万の物語/一万ヒット目/卯月とウヅキ

一万個目の宝石〜身から出たサビ〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


 よく晴れた夜空には幾万の星。明るくまたたく星空を、黒く鋭く切り抜く、大きな岩山たちの影。  一番近い街から、四日四晩歩き続けてようやくたどりつくほど、外界と隔てられた村があった。  村人の生きる手段は、農業でも商業でも工業でもない。鉱業だった。まるで鎧のように、村を幾重にも取り巻く岩山から採掘される、珍しく麗しい七色の宝石「虹のしずく」を売って金を稼ぎ、生計を立てていた。急峻な岩山に囲まれて日当たりが悪い、猫の額のように小さな村では、畑を作ることも、商いを営むことも、物造りにいそしむことも難しい。山が産む恵みがなければ、ここで人は生きていけなかった。  そして、小さな小さなこの村には、言い伝えがあった。
 一万のものがそろったとき、幸せが訪れる。と。
 村人の数さえ500人にも満たない村に何かが一万そろうことは、ほとんど奇跡。小さな村で一万をそろえることと、望みどおりの幸せを得ること、そのどちらも同じくらいにかなえるのが難しい。だから、この村には、そんな言い伝えができたのかもしれない。
 まじめな話を、してしまった。
 ところで。
 そんな大切なことすら、無神経に無視し軽視してのける人間は、どこにでも少数いる。

「んなぁーにが幸せよ? そんな、うっさん臭い言い伝えなんか、嘘っぱちに決まってるじゃないの」
 こまっしゃくれた声が、真っ暗な夜に、密かに響いた。
 清らかな星空の下で、コソコソカサカサとゴキブリのように人目をはばかってうごめく、小さな人影。あっちの茂みに身をひそめ、こっちの井戸端にひたりと身を隠して、目的の場所に忍んでいく。
 肩にも届かない短い髪は、寝癖でさんざんに乱れきっている。朝起きたまま、くしでとかすことなど考えもせず、ぼうぼうのままで昼をやりすごし、夜を乗り越えて、深夜にもちこんだ。
 背の低いやんちゃな少年かと思ったら、少女、だった。何度見直しても少女。夢だと思っても少女だった。
 真夜中。髪ぼうぼうの少女は、村の奥にある一番大きな岩山に掘られたほこらの前にたどりついた。灯りも持たずに、たった一人で。怖がるどころか、忍び笑いさえ浮かべて。
「ふふふ! ひーっひっひ! ようやく、この時がやってきたわ! 待ちくたびれたわね!」
 少女が立つほこらの入り口には、細い木材を何本も立てて作った柵が設けられていた。その一部は開閉できるように扉状になっていたが、夕方になると鍵が掛けられ、入ることはできなくなる。ほこらの奥には、大切な「御神体」がまつられていた。
「さあてと」
 少女は、不敵な微笑みを浮かべて腕まくりをすると、遠慮もためらいも迷いも恐れも見せずに、バキイイイッ、と、柵を蹴破った。飛び散る木っ端。蹴るんだったら腕まくりは関係ないではないかとも思うが、そんなことは「小さなことさ」と快く許せるくらいに、少女は悪質で欲深い笑みを浮かべて、毒々しく言い放った。
「一万一万一万一万ってねえ? 何が幸せだっつーの? 数を言うなら、あたしんだって栄えある巨大な一万個目なのよ! 人の都合なんか、知っっったこっちゃないわね! 他人の幸せより、あたしの銭よお! あはははっ!」
 さて、ここまで語っておいて今頃言うのは遅いかとも思うが、今しか言えそうにないので、言っておく。
 彼女の名前は卯月。ここの村人ではない。他所から来た探検家である。村の鉱山を調べに来た、あくまでも、調べに来た、探険家である。探検家である。盗賊でも山賊でも空き巣でもない。

「いっただきぃー!」
 その探検家の卯月は、祭壇にまつられた一万個目の宝石を、まるでおやつの饅頭を手に取るように、遠慮なくガッとつかむと、無造作に皮袋に投げ込んだ。そして、開いた袋の口から、ぎっしり詰まった哀れな宝石たちをのぞきこみ、ニタリとわらった。食料に捕まえた人間を見てよだれを垂らす鬼婆のようだった。
「あたしのー、ほーうせきいいー! 全部あたしの、もんなのよー。ルララールラー」
 こんな状況で笑えるだけでも気味が悪いというのに、その上、変な節を付けて歌までうたいはじめた。
「フンフンフーン」
 上機嫌の卯月は、歌どころか軽やかに踊り始めながら、ほこらを後にしようとした。
 が。

