。
「おはようございます、部長」
 上司を見もせずに挨拶して、ウヅキは黙々と本の修繕をしている。頁が一枚抜けているものがあったので、題名を確認したら、以前、部長が投げて背表紙を傷つけた「カンヌキバカ」だった。そういうこともあって、いつもよりもさらにウヅキには愛想が無い。
「お前、ひょっとして、朝からずっとそれやってんの?」
「そうですよ。それが何か?」
 ようやく部下は顔を上げて、セイシェル部長を見た。そして眉を寄せた。
「よだれと寝癖がひどいです。鏡見てください」
「そりゃ寝てたんだから仕方ねえだろ」
「じゃあ、そのままでいいんじゃないですか?」
 ウヅキの視線は再び本に戻された。
 寝起きのセイシェルがさらに不機嫌になった。
「冷てえなァ、お前。もっと、お母さん的な優しさはないのか? よだれを拭いてくれるとか、髪を整えてくれるとかさァ」
「少なくとも貴方の母親ではありませんから、無理です」
「てめ、よだれつけるぞコラ」
「その前に、どうしてよだれ出るんですか? 生きてないですよね?」
「そりゃー、寝てたんだから仕方ないことなんだよ」
「じゃあそのままでいいんじゃないですか?」
「面白くない。お前は全然面白くない。なんでそういうときだけ悪い意味で従順なの?」
「面白くしようなんて思ってませんから。……できた」
「てめ、尊敬する上司との語らいの間にも本いじくってるとはどういうことだ!?」
「仕事熱心なものですから」
 ウヅキは、修繕し終わった本を棚に戻しに行った。
「かわいくねえ、コイツかわいくねェ」
 部長は椅子から飛び降りた。
「つまんねえから、化けて貢物取りに行こっと。昼メシとかお菓子とか」
「部長、さっそくさぼらないでください。この前投げた本のことですけど、」
 さすがにたしなめようかと振り返った時には、もう小さな彼の姿はなかった。
 
「ナニか新しい動きはあったァ? アンタタチ」
 生活安全部長が勢いよく入ってきた。
「姐さん、お帰りなさいませ。あいにく何も、」
 椅子に腰掛けて事務処理をしていた者も、立って協議していた者たちも、上司の登場に床に座して拝礼した。
「お帰りなさいませッ!」
「たッだいまァん。オンナノコ大量誘拐事件の次は、オネエチャン拉致そして不当雇用事件。皆、スキよねえ。オトコノコとかオニイィーチャンとかも誘拐すればイイのにねェ」
 あはァん、というため息をつく上司に、部下の一人が顔を上げて申し上げた。
「オトコ誘拐しても面白くないからだと思いますッ!」
 もう一人顔を上げた。
「オトコの需要なんて無いも同然ですからッ!」
「うぅーん。そうよねえ」
 しみじみとうなずきながら、セイシェル部長は土下座する部下たちの間をゆったり歩いていく。一番奥にある自分の席に着くために。
「まァ、オンナノコちゃんの方が、イロゴト市場価値断然上なんだけどォ」
 上司という名の女王様がそばを通り過ぎるたびに、部下という名の下僕共は一生懸命顔を傾けて、下着しかつけていないけれど上着に隠されて絶妙に見えない脚のその上を眺める。なんともいじましい。たまに、無理な首の動きをしすぎたために、筋を違えて「ぐうッ」と声を漏らす者もいる。
「夜の酒場で恋人とケンカ別れしたオネエチャンとかァ、独り酒ェのオネーェチャンとかァ。ホントに、どうやって拉致するのかしらねぇ? それもたっくさん」
 すとんと椅子に腰を下ろして、見事に組まれた脚線美を、机の上に載せて見せつける。
 と、くびれた腹部から「ぐうう」という音が響いた。
「やん」
 セイシェルは肩をすくめ、ついでに胸も揺らした。
「アタシ、朝から何にも食べてなかったわ。……アンタタチ、何か持ってる?」
「ございますともッ!」
 下僕達は一斉に両手を上げた。弁当や菓子を捧げ持っている。
