万の物語/二万ヒット目/北の空二万の星〜白い星の隠し巫女〜

北の空二万の星〜白い星の隠し巫女〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


19

 祐人は、呆然と見開かれた目を、ぎこちなく瞬かせた。
『く、』
 壮年の男が言っていることが、ひとつも理解できなかった。
『国主? くにぬしっ……て? 誰?』
 男は、くっ、と、あざけり笑いを浮かべた。口角が鋭く持ち上がる。
『これは。何もかも、お忘れになられているとは。いっそ見事だな。主上は、お前の記憶まで消しはしなかったのに』
 右手に持った黒い粒を、祐人の目の前に突きつけた。
『お前の前生は、そうも薄っぺらなものだったのか? よし。では祐人よ、問おう。これを燃やして、使い物にならなくしてもよいか?』
『ヤメロ! ヤク束がチガうぞ! お前タチは結果が出るまデは待つと言ってイタはずだっ! 私は、本当の私のままに、生きてみせルと!』
 口が勝手に、しゃべった。
『ハハハハハ!』
 男は、哄笑した。笑いながら少年を見て、さらに笑った。
『これは愉快! 己自身のことすら忘れているのに、欲望は身にしみついたまま、己すら操るとは!』
『え……?』
 どうやら、自分は、彼からあざけられている。
 だが、祐人には、その理由がわからなかった。
『何を言ってルンだ? 忘れるって? 欲ボウって?』
 男は、その答えすらおかしい様子で、さらなる笑い声を上げた。
『ハハハハ!』
『笑ウナよ!』
 祐人は、声を荒げた。
 訳はわからないが、とにかく、見下げられたくない。
 どんな理由であれ、見下げられるのだけは嫌だった。自分は、累機衆の、次の長なのに。そんな自分が笑われるなんて、あってはならない。
 しかし、そんな少年の内心を見透かして引き裂くように、白柳は声を張り上げて笑った。
『ハハハハハハ!』
『笑うな! 笑うなアアー!』
 少年は、かんしゃくを起こして、木の床を足で激しく踏み鳴らした。
『静まれ。祐人』
 そこに、低く鋭い声が掛けられた。
 再び、少年の目の前あたりの床が盛り上がり、長が姿を現した。
『何を騒いでおる?』
 白く長いあごひげをなで、荒ぶる祐人の揺れる瞳を、鋭利な刃物のようにきっと見つめた。
『いやしくも累機衆の長となる者が、いたずらに激情に流されてはならない』
『だ、ダッて、お父様!』
『父ではない!』
『!』
 長は、雷のような叱咤と眼光で少年を震え上がらせた。
 そして、いかめしい声を寄越した。
『長と呼べ』
『……はい』
 祐人は、ひどく不満そうな顔をした後、くぐもった声で小さく『オさ』と呼んだ。
 長は、小さくうなずいた。
『祐人よ』
 少年は、眉根を寄せて窮屈そうに顔をしかめ、上目遣いで父を見た。
『はい、オサ』
 長は、真実の剣でもって相手の心を貫くように、息子を見下ろした。
『お前は、どのように生きたいのだ?』
『え?』
 言葉の意味をとりあぐねて困惑する祐人に、長は再度問う。
『累機衆の長となった後に、お前は、この世界でどのように生きたい?』
 そう問いなおされた祐人は、思わず、笑ってしまった。
『あはは』
 父が冗談を言ったとばかりに、少年らしい快活な笑い声をあげた。
『あはははっ』
 腹を抱えて、笑い涙混じりの目を細めて、長に微笑んだ。
『長。なぜそのようなことを尋ねるのですか? 僕は累機衆です。この世界の者、人間ではない。本当の僕は、異界を渡れる者です。だったら……この世界で人間として生きていく必要なんて、ないでしょう?』
『お前は、それだけの存在か。不確かな夢に頼り、今ある生すら、満足に生きられないとは。わかった。もう良い』
 長は目を伏せ、悲しい顔で息を吐いた。
『慈しんで育てたつもりであったが……』
 息子を見下ろす白いひげの老人は、壮年の男に右手を差し出して、黒い小さな粒を受け取ると、一層、悲しそうになった。
『祐人よ』
 今までとはうってかわって、消沈した声を掛けられた。
 少年は、口を半開きにして、ぽかんと見返した。
 父にこんな顔をされたのは、生まれて初めてだ。
『長?』
『私が謝るべきことではないが』
 長は、深く、目を伏せた。
『しかし、言わせてくれ。お前には、申し訳ないことをした』
 そして、黒い粒を見つめると、重い息を吐いた。
『運が悪かったのだ。お前にとっては』
『……?』
 祐人には、父の、長の、老人の言葉の意味が、理解できなかった。
 どうして自分は、謝られているのだろうか?
 厳しく強い父が、声を落とし眉を下げて、こんな悲壮な顔をするほどに。
 そして、意を決した累機衆の長は、威厳のある姿に戻ると、大きな声で朗々と言った。
「主上、これまででございます!」


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