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人質は三万〜誕生日の贈り物〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


「えへへへー!」
 卯月は、両手に花を一杯抱えて、北の街を歩いていく。
 この少女にしては珍しく、髪を結って、清潔な衣服を身につけている。とはいえ、ひっつめ髪に、洗いざらしの白い木綿の衣服だけど。
「花ー!」
 大きく高い声で、叫ぶ。
「お花はいりませんかーぁ!?」
 右の腰に下げた巾着袋(きんちゃくぶくろ)には、売り上げが三万イェンほど入っている。これだけあれば、二週間は生きていける。
「花花ー!」
 左の腰に下げているのはハサミ。花を切るときに使う。
 通りかかった恋人同士が、卯月の持っている花を見て、近寄ってきた。
「あっらぁん! きれいな花ぁ! ねえ、これ買ってぇ!」
 二十代そこそこの女性が、甘ったるい嬌声を上げる。男の左腕に、まるでぶらさがるように、右手を巻きつけている。
 彼女よりも年上らしき落ち着いた外見の男が、少し困った風を装いながらも、鼻で「ふーん」と余裕めかして笑った後に言う。
「まったく、しかたないなぁ。僕の可愛い子猫ちゃんはぁ。どれだよぉ?」
 卯月はニタリと笑う。
「へへ! お客さん、いらっしゃぁあい!」
「はぁーい! いらっしゃいましたぁ!」
 女は、花売りに対しても甘ったるい声を出した。
「ねえねーえ? お嬢ちゃぁん、これって、とっても珍しい花よねぇ?」
 どうやら、これが地の声のようだった。
「どこで仕入れて来たの? すっごいよ、これ、蒼い蘭なんて! 初めて見たよぉ?」
「うへへへー?」
 卯月は、満面の「ぶきみな笑み」でだけ応じ、具体的な返事をしないでごまかした。
 そんな卯月の背後を、別の男女が通りかかった。
 こちらの方は、対称的に、ひどく静かな落ち着いた声で語り合っていた。大変に珍しいらしいこの花を、立ち止まって見ることもせず。
「木からはがし採るとは……乱暴な」
 小さな言葉が二人の間で交わされたのを、卯月は耳ざとく聞きつけた。「むゥ?」とうなると、聴覚を総動員させて、移動しつつの会話を盗み聞いた。
「家の者が許してはいるようですが。それより。主上、あれはどうなさいますか?」
「何も。罰は私の与えるところではない。しかし、この手際、いっそ見事と言えるな。根こそぎか」
「はい。主上がそう申されますなら、お言葉どおりに」
「ところで雪葉。……今日はお前の焼いた魚が食べたい」
「はい主上、お言葉どおりに。買ってまいります」
 卯月は、振り返った。
 ……なんで、知ってるのよ?
 男女は、去っていく所だった。最後のやりとりだけが、妙に調子が甘かったが。そんなことは、卯月には関係ない。問題はそこではない。
 なんで知ってんのよ?
 卯月は二人の姿を覚えておこうと思った。
 長い黒髪の女。
 珍しい紫色の髪の男。
 後姿。
 そして、
 卯月は目をこすった。
 ……今、消えたような気がする。人ごみにまぎれたのではなくって。
「ま、いっか」
 卯月は、しかし、そんなことはほとんど気にしない。
 それよりも今は、自分の前にいる、「客」と書いて「カネヅル」とか「カモ」などと読む人間の方が大事だった。
「お客さん、どぉ!? これ一本、五千イェンで?」
 きゃっと女性が悲鳴を上げた。
「あっ、やだ、ホントに? それって安ぅい!? ねぇっ、買って買ってぇぇ!」
 男は、高い価格を聞かされて、それまで悠然と笑っていた顔をこわばらせた。
「……げ、ごせっ……!? え? 安い!? いやいや、これ、切り花だよ!? こんなの枯れるさ、すぐに」
 しかし、女が二人して、男との勝負を開始した。
「ねぇ買ってぇー! あたしのことぉ好きなら、三本買ってぇぇェ!」
「はいはーい。毎度お買い上げありがとうござーい! 一万五千イェン頂戴ー!」
「いやーん! 大好きぃ! 最高ー!」
 女の手には、蒼い蘭が三本、すでに握られていた。
「おいおい! 受け渡し済みかよ!?」
 卯月は、男の懐から勝手に財布を抜き出した。
「はい、ありがとーござーい!」
「ほぉあ!?」
 変な悲鳴を上げる男を尻目に、卯月が財布を開けたら、そこには二万イェンしか入ってなかった。
 卯月は、ニヘ、と、笑った。
「すみません今おつり切れてて」
 蒼い蘭がもう一本、女の手に渡った。
 女は「いいわよォ」言って、あっさり受け取った。
「うおーいっ!?」
 男は青くなった。
「ちょっと待てよぉ! 全財産だぞ! ああ、泥棒、」
 可哀想に、男の財布は空になってしまった。
 と、そこに、
「何?」
 張りのある通りの良い声が響いた。若くない男のものだった。
「泥棒だとっ? まさかお前か!?」
 卯月の背後から骨ばった手が伸びた。
 それは少女の左肩を強くつかみ、ぐいと振り向かせた。物を引き寄せるように。
「へっ?」
 中年の男が立っていた。もうそろそろ壮年と言えそうな、白髪交じりの痩せた男が。
 花を買ってもらった女が首を振って「いやだ。うふ。違いますよぉ? 今のは冗談でぇーす!」ときゃらきゃら言って、その場を取り成す。
 卯月は首を傾げた。
「なに、おっさん? 何でアンタが怒んのさ?」
「何という言葉遣い。なんとしつけの悪い子供だ。みっともない。クズだな!」
 男は、いきなりそう吐き捨てて、汚物にでも触れたかのように、卯月の肩からさっと手を離して、ぱっぱと振った。
「『おっさん』、とは、また。なんという汚い言葉か。教育が必要だね? クズなりの。ッフフ、それでよく商売できるものだねぇ? 世間に顔を出せるものだねぇ?」
 さげすんだ微笑が、少女に投げ捨てられた。
 しかし彼女は動じなかった。
「うっせえよ腐れジジイーィ。てめぇこそ鼻毛出てんぞぉ? それこそ、世間様に出ていい顔じゃねェよ」
 卯月は二ヘラと笑って、中年を嘲笑した。
「……!」
 男は顔色を変えた。思わず、鼻を左手で覆った。同時に、不健康そうな蒼い顔が、紅くなる。
「失礼なっ! このガキめ! 私を一体、誰だと思っているんだ!? 私は、」
 真に受けて動転している男を見て、卯月は、ますますニヤニヤ笑った。
「ハハハー? 少女趣味の『変・質・者!』だろぉ?」
「貴様!」
  「あははは!」
 蘭を持った女が、腹を抱えて笑った。
「お嬢ちゃんったら、冗談きっつーい! おっかしー!」
 そして、肩をぶるぶる震わせて怒る中年男に、「おじさんの負けにしときなさいよ!? 子供とケンカしちゃだめよ?」と、おどけて言う。
「畜生!」

