万の物語/二万ヒット目/北の空二万の星〜白い星の隠し巫女〜

北の空二万の星〜白い星の隠し巫女〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


21

 凶星が、国一つ滅ぼしたのではない。
 真実は違った。
 昔。
 そう、それは人の住処が蜃気楼ではなかったころ。物として存在していたころ。
 位を継承したばかりの国主が、臣下に軽蔑されていたころ。
 星が落ちてきた。城のある阿子木山の頂に。その中にある国主の私的な庭に。
 星はまだ、小さかった。国主の親指の先ほどの、黒い塊だった。 
 国主は、落ちてきたばかりの星に驚き、よろこび勇んで、願った。
『お願いだ。皆が私を侮らないようにして欲しい』
 と。
 星は、凶星ではなかった。それどころか、星ですらなかった。
 それは、知恵の種だった。
 夜空に見える一番遠い星から、北の賢者が、投げ捨てたもの。
 知恵の種は、
 言葉を理解する。命令を実行する。知恵を持つ種。
 食すれば、記憶力と判断力が高まる。知恵を与える種。
 ただ。
 その力は人には強すぎて、扱えないもの。知恵の純結晶。
 まず、種は国主の願いをかなえなかった。
 願われた種は、ただ、尋ねた。落星に願っていると信じている、国主に。
『侮らないとはなんだ?』と種が聞いた。国主に。
『私を馬鹿にしないことだ。軽蔑しないことだ』と星に答えた。国主が。
『私とはなんだ? 馬鹿にしないとはなんだ? 軽蔑しないとはなんだ?』と、種が聞いた。国主に。
『それは……』国主には、答えられなかった。
『沈黙とはなんだ?』と種が聞いた。国主に。
『だ、黙ることだ』と答えた。国主が。
『黙るとはなんだ?』と種が聞いた。国主に。
『ことばを、言葉を話さないことだ』と答えた。国主が。
『ことばとはなんだ? 言葉とはなんだ? 話さないとはなんだ?』と種が聞いた。国主に。
 願いは、腑分けされ分解された。話せば話すほど、説明すれば説明するほど、言葉は分かたれて意味をなさなくなっていった。
『なんだこれは……』
 気味の悪い、得体の知れない、天からの授かり物。国主は、恐怖を覚えた。
『た、頼む。私が、……あなたと話しているのが見つかったら、私はきっとまた、臣下から見下げられてしまう。黙ってくれ』
 国主は、知恵の種に願った。
 種はこう返した。
『頼むとはなんだ? 私とはなんだ? あなたとはなんだ? 話しているとはなんだ? 見つかったとはなんだ? 臣下とはなんだ? 見下げられてしまうとはなんだ? 黙ってとはなんだ?』
『うう、ううう……』
 沢山の問いが返された。
 日ごろ考えることをしない国主には、思考回路の過負荷がはなはだしかった。
『うう』
 国主は、不気味な問いに混乱し、恐ろしくなって叫んだ。
『や、やめろ! 黙れ!』
『やめろとはなんだ? 黙れとはなんだ?』
 またも返った問いに、国主の頭の中は真っ白になった。
『ああ、あ』
 どうしていいかわからない。
『だ、だまれ!』
『だまれとは……』
『ええいっ! うるさいうるさいうるさいわ!』
 思わず、口うるさい臣下を黙らせる時と同じ口調になった。
『うるさい! 私に聞くな! 命令する! 国主たる私が命じているのだぞ! 黙れ!』
『……。……。……』 
 しいん、と、無言が返った。
 激しい声音に息をはずませながら、国主は、黙ってしまった星を見た。
 小さな、まるで、種のような星、を。
 星は何も言わなくなった。
 返答を待つ国主と、星との間に、冷たい冬の夜風が三度通っても。
 星は、何も言わなくなった。
『星よ……?』
 沈黙に耐えられなくなり、国主は声を掛けた。
 答は返らなかった。
『これ。星よ』