「待て卯月! たしかにこの目で見たからな! お前は盗みを働いた!」

 蹴破られた柵の、可哀想な破片たちを見下ろして「うげっ、足場悪ぅー! 最悪っ!」などと、自分で壊したくせに人のせいのように毒づく卯月の背後から、鋭く低い声がした。
「……?」
 卯月は、その恫喝に、驚くことも決まり悪そうな顔をすることもなく、ただ、至極面倒臭そうに後ろを振り返った。
 ほこらの入り口に、背の高い青年が居丈高に立っていた。灯りを手にして。
「なんだ。ウヅキか」
 卯月は相手を確認すると、ため息をついた。
「ならいいや。あーびっくり。宝を横取りしにきた山賊かと思っちゃった」
 そして、ひいらひらと手を振った。
「んじゃね。お休みー」
 夜の挨拶で済ませた。
「そうじゃないだろ!」
 男は声を荒げた。当然だ。
 太い眉が、怒りに震えている。がっしりした肩も同様。
「こっちに戻って来い!」
 青年は、激しい声で叫んだ。
 卯月は、ふてくされてため息をつくと、嫌々ながら引き返した。
「あー。えらそうに。うるさい奴う」

 二人は、ほこらの中に入った。
 ウヅキの持っている灯りが、ほこらを照らす。掘り削られた周りの岩々が、黒っぽい橙色に浮かび上がる。
「皮袋を寄越せ」
 ウヅキは灯りを自分の前の地面に置き、右手を差し出した。
 怒る彼はほこらの入り口側にいる。ぶすっとした卯月は奥の方に立っている。
 卯月は、赤子くらいの大きさの皮袋を、赤子を抱くようにぎゅうと持つと、べえと舌を出した。
「やーなこった」
 そのぞんざいな態度に、男の額が、びし、と、震えた。
「なら村人に言うぞ? お前が村の宝を盗んだって」
 卯月は、ちっと舌打ちをして、「見せるだけだぞ?」と言いながら、しぶしぶ渡した。
 袋を受けとったウヅキは、それを地面に置いた。そして、一万個目の宝石をうやうやしく手に取ると、丁寧に袋から出した。そっと。
 灯火に、握りこぶし大の「虹のしずく」が輝いた。助けてもらった礼をいうように。
 ウヅキは、永遠に浮き上がらない水底の岩のように渋い顔で、言った。
「村のご神体をなんと心得る? 卯月。この罰当たりの欲深め」
 両手で丁重にささげもち、ウヅキは、それを神棚に戻した。
「あー!」
 卯月の細い眉が、鋭く二度ひきつった。そして、つり上がった。
「何するよ? あたしのお宝よ?」
 語尾が半音上がった。
 その抗議を聞いて、ウヅキの太い眉が緩やかに寄った。眉間にしわが作られた。
「何を言うんだ。これは、この村の宝だ。そしてこの大量の宝石類も、……お前が今まで盗んできたものだな?」
 一語一句はっきりと言って、卯月を睨み付ける。と、ばさばさ髪の少女は偉そうに返答した。
「そうだよーだ! あたしが取った時点で、それはすでにあたしの物に変わってるのよ? いいじゃないさ。無用心の果てに気づかず盗まれる方が無用心だっての」
「認めたな、卯月。いいか? そんな法はどこにもない!」
 ウヅキは勢い良く言い返し、付近の岩壁を握りこぶしでドンと叩いた。
「誰が取ろうが、これは村の物に変わりはない!」

 やっと十五才の卯月は、十五才にして、すでに同業者に恐れられていた。
「あいつの通った後には、ぺんぺん草すら生えない」
 と。
 彼女の行動。立っているものは子猫でも使う。欲しいものは親の形見でももらう。少数民族の遺跡の盗掘。希少鉱山の盗掘。同業者の愛妻弁当を盗む。畑から収穫前の作物を盗む。年寄りのおやつをぶんどる。でも、彼女がやったのはわかっているのに、証拠がない。捕まえるとしたら、現行犯しかない。つまり、根性最悪、意地汚さ至極、ずる賢さ満点、という、取るとこなしの少女だった。
 とりあえず十八才のウヅキは、ひどく真面目な探検家だった。他より勉強熱心な青年で、行動のそこかしこに妙なほどの固さが見え隠れする。

