万の物語/十二万ヒット目/十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


41

 卯月は「うげ」と声を漏らした。
 扉の向こうにいる男が、なんか変になっているからだった。
 「ラクエン」とか「イトシノキミヨ」とか、おかしなことを言っている。
 すげえ気持ち悪いんだけど。大丈夫か? どうしよう。あ、でも、この扉って朝まで開かないのか。だったら当分大丈夫かな。
 すると、また聞こえてきた。
「早く目を覚ましてくれ。愛しの君よ。君の瞳で僕を見て欲しい。そしてまた優しい腕で抱いて欲しい」
 ……。ものすッげえ気持ち悪いんだけど。
 やだな。
 他に出口って、ほんとに無いのかな?
 それまで、膝を抱えて床に腰を下ろしていた卯月は、立ち上がると、壁を探りながら部屋を歩いた。
 ねーと思っていたらあったりするかも知れないからな。ちゃんと探しとこ。
 扉の向こうからは、薄気味悪い口説き文句?らしきものがひっきりなしに聞こえてくる。卯月はそれから注意をそらす意味も含めて、念入りに壁をなでさすりながら、歩いて回った。
「んー、」
 木の壁のざらついた手触り。
 ところどころ張り紙がしてある。一々はがして、隠し扉がないか探ってみる。古紙とほこりの臭いが漂いだす。
 壁と壁の継ぎ目のような場所があれば、その境目に爪を立ててみる。
 すると、
 どん、と、大きな障害物に当たった。
「?」
 目の前の何かに手を当てて撫でてみる。
 それは、
 障害物というよりも
「ウホホ。くすぐったいぜ」
「ひ、」
 卯月は声を聞いて息を呑んだ。
 それは、この世で一番怖い、
「卯月ちゃぁああん? なんで夜も遅いのにお家の外にいるんでスかぁあ!?」
「ギャアアアアア!」
 機動部長という「物」だった。

「ギャアアアアア!」
 扉の外にもその悲鳴は響いたが、男はただ眉を上げただけだった。
「なんだろ? 何か驚くようなことなんか、あるのかな?」
 面白い女の子さんだな、と、くすくす笑うだけで、男は部屋の中に注意を払おうともしなかった。
 それよりも、肩を抱いた「ごつい女」に熱い視線と言葉とをを送っている。
「早く目を開けて、僕の愛しい人」

 卯月の声だ。悲鳴だ。
 ……これも幻聴なのか?
「やだ怖い来るな! なんて来るんだよう! なんで居るんだよ!?」
 生々しいな。嫌になる。幻聴という感じがしないほどだ。
 あいつは家で留守番しているのだから、これは薬の所為だ。
「ギャー! ギャー! 出して! こっから出してくれよぉ! でないとオッサンが怖いよぅ!」
「オッサンって、どういう意味かなあ? 面白い女の子さんだな。ふふふ」
「やだァ! いやだ持ち上げんな怖い! ウヅキ助けて、」
「あれ? 貴方の名前を言ってるよ。あの女の子さんは、僕の愛しい人と知り合いなのかな? ふふ」
「やめろオッサン! やめろってば!」
 おかしい、と、ウヅキの気持ちが冴えた。
 これは……薬や夢じゃないんじゃないか?

「ああ! 目を開けてくれたんだね!」
 ふらりと覚醒したウヅキの肩をさすって、やせた男はひどく喜んだ。子供のように。
「ねえ見て! 僕だよ! 僕! 僕をよく見て! やっと会えた! 僕は寂しかったんだよ!」
「?」
 涙ぐんで笑う男は、ぼんやりしたままのウヅキを抱きしめた。
 そして間近で微笑みかける。
「僕がわかるかい?」
 扉番の男はひどく嬉しそうだった。それまでよどんでいた目が澄んで輝いている。
「また会えて僕は嬉しいよ。とても嬉しいんだ」
「え?」
 ウヅキにはまったく面識が無い男だった。だから一層とまどう。
「すみませんが、……どちら様ですか?」
 わからなくていいんだよ、と、男はうなずいた。
「僕はあなたをよく知っているよ。そして、あなたも僕をよく知っている。でも、わからなくっていいんだ。あなたは僕のそばにいるんだから」
「はあ……?」
 訳がわからない。
 視界に落ちかかる長い髪をかきやると、辺りを見回した。
 卯月の悲鳴が聞こえてきたのは、どこからだ?
「ギャー助けくれ! 出してここから出して!」
「卯月、」
 すぐ後ろだ。
 ウヅキは立ち上がろうとした。
「どうしたんだい?」
 扉番は名残惜しげに手を離すと、扉を凝視しているウヅキを見つめる。
「この中が気になるの? 女の子さんが一人入ってるきりだよ? 他には何にもないよ」
「あいつは家で留守番しているはずなのに」
「ふふ。では、女の子さんは酒場に居たに違いないよ。でないと、ここには連れて来られないもの」
「どうして……卯月、」
 取っ手に手を掛けるが開かない。見回すと、扉には何個もの錠前が着いている。
「女の子さんを出したいの?」
 隣にひたりと寄り添ってたずねてる男を気味悪く思いながらも、ウヅキはうなずいた。
「はい。ここ、開けてもらえませんか?」
「……そうしてあげたいけど、」
 男は悲しそうな顔をした。
「僕が僕である限り、そこは開かないんだ」
「鍵は無いのですか?」
「無いよそんなの。だって僕はこれだけだもの。朝にならなきゃ開かないんだ」
「これだけ?」
「そう。前も後ろもない。これだけだ」
 妙なことを言う。
「そうですか……」
 それ以上聞いても仕方が無い。ウヅキは、悲鳴がひっきりなしに聞こえてくる中へと叫んだ。
「卯月!」
「ああぁ! ウヅキ!? 助けてくれよお! オッサンがぁああ!」
 返事があった。青年はほっとした。叫ぶ元気があれば、まあ大丈夫だ。
「開かないんだ。ちょっとそのまま我慢していろ」
 次に、部長に向けて叫ぶ。
「機動部長、なにやってるんですか? ここから出てきてください」
「やッだよーん! しばらく卯月ちゃん怖がらせて遊ぶもーンだ!」
「ふざけたことを言わないでください! 生活安全部長の仕事はどうなるんです!」


←戻る次へ→

万の物語 作品紹介へ inserted by FC2 system