万の物語/十二万ヒット目/十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


54

 あと1時間ほどで終業となるころ、上司が戻ってきた。
 外見的には、満身創痍の子どもである。何も知らない人がこの子を見たら、必ず大騒ぎになるほどえぐい怪我だった。
「お帰りなさい」
 部下は、単なる外勤帰りのようにしらりと迎えた。
「ウヅキ酷ぇ……」
 上司は傷ついた。それまで涙目だったのが、泣き顔になった。
「うう。こんな俺に、言うことはそれだけかよぉお? えぐえぐ」
「もちろんです」
 セイシェルは、「ぐわぁ」だの「心も体も、もう、限・界・だ!」だの言いながら、よれよれと自席に倒れこむ。
「お前さぁ……」
 上司は黙々たる部下に声を掛けるが、無視される。
「ウヅキ君、てば」
 まったく見てもらえない。
「こんなに可哀想な有様になっているいたいけな上司に対して、なにそのそっけない態度」
 反応がない。
「ねえ、君にあったかい人間の血は流れてんのか?」
 ウヅキは、そちらを見もせずに「当然の態度だと思いますけど」と返した。
 やっとセイシェルを見たと思ったら、その目は凍っていた。
「なにせ、今回の事件、何から何まであなた方によるものだった訳ですから」
 責める視線は、むなしくも厚顔無恥にはじかれる。
 今までの情けない泣き顔はどこへやら、部長は鼻で笑う。
「ハハン。お前な、そんな偽情報を信じ込むことから冤罪が始まるんだぞ。公安職員として恥ずかしいとは思わないのか?」
「事実でしょう?」
 部下はたじろがずに口答えする。
「あなたがたの所為で皆が迷惑をこうむったんです。あなたがた以外、皆が被害者です」
 セイシェルは心から「俺は被害者だッ!」と言い返した。
「なぜなら!」
 子供は偉そうに胸を張る。
「どうみても俺が一番ケガしてるからだ。どうだコレ! コレ! 俺こそ被害者検定合格。そだろッ?」
 しかし部下は冷めたままだった。
「そんなに文句があるのなら、では、上の生活安全部に行って抗弁したらどうです? 自分は被害者だと言ってみては?」
「……」
 セイシェルは顔をこわばらせて小刻みに震え始めた。
「うぁあ、耳もやられたみてぇだ。なんも聞こえん」
「ではもう一度言いましょうか?」
 部下の追い討ちに、部長は泣き顔を取り戻した。
「ひっく、ひっく、俺、可哀想……。なまじ物だけに、誰も護ってくれないよう。特に法律とかはちっとも護ってくれない」
 法律うんぬんについては、昨夜は誇らしく語っていたくせに、と、ウヅキはむっとした。どこまでも自分本位な上司だ。
「おっしゃってることが昨夜と逆のようですが?」
 いらいらしながら聞き返す。
「ハァ? 俺はお前と夜を過ごしたおぼえなんかないね」
「……まあそうですね」
 それもそうか、と、ウヅキは素直にうなずいた。
「懲罰執行部長はおいでになりませんでしたね。すみません」
「お……」
 几帳面な部下から誠実なる謝罪をされてしまったため。悪ふざけ気分を満喫していたセイシェルは、これ以上この話題を引っ張れなくなった。
 「あー」とか「うー」とか、妙なためらい声の後に、上司はぼそりと言った。
「あの、さ。……ところで、だ。あの、クッソガキ、ホント可愛くないのな?」
「誰のことです?」
 部下の問いには答えず、人間ならば瀕死の重傷を負っている上司は、ぎしぎしと「部品」を組みなおす。
「せっかく仲間にしようと思ったのによー」
 ウヅキは、机の上に本を置くと、立ち上がった。何か、ひどくひっかかった。もちろん嫌な意味で。
「部長、『仲間』ってなんですか?」
「全ッ然、なびかねーの」
 答えない。
「部長?」
「なんでだろ? くっつかねーなコレ」
 右腕の「部品」をにぎってうなっているセイシェルのそばに、部下が立った。
「部長」
 部下が部長の部品を取り上げた。
