「心が広すぎるんだか狭すぎるんだかな。どっちなんだろうな。見てたよ。お帰りー」
暖炉の火が赤々と燃える部屋で、火酒の大瓶を左手に、右手には虹の珠を持って、紅い賢者が屋敷の主人を迎えた。
巫女を抱えた紫の賢者は、問いには答えずこう言った。
「何本目だ?」
「5本目ー! 乾杯ぃー!」
笑顔と返答が、上機嫌で戻ってくる。
「あっ!」
ノウリジの笑みは、さらに輝いた。それは、友に向けられたものではなかった。
「やあ! ユキハちゃんじゃなくって、雪葉ちゃんだね? 可愛い。めちゃ可愛い。雪葉ちゃん、初めまし」
「見るな話すな帰れ」
インテリジェは、空気中にしつこく舞うホコリを払い退けるように、ぞんざいに手を振った。友に対して。
「心狭っ」
頬をひきつらせて、ノウリジはたじろいだ。
「なんだよ、いいじゃないかよ? お前の巫女だってわかったんだから手出ししないさ。でも挨拶くらいさせろよ」
「減る。帰れ」
「『減るもんじゃないだろ』って聞く前に先読みして言うなよ……」
げんなりするノウリジに、雪葉が、微笑みながら楚々と一礼する。
「お久しぶりですノウリジ様。実は、初めましてでは、ございません。小鳥の姿で、ずっとお会いしておりましたから」
「雪葉、」
にっこり笑ったインテリジェが、南の賢者の方を向いた巫女を、自分の方に向き直らせてから抱きこんで隠す。
「いいのだ。そんな親切に言ってやらなくて。もう二度とお前がこいつに会うことはないのだから。これが最初で最後になる」
「小鳥って?」
ノウリジは、紫の賢者の、巫女に甘く友に惨い言葉よりも、雪葉のあいさつに含まれていた単語の方が気になった。
「小鳥の姿で会っていた……?」
記憶をたどると、間もなく思い出した。友が異界に行く前に、そういえば自分も言っていた。小鳥にばっかりうんぬん、と。
「あ。インテリジェの飼っていたあの小鳥は雪葉ちゃんだったのか!?」
同時に、友にだまされていたことにも気づく。
「ということは。インテリジェ、お前……ずっと雪葉ちゃんを俺から隠してたのか? 酷いっ」
紫の賢者は眉をひそめて、心外な、とつぶやいた。
そして、さらりと言った。
「勘違いするな。お前だけじゃない。賢者全員からだ。誰も、うちの雪葉のことは知らん」
想像以上に、彼は徹底していた。
「げー! 最っっ低!」
ノウリジは、友の抜け目の無さを非難した。
「んじゃ、ずっと俺たち東西南の賢者が『小鳥と星めぐりが好きだなんて、他に趣味はないのか暇人め』と言って、お前を馬鹿にしてたけれど、裏側では、こういうことだったのか!? この腹黒め! 小鳥と星めぐりって、つまり、雪葉ちゃんと異界で逢引き、ってことか!」
「その通り」
重々しいうなずき付きの肯定が返った。
「わかったなら、帰れ」
紫の賢者は、ぞんざいに手を振って、友を追い出そうとする。
「酷ーっ!」
叫ぶ友に、インテリジェは鼻で笑った。
「酷い? ふん」
次に、愛しそうに目を細めて、巫女に微笑みかける。
「星に置いてきた私の雪葉を、赤子の頃からこの姿に育つまで、毎日毎日、朝夕眺めてきたのだろう?」
再び、軽蔑するような顔に戻って、友を見た。
「そんな危険な男の前に、雪葉をさらすわけにはいかんな」
ノウリジは、眉を下げた。
「そんな殺生な……。俺の、自然な気持ちの発露さえも許さんのか? 俺はただ純粋に、かわいい、って思っていただけなのに……。やましい気持ちはあんまりないのに」
「ふふ」
インテリジェは、眉を上げて笑ってみせた。
「残念だったな。私よりも先に、お前が雪葉を助けに行っていたのならば。危険を顧みずに、雪葉の元へ行ったのならば。その心意気に免じて、少しは私も考えたのだが」
「うう。しまった。そうか、あの時俺は、試されてたんだな……」
紅い賢者は、非常に悲しそうな顔になって、それでも雪葉を見つめる。
「くちおしや」
「ははは」
紫の賢者は、可笑しそうに笑った。
「まあ冗談だ。今まで、お前からはさんざん変人扱いされていたからな。これは仕返しだ」
「え?」
ノウリジは、目を丸くした。
そんな意地の悪い冗談は止せ、とか、最低、とか、言うよりも先に、南の賢者はこう尋ねて返した。
「え? え? ちょっと待て、どこからどこまでが冗談? そこをはっきりさせてくれ」
北の賢者は苦笑した。
「どこまで、か。雪葉に会ってもいい。それだけわかればいいのだろう? お前は」
ノウリジの頭から、友を非難する言葉が、かき消えた。
「え? あ、やった、本当だな? やった!」
「すまなかったな」
インテリジェは、片頬で笑うと、雪葉を離した。
「行っていいぞ。雪葉」
「はい。主上」
「あああ」
ノウリジは、半泣きの体で、雪葉のそばに、よろよろと歩み寄った。体がふらついているのは、ずっと見てきた少女に、直接会えた感激のためだった。
「雪葉ちゃん……」
雪葉は、黒目がちの瞳を、にっこりと細めて、南の賢者を見つめた。
「ノウリジ様」
「雪葉ちゃん……握手して。初めて会えた記念に」
差し出された震える右手に、巫女の少女は「はい」と素直に応じて、自らの右手を出した。
しかしそれは、主の手によって、防がれた。
インテリジェは、雪葉の右手を握ると、自分の方に再び引き寄せた。
「!! っー!」
ノウリジの衝撃といったら、なかった。
「悪いが。まだ触るな」
口をぱくぱくさせている友に、わずかにだが申し訳無さそうな顔でそう断ると、インテリジェは続けた。
「今日のところは、帰れ」
「ええー!?」
暴風のような悲鳴が上がった。
インテリジェは、うるさげに目を細めながら、それでも、すまんな、と謝る。
「お前たちに長年隠してまで愛でてきた雪葉に、数年ぶりに会えた私の気持ちがわからないか? まだ誰にも触らせる気は無い」
ノウリジは、文句を言おうとした口を、なんとか閉じた。
たしかに。
「あ。ああ。それは、ううむ、確かになあ、気持ちはわからんこともない……」
それでも、自分だって直に初めて会えたのだから、喉から手が出るほど、握手したい。ゆえに、紅い賢者は、はきはきとではなく、ごにょごにょと応じた。未練がぼろぼろこぼれた。
「わかったよ。うん。そのうち、ううむ、すぐまた来るからな」
「すまんな」
インテリジェは、申し訳なさ二分嬉しさ八分で笑った。
そして、続けた。
「そうだ。賭けに勝ったのだから、珠はもらうぞ? それで覗かれてはかなわんからな。代わりに酒蔵の火酒を持っていけ」
好物を代償として差し出されたので、ノウリジの顔は少し明るくなった。
「お。いいのか?」
「酒蔵ごとでも構わん」
「!」
気前がいい。それほど雪葉に会いたかったのか。
「わかった」
返事が、少し歯切れよくなった。
「じゃあな」
北の賢者は、笑った。
「ああ。また」
雪葉が、笑ってくれた。
「ノウリジ様、またおいでくださいませ」
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