万の物語/三万ヒット目/人質は三万〜誕生日の贈り物〜

人質は三万〜誕生日の贈り物〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


「身代金が三万イェン? そんなに安いはずがあるか! もう一度確認しなおしてくれ!」
 父さんは叫ぶ。
 うるさいったらない。 
 さっさと仕事に行けばいい。
 そして、そのまま二度と帰ってこなくていいのに。
「三万イェンといったら、子供の小遣いじゃないか? それは馬鹿げている! 書き間違えたのに違いない! その脅迫状はでたらめだ! 何!? 殴り書きだと!? それならなおさら信用できない! 畜生! もういい! どのみち生活安全部の管轄外になるんだからな!」
 あたしは、部下の人が言ってるのは本当なのに可哀想ね、と思っていた。
 三万と言ったら三万なのよ。
 だって、それだけあれば、二週間暮らせるのよ? 手伝いしてくれたお礼に、あげるって約束したんだもの。
「ああ! なんてことだ! 気に入ったペンは使い物にならなくなったし! 天気は相変わらずの雨! 気に食わんことばかり!」
「父さん」
 あたしが声をかけたら、父の機嫌は直った。
「おお? おかえりミマ。いつから父さんの部屋に入っていたんだ? 父さんは大切なお仕事の話をしているのだよ?」
「うふっ」
 あたしは、笑う。
 そう、笑うのだ。
 父を笑うのだ。
 馬鹿な人だと。
「今、来たばかりです。父さん、早朝奉仕が終わりました。ミマは、これから学校へいってまいります。ですから、あいさつをしにまいりました」
「学校だと? あるのか」
 私は首を傾げてみせる。
「どうして? 父さん?」
 まだ公表してないんでしょう? だったら学校も知るはずないじゃないの、と、私は父に言いたくてたまらない。
「……あ、いや。いいんだよ。気をつけてな? ミマ」
「はい。いってまいります。父さん」
 馬鹿な人。
 あなたが、目じりを下げて笑うたった一人の大切な人間である私、そう私こそが。
 誰よりも、
 そう、誰よりも、
 あなたを、笑っている。
 馬鹿な人だと。
「ね、父さん? もうすぐ父さんの誕生日。ミマは贈り物を用意しますから、その日は早く帰ってきてくださいね?」
 笑う私は家を出る。
 白い白い白い、瀟洒(しょうしゃ)な屋敷。高台に立つ、平和な家。
 ここは理想の家族が住まう家。幸せな家族が暮らす家。強い父、淑やかな母、立派な兄、そして清純な私。

 そんなわけないじゃないの。そんなはずないじゃないの。

 母さんは怒ってる。いつも怒ってる。怒って。怒って。怒って。怒って。
 いつか、おしとやかな母ができた。本当は違うのに。
 笑っちゃうわ。

 兄さんは怒ってる。いつも怒ってる。怒って。怒って。怒って。怒って。
 いつか、立派で従順な息子ができた。本当は違うのに。
 笑っちゃうわ。

 姉さんは苦しんでる。苦しんで、苦しんで。一人「部屋の中で」苦しんで。
 いつか、か弱い女ができた。本当は違うのに。

 私? 私は、笑ってる。
 そうよ笑ってるの。いつでも、どこにいても、どんな時でも。何も知らない少女の笑顔で。
 いつか、「いつも笑顔を浮かべている女」になるのよ。
 ……笑っちゃうわ。

 私は笑う。
 そう、父さんを。

 誰に希望をかなえてもらう?
 誰にだなんて。
 馬鹿げたこと。
 笑っちゃうわ。
 希望なんて。ゴミと同じよ。
 遠い空に投げつけるもの。世界の果てに投げ捨てるもの。
「ねえ神様。そうでしょう? 希望なんて」
 私は、神様に笑いかける。
「希望なんてゴミと同じ」
 酷い現実の方がいくらかまし。
 私は笑う。
「ゴミと同じ。いつか捨てるもの。あったら邪魔になる。なければそれで構わない」
 ……そうよね? 姉さん。


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