南の賢者は暖かい緑の草原に戻ってきた。
酒蔵と一緒に。
「お帰りなさいませ。お上」
彼の巫女たる、紅い衣を着た老婆が、しとやかに迎える。
「まあ」
そして、少し驚いた。
「どうされました。その、石の蔵は?」
ノウリジは、へへへ、と、嬉しさと惜しさの混じった笑みを返した。
「北の賢者からもらってきたのさ。虹の珠をもらう代わりにこちらをやる、とさ。これ全部飲み終わったら……彼の屋敷に行くんだ。彼の小鳥に会いに」
「あら。かの方の小鳥、戻ってきたのですか?」
老婆は、口元を手で隠し、少し顔をうつむけて慎ましく笑った。
「よろしゅうございましたね。とても大切にされてらしたから、さぞお喜びでしたでしょう?」
「そりゃあもう! あの喜びぶりときたら、これがほんとにあいつなのかと目を疑うほどだったよ!」
ノウリジは友の様子を思い出し、大仰に肯定した。
ついで、呆れに呆れた、それでも親愛の情はほの見える笑顔で、賢者は言う。
「あの笑わないインテリジェが、炎天下の氷菓子のようにでれでれに溶けて笑っていたよ。彼には悪いが、見慣れぬものだから恐ろしさすら感じた」
「そんなに、お喜びに?」
驚いた巫女が聞き返すと、主は何度も首を振った。
「ああ! あれは、見たら、誰もがびっくりするよ」
「そうですか」
巫女は、つつましくうなずく。そして、そっと、言い加えた。
「それほど大切なものなのでしょうね」
「雪葉、」
「主上、」
北の空、二万の星を見上げて、賢者と巫女は寄り添う。
「会いたかった。もう、こんな目に遭うのはこりごりだ。今度から、無闇に物を投げ捨てたりはしない」
黒髪を絡め取るインテリジェの指に、雪葉の指がからまる。
美酒のような笑みを、雪葉は献上した。
「私は、苦しくはありませんでした。私は主上の物です。主上の命令ならば、それを受ける私に喜びと幸せ以外の何がありましょう」
北の賢者は愁い顔を向けた。
「幸せだったか。では、そなたを恋しく思っていたのは、私だけであったか。せつないな」
雪葉は首を振る。
「主上が命じてくださったからこそ、幸せであれたのです」
「幸せ、か。さすが巫女」
賢者はためいきをついた。
「では雪葉、言い方を変えようか。本心を言え。命令だ」
「はい、主上」
インテリジェの、言葉が届くや否や、雪葉のしとやかな笑みは、一変した。
「主上の、馬鹿っ!」
涙まじりの拗ねた声となった。
「どうして私を他の男のそばへやったのですかっ!? 主上は意地悪です! 私が、主上を一番好きなの知ってらっしゃるでしょう? それなのに……ひどいっ!」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、雪葉は、つん、と顔を背けた。
「もう、知りませんっ!」
インテリジェは、しかし、かえって、双眸を甘く細めた。
「恋しかったか?」
「意地悪な主には、私、答えません!」
雪葉は、インテリジェと目を合わせようとせず、別の方向に顔を背けた。
「私は、約束を破って星を落とすほど会いたかったが? 雪葉の姿だけでも見たいと、虹の珠をノウリジから得るために」
愛しい笑みを浮かべて、賢者は首を傾げる。
「知りませんっ!」
再び、顔が別の方向に背けられる。頬が少しふくれている。
紫色の青年は、相手の怒りすら心地よいものであるかのように満ち足りた笑みを浮かべながら、腰をかがめ、巫女と目線の高さを同じにした。
「雪葉に呼ばれる前に、会いに来たが?」
黒髪の乙女は主の瞳をにらむと、大きく首を振った。
「聞こえませんっ!」
一層インテリジェは笑って、ささやいた。
「雪葉の怒った顔にも、心が溶かされるほど、愛しているが?」
雪葉は両手で耳をふさいで、頬を真っ赤に染めながら首を振った。
「知りません聞こえませんっ! 主上なんか、大嫌いです!」
「わたしは、愛している」
雪葉の両手を取って、耳から離し、もう一度ささやきかけた。
「わたしは、愛している」
巫女は、神酒に酔ったように、陶然となった。
「……主上、」
インテリジェの腕が、雪葉を抱き上げる。
「もう離さない。雪葉」
「主上」
北の空、二万の星は主の物。
私のこの身も、主の物。
小鳥は主の元に帰る。
約束を果たして落ちる星から。
主の腕の中に。
終
|