「なにウヅキ? お前が代わりに付けてくれんのか?」
 ウヅキは首を横に振ると、セイシェルに言った。
「部長ごとに伝えなければならないのなら、貴方にも言っておきます。卯月に手を出さないでください」
「返せ。腕返せ」
 ぐもぐもと不自由な体をゆすっての訴えだったが、態度で却下された。青年は持っている手をひょいと上げていた。こうなると、チビッコには届かない。
「聞いてくださらなければ、これは返しません」
 上司は睨みあげる。
「なんだよその交換条件」
 部下はひるまない。
「こうすれば聞いていただけそうだからです」
 上司は鼻で笑う。
「ふふん。そんなん脅しにもなんねーよ」
 部下は目を細めた。
「そうですか。ではこのまま預かりますね」
「なんでだよ!?」
 慌てふためく上司に、部下は「では、卯月に手を出さないと約束しますか?」と確認するが、子供はまたも態度をひるがえす。
「お前がなに言ってんのかさっぱりわからん。まるでわからん。意味がわからん」
「……」
 ウヅキは閉口した。そして思った。前々からわかっていたつもりだが、どうして三者ともこうも厄介な性質なのか。と。
「じゃあ捨てます」
「やめろ人でなし」
「では私の言うことを聞いてください」
「だから、なに言ってるのかわかんねーし」
「……」
 堂々巡りによる再度の閉口が訪れた。
「どう言えばわかってもらえるんですか?」
「腕返せ。まずはそれからだ」
 返したらそれまでだ、ということはよくわかっている。だからウヅキはこう返す。
「わかりました。これ燃やします」
「キャー!? やめて!」
 もう面倒くさくなったので、ウヅキは上司の悲鳴を無視して腕を燃すことにした。「それでは焼却炉に行ってきます」と、すたすたと部屋を出て行く。もちろん演技ではない。
 セイシェルが子供らしい悲鳴をきゃあきゃあ上げるが、これまでの所業から、ウヅキの心にはまったく響がない。
「ううわあああ! 待ってウヅキ君! 離せばわかる! 腕離してこっちに放って!」
「なにを馬鹿な事を」
 ためらわずに扉を開けて出て行こうとした。
「ちょ! おま、ちょっと待ってぇええ! 言うから言うからッ、だって、俺、卯月好きなんだもん! 一緒に居たいんだもん!」
「……はっ?」
 ここしばらくのうちで、おそらく一番予期せぬ部類の言葉だった。
「……」
 青年は、瞬きを二つ三つ返した。そしてようやく声が出た。
「部長? ご自分で何を言ったのか……わかってます?」
 よもやこの部長は壊れているのではないか? そう考えた部下の神妙な問いかけに、上司はおろおろと動揺した。
「え、えええ? 二度も言わせんのかよぉお!?」
 ウヅキにとっては信じられないことに、頬を赤らめている。
「本格的に壊れたのですか?」
 部下の真摯にして正直な問いかけに、部長はいきり立った。
「んだよ! 大人の濁ったた心にコドモの純粋な気持ちは理解できなくっても構わねーよ!」
「ああ。そういうことでしたか。壊れていないのならいいです。じゃ、これ燃してきます」
 本心からどうでもよかったので、ウヅキは扉の向こうに踏み出す。
「ぎゃあッ! 待ッてぇえ!」
 泡を食ったのは部長の方で、あわてて椅子からガゴンと転がり落ちて、部下を追いかける。
「二度言うから待ってーえ! お前はさ、卯月のことどうでもいいんだろ? なら、俺にくれ! 俺、あいつ好きなんだ! 一緒に居たいんだ! (今のところは)」
 なんて面倒くさい上司だと思いながらも、ウヅキは立ち止まった。
「部長。最後に小さく『今のところは』って聞こえましたが?」
「え。ウソ!? 気のせいだよ気のせい!?」
「まあいいですけど。正気ですか? 部長は、あいつから酷い目に遭わされてるのに?」
「そうなんだよ、だけど、」
 セイシェルはひどく困った顔をしたが、ぎゅっと顔をしかめると、声を上げた。