「姐さんの為にッ、手作りして参りましたッ!」
「手作り……? アンタタチ、」
 お色気部長の瞳から、光るものが落ちた。
「あああ姐さん!?」
 上司の涙に、部下の男どもは動揺して腰を浮かす。土下座している場合ではない。
「どうなすッたんですか!?」
「お加減でも!?」
「あはァん、」
 セイシェルは、どうしてそこまでというほどに艶のあるため息をつくと、机の上に君臨していた両足をするりと床に下ろした。
「手作りだなんて……、アタシ、アンタタチの愛の深さに……はァん、」
 官庁の席に着くにはあるまじきいでたちの生活安全部長は、ふるりと身悶えすると、「溺れちゃいそうだわ」と漏らした。
 桃色の電撃に打たれたかのように、セイシェルの部下たちは一斉に立ち上がった。
「! お、溺れてくださいッ!」
「いや、飛び込んで来て下さいッ! 姐さん!」
「俺の胸でよければいつでもッ!」
 ふらふらと、熱に浮かされた蛾が夜の灯りに惹きつけられるようにして、下僕達は上司に近寄って、彼女の机に貢物の弁当や菓子を載せ、感涙する上司を取り囲む。
「俺たちはッ、姐さんを包む海になりたいですッ!」
「ああん、アンタタチ、好き好きィ!」
 
「見ろよウンコウヅキ。どうだよコレ?」
 生活安全部の下僕職員から供された弁当やら菓子を山と抱えて、懲罰執行部長が戻ってきた。
「上の奴らって、お前とは大違いだよなァ、ほんとに天地の差」
 ふん、と、鼻を鳴らす子供部長に、ウヅキは視線も返さずに答えた。せっせと本の修繕に励んでいる。
「そうでしょう。部長はここに降りてこなくて結構なんですよ。当分の間は上に居てください。ここに貴方の仕事はありません」
「部下としての態度を学習する気もないときたもんだ。ああぁ、俺の部下って最ッッ低」
「ええそうですよ。どうぞ4階の生活安全部にお上がりください」
「なんで素直なの? ねえ、何で素直なの? 『そうじゃないです。俺は、本当はあなたの命令を何でも聞く奴隷部下です』って言い返すべきところなのに、何で素直にウンコ部下だと認めるの? 俺にはお前がわからない。本当にわからない。意味不明」
「その通りです。到底理解できないと思います」
「お前今馬鹿にしただろ?! 俺のこと馬鹿って思ってるだろ!」
「貴方がそう思うならそうなんでしょうね。否定はしません。部下ですから」
「何でウヅキ君は悪い意味で素直なの? そしてすごく悪い意味でウンコ部下なの? ねえ俺の目を見る気ないの?」
「無いです。どうぞ生活安全部に行ってください」
「そぉなのよ、行ってきた結果、ここに降りて来ざるを得なかったのよ。どうしてだかわかる? ウヅキクン」
 男の子が、女に変わった。
「生活安全部長……」
 ウヅキは心から嫌そうに顔をしかめた。
「帰って下さい」
「あはん。やっとアタシのこと見てくれたわね?」
 セイシェルは、嫌悪されたことが嬉しいらしく、にこりと笑った。
「ウヅキクンのその顔、実は好きなの」
 加虐嗜好なのか被虐嗜好なのかよくわからない。
「アタシだって、自分の部ぅのオシゴトに戻りたいの。でも、ウヅキクンの所為で、愛する下僕達を置いてまでココに来てアゲタのよ。わかるかしら? アタシの気持ちが」
「わかりません。部長はお気遣いいただかなくて結構ですよ」
「怒ってるってイってるのよ?」
 すっと、それまで豊満な胸の下で組まれていた白い腕が動いて、ウヅキの顎を捕まえた。
「コッチ見なさい、ウヅキ」
 無理やり顔を上げさせられて、生活安全部長と対面する。
「卯月チャンは、本以下なの?」
「え?」
 部長の目が細められた。
「この前、懲罰執行アタシに言ってたわよね、ウヅキクン。『本を投げ散らかさないでください。一体なんだと思ってるんですか? ちゃんとしたところに保管しないと、傷つきます』って」