 二人は、にらみ合った。
「卯月のやっていることは、探検ではなく窃盗だ。間違い無くな」
「うるさい。ウヅキのしてることは、探検じゃなくって妨害よ!」
 二人の立つ位置のちょうど中間にある神棚で、握りこぶし大の宝石が、虹色に泰然と輝いている。勝者に贈られる褒美のように。
 同じく、二人の中間の地面に置かれた柔らかい皮袋の中には、九千九百九十九個の小さな宝石が、ぎっしりぎゅうぎゅう詰まっている。

 ここに至るまでのいきさつは、こうだった。
 卯月とウヅキ、二人の探検家は、一緒に村にやってきた。探検のために。
 村には、石の神様がまつられているほこらがあった。
 大小さまざまに産出される「虹のしずく」には、たまに、職人の手を借りて研磨され整形されずとも、生まれたときから輝き、完璧な結晶形をなすものがあった。
 村の歴史が始まってから、一万個目の、「人の手が入らずに美しく輝く虹のしずく」が、石の神様として、まつられていたのだった。
 村の歴史始まって以来の、大きな結晶石が。
 幸運を引き連れてくる「一万個目」の宝石。そして、村の重要な財源の、質、量ともに極めてまれな、大きく美しい宝石だった。
 探検家卯月がこの村の訪れた目的、それは、「宝石を手に入れること」
 探検家ウヅキがこの村に訪れた目的、それは、「鉱物資源が眠った山を発見すること」
 二人のとった行動は、途中までは同じだった。
 二人して村に入り、村になじみ、鉱山を見学し、二人して山に入った。新たなる鉱脈を発見するべく。
 村人たちは、最初は警戒していたものの、打ち解けると、すぐに親切になった。ウヅキの固いほど真面目で誠実なひととなりによる所も多かったが、「ぺんぺん草も生えない」卯月が歓迎され、親切にされたのは、彼女が、村にとって「一万人目」の他所からの客だったからだ。
 結局、新しい鉱脈は見つからなかった。当たり前だった。ちょっと村に来ただけの外部の者が簡単に見つけられるくらいの鉱脈ならば、昔から村に代々住んでいる鉱山関係者がとっくに見つけている。
 二人の行動に違いが現れたのは、そこからだった。
 卯月は、「見つからないなら、今ある物で間に合わせる。ぶんどる!」
 ウヅキは、「見つからないのは最初から予測していた。後は、村人たちに、ここの鉱山のことを教えてもらい、自己の知識を増やして、探検家として成長しよう」
 どちらがより「健全」な思考であるかは、言うまでもない。

 少女探検家と、青年探検家は、夜のほこらで対峙している。虹のしずくをかけて。
 卯月は、エサを四日間くらい食べていない野生肉食獣のようなどうもうな顔で、獲物である「虹のしずく」をぎらぎら見ている。
 ウヅキは、飼い主の不手際でしつけが行き届かず手に負えなくなり、結果捨てられて野生化した犬を見るような顔で、卯月をうんざり見ている。
「卯月。私は、同じ探検家として、お前の行動を見過ごすことはできない。お前のやっていることは盗み。探険家とは、『未知なる物に挑み、未知を既知とすること』だ。盗みではない。さあ、同業の者がこう言っているのだから、悔い改めるんだ」
 卯月は、長ーく舌を出した。
「んべーだ。あんたって本当に固すぎ! じゃ、あたし探検家やめたー。今から盗賊でいいや」
 ウヅキは、その言葉を聞いて、眉を上げた。
「そうか、それならば」
 ウヅキは笑った。
「私も今から本業に戻る」
「本業? ほんぎょうってなに?」
 卯月の質問に返ってきたのは、言葉ではなかった。

 ウヅキは、卯月のみぞおちに拳をくれていた。

「ぐえ!?」
 卯月の視界と意識は、夜の闇より暗くなった。

「では、長々とお世話になりました。皆さん」
 山間にある、小さな村の入り口。
 探検家のウヅキは微笑んで、深く一礼した。
 見送る村人たちは、名残惜しそうに見送る。
「寂しくなっどんなあ。卯月さん、おまんさあの病気が、早うようなるごと、祈っとでなあ」(訳:寂しくなるけどねえ。卯月さん、あなたの病気が早く良くなるように、祈ってるからね)
 二人が逗留していた屋敷の老夫人は、里帰りしていた孫を見送るように、目じりをそっと押さえながら微笑んでいる。
 がっしりした壮年の男は、ニッ、と笑った。
「おはんたっが来てくいやって、村にはよか風がふてきたごたったど! また来てくいやんなあ」(訳:あなたがたが来てくれたので、村には良い風が吹いてきたようだったよ! また来てくださいね)
 他の村人たちも老若男女、みんな勢ぞろいして、「二人」を見送る。
「元気でなあ!」
「また来てくいやん!」(訳:また来てください)
「卯月さん! ごてがかなうごとなったら、また来てくいやいねえ!」(訳:卯月さん! 体が動けるようになったら、また来てくださいね!)
 ウヅキは、にっこり笑って、最後の礼をした。
「お世話になりました!」

