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人質は三万〜誕生日の贈り物〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


38

「というわけでして、助力をお願いしたい」
「申し訳ございませんが」
 小さな懲罰執行部長の願いを、生活安全部長代理はさえぎった。
 4階、生活安全部である。
 細身の男は、男の子を見る。自席の灰色の事務椅子に腰掛けたままで、眼鏡越しに、神経質な鋭い目線で。これでちょうど目の高さが同じだった。
 生活安全部長代理は、冷たく静かに続けた。
「わたくしは、本日は定時退庁の予定であります。わたしは出ませんよ。部下だけを寄越しましょう。それで如何?」
 幼いセイシェルは、顔を激しくしかめた。
「私の部が指揮権を持ち、生活安全部は協力部署となっている。なのに……その頭が不在というのは、いただけないが?」
「何ですって? 協力部署の頭など必要ないでしょう? 指揮権はあなたにあるのですから。私の部下をあなたの好きなようになさればよろしい。それに、私はあくまで部長『代理』に過ぎないのですし」
 ところが、それに異を唱えたのは、生活安全部の署員達だった。
「えー!? 部長代理。嫌ですよ私。ガキの世話なんて、ハッ、したかぁありませんよ」
 それぞれ、今座っている事務椅子の背に思う様もたれかかってギシギシ言わせながら、文句を言った。
「子供のオママゴトに付き合う義理なんてないですし」
 部長代理は、不機嫌そうに、細い目を細めた。
「お黙りなさい。君たち」
 ふぅ、と鼻から息を吐いて、ぶっきらぼうに続けた。
「与えられた職務は、忠実にこなさねばならない。そうだろう? おとなしく、懲罰執行部長に従いなさい」
「それはそっくりそのまま、あなたに当てはまると思うが?」
 セイシェル部長は右頬を引きつらせてそう言った。呆れたのではなく、気分を害している。生活安全部長代理自身は帰宅するくせに、部下には筋を通させる。なんと横暴な人間だろうか。
 そんな考えを見通したのだろうか、生活安全部長代理は、皮肉気に笑った。左の頬だけを上げて。
「ですから。わたくしはあくまで『代理』ですよ。頭を頭を、とおっしゃるのであれば、生活安全部長こそが我が部署の頭です」
「不在だろう?」
「不在ですとも」
「なのに、あなたは、どうしても退庁する気かな? 代理?」
「のっぴきならない用でして」
「仕事よりも?」
「ええもちろん」
 セイシェルは、こめかみに青筋を浮かべた。後ろでは、「ウソウソ。一人娘サンが待ってるんデース。お前の相手なんかしてられるかっつの」だの「キャワイイオンナノコでーす」だの「バカ。キレーえな姉ちゃんだろ?」といった、小声の会話が聞こえてくる。
「ざけんじゃねえっ! お前、仕事をなんだと思ってるんだ!?」
 小さな男の子は、どう聞いても迫力不足にそう叫ぶと、「代理」をげんこつでなぐった。
 ぽこ。
 という小さな音がしただけだった。
 生活安全部長代理は「これで気がお済みですかな? ハハッ」と嘲笑する。「カワイイー」と愚弄するは、彼の部下たち。
 セイシェルは、せいぜい、舌打ちするしかなかった。
「チッ! せいぜい遅刻すんなよ!?」
 そして部屋を出る。
 追い立てるように、ゲラゲラゲラ、と、大きな嗤いが、沸き起こった。


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