 やはり、返らなかった。
 国主は恐ろしくなり、やけになってわめいた。
『命令する! 私の呼びかけに返事せよ! 星よ! 命令だ!』
『はい』
『!?』
 国主は、あっけにとられた。呆れて体中の力が抜けるほど。簡単に、返事をされたから。
 そして、まさか、と、思った。
 先ほどまでは、願ったがかなわなかった。
 だが、今、私が、命令したら、かなった。
『星、よ。命令する。呼びかけに返事せよ』
『はい』
『命令する。いいえ、と言え』
『いいえ』
『命令する。国主様、と言え』
『国主様』
『命令する! あなたはすばらしいと言え!』
『あなたはすばらしい』
『おおう!』
 国主は、思わず、声を上げて笑った。
『こ、これは! これは! この星は! ハハハハハ! この星は、なんという星なのだろうか! ハハハハハハ! ハハハハハ!』
 すばらしい、と、国主は口角をゆがめて、つぶやいた。
 真っ黒い小さな、「まるで種のような」星に向かって、国主は命令した。
『星よ。命令する……わたしの仕事を、代わりに終わらせろ』
 都合の良い、不可能な命令だとはわかっていた。それでも、戯言のように、国主は命じていた。
『はい』
 果たして。返事は応。
 しかし国主はそれを信じることをしなかった。自分でも、これは世迷言だとわかっていた。
 屋敷に帰るまでは、信じていなかった。
 屋敷に戻り、異様な目で自分を見つめる臣下たちに会う。不審に思いながら、自室に戻る。自室には、いつも未解決の書類の山が腐っていた。いつもならば。
 だが、そこには。
 未処理の書類など、無くなっていた。今まで見たこともないほど、上に何もない机があった。
 代わりに、臣下たちが、大勢でごみごみ集まっておびえていた。
『く、国主様。恐ろしいことが、起こりました。つい、さきほどのことです』
『……か、勝手に、文書の山が宙に浮き』
『勝手に、筆が浮き上がって』
『文が書かれ、印が押されて』
『見る間に、仕上がったのです』
 見ていた怪異を、臣下たちは、歯の根の合わない震え声で、口々に国主に申し上げた。
『なんと!』
 彼らに取り巻かれている国主は、驚いた。
 なんてことだ。
 なんて……すばらしいんだ。あの、星は。
 驚きは、奇妙なほどにすぐさま、よろこびに変わり、そして、つい今しがたまで受けてきた屈辱を思い出した。泥の沼に浮かび上がる濁った水泡のように。
 ふふ。ふふふ。
 私を馬鹿にしてきたお前たち、そのこっけいな間抜け面はなんだ? お前たちに復讐してやる。私の真の姿を見もせずに、見下げ続けてきたお前たちに。本当の私の素晴らしさに気づきもせずに、私の無能を責めてきたお前たちに。
 国主は、ゆったりと笑った。
 かつて見たことも無い、余裕のある笑みで。
『何を愚かなことを言っているのだ? そんなことがある訳がない』
『そんな……』
『私たちは、たしかに、見ました。見たのです』
 臣下たちは頼りなげに言った。自分たちの言っていることは荒唐無稽なこととわかっている。しかし、どうしようもなく事実だった。だが、とても信じられない光景だった。臣下たちが主に申し上げる口調は、だから、とまどいから抜け出せていなかった。
 主は、常識者の顔をして、たしなめるように笑う。
『はは。そんなことがあるはずなかろう。そろいもそろって、何を夢のようなことを。そんなことを言われても、誰も信用できまいよ?』
 臣下たちは、そろって、迷いに満ちた表情を浮かべた。
『そんな……』
 これまで続いてきた主と臣下の立場は、この時、逆転した。
『国主様……私たちは、たしかに』
 国主は笑う。初めて、臣下たる彼らから、自信の無さを感じることができた。
 勝った。勝ったぞ。
 今や、私は強者であり権力者だ。お前たちは弱者であり服従者なのだ。