 二人の姿が、山沿いを通る山道の山肌の影に、すっかり隠れてしまうまで、村人たちは二人を見送った。
 見送りながら、村人たちは、しみじみと話し合った。
「よか探険家たちじゃったどねー?」(訳:良い探検家たちでしたね?)
「やっぱい一万人目のお客さんは違がよ、特別じゃが。幸運を運んできてくるったどなあ」(訳:やはり一万人目のお客さんは違いますね。特別な存在です。幸運を運んできてくださるのですね)
「初めて見たときゃよお、ひんしゃくれた野良猫ごた、おなごんこじゃっねーち思ったがよ? 『こん人あ泥棒さんけな? 虹のしずくを盗い来たっけ?』て、まこておいも根性ん悪く考げて見とったどんかい」(訳:初めて会ったときは、貧相な野良猫のような女の子だなあと思ってしまいましたよ? 『この人は泥棒さんかな? 虹のしずくを盗みに来たのかな?』と、本当に私も根性の悪い風にかんぐって見ていたのですけれど)
「そいが違たっじゃっねー。あんひた、まってまて、ひどか病気もちさんじゃったんじゃっなー?」(訳:それが違ったのですよね。あの人は、まあまあなんてことでしょうか、酷い病気を持った方だったんですよねえ?)
「じゃがじゃが。そげんでもなければよ。あげんガラガラあいもこいもて食われんどなあ? 赤ん坊の飯からなんから、覚えとっけ? 犬んエサまで、食えるもなすっぱいこっぱい、べらい食べつらかしてしもたよ」(訳:そうですそうです。そうでもなければ、あのようにガツガツとあれもこれも食べられませんよね? 赤ん坊のご飯から何から、ねえ覚えてますか? 犬の餌まで、食べられるものならば全て、すっかり全部食べ散らかしてしまってましたよ)
「ほいでよ。病名はなんじゃったけ?」(訳:それでですね。病名は何でしたか?)
「ペンペングサモハエナイ病、じゃったどな? ウヅキさんが教えてくれたっは?」(訳:ペンペングサモハエナイ病、でしたよね? ウヅキさんが教えてくれたのは?)
「ぺんぺん草ちな? わっぜかな! さすが奇病じゃっが! おやそげんふうな病名は、聞いたこともなかがよ? じゃっで、あげんおとろしか感じじゃったとじゃっねー? ぺんぺん草ち! すごかどそや」(訳:ぺんぺん草ですって? すごいですね! さすが奇病ですよね! だから、あれほど恐ろしい様子だったのですね? ぺんぺん草って! すごいよそれ)
「じゃっどんかいよ。まこて一万人目じゃっどね? 村ん言い伝にはよお、間違やなかどねえ?」(訳:それにしてもですよ。全く、一万人目ですよねえ? 村の言い伝えには、間違いはないですよねえ?)
「卯月ちゃんはよ、誰よりもえっらい真面目によ、そいこそよ、鬼のごた勢いで見つけ回っとったでねえ! 山グワ、何本じゃったけな? そがましゅうっこわしてよ」(卯月ちゃんは、誰よりもえらく真面目に、それこそ鬼のような勢いで見つけて回っていたからねえ! ツルハシを何本だったっけ? すさまじい数を使って壊してまで)
「地獄ん釜ん底ずい掘っとけ? ちゅうごたたどねえ? 病気でてそかとけ、『誰も手出ししないで! これは私のエモノよ!』とまで言ってくれてよー」(訳:地獄の釜の底まで掘るのか? という様子だったよねえ? 病気で辛いのに、『同上』とまで言ってくれてねえ!)
「村のためによ……あげんまで一生懸命になってくれてよ。まってまって、自分はおとろしか病にかかっととによ。あげんひどか症状じゃよ? 世間様からはつんたか目で見られたりして……世間はわかっとらんでなあ?」(訳:村のためにねえ……。あんなに一生懸命になってくれてねえ。まあまあ、自分は恐ろしい病気にかかっているのに。あんなにもひどい症状なのにね? 世間様からは冷たい目で見られたりするだろうに……何も知らない世間は、ひどいからねえ)
「ほんなこつ、卯月ちゃんは、よか人じゃった。ほんなこつ、幸運をもってくっ『一万人目』じゃったどねえ?」(本当に、卯月ちゃんは、良い人だった。本当に幸運を持って来てくれる『一万人目』だったよねえ?)
 
