万の物語/十二万ヒット目/十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


55

「うっぁあああああんッ!」
 4階生活安全部に、満身創痍のお色気部長が泣きながら入ってきたのが、終業時間を12分ほど過ぎてからだった。
「あ、姐さぁん!?」
「どうしました? そのお姿は一体!?」
「きゃー! 姐さんのお体が大変なことに!」
 部下共は全員帰っておらず、あちこちが外れたり曲がったりしている上司の姿に驚き悲鳴をあげ、やはり土下座した。
「姐さん! 誰にやられたんすか!? 俺たちが報復に行ってまいります!」
「姐さんをそんな姿にしたゴミ虫を許せません! すり潰してやりますよ!」
 そんな部下の愛の言葉を一身に受けながらも、セイシェルはそれを振り払うように床に突っ伏して号泣した。
「あぁあん! そんなに報復したけりゃ切腹しなさいアンタタチィ! そんなことより、アタシ、アタシ、振られちゃったのよぉォオ! 悲しスギるわぁあ!」
 想像だにしなかった言葉に、下僕達は愕然とした。
「ふ、ふられたですってェ!?」
「ふられただなんて、そんな!?」
 部下たちが受けた精神的衝撃は大きすぎた。まるで雪の戸外に裸で放り出されたかのように、ガタガタと震え始める。
「そんな。天下の姐さんが……ふられた……だと?」
 あるいは頭を抱えてうずくまる。
「嘘だ。そんな世界は偽物だ。どこかに本物の世界が存在するはずだ……」
 はたまた床に頭をこすり付けて慟哭する。
「うおお! 俺の頭がおかしくなちまったんだァア! 姐さんがふられたなんてッ! そんな、ありもしない罪深い妄想にとりつかれている! そうだ! そうとも! おかしいのは俺の頭だ! 俺だけが異常で、美しき姐さんの居る世界は変わらない! 変わらないままなんだッ!」
 上司は床に転がって号泣し、部下は土下座したまま震えて首を振って、両者ともしばし現実を受け入れようとしなかった。
「ああんああん。せっかく出会えた運命の相手だと思っていたのにッ。本当に完璧に振られちゃったワぁ(今のところは)」
 女王の嘆きを聞くだに、下僕達の怒りはいやます。
「おのれ……振った奴めェ。今のところ誰かはわからんが、とりあえず生かしてはおけェんッ!」
「姐さん、どうぞ俺たちに是非その愚かな罪人の名前を教えてください。俺たちが、仕留めますッ! もちろん致命的な意味です!」
「ああんアンタタチったら、」
 セイシェルは、ぐすんと鼻をすすって床から顔を上げた。下僕達の忠義溢れる言葉に微笑みを浮かべかけたが、しかしそれは、ある事実によって曇ってしまった。
「……あら。ねぇ、アンタチ。今、気づいたんだけどネ、アタシより頭が高いわよ?」
「えッ!?」
「そんな!?」
 下僕の精神に激震が走った。
「これは失礼致しました! お前ら這いつくばれェッ!」
「おう!」
 生活安全部一人残らず、ベッタリとうつ伏せになった。忠信の見本なのか妄信の標本なのかよくわからない。しかし、上司を気分を少しだけ落ち着かせる効果があった。
「アンタタチの下僕度、よくわかったわん。うふん、でも、アタシ、振った相手の名前を口に出せるホド、安いオンナじゃないの。(そのうち波状攻撃でウッカリなんとかなるかもしれないし)」
「姐さん! そのとおりです! 姐さんは気高いお方ですから!」
「俺達が愚か者でした。姐さんの輝きを曇らせてしまうところでした!」
「俺達、姐さんが華麗な薔薇のように芳しく咲き誇ってらっしゃれば本望です!」
「綺羅星のように気高く美しく光り続けてください!」
 下僕どもの賛美に、セイシェルは元気を取り戻した。
 涙ぐんで「アンタタチ……、」とつぶやき、「あはん。アタシにはアンタタチが居たのよね」と微笑んだ。
「よぉし、アタシ、元気になってキタわ! アンタタチのお陰よォ!」
「うぉお、よかったです! 姐さぁん!」
 部下共は感激して、上司様とは比較にならないほど大量の涙と鼻水とをドバドバ流した。汚い。
「ああん! アンタタチの下僕度って、ホント最高だわ!」
 セイシェルはすっくと立ち上がった。見ると、いつのまにやら体が元に戻っている。ゆるく波打つ金の長髪。気前良くはだけた白シャツ、豊満妖艶な肢体。やはりズボンもスカートも履いていない。
「アタシを愛してくれるヒトが居れば、アタシはいつだって無敵なの! お陰で、壊れたカラダ……直ったわ!」
「姐さんッ!」
「姐さん! 復活したんですね!」
「うおぉ姐さん万歳!」
「姐さんは俺達の太陽です!」
 下僕たちの声援に、無駄に色気のある部長は「あはん」と悦んで身震いし、胸を大きく揺らした。それにより這いつくばっている数人が「ぐふッ」と鼻血を噴いた。
「よーしっ! じゃあ今夜は仕事ヌキで飲みにイクわよォ! アンタタチ、アタシにツイてらっしゃい!」
「ハイ姐さん!」
「よろこんで!」


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