万の物語/十二万ヒット目/十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


39

 やがて目が覚めた。
 だけど真っ暗だった。
 あのジュースを二口飲んだ辺りからよくわからなくなった。
 気がついたらここにいた。
 ここがどこかは、わからない。
「うふん。卯月ちゃんの目が覚めてよかった」
 ……お色気ねえちゃんの声だった。
 自分の背中が、固い木の床に当たっていることを感じつつ、卯月は聞いてみた。
「なあ、ここどこ?」
「さあ。ウヅキクンの家じゃないわよん?」
「ネエチャンの家か?」
「違うわん」
「じゃーどこだ?」
「ふふっ」
 それまで機嫌よく笑っていた気配が、少し変わった。
「どこだと思う?」
「……」
 卯月は、口をつぐんだ。
 わからないからではなかった。
「俺、ネエチャンに騙されたんだな」
 卯月が落ち着いてつぶやく。瞳は冴えていた。
「ふふふふ」
 セイシェルが優雅に笑う。嬉しそうだった。
「そうよん。卯月ちゃんのお馬鹿ちゃん。へこんでる時に掛けられる優しい都合のイイ言葉なんて信用しちゃイケナイの。それなのにホイホイ着いてくるんだもの」
「一応知ってたけどさー。でも、ネエチャンって役人だし、ウヅキと仲良しだから、ちょっと信用しちまってた。ちぇ」
「なぁんだ知ってたのん? ……そうよねん、そうでないと、野良娘ちゃんが今まで無事に生きてこられるわけないものねん」
 はー、と、少女がためいきをついた。
「騙されちゃったらもう仕方ない。なんかいい方法ないか考えよっと」
「『騙された』って怒ったり泣いたり、アタシを恨んだりしないのん? 前に、公安の牢屋で騒いだときと違うのねん」
 面白そうに聞くセイシェルに、卯月は「当たり前だろ」と返した。
「ほんとにヤバイ時にぎゃんぎゃん騒いでたら、もっと悪いことになるに決まってんじゃん」
「やぁだ賢い。んもう、セイシェル困っちゃう」
「賢くねえよ」
 ほめられたはずなのに、少女はふて腐れる。
「そうだったら、こんなふーにネエチャンから騙されるわけないだろ?」
「うん、そうよねん。卯月ちゃんの言う通り。やっぱ、卯月ちゃんはオバカちゃん」
 セイシェルはにこにこ笑いながらそういうと、「ウウンッ」と色っぽい声をもらして背伸びをして、「じゃ、アタシはオシゴトに戻るからねん!」と言い置いて、消えた。
 部屋は暗い。扉には鍵が掛かっている。出られない。
 この前の、ミマの時と違うのは。
 閉じ込められたのが自分ひとりだということだ。
 卯月は起き上がる。ちょっとふらふらする。
 壁伝いに部屋の中を歩き、扉の取っ手を探り当てた。ヒヤリと冷たい金属の感触だった。
 扉を何度か揺らしたが、びくともしない。
 卯月はうなった。
「うー。どうやったら壊せッかなあ」
「無理だよ」
「!」
 向こうから返事が聞こえた。
 男の声だ。
「あ、」
 聞き覚えがあった。
 それは向こうも同じだったようで、「はは」と、ほどけた笑い声が聞こえてきた。
「ねえ、朝に会った女の子さんじゃない? 僕を覚えてる?」
「あー、やっぱそうか。覚えてる」
「女の子さんは、捕まっちゃったんだねぇ」
「これ、あの扉なのか。あんたが寄りかかって座ってた、」
 また相手が笑った。
「そうだよ」
 おかしそうに話すばかりで、同情の色は少なかった。
「女の子さんは、なんで夜にこんなトコに来ちゃったの?」
「ネエチャンと……はぐれたから」
「それは不幸だ。とびきり不幸だ。すると僕は、不幸な女の子さんを閉じ込めた部屋を背中にしているんだね。……僕は、また僕を嫌いになってしまう」
 独り言のような言葉。
「ねえ、女の子さん。朝に言っただろう? この仕事は、僕に僕を嫌いにさせるって」
「うん」
 今のところ逃げられないので、卯月は話を聞こうと思った。
 不幸を嘆くようだが、笑みのある声色で穏やかに続ける。
「僕の仕事はね、もう、女の子さんはわかってるかもしれないけど。ここから逃げ出せないようにすることなんだ。出口はここしかないからね」
「開けたら出られるんだな?」
「そう。そうさせないように、外から鍵を幾つも掛けて。仕上げに僕が座るんだ」
 声が、それでも奇妙に穏やかなのを耳にして、野良だった少女は相手の力量を把握した。
 卯月は「逃げるの無理そうだな」と言ってみた。
 相手は小さな声で「ふふっ」と笑った。
「そう。そうなんだよ。女の子さんは察しがいいね。それはとてもいいことだ。それは悲しいのが少なくなるからいいことだ」
「困ったな。どうしよっかな、うー」
 うなる少女に、扉の向こうの男はまた笑った。
「どうせ時間はまだあるよ。朝になれば、嫌でもそこから出してもらえる。そのうち、ほかの「女の人」も来るかもしれないよ」
「うん」
「それまでは、僕の話を聞いてよ」
「……聞く」
「ありがとう。今夜は、楽しくていいなぁ。僕の仕事は見張り番。この街に灯りがつく頃から、こうして座っている。夜が明けたら部屋の女の人達を出すのを手伝って、そして、また灯りがつくころここに座るんだ」
「ふうん」
「その間ずっと、僕の背中は、女の人達の泣き声を聞き続けるんだ」
「そっか」
「だけど。今夜は女の子さんが普通に話をしてくれる。こんな夜はめったにあるものじゃない」
「まー、そうだろうな」
「ねえ、女の子さん。僕は一日の半分を泣き声を聞いて過ごすんだ。こんなの、僕が可哀想だ。僕は、誰かの泣き声を聞く為に生まれてきたんじゃない」
「……ん、」
「でも、僕は、ここにい続けなければならない」
「なんで?」
「こことは別の、どこかに行こう、好きなことをしたい、と、思ってはみた。だけど。僕は『どこにも行けない』って気がついてしまった」
 彼の不思議な物言いは、卯月には理解できなかった。
「行けないのか? どうして?」
「行けないんだ。どうしても」
 答えていない。
「でも、嫌なんだろ?」
「それは別なんだ。別の僕になっている。だって僕はこれだけなんだから」
 不思議なことを言う。
「……変なの。切り分けたみたいに言うのな」
 少女がぽつりとつぶやくと、男は「いいねえ。はっとするような、いい答えだ」と言って笑った。


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