村人たちは、しみじみとうなずきあった。
「その上よお、宿代ん代わりに、こげんそがましゅずんばい宝石を置いていってくれてよお。酷か発作でもがもが言いながらも、ウヅキさんに頼んででもおいたっにくれるっちよ。あん子こそ、具合が悪して、金がいっとけなあ」(その上、宿代の代わりに、こんなに凄まじく沢山の宝石を置いていってくれてねえ。酷い発作でもがもが言いながらも、ウヅキさんに頼んででも私たちにくれるってよ。あの子こそ、具合が悪くて、医療費などにお金が入用でしょうに)

「もがもがー!」
 卯月は叫んでいる、らしい。
 さるぐつわを咬まされているので、くぐもった声しか出ないので、断定はできないが。その上、全身をぐるぐる巻きに縛られている。
「うるさいぞ卯月」
 ウヅキは、卯月を左肩に抱え上げ、ずんずん歩いていく。足場の悪い山道を。
「もがもがもがもがー!」
「何言ってるのかわからん」
「もがもがー! もがもがー!」
 ウヅキはぴたりと立ち止まった。顔だけ動かして、すぐ右で切れている地面を見つめる。
「うるさい。あまり騒ぐと、崖下に放り投げて帰るぞ。お前の身元なんて不明だし。いなくなっても探す者だっていないだろ?」
 卯月はぴたりと静かになった。
「……」
 哀れっぽく見開かれた目だけで、ウヅキに訴える。
 ごめんなさいもう騒ぎません、と。
 ウヅキは眉を上げた。
「私が、村人たちに、お前のやろうとしていたことと、私の本業を話さなかったことを感謝するんだな」
 卯月はこくこくこく、と、神妙にうなずいた。
「色んな手続き省いて、『処刑』されずに済んだのだからな」
 卯月はこくこくこく、と、うなずいた。
 ウヅキはずんずん歩き始める。
「だが、私は見逃すわけじゃないからな。里に降りたら窃盗の罪で届け出るから」
「! もがー!」
 ウヅキは、再び騒ぎ始めた卯月に、小さな赤い宝石を見せつけた。
「寛大だろ? これ一個の窃盗罪だけだぞ? 残り九千九百九十八個は、お前のせいじゃないわけだ。最初からなかったものとして取り扱われるわけだ。なにせ、お前が探検先で発掘したものだからな。誰もその存在は知らない」
「もがもがもがもがー! もがもがー!」
「ああうるさい。探検先で発掘した宝だからといってもな、窃盗で訴えればそれで成立するんだ」
「もがー!」
「村人たちも大喜びでよかったじゃないか。卯月、あの村ではお前は幸運の運び主、ほこらの『虹のしずく』と同じくらいありがたい存在になったんだ。よかったな。生まれて初めて、あんなに多くの人たちから感謝されたんだろう? よかったな」
「もがもがー!」
 そのとき、騒ぎすぎた卯月の口から、猿ぐつわが解けて落ちた。
「ドロボー!」
 ウヅキは耳元でした高音の大声に顔をしかめた。
「どろぼうはお前だ」
 卯月は、ぐるぐる巻きにされた体を、うねうね動かして暴れる。
「よくも勝手にあたしの宝石くれ散らかしたわね! あんた最初から、あたしのこと捕まえるつもりで一緒に来てたのねー! ばかー! ばかー!」
 ウヅキはうるさそうに首を振る。
「捕まえるつもりはなかった。が、お前が盗みを認め、『盗賊になる』と言ってしまった以上、私も本業に戻らざろうえないじゃないか」
「ウヅキのばかー! 記念すべき一万個目の宝石だったのにー! うそつきー!」
 まるで自分こそが被害者であるかのような口調の卯月に、青年探検家はそれでも真面目に答えた。
「嘘は一度だってついていない。黙っていただけだ。探検するのに正体なんか言う必要ないじゃないか」
「サギ師ー!」
「誰が詐欺……私は懲罰執行人だ。詐欺師じゃない」
「ちくしょー! なんでこんな目にあわなきゃならないのー! あたしが何したっていうのよお! あんたのせいよー! あんたがいなけりゃ、あんたがそんな嫌な本業になんか就いてなければ、今頃は、虹のしずくが、一万個目の宝石が私のものになってたのに!」
 ウヅキは、長く尾を引くため息をついて、鳥につつかれた芋虫のようにぐねぐね暴れる少女を担いで山を降りる。
「私のせいじゃない。卯月の身から出たサビだ」

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