万の物語/三万ヒット目/人質は三万〜誕生日の贈り物〜

人質は三万〜誕生日の贈り物〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


30

 今、卯月がいた牢の中には、二つの人影が形作られていた。
 一人は男。見たこともない紫色の髪。背は、巨漢のセイシェルより二まわり小さいが、充分高い方だ。気だるげな紫の瞳、白い肌、薄い唇。
 ウヅキは、ああ、この人なのか、と思った。初めてこの目で見た。自分は「彼の物」ではないので、畏怖の念は湧かないが。
 北の賢者、インテリジェだ。
 彼のことを、神、と呼ぶ人もいる。

「魚を探しに北の館からこちらへ来てみれば、」
 おりの中に、人の形をしたものが現れた。
「どういう了見だ? セイシェル」
 紫の瞳が、部下を見た。
 氷よりも冷え切っていた。
「ひッ」
 対する、巨漢の男は、卯月から手を離し、その場に平身低頭した。
「もっ、申し訳ございません! いらぬ戯言を、尊耳に奉りまして……!」
 初めて聞く、セイシェル機動部長の丁寧な言葉遣いだった。
 ウヅキは、困った元上司を制圧できる者が現れたので、ほっとした。
「また、なんか出たの?」
 卯月がぎゅっとしがみついて青年の胸に顔を埋めて、ほとほと弱った小さな声で問う。
 ウヅキは苦笑した。
「ああ。だけど、今度は恐くないよ」
「やだよ。見ないよ。出たり消えたりするのって、恐い」
「恐くないよ。北の賢者、いわゆる神様だから」
「うぇ!」
 卯月の体が、石のようにこわばった。
 ああ、と、ウヅキは気付いた。
 そうか、悪事を働いてきた者にとっては、一番恐ろしい存在なのだと。
 さて、賢者から新殻衛兵へと吹き付ける氷の感情の嵐は、いっこう和らぐことがなかった。
「誰が誰のものだと?」
 土下座をしているセイシェルに、静かだが怒りの感情に満ち満ちた主の声が降る。
「主の物を何と心得る?」
 機動部長のこめかみや首筋からは、もはや冷や汗ではなく、脂汗がだらだら滲み出している。
 インテリジェは眉をひそめ、男の黒い頭を貫くように見下ろした。
「雪葉は私の物だ」
 彼は右手で、隣に添うものの濡れた黒髪をすくいとると、口付けた。


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