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人質は三万〜誕生日の贈り物〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


41

 三人は、生活安全部への階段を昇る。
 三人とも不機嫌だった。
「ケチ。ケチウヅキ」
「本当よねん。まったく、おッ堅いんだからーン! おっぱいの一個や二個、もみ上げようが、ゆさぶろうが、大したことじゃないわよねん! ああんいやん、そうよね大っきくなるんだから、やっぱり『大したこと』なのかしらねーん!?」
「すみませんが、これ以上その話題は出さないでくださいませんか? 勤務中ですよ」
「いやーん! オ堅いわん。ガチガチねーん!」
「ガチガチウヅキー。ガチガチー」
「なんとでも言ってください。ほら着きましたよ?」
 ウヅキの言葉に、セイシェルは妖艶に笑った。
「フフフン。さーあ、ア・タ・シ・の・出・番ねッ!」

 バァン! と、生活安全課の鉄の扉が蹴り開けられた。同時に、女の艶声が押し入る。
「あんたタチぃーッ!」
 それまで、面白く無さそうに仕事をしていた、生活安全課の若い衆達は、声を聞くと、はじかれたように顔を上げた。
「あ! 姐さんッ!?」
「姐さん!?」
「姐さんだっ!」
「うをーうッ! 姐さーんんッ!」
 部長、ではなく、姐さん、と呼んで、彼らは勢い良く一斉に立ち上がった。今までの気の抜けた表情はどこへやら、ひどく勇ましい顔になっている。
 図体のでかい男たちばかりなので、引いた椅子の音がガラガラガッシャンと地響きを伴って大きく鳴った。
 今までしていた書類仕事をほっぽりだし、我先へと扉へ駆け込む。
「姐ッさーん!」
「姐さんッ! 俺、さびしかったよー!」
「アッハーン! あたし、今ッ、帰ったわよーん! アンタたちのた・め・にッいー!」
 両手を天高く掲げ、右足を左方向に高く上げて、セイシェル生活安全部長は高らかに叫んだ。
「姐さァんッ! ぅお帰りなさいましぃッ!」
 生活安全課の一同は、床に土下座した。
 その大きな動きにより、課長代理の机の上に山積みされていた写真入れが、振動で床に落ちた。ばさりと開いたそれには、古いもの新しいもの織り交ぜた「同じ顔の少女」の写真がはさまれていた。しかし、彼らはそれを机に上げてやろうともせず、一心に一人の女を見つめている。くいいるように。
 ウヅキも卯月も、その光景に、開いた口が塞がらなくなった。
 本当にここは公的機関なのだろうか? まるで極道の組本部のようだが。
「すッげえんだな、この姉ちゃん」
 唖然としてつぶやいた卯月に、床上の部下の一人がさっと顔を上げて「姉ちゃんじゃねェよ、姐さんだッ!」と叫んできっちり訂正し、再び顔をさっと伏せた。
 セイシェルは、部下たちの土下座っぷりを見て満足そうに微笑むと、言った。
「それで、皆ーん、聞くけどッォ、部ッ長代理ンは、もう帰っちゃったのかしらーん?」
「ヘイッ!」
 一同から、むさくるしい男の声が低く大きくドンと返った。
「あはん……そおなのん?」
 セイシェル部長は、悲しげな声を漏らすと、手足を下ろした。
「もーうン、困ったちゃんねェーン。あ・れ・だ・け・残業断ったら駄目ヨーン! マジメに仕事してんって、命令してたのにん!」
「今度、シメときますッ!」
「グッと、シメますっ!」
 間髪いれずに、部下団が返した。
「アアン、お願いねン? んもう、アタシ、あの代理チャンには参っちゃウン。アハン」
 無駄に色気を振り撒く美女は、くねくねくねくねくねくねと、柔らかく身をよじる。
「部長。そろそろ、本題に入った方がよろしくないですか?」
 うんざりしたウヅキが、そう申し上げると、彼女は「んもう、せっかちなんだからーン! アタシは、もう少しこのままでいたいのにん!」と、さらに身をくねらせて悩ましい声を出す。
「勝手にしてください。もう」
 ウヅキは嫌になった。なにせ、彼女は「幼児の懲罰執行部長」と「筋骨隆々機動部長」でもある。中身を考えると、彼女が気持ち悪いことこの上ない。
