万の物語/十二万ヒット目/十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


48

 青年は少女の両手に、また薬を塗って包帯を巻いてやった。それが終わったら両膝にも。
「いつの間に膝やってたんだろーな? 気づかなかった」
 不思議そうに卯月が左右に首を傾げる。ああ、と何か思い出したらしく、卯月は続けた。
「膝は痛ぇのがわからないからなー。神経がないっての? それかぁ。それだなー」
 ウヅキは、そんなはずないだろ、と思ったが、あまりたしなめると、また訳のわからない「常識論」を引っ張り出してくるに違いない。だから、言わずにおいた。
「さあ寝ろ。左半分な」
 言い置いて、青年はベッドの右脇にある机に向かった。
 昨日の本をもう少し読むつもりだった。
「おう」
 卯月はベッドに上がり、ウヅキが部屋から持って来ておいた彼女の上掛けを被ると、彼を見た。
 何を言うともなく、ただ見ている。
 ウヅキも、卯月の目をそのままに、本に集中した。
 冒険好きな彼の心は書物の中の高地に向かう。一度、直に見たいものだ、と思いながら。
 途中、ちらりと、机上の紙片に目をやる。
 部長が壊した本の一頁。そこに何が書かれていたかというと、今回の事件そのもの。酒場で女に一服盛り、路地奥の小屋に監禁して夜明けに出荷する、そこまで。
 だとすると、今回の「事件」というのは、つまり、
 ……つまり、だ。
 まあ、今はいい。予想はついたが考えないことにしよう。それは翌朝、公安で明らかになるはずだ。
 懲罰執行部の青年は、視線を好きな本に戻した。
 仕事のことは、置いておこう。
 彼の意識は高地へと旅立った。

 切りのいいところまで読み、本を閉じた。
 右を見る。
 卯月がうとうとしていた。
 つくづく可哀想なことをしてきた、と、家主は思った。
 部長達は、言って聞くような物ではないのだ。
 とりあえずしばらく、部長から護らなければ。つまり一緒に寝ないといけない。ただ……できるだけ余計なことは考えないようにして。
 そう、平常心だ。
 寝よう。
 声を掛けなくてもいいかと思ったが、昨夜のように、また遠慮してこっそり泣かれるかもしれない。ウヅキは灯りを小さくして、ベッドに上がるとそっと言った。本当に寝ていたら、聞こえないくらいの声で。
「卯月。こっち来るか?」
「は、」
 まぶたが開いて、猫のようなつり目ぎみの瞳がこちらを見た。
「うん」
 ほどけた笑顔で、少し照れたようにして、卯月が、そうっとすりよった。
 素直に、ああ可愛いな、と、思った。……まあ、小動物になつかれてるみたいなそんな可愛さだ。断じて『異性として』ということではない。と、ウヅキは強く自分に言い聞かせた。
 抱き寄せてやると、居候はきょとんと見上げて、嬉しそうに笑った。
 それが、何故か、胸に響いた。卯月なのに。
「ウヅキがぎゅってしてくれると、俺、じゃなくて、アタシ、……すっげぇほっとする」
「えっ、」
 自分の顔が真っ赤になるのが嫌というほどわかった。
「……」
 青年は次の言葉が出てこない。頭の中が一瞬にして白くなってしまった。
 卯月は、ひどくうれしそうだ。それも、大げさに喜ぶとかそんなのではなく、うれしいのが隠し切れないというような。
 ……可愛い、
「あのな。俺、じゃねぇ、アタシ。アタシの腕とか、すっげえ細いだろ。ほんと頼りないのな。わかってるけど、力とかあんまねえし。こんなんじゃ、あのオッサンになんか絶対勝てねえってわかるの。わかってるけどガックリくるの。……だけど」
 ぽん、と、卯月がウヅキの二の腕に手を置いた。
「大っきなウヅキがぎゅってしてくれたら、あ、なんだ独りじゃないんだ、とか思えて、」
 腕の中でくつろぐ、華奢な女の子。
「へへ……。ありがと、ウヅキ」
「別に。いいから、もう寝ろ。今夜は部長、来ない、から」
 ようやく出せた声は、ガチガチに硬かった。
「うん。おやすみ」
「ああ」
 平常心、平常心だ、と、二十歳の成年男子は自身に言い聞かせた。
 また、同時に、なんとなく理解した。
 女の子というものは、そもそも「こうだ」と決まってるものではなくて。扱い方で、変わるものなのではないだろうか。部長が言うほど劇的にではないにせよ。
 寄る辺がなければ、強く生きていくしかないから、『取るとこなしで、通った後にはぺんぺん草も生えないような娘』になるだろうし。ひととおりの衣食住をそろえて安心させれば、まあ、それなりに、なるようだし。
 女の子に限らず、人というものはそうなのではないか。とはいえ、皆に万端の環境を整えてやるというのは、無理な話だが。
 卯月を見る。
 ちょっと笑ったような顔をして、ことりと眠ってしまっていた。
 ウヅキはまた頭の中が真っ白になり、きつめに首を振り、強いて目を閉じた。


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