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人質は三万〜誕生日の贈り物〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


33

「雪葉」
「はい主上」
 主は、腕の中にいる我が物に、ささやきかける。
「小鳥にしてよいか? お前がその姿でいると、」
 愛しそうに巫女を見つめて目を細め、次に苦く笑う。
「面倒が多くなる」
「……主上」
 雪葉は、インテリジェを見上げて、申し訳無さそうに言う。
「我がままを申すことを、許していただけますか?」
「なんだ? 言え」
「そこなる卯月よりも、二、三、幼い姿になりとうございます」
「……」
 紫色の髪の賢者は、眉をひどく寄せると、息を吐く。
「ノウリジ辺りが、喜ぶ」
「かの方は、こちらにはいらっしゃられません。今は」
 インテリジェは、雪葉を強く抱き寄せると、苦虫を噛み潰したような顔で、その長い黒髪をすいた。自分の思考をまとめるため、心を落ち着かせるように、何度も、何度も、巫女の髪をなでる。
 雪葉は主の耳元にささやく。
「魚を置き忘れた場所に、祈る女がおりました。祈る家族がおりました」
「知っている」
「はい。……主上、わたくしの気持を申してよいですか?」
「聞かせろ」
「その祈り、叶えてくださいませ」
「……」
 いっそう強く、賢者は巫女を抱きしめた。己が胸に女をうずめるほどに。
「気が進まん」
「そう、ですか」
 悲しげな巫女の声が、主の耳を甘くくすぐる。
「……っ、」
 次いで漏れ聞こえてきた嗚咽。細く切なげな息、泣いて震える柔らかな体が、主の心を甘くしびれさせる。
「泣くな、」
 やるせないように、そう命じる。
「は……い、」
 震える声は、別れを惜しむ鶴の音のように、美しく哀切だった。
 まるでひどい頭痛をこらえているように顔をしかめて、賢者は言う。
「どうしてこんなことに。お前一人を使いに遣るものではないな。何が誘ってくるか知れない」
「主上、」
「それ以上言うな」
 何かを振り切るようにして、首を大きく数度振ると、インテリジェは雪葉の両肩を持ち、その身を少し離した。そして、愛しい巫女の姿を、まるで想い届かぬ者へ向けるかのように切なげに見つめると、苦く言った。
「これからはもう他者の手に渡ることはないと、安堵しておったものを」
 再び巫女を抱き寄せると、眼下で這いつくばって「すんまっせんすんまっせん」とわびている巨漢に、賢者は冷たく強く言った。
「セイシェル。罪滅ぼしをさせてやる。立て」
「すんまっせんっ……ハイィ!?」
 それまで死にかけた魚のようだった男が、氷柱を投げつけるような主の言葉に、しゃきっと立ち上がった。
「ハッ! どのような命令でもッ!」
 北の賢者は冷然とセイシェルを見上げて、言った。
「『呼ばれたら動け』。私は、見ている」
「ハッ!」
 必要最小限の言葉で命じると、インテリジェは、床に落ちていた写真集に目を落とした。
「燃やすぞ」
「ハッ!」
「二度目は、ないからな?」
「ハハッ!」
 手垢まみれの分厚い写真集は、白い閃光を発して消し飛んだ。燃やすなどという生易しいものではなかった。それすなわち、主の怒り具合。
「ハハーッ!」
 セイシェルは、土下座した。

 主と巫女は、間近で見つめ合う。賢者は真摯な顔をして。彼の物は至福の笑みで。
 交わす言葉は、吐息にも似たささやき。
「お前を見ている」
「はい、主上」
「セイシェルの動き如何によっては……兵を出す。よいな?」
「御心のままに」
「雪葉、」
 奪うように、インテリジェは雪葉を抱きしめた。
「終わったら、もう、側から離れるな。命令だ」
「お言葉どおりに、主上」
「離さない、雪葉」
「はい……」
 体の芯に甘い媚薬をそそがれたような愉悦の表情で、雪葉はうなずく。
「どうぞ御心のままに……あ、」
 主の腕の中で、女はさやかな声を上げて少女に変わる。年のころは13歳ほど。少女から女へと咲き初める、蕾のころに。
 インテリジェは、それが別離のきっかけであるかのように、重く長く息をつく。
 雪葉はインテリジェの腕から名残惜しそうに離された。


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