「ウン、勝手にするわよーん。さぁてン、毎回恒例のォん、アタシが帰った記念のごアイサツぅん! いっくわよォーん、皆ァン!」
「ヘイッ!」
 男たちの豪声を、気持ち良さそうに受けながら、セイシェル部長は、部屋に入ってきたときと同じ格好を決めて、叫んだ。
「アハン! 皆ァン! この世で、イ・チ・バ・ン・美しいのは、誰ェーん!?」
「姐さんでッス!」
「そぉう! わたしは世界でイチバン美しいン! じゃあアンタタチぃ!」
「ヘイッ!」
「アンタタチは、アタシのッ、何ィー?」
「しもべですッ! 親衛隊ですッ!」
「アタシの言うことン、何でも、聞くゥーン!?」 
「ィ喜んでーッ!」
「アハァーン! アタシしあわせよーん!」
「姐さァァァん!」
 果たしてここは確かに「公安」なのだろうか。何やら夜の街の一室のように桃色めいた光景だが。ウヅキは目を閉じ耳を塞ぎたくてたまらなかった。
 だが、卯月は憧れの表情で、セイシェルを見ていた。
「すっげェなー。姉ちゃんお色気ばんばんだなー!」
 くるっ、と、右隣にいたウヅキの方を見ると、ひどく楽しそうに笑いかけた。かつてないほどに。
「なあなあ? ウヅキー、お色気姉、じゃなくって、姐さん、っていいなあー!? あたしも真似しよっかなーかっこいいー!」
「はあ!?」
 ウヅキは、愕然とした。
「卯月、お前、正気か?」
「うんッ! あんな人今まで見たことないぜ! かっこいいなー!」
 見たことなくって当たり前、あんな物この世に二人もいらない。分別つかぬ子どもに見せて良いような部長ではない、と、ウヅキは痛感した。
「ちょっと待て、卯月」
 青年は、神妙に言う。声をひそめて。
「あのな。いいか? あんな人の真似だけは、するもんじゃない。お前の人生を棒に振ることになるぞ?」
「ボウニフルってなんだ? ボウフラの仲間か?」
「違う。あんな人の真似すると、不幸になるっていってるんだ」
「えー? すげえ幸せそうだぞ? あの姐さん」
「そうよン? アタシこの上なく幸せよーん?」
 セイシェルが話に割り込んできた。
「オンナの幸せがなんなのか、お堅いウヅキ君にはわっかんないでしょうねェェェ?」
 ウヅキは鼻白んだ。
「悪かったですね。でも人間の幸せならわかりますよ?」
 セイシェルのこめかみが、ぴくりと動いた。懲罰執行部長と、不機嫌の表し方が同じだった。
「アタシが、お人形だって、言いたいの?」
 一言一言を区切って、妙にはっきりとした発音で言った。
 ウヅキは首を振って否定した。
「いいえ。何も知らない女の子が、あなたのような酸いも甘いもかみ締めてきた女性の真似をうかつにしてはいけない、と、言っているのです。セイシェル生活安全部長」
「……」
 セイシェルは、じっ、と、ウヅキを見つめた。ひどく真面目に。
 ウヅキは変わらずに平静な様子で、それを受けた。
 しばしして、セイシェルはうなずいた。
「そ? なら、いいのよん?」
 卯月が不思議そうに首を傾げた。
「なにがいいんだよー? お前らわっかんねえぞ?」
「うふん?」
 セイシェルは、少女に笑いかけた。
 優しい、微笑みだった。
「お人形さんになるほどのオンナの真似なんかを、イタイケな女の子がしたら駄目ってことよン?」
「なにそれ?」
 よく理解できずに怪訝な顔でいる卯月を、セイシェルはウヅキの方へ、ぐいと押しやった。
「ウヅキィ。そこまであんたがこの子に言って聞かせるんだったらね?」
 真面目な顔をして、セイシェルはウヅキに言った。
「あんた、この子を守んなよ?」
「別に私は。ただ、当たり前のことを言っただけですから……」
 面倒ごとを押し付けれてはたまらないと思い、ウヅキは渋い顔で返答しかけた。
 しかし、セイシェルの瞳には怒りにも似た真剣な光が宿っていた。
「言っただけ? ちょっと、お人形になったアタシが言ってるのよ? どうなのさ、人間?」 
 どうなのさ、人間?
 その言葉を聞いて、ウヅキの肩が揺れた。
「はい。わかりました」


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