万の物語/十二万ヒット目/十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

十二の月が巡るまで〜ウヅキと卯月〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


63

 海を見下ろす、なだらかな丘に建つ家へと、今日も潮風が吹いてくる。
「かあさん」
 書き仕事をしていた母の背に、風が小さな声を届けた。
「ん。なあに? サヨ?」
 書斎の扉のところに、長女が独りで立っていた。
「マサヤはどーしたの?」
 いつもくっついている弟が居なかった。
 サヨは、海風に頼んで、また小さな声を母へと届けさせる。
「……買い物。あたしが、ホットケーキ食べたいって言ったの」
「ほう。10時のおやつか」
「そう」
 風がさあっと吹き抜けた。それに背中を押されるように、サヨは言った。
「ねえ、かあさん」
「んー?」
「あのね。新しい服が、欲しいの」
 母は、瞬いた。
 風が幻を聞かせたのかと思った。
「……サヨ? 今、なんて?」
 娘は、少し、首を傾げた。
「服が、欲しいの。ミマちゃんのじゃない、自分のが、欲しくなったの」
「……」
 風が途切れ、母は娘の言葉を間違いなく受け取り、胸がいっぱいになった。
「そっか。自分のが欲しくなったか……」
 サヨの母は、嬉しくなった。
 ああ。ここはなんていい場所だろう。
 いい風が吹いて、明るい光が当たって。
 清々と、そして誠実に時は過ぎていく。
 だから
 少しだけ前に進んだのだ。ほんの少し。そう、この子が歩き出せるほど、優しくゆったりと。
 母は、勢い良く椅子から立った。
「よっしゃ」
 海風のように笑って、娘に近づく。
「じゃー、おやつ食べたら、行こか。ミマは学校だから、サヨと、アタシと、マサヤで。そして、サヨは新しい服でミマに『お帰りなさい』て言うのさ」
 サヨは笑った。
「えー、マサヤも行くのかよ」
 母は、娘の肩に暖かい手を置いた。
「そーだよマサヤもだよ。三人で、チョーイケてるサヨの服を買いに行きましょー」


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