 客の男は半ベソをかき、怒れる男は鋭い一瞥(いちべつ)をくれて、卯月から去っていった。
 男の恋人は「じゃぁねー!」と、ごきげんな様子で卯月に手を振っている。
「まいどありいー!」
 手を振り返す卯月の背後から、また、声が掛けられた。
「……ごめんね?」
 今度は、女の子の声だった。卯月くらいの年齢の。
 花売りは振り返らずに、まだ手を振っている。向こうがまだしつこく振っているからだ。声だけで返事した。
「何が?」
「失礼なこと、言ったでしょ?」  
「ほざいたのはジジイ。あんたが謝る必要はないんじゃないの? それよか、」
 そして、卯月は、ぱっと振り返る。
「コレ返すよ。今日はもう充ー分」
 一本の蒼い蘭を、乱暴に差し出した。
 ところが。珍しいことに、卯月は優しく笑っていた。
「今日は、もういらねぇよ。これ」
 言われた相手はというと、おかしそうにくすくす笑っていた。
「駄目。駄目よ。これはあなたにあげたんだから」
 おうちに飾って頂戴、と言い加えた。
「それこそいらねえよ」
 卯月は、ヒヒ、と笑う。くすぐったそうに。
「あたし、家無いもん」
「じゃ、あなたの髪に飾ってあげる」
 相手は、卯月の手から蘭を受け取ると、花だけを折り取った。
 そうして、結い上げられた卯月の髪に挿した。
 茶色の髪に、蒼い蘭は居心地良さそうに映えた。
「とても良く似合うよ?」
「おせじなんかいらねえよー?」
 少女たちは、笑いあった。
「ふふっ」
「ひひっ」


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