万の物語/二万ヒット目/北の空二万の星〜白い星の隠し巫女〜

北の空二万の星〜白い星の隠し巫女〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


13

 雪葉と祐人は、阿子木山の山頂にある神社の境内に入った。さらに歩き、ご神体が祭られた社の手前に立つ。
 今、ここには二人以外に、誰もいなかった。
 降る雪しか、動くものはない。
 残りの累機衆達は、全員が、阿子木山のあちこちに散らばって、新殻衛兵を待ち構えている。
 巫女と、彼女の幼馴染にして長の息子だけが、社の中にいた。
 二人は、社を背にして立っていた。
 空には星が輝いている。
『ね、祐人』
 密やかな声で問われて、少年は心地よさそうに目を細めた。
『うん? 何?』
『背中の怪我、大丈夫なの?』
 愛しい少女の気遣いの言葉に、祐人は心からの笑みを返した。
『大丈夫だよ。僕は累機衆。だから、世界は幻だ。あの時は驚いて騒いだだけ。怪我するはず、なかったんだよ』
『そう……』
 雪葉は、小さく応じて、うつむいた。
『祐人』
 雪葉の方ばかりを見つめている幼馴染に、巫女は顔を向けた。
『祐人。知っている? 空には、いくつの星があるのか?』
 祐人は、首を傾げた。
『なんでそんなこと聞くのさ? 雪葉』
『異界をわたる累機衆なら、星のことに詳しいかと思って』
 ははは、と、祐人は笑った。
『おかしな雪葉だなあ。星と、異界を渡ることには、なんの関係もないんだよ? 星は星。世界は世界なのさ』
 動物の子を見るように優しさとあざけりとが混じった笑いを、雪葉に注いだ。
『本当に?』
『長から習ったんだから、本当さ』
 雪葉は、目を伏せて、自分が踏んでいる雪を見下ろした。
『習った……、ね。祐人は、それを確かめてみたの?』
 意外な問いかけに、少年はきょとんとしてしまった。
 愛する少女の前では常に、余裕だけは崩すまいと思っていたのだが。
『どうして? わざわざそんなこと、する必要ないだろう?』
 長が言ったんだから絶対さ、と自信に満ちて言った後に、祐人は、クス、と笑って、雪葉を見つめた。右手を伸ばして少女の黒髪に指先だけで触れてなでる。
『今日は変なことばっかり聞くんだね? ふふふ。ユキハは……可愛いね。そんな小さなことが、気になるなんて、さ?』
 雪葉は眉をひそめた。
『また。祐人、発音が違う。私は、雪葉』
『いいんだよ発音なんて、どうだって』
 指摘を気にすることもなく、祐人は、雪葉を抱きしめた。痛めている右の手首を強く握り、動けないようにして。
『好きだ。愛してるよユキハ。誰よりもね? 僕の物になってよ?』
『やめて。放して!』
 痛みに顔をしかめて、雪葉は大声を上げた。
『おい。なんだよ』
 祐人は、反発されて顔をしかめた。それでも、すぐに優しい笑顔を作った。
『そんなに照れなくてもいいんだよ? ここには誰もいないんだからさ?』
『祐人』
 少年の言葉を遮って、少女は尋ねた。
『私を好きなら……。たとえば、私が、ここのご神体を新殻衛兵に渡しても、許してくれる?』
『え?』
 少年の、優しい顔が、凍りついた。
『ユキハ?』
 雪葉は右手を、祐人から離すべく、自分の方に引き寄せながら、さらに言った。
 山全体に響くほど、はっきりした声で。
『私が凶星を欲しいと言っても、祐人は許してくれる?』
『え』
 風にのった粉雪が、二人の間を通っていった。
 祐人が、彼の恋焦がれてやまない少女が、何を言ったのかをすぐには、理解できなかった。予想だにしなかった言葉だった。
『なんだと!?』
 祐人が、声を荒げた。
『この人間めがっ!』
 つかんでいた右手首を、容赦なく引き上げた。
『……っ!』
 負傷している右手だけで体を宙に持ち上げられた。雪葉は、激しい痛みに身を震わせて息をつめた。
 祐人は、怒りに顔を歪ませ、声を震わせて、腹の底から恫喝した。
『人間の分際で! 思い上がった口をきくな! お前なんかがどうこうできるような物じゃないんだぞ! お前なんか、こうだ!』
 祐人は、雪葉を地面に叩き付けた。
『!』
 痛苦に息を詰まらせ、雪葉はそれでも逃げようとする。いや、社に向かおうとする。
 その黒髪を、祐人は荒々しくつかんで引いた。
『待てよユキハっ! 逃がさないぞ? 絶対に逃がさないからなっ!』
 勢い良く雪の上に引き倒された少女の体の上に、少年は馬乗りになった。
『そんな裏切り、一生できないようにしてやる! お前は僕の恋人になるんだ愛人になるんだ妻になるんだ!』
 雪葉の両肩をつかみ、力任せに揺さぶった。
『いや』
『口答えするなっ!』
 祐人は、雪葉の右手首をつかんでひねった。
『……っ』
 雪葉は、口を固く閉じて悲鳴を消した。
 少年は、少女の体に毒を塗り込むように言った。
『お前はっ、ただの、ただの人間なんだぞ? それなのに。人間の癖に特別に、特別に巫女に選ばれたんだぞ! だから、しおらしく累機衆に仕えてればいいんだよ!』
 雪葉は瞳を上げ、かすれた声で、祐人にたずねた。
『私に凶星を、くれない?』
『ばかっ! お前ばかだ!』
 祐人は、かんしゃくを起こした。
『なんでまだそんなこと聞いてるんだよっ? 馬鹿だなっ雪葉は! さっき答えただろ? 渡さないって! 渡すもんか! 絶対わたさないぞ! 絶対だ!』
 雪葉は、どうしてか、哀れんで幼馴染を見た。
『忘れてないのね……それだけは』


←戻る次へ→

万の物語 作品紹介へ inserted by FC2 system