万の物語/十二万ヒット目/十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


「うう、空気、うますぎ、」
 公安庁舎三階にある懲罰執行部に出勤した部長は、よれよれになっていた。子どもの体のくせに、酔ったような足取りで、部屋にまろび入ってきた。
「おはようございます部長。遅かったですね」
 既に席についていて、生真面目に挨拶をするたった一人の部下に、セイシェルは「ゥウヅキィイ」と恨めしそうにうなった。
「おいコラァア。お前んとこの、あのクソガキは何だアレ。殺されたぞマジで。ウヅキ、飼い主のお前に損害賠償を請求する。俺の命を償え」
 朝一番でからんでくる上司に、ウヅキは首をかしげた。
「部長はそもそも生きてないじゃないですか。人間ではないですから法律が適用されません。だから損害賠償請求できないでしょう」
 そこまで言ってから、ウヅキは別のことに気づいた。
「部長、卯月に会ってきたんですか? どこで?」
「公園だよ公園。キヨラカなるお嬢様団体が掃除してっだろ。あの公園だよ」
「公園って」
 部下は首をかしげた。
「部長の通勤経路とは逆じゃないですか。どうしてそんなところに行ったんです?」
「アハン」
 声色が変わった。
 懲罰執行部の青年は、顔をしかめた。
 黒髪くせ毛の生意気な男の子は消えて、長く波打つ金髪の美女が艶やかに立っていた。
「ハァイ、おはよん。ウヅキ君」
 吐息交じりの挨拶は、まるで恋人にする、起きぬけのそれのような気だるさだった。
「アタシのォ、夕べのお仕事場所がァ、アソコの公園付近だっタからなの。おわかり? うふん」
 相変わらずズボンもスカートもはいてない。下着とシャツと上着だけのいでたちだ。
 悩ましく体を動かす部長から、ウヅキは目をそらした。胸が高鳴るからとかそういうことではない。ただただうっとうしいからである。
「夜の歓楽街が仕事場ですか?」
「そうそうそォう。生活安全部のぉ、ただ今の捜査対象なのん。うふん? 違法な風ゥ俗を、と・り・し・ま・りッ!」
 部長のウインクから、ウヅキは目をそむけた。
 それなら、この人を一番に取り締まるべきだ。そう思ったものの、口には出さなかった。言えば面倒くさい反応があるからだ。
 生活安全部長は、髪を色っぽくかきあげた。
「朝のお掃除してくれるお嬢様方もぉ、なかなかツワモノよね。何せ、あの公園の近辺には『アッハァンな施設』がひしめき合ってるのに。夜は大変なことになってるのにぃ」
「彼女たちは、早朝しか活動してませんよ。あそこでは」
「知ってるわよぉ」
 金髪お色気部長は、胸の下で腕を組んで、豊満なそれらを持ち上げるようにした。だが、ウヅキはそれには目もくれない。彼女の中身には、自分の上司や機動部長も入っているからだ。
「あのお嬢様方の、『ひまぁわりぃの会ん』は、アタシの部ぅと仲良しぃ、だもの」
 ああふ、と、セイシェル生活安全部長があくびをして色気を吐いた。
 ウヅキは、彼女の話から色気を分離廃棄して、内容だけを取り出して頭に入れ、「ああ、『蒼いつぼみの会』は『ひまわりの会』に変わったんだ」と情報を仕入れた。
 お色気部長の話は続いている。
「いやん寝不足。夕べもおまわり大変だったのよぅ。イハァンな風俗取り締まってるんダケド、なかなかシッポ出さないし」
「……目立ちすぎなんですよ、部長が。皆、警戒するのは当然でしょう」
「そうよね。美しいって、罪よね。ああん、」
 悩ましく髪をかきあげる部長から、青年は目をそらした。うんざりしたからである。
「あん。ところで、卯月ちゃんったら、二週間も会わないうちに、変わっちゃってたわん。アタシ、びっくりしちゃったわよう」
「どこも変わってませんよ」
「あはん。それはアナタがイツモ見てるから、わッかんないのーん」
