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人質は三万〜誕生日の贈り物〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


31

 牢の中に現れた二人のうち、もう一人は女性だった。長い黒髪、黒目がちの黒曜石色の瞳。深雪の肌。紫の衣装をまとって、主に抱かれて中空に浮いている。
 北の賢者の巫女、雪葉。賢者の傍らにある物。
 行方不明だと聞いていたが、無事だったようだ。
 彼女の姿も、ウヅキは初めて見た。
 いや、見たのは初めてではない。写真では嫌と言うほど見せ付けられている。自分の目の前で、床に同化せんばかりに貼りついてべったり土下座している、この男によって。勤務時間中に、手垢のついた分厚い手作り写真集を見せびらかされてきたから。
 ……実物は、きれいだと思った。雪葉、の名から想像される、細雪の降りかかる南天の葉のような、しん、と、心静められる美しさだった。
 写真ではセイシェルの欲望も交じっていたせいでなのか、やけになまめかしく見えたが。
 ふと、ウヅキは思った。
「あれって、合成か加工?」
「ぅオイッ! ウヅキ君ッ!? ンなに言うのよぉオッ!? ただ今、俺がこんな事態に陥ってるっていうのにィィ!?」
 独り言のつもりだったのに、セイシェルから激しい反応が返ってきた。涙と鼻水の決戦場みたいになっている顔で、ウヅキを裏切り者のように見上げている。
「えっ?」
 驚いたのは、むしろウヅキだった。
「駄目だよォォォ! そんなウソでっち上げちゃぁぁア!?」
 どうして見事に通じてるんだ? しかも泡を食って否定までしている。
 ウヅキは、目の前に這いつくばっている男に、ある意味感心した。合成と加工、この、たった2つの単語だけでそこまで推察できるなんて、と。
「……写真のことですよ?」
 取りあえず、伏せていた主語を明らかにしてみる。小さな声で。
「バババ馬鹿ーーーッッ!? いやんバカーーァァァ!」
 鮮烈な反応があった。
 いやんバカって……。
 ウヅキは呆れて、返すべき言葉を探しあぐねた。
「写真?」
 そこに切り込んできた、上司の主の声。
「どれだ? これか?」
 次の瞬間には、インテリジェの左腕には巫女雪葉が、右手には手垢のついた紙製の分厚い写真集がすでにあった。神に不可能は無い。
「キィヤァァァアアーー!」
 この世の終わりを迎えたかのような悲惨な叫び声は、雪葉ではなくもちろんセイシェルのものであった。ぱおーんという象の咆哮にも似た、野太くも甲高いものだった。
「おおおおう! ち、違いますッ! 違うんですッ!? ソレ、あの、誤解なんですよう!」
 セイシェルは土下座の姿勢からもんどりうって立ち上がったが、すぐに腰を抜かして「ほぅっ!?」とうなってうずくまった。
 インテリジェはそんな彼の醜態に一瞥(いちべつ)をくれると、ばらばらと「写真集」をめくった。
 一方、床上では、セイシェルが両手で顔を覆って、もう駄目だとばかりに、おんおん泣いている。
「……」
 次第に、インテリジェの不機嫌気味の無表情が、不機嫌な無表情になり、怒気という名の冷気を放散する無表情になった。
「主上? いかがなさいました?」
 左にいる雪葉が、主の異変に気付いて、彼が見ている自分の写真集を覗き込む。
「……」
 まず、表情が、凍った。
「わたくし、」
 次に、頬が上気して、白い肌が赤く染まっていく。
 最後に、目をそらし、
「わたくし、こんなこと、いたしません」
 と言って、顔をうつむけた。
 床では、セイシェルが、「うっうっ、すんまっせんすんまっせん……うっうっ」と嗚咽をまじえつつ謝りはじめた。
 ウヅキは、げんなりと元上司を見下ろした。やっぱり合成加工していたんだな、と思いながら。
 部下が上司の細君に思慕する、そこまでならば、まあなんとか許せるが。思いが募る余りにとはいえ、欲望の対象としてこんなふうに使ってしまうというのは、いけないと思う。
「主上」
 頼りなげな女の声が紡がれた。
 怒りの炎を内に秘めた冷酷な氷のように動きを止めたインテリジェに、雪葉が涙交じりの声を献上した。
「主上、どうか誤解なさらないでください。……わたくし、こんなこと、」
 夜が守り育てた闇の宝玉のような両目から、はたはたと、涙が零れ落ちた。
「いたしません……」
「雪葉、黙れ」
 ぐい、と、インテリジェは巫女を抱き寄せた。
「お前は、私以外のことに心を砕く必要なない」
 彼女の視界に自分以外入らないように、間近で雪葉を見つめて、北の賢者はささやく。
「わかっているとも。だからお前が構う必要はない。私ほどお前を知る者はいない。お前は私だけを見ていれば良いのだ。お前の声は私のためだけにあれば良い。お前は、私の物だ。その瞳も心も体も何もかも」
「主上っ、」
 雪葉がインテリジェの首に両手を回して抱きついた。
 インテリジェは、右手に持っていた写真集から手を離すと、汚いものに触れていたかのように数度手を振った。そうした後に、雪葉を両腕で深く抱きしめた。
「愛しい雪葉。よそに関心を向けてはならない。お前は、私だけを見ていれば良い」
「はい。私はあなたの物です。あなたの言葉が私の命です」
 熱烈な愛の言葉の応酬だ。
「……」
 ウヅキは呆れてしまって、開いた口が塞がらなくなった。
 他人の恋愛沙汰をみせつけられた時、お熱いね、とか、あてられた、とか、砂を吐く、などという表現があるが。これは、それらの言葉ではちょっと片付けられないと思うのは、ひとえに、自分にそういう免疫がないせいなのか?
 目の前が真っ暗になり、そのまま奈落へ落とされるほどの精神的衝撃を受けてしまった。それは決して良い印象を与えるものではなく、ましてや憧れでもない。あまりにもあからさまなので、自分の心の許容範囲を超えているのだ。つまり、常識から逸脱している。
 この人たちは正気だろうか? と、思ってしまった。
 濃厚な濡れ場よりもこちらの方が、受ける衝撃の度合いは断然上だった。少なくともウヅキにとっては。


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