「わかんねーよ。わかんねーけど気になって仕方ねーんだよ! ハッ、これが……恋?」
 大仰に驚くセイシェルのうっとうしさに、ウヅキはふいと眼を背ける。
「私に聞かれても困ります。知りません」
 心から面倒くさい。
「ウヅキィ! だから腕返せつってんだよぉ!」
「……」
 腕を返して欲しいが故の方便なのか、それとも本当に本心なのか。ウヅキには、この物が考えることがまるでわからない。
「総合的に勘案して駄目です。卯月を怖がらせないと約束するまで返せません。あ、……あと、いやらしい真似も」
「お前、卯月のことなんかどうでもいいんだろ? 人の恋路を邪魔すんなよう! 馬呼ぶぞ!? 邪魔すんなら路上にて馬に蹴られろ!」
「部長は『人』じゃないでしょう?」
「もう! お前ってホント細けぇなあ! いいから俺の恋路に立ちはだかるなよぉ!」
 ボロボロの体でそう言うと、口の利き方を知らない駄々っ子よろしく、床に転がってぐぜった。
「邪魔すんなったら邪魔すんなァァア! ウヅキのうんこたれー! うわあああん! うんこー!」
「でも、卯月からは断られたんですよね?」
「……そうだけどォ」
 ちょっと下を向いてしょげたふうだが、すぐに顔をあげて鼻息を荒くする。
「でもよォ、何回も何回もォ何ッ回も波状攻撃しかけてれば、そのうちウッカリなんとかなるかもしれねーだろ!」
「うっかり、ですか……」
 人間の青年は、部長のその意気は、色恋より数段志が低いのではないかと思った。
「あんな低次元のけんかをしている仲なのに、どうしてですか?」
「わかんねー!! わかんねーけど……認めたくはないが、頭の程度が同じくらいだから波長が合うんだろーなー! こう言えば満足か畜生!」
 ああ、と、ウヅキはつぶやいた。やっと腑に落ちた。
「なるほど! 程度が同じなのですね。そうかそれで。やっとわかりました!」
「おい。爽やかに納得すんなよ」
「すみません」
 青年は、では卯月をセイシェル部長に渡すか、とも考えたが、しかし、と、思考をひるがえした。
 この部長とあの卯月が、仮に、「ついうっかり」なんとかなったとしてだ。
 そんなのでこの先大丈夫なのか? 部長はともかくとして、卯月は。
 この先、というのは、決して短い期間ではない。セイシェルは死なないでこのままの姿であり続けるのだ。少なくとも、自分たちが生きているよりも長い時間だ。
 セイシェルは、懲罰執行部長だけではない。
 生活安全部長もいる。
 機動部長もいる。
 そして……あの胡散臭い「青年」も居た。
 あの時の、薄暗い部屋での「セイシェル『青年』と卯月」の姿を思い出して、ウヅキは、むかッ、とした。
 誰が渡すか、と、思った。
 大きく息を吸って、吐いた。気持ちをなるだけ落ち着けた。
 そして、たずねた。
「部長。卯月が貴方の仲間になった場合、あなた方は……ほぼ永遠に「今までの小競り合い』を続けていくのでしょうか?」
「さー? そんなんわかんねーけど、付き合い方が変わるわけもないだろうなー」
 ということは、
 卯月は、この懲罰執行部長とは低レベルな小競り合いをして、機動部長からは脅かされて、生活安全部長からはよからぬ事を吹き込まれたりするのだ。
 それでは彼女の気が休まる暇はないではないか。三者三様の彼らに振り回されるばかりだろう。……いや、四者の可能性すら大いにある。あの生活安全部長を男に変えたようなのが。「あの時」の光景がまたもしつこく甦る。嫌がる小さな彼女にのしかかる優男の図だ。
 ウヅキの腹の辺りが、むかむかっときた。
「おい、ウヅキ」
 ぼろぼろのセイシェルが、ウヅキに言った。いやに真剣だった。
「そういうことだから、俺にくれ。腕と卯月を」
 ウヅキは返す言葉を見つけた。
「嫌です。あなたの腕はお返ししますが、卯月は私のです。お引取りください」


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