万の物語/三万ヒット目/人質は三万〜誕生日の贈り物〜

人質は三万〜誕生日の贈り物〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


20

 父さん。
 あなたにとって、ここは楽園? それとも、
 それとも、ゴミ捨て場?

 私は、笑う。
「今は、楽園に違いないわよ? 父さん。だから、早く帰ってきてね」
 愛しい娘が、楽園で待っているから。
 囚われの姉を助ける妹が、あなたに鉄槌を下すために。
「今日は誕生日。あなたが喜ぶ贈り物があるの」

 姉さん、あなたの部屋は、何色かしら?

「ミマちゃん……」
 小さな灯りを、一つ点けた。
 驚いている姉の声が、響いた。
 暗いゴミ捨て場、あるいは、楽園に。
 母そっくりな瞳が、母そっくりな妹を見た。
「どうして? ミマちゃん、ここに来ちゃ駄目。出て行って」
 妹は首を振った。
 姉が着ることのなかった、母と同じ制服を身にまとう妹。父が大好きな制服を。
 二人が浮かべられなかった、「幸せな微笑」を持つ少女。
 ミマは、理想の娘。
「姉さん」
 妹は姉に近づく。すると、恐れておびえた声が染み出した。
「ダメよミマちゃん。来ないで、逃げて、逃げなさい」
 姉が動けないことを知っている妹は、ゆっくりと歩み寄った。
「姉さん」
 姉は、かすれた声を無理に出した。
「駄目よ、父さんが来る、父さんが来るわ! こんなところにいちゃ駄目! 逃げて!」
「あなたを助けるから」
 妹は、姉の前に膝をついた。
 室内は、ひどく生臭い。
 「逃げて、逃げて、」とつぶやき続ける姉に、妹は、再びはっきりと首を振った。おびえきった姉の目を、優しい瞳で見つめ返した。
「私は大丈夫。私は、姉さんがいたから無事だった。そして、母さんのお陰で『幸せ』に生きているから。姉さん」
 ごめんね今まで待たせて、と、妹はささやいた。
 細い、本当に細い姉の体を、そっと抱きしめた。
「ね、約束したでしょ? 準備ができたの。私たち、やっと……あなたを助けられるのよ」

 それを、静かに見ている少女が独り。
 いや、今まで女だったのかもしれない。彼女は。

 ミマは、背後に不思議な気配を感じて振り返った。
 最後に連れて来た、長い黒髪の少女が北の壁際に立って、こちらを見ているようだった。暗くてよくわからないが。おそらく彼女に違いない。どうしてか、そう思えた。
 招待した場所はここだけれど、時間が違う。もっと遅い時間のはずなのに。  他の少女たちは、疲れたのだろうか、すやすや眠っている。ミマは、それには少々まいった。ここで眠ってしまうなんて、予想と違っていたから。もっと元気でいると思ったのに。
「もう、いらっしゃってたの?」
 ミマは、首を傾げて微笑んだ。心に何を抱えていても、幸せな微笑みならいつでも浮かべられる。
「扉には鍵がかかっていたはずだけど?」
 暗い部屋だから、相手には笑顔が見えないだろうけれど。ミマは笑う。
「ここはまだ暗いし、用意もしてませんの。下へどうぞ?」
 黒髪の少女は、その言葉を聞くと、笑った。
 暗くて表情はよく見えない。口から漏れた「ふふ」という笑いの吐息が、ミマの耳に心地よく届いたので、そうわかった。
「知っていたわ。祈りが、届いていたもの」
 どうしてか、穏やかに問いかけられた。
 ミマは首を傾げた。
 なんのこと?
「あなたは知っていたの? 私が小鳥だということを。だから、声を掛けたの?」
「え?」
 少女の言葉は、ミマを不思議がらせたままで、静かに続く。
「それなら、わかって欲しいの。あなたは、私に対して何も願うことはできないわ。私は主上の物だから。主上の命令にだけ、私は従うの。だから、願うのなら主上に」
 なんのこと?
 今起こっている事態を一番良く知っているはずのミマにも、この少女の言葉は理解できなかった。
「あなたは何を言っているの?」
「わからないの? そう……じゃ、知らないのね」
 少女は、首を傾げた。
 ついで、笑み交じりの言葉が送られた。
「祈ったことはないのね?」
 どうしてそんな話になるのかわからなかったが、ミマは、反射的に答えた。
「祈りなんて無意味よ」

 雪葉は笑った。
「そう。お姉さんと同じなのね。あなたも祈らないのね。それがあなたがたの『祈り』なのね」

「え?」
 驚いて肩を震わせたミマが、そう答えた時には、
 少女の姿は、もう、なかった。
 ……どうして、姉のことを、知っているんだろう?
 ミマは、ぞっとした。
 もう、少女はいない。
 消えていた。
 ミマは気味が悪くなった。
 ところが、「主上には届いているわ」と、心に声が響いた気がした。
 ひどく、心が安らぐ声だった。


←戻る次へ→

万の物語 作品紹介へ inserted by FC2 system