 これが、本来のありかた。
 私は、彼らより上なのだ!
 国主は大きなため息をついた。
『嘆かわしい』
 あわれみの目を臣下にくれてやった。
『国に仕える者が、そのような馬鹿げた妄言を』
 そして、優しさを貼り付けた笑顔で、お情けを垂れた。
『さあ……、もう良い。素直に認めたらどうだ? お前たちが、代わりに仕事を行ったのであろう? 主の仕事を代わりに行なったのだな?』
 それでも、臣下たちは肯定しなかった。
『いいえ』
 固く曇った顔に「自分は真実を言っている。嘘などついていない」と、ありありと書かいてある。
『あくまで否定するのか』
 国主の声は低く、震えていた。
 彼らの正直さに腹が立った。
 偽れ。偽ればよいのだ。「私たちは国主様のご負担を減らしたく思いまして、代わりに仕事をいたしました」と言えば良いのに。
 言えば……、私は真実を話し、そして、嘘をついたこやつらを罰することができるのに。今まで煮え湯を飲まされてきた仕返しが、できるのに!
『素直に認めよ! 認めんか! 命令だ!』
 国主は、腹の奥底から叫んだ。憎しみが、ごまかせないほどに濃く、口調に混じった。
 臣下たちは、そろって、首を振った。
『いいえ』
 そして、顔を上げて、主を見た。
『たしかにこの目で見たのです』
 皆、主の命に従わなかった。
 国主の頭の中は、雪のように真っ白になった。
『!』
 同時に、心の中は、闇のように真っ黒になった。
 憎しみと怒りとが、無限に増殖を始めた。
 どこまでも正直な! そんな、夢のような出来事でも、あくまで本当だと言い切る気か!
 偽れ!
 偽りを言って、私に罰せられれば良い!
 そうしたら、私の心は晴れるのだ!
『もうっ、もうよいっ!』
 国主は、悲鳴を上げるようにそう叫ぶと、きびすを返して、自分の部屋に戻った。誰からも引き止められなかった。それゆえ、一層、腹が立った。
 もう、許してやるものか。
 お前たち全員。私を侮る者は全員だ。
 そして、外へ出た。自分だけの庭に。
 そこには、星がある。国主の命令に従う星が。
 外履きもはかずに、国主は庭へ出た。
 足音高く鳥居をくぐる。
 勢い良く扉を開けた社の中に、黒い小さな種のような星がいた。
 国主は、それを見るとほっとした。
『星よ……』
 社の神棚にまつられた星の前に膝をつき、国主は半泣きの体で、つぶやいた。
『お前だけだ……お前だけが、私の真の姿を知っている。それゆえ、命令に従ってくれる。そうだろう? 私は、本当は素晴らしいのだ。そうだろう?』
 しばらく、国主は床を見下ろし、口中でぶつぶつと何事か言い続けた。ここにいない誰か達に、毒づいているらしかった。
『決めた』
 くぐもった声を出し、国主は顔をゆるゆると上げた。
 星を見て、底光りのする笑みを浮かべた。
『星よ、命令する……』

 そして。
 命令は全て実行された。
 奇妙な言葉が星から漏れ出てきて、すると、臣下たちは殺しあった。最後の一人になるまで、刀で斬りあった。最後の一人は自害した。
 臣下達の上げる断末魔の声に、国主は胸が晴れる思いだった。彼らへの恨みが晴れた。ざまを見ろと思った。私が感じてきた屈辱や苦痛を、お前たちに返してやる!
 突然の凶事に民は驚き怯えた。
 すると、こんどは、星から奇妙な水が湧いてきて、社から流れ出し、地に染み入り、水と土を変えた。作物に、毒が混じった。
 民は滅んだ。
 他国の者たちは、いぶかしんだ。独り残った国主を疑った。
 すると。
 皆、同様の方法で死んでしまった。刃を持つ者は殺し合い、そうでない者は毒で。


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