 どうしてそんなことを今更一々確認するのか不思議に思いながらも、ウヅキはうなずいた。
「ええ」
「ここにある本は『人のタマシイ』。だから、大切にしたいんでしょ?」
「当然です」
「ふうん」
 セイシェルは目を細めて、冷たく笑った。
「アタシは、ここにあるくっだらないニンゲンのタマシイなんか、焼いて捨てちゃえと思ってるけど。アタシにとっては大したことじゃ無いもの」
「なんてことを言うんですか」
「卯月チャンの話に戻すって言ってるのん」
 生活安全部長が詰め寄った。
「うちの下僕がね、今しがた戻ってきて報告してくれたのよ。卯月ちゃんたら一人でイヤァンなお店の辺りを歩いてたって」
「それは」
 なにを今更、と思いながら、ウヅキは答えた。
「ひまわりの会の早朝奉仕でしょう。あの辺りを清掃してますから。……ちょっと、やめてください」
 ウヅキの右頬を、部長の左指がぎゅっとつまんだ。
「お馬鹿ちゃん。そんなの生活安全部長してるアタシの方が、よぉく知ってるわよん。お掃除が終わった後に、独りで歩いていたって話をしてるの。危なく、変なオジチャンタチに連れて行かれるトコだったんだから」
 少女の家主は苦笑した。
「あいつが、そんなヘマするはずないです」
「なぁにイッてるの?」
 つねり方がきつくなった。
「あんなちっちゃくて軽い女の子捕まえるくらい簡単よォ。しかも両手に怪我でしょ? ウヅキクンはぁ、卯月ちゃんのコト、一体何だと思ってるの?」
 質問の答えはすぐだった。
「居候です。以前は冒険仲間でした。あいつの素早さと抜け目なさはよく知ってます」
「やっぱり何にもわかってないおバカちゃんねェ。えい」
 部長に鼻をつままれたウヅキは、「やめてください」と言おうとしたが、絶対に変な声になると思った。すると必ず笑われるので、、我慢して顔をしかめるだけにした。
 生活安全部長はにやにや嗤う。
「ウヅキ君はウンコみたいなニンゲンの本は大切にするのに、卯月チャンのことは放って置くのね」
「卯月にそんなことしなくても、大丈夫です」
「大丈夫じゃないから昨夜みたいなコトになったんじゃないの?」
「それは部長たちの所為……」
 また鼻がつままれ、声を途切れさせられた。
「ウヅキクンは卯月ちゃんのこと頑丈だと思ってるみたいだけど。じゃ、昨夜、アタシタチにもてあそばれて、ひゃんひゃん泣いてたのは別人かしら?」
 部長はウヅキの耳元に顔を寄せた。
「! 寄らないでください、」
「あはん、残念でした。ウヅキ君が考えてるような、えっちぃことする気じゃないのよん」
 セイシェルはそこですうっと息を吸った。青年の髪の香りをきく。
「卯月ちゃんの匂いがする」
 ウヅキは心底嫌そうな顔をした。
「あなた方が卯月を脅すから、……昨夜は添い寝せざるを得なかったんです」
「ふうん。それがアタシタチの所為なの?」
「当たり前です」
「それダケじゃないと思うんだけど。アタシは」
「え?」
「フフ」
 部長は、青年の耳に、「フッ!」と思い切り息を吹き入れた。
「なにするんですか!?」
 驚いて身震いするウヅキに、セイシェルはにやにや笑う。
「イヤガラセ」
「……」
 ウヅキは顔をしかめた。効果抜群だ。
「あともう一つ、」
「何です?」
「ウヅキクン、今日は髪の毛がばっさばさね」
 白いなめらかな指が、懲罰執行部の職員の前髪を乱暴に撫でた。犬にするように。
「別にいいじゃないですか」
 不快気に首を振って手を退かせようとするが、セイシェルをさらに喜ばせるだけだった。
「そうね。好きよ。前髪がおでこにかかるウヅキクンも」


←戻る次へ→

万の物語 作品紹介へ inserted by FC2 system