 にこ、と笑った部長は、白シャツの下に伸びる白い脚を、付け根付近までちらつかせながら、ウヅキの方へと尻を振りつつ歩み寄ってきた。二週間前まで、この部屋は本の山に占領されていたが、今は整理されて、床は床であり、机は机で、整然としていた。だから部長はやすやすとウヅキに近づける。
「なんですか?」
 警戒したウヅキは、椅子から立ち上がると後退りをした。
「なんにもしないわよん? んふ、」
 しかし、すぐ壁なので、そうそう距離が取れない。
「嘘だと思います。近寄らないでください」
 セイシェルは止まらない。
 だが、心底嫌そうな相手の顔を確認すると、はぁん、と甘いため息をついた。
「んもうッ。ウヅキ君は、わっかいくせに、じじむさく枯れてるから、いやいやん。うちの部下達だったらぁ、アタシが近づくと大喜びなのにん」
「一緒にしないでください」
 しっしと手を振る青年に、露出好きな部長は顔をしかめた。
「なぁによぅ。ウヅキ君のこと、せっかく取って食べちゃおって思ってたのにィ。いいわよッ、もう。ココで言っちゃうから」
 ぷうと頬を膨らませると、セイシェル生活安全部長は、シャツもやぶらんばかりに大きい胸をゆっさと持ち上げた。
「なにしてるんですか」
「別におっぱい出したりしないわよーだ。卯月ちゃんったら、アチコチ育っちゃって。アタシびっくりしたわ? あとね、ええと、この辺に、」
 胸の谷間に手を突っ込むと、紙製の弁当箱を引っ張り出した。
 ウヅキは、げんなりした。
「……なんで、そこにそんな物が入るんですか?」
「オンナの不・思・議よねえ」
「そうじゃないでしょう」 
「えー、なんで喜んでクレないのぉ? うちの下僕達ならぁ、『姐さんのヒミツ知りたいっす』ってワクワクしてくれるのにい」
「あなたの部下なんかと一緒にしないでください」
「んもうジジイなんだからぁ。いいでしょコレ」
 お色気部長は弁当箱を青年に見せびらかした。
「これね、卯月ちゃんがくれたのよう。『やるよ食え』って。なんと、ゴミ袋の中から出してくれたのよぉ!」
「……ゴミ袋?」
 セイシェルが嬉しそうにしているのが、ウヅキには理解できなかった。
「嫌がらせされたんですか?」
「もう。オバカちゃん」
 うふん、と、小さく笑って、弁当箱を大事そうに机の上に置いた。そしてウヅキに自慢そうに笑った。
「卯月ちゃんたらね、男の子アタシに、『ほんとなら俺が食うんだけどな。久しぶりに会ったからやるよ食え』って! アタシ、感激してとろけちゃった」
「そういう嫌がらせなんじゃないですか?」
「嫉妬してるのぉ?」
「どんなに努力しても嫉妬だけは無理です」
「ふうん、」
 セイシェルは、片頬で笑った。弁当を取り上げると、また谷間にしまう。
「アタシはこう思ったの。『衣食足りて礼節を知る』」
「なんでことわざなんです? それに、……ゴミ箱の弁当をくれるのがですか?」
「そうよ? ヒトに物を贈るって、ステキなことなのよ?」
「そうは思いませんけど。ゴミ箱の中身だし、」
「ふふん、」
 女の形をした物の手が伸びて、
ウヅキの額をついと押した。
「何、ですか?」
 青年は顔をしかめた。意味がわからない。
「ウヅキクン。アタシと二週間前にした約束のコト、覚えてる?」
「約束? 何の話です?」
 眉をひそめる懲罰執行部の職員の額を、生活安全部長は、今度はゲンコツを作って軽く小突いた。
「どうして忘れてるのん? まあ実行はしてるみたいだから、いいケド。でも、もう一回だけ言うから、今度は忘れちゃだめよん?」
 ウフン、と笑ったセイシェルは、次に表情を変えた。
 神が星落しに用いる道具、「新殻衛兵」のものに。
「アンタ、 あの子を守りなよ?」


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