万の物語/五万ヒット目/五万時空の神隠し〜言霊の娘〜

五万時空の神隠し〜言霊の娘〜

すぎな之助(旧:歌帖楓月)


主の留守に

 巫女となった雪葉は、初めて独りで館にいた。
 主は、新殻衛兵を伴って宙へ。まだ命のある星を落とすために。
 惨い光景を娘の目に入れるには忍びないという理由で、雪葉は館に居残るように命じられた。
 それからずっと、北の宙を見上げて、ためいきばかり。
「すぐに戻ってらっしゃるわ? 雪葉ちゃんも寂しいでしょうし、主上もそうに違いないのだから! ウフン?」
 雪葉の世話と相手を命じられたセイシェルが、腰をふりふり、雪葉の部屋に入ってきた。右手には盆を持ち、湯気の立つ茶碗が乗っている。
「お・酒!」
「私はお酒は……」
 驚いて首を振る巫女に、「だぁいじょうぶよん! 御神酒よん?」と、セイシェルが明るく返す。
「?」
 ところが、雪葉は、不思議そうに首を傾げた。
「御神酒、の前は、なんと言ったの?」
「ああん。ごめんね。そうよねわからなかったわよねん? 『大丈夫よ!』と言ったの」
 言語を理解して、巫女は「そうかしら?」と、不安そうに返事をした。
「飲んだことが無いの、まだ」
「あらん? 主上は御神酒を下賜なさらなかった?」
 いいえ、と言った雪葉の、純で不思議そうな顔を見て、セイシェルは主の心積もりを察した。
 酔わせないつもりでいらっしゃるのだわ。ご自分以外には。
「そぉん。ね? 雪葉ちゃんは、主上がいらっしゃればそれでいいのよねん? 他には何もいらない?」
 果たして、明瞭で確たるうなずきが、即時に返ってきた。
「そうよ。主上が私の全てだから」
 巫女の、静かで激しい言葉を聞くと、セイシェルはぞくっと身を震わせた。
「アアン、なーるーほーどーねぇん! イヤン、セイシェルもドキドキしちゃうン!」
「? 今、なんと言ったの?」
 きちんとした発音でなければ、巫女となった雪葉には聞き取れない。いたしかたないことなのだが、しかしやはり、静かな確認は、はやりたかぶる気持ちに水を差すこととなる。セイシェルは、眉を下げて「ウウーン、あたしにとっては不自由ねん? あたしすぐアツくなるし」と嘆息した。
「何かお考えがあって、主上がなされたことでしょうけれど。機能限定もチョット、行き過ぎっぽいような」
 「言霊の娘」の力を封ずるためにしたことだった。そのことは、賢者と雪葉とその両親しか、知らないが。今の彼女は、生身の女よりも、力が無い。
「うん。まあいいのよん。アタシは雪葉ちゃんが好きだもの」
 うふん、と、優しく笑って、セイシェルはそっと雪葉の右の頬をなでた。
 雪葉は、この新殻衛兵の女が好きだった。母以外で、自分に敵意無く接してくれた「女性」は彼女が初めてだったから。
 心に湧いた暖かいものを、雪葉は言葉にして、相手に伝えた。
「私も、セイシェルさんのこと、好きよ」
「ま……」
 セイシェルは、ぽっと顔を赤らめた。彼女にとっても、こんな風に親愛の情を示してくれる「女性」はあまりおらず、ましてや女性として見てくれる存在など、今までいなくて。
 だからセイシェルは、言おうと思った。雪葉に。秘めていたことを。

「雪葉ちゃん、雪葉ちゃんに、アタシの秘密、教えてもいい?」
 少し恥らいながら、セイシェルは言った。顔を赤らめ、肩を内に寄せてそわそわと揺すって。
「主上には、ナイショにしてたコト……あん、きちんと言わなきゃ伝わらないわね。『内緒』ね? 内緒にしてたこと」
「内緒?」
「ああん、そんな大したことじゃないのよぅ!? 心配しないで大丈夫よう! そんな深刻なものではないの! ただね……主上にとっては、こんな小さなこと、どうでもいいんだろうって思ったから今まで黙ってたんだけど。ホラ、あの方、ほんっとうに些事にはこだわらない方でしょ!? わずらわせたくなかったから、私が勝手に、秘密にしてたの」
 きっと話したって全く取り合ってくれなかったでしょうケドね、と、セイシェルは内心で可笑しく思ったが、まあそれはおいておいて。
 金髪の女は青い目で黒髪黒目の乙女をじっと見て、くすりと笑った。この静かで大人しげな巫女が、真実を知ったとき、どんな顔をしてくれるのか、とても楽しみで。
「私ね、昔は、男だったの!」
「!」
 雪葉は驚いた。思わず身を引く。言霊の娘という身ゆえに、男なら困る、と切実に思った。
「本当よ? ああんそんなに驚かないで? ほんとにそうなのよ? ね、男の姿も、見せておくわネ? 雪葉ちゃんには、隠し事したくないのっ。したくないから、」
「セイシェルさん?」
 なにをするつもりだろうか? と、雪葉はいぶかった。
 新殻衛兵は、その姿を自在に変えることができる。
 まさか、
「エーイッ! 見てえ! これが私の『男姿』なのよォん!」
 いけない。
「見せないで、セイシェルさん!」

「なんと、……雪葉のそばに、セイシェルを?」
 白柳は、主から、留守を命ぜられた雪葉の様子を聞いて、しばし呆然とした。どおりでここしばらく姿を見ないと思った。あるいは別の任務に遣られているかと思っていた。二瞬の後に、なんとか心を落ち着かせると、新殻衛兵の長は言った。
「主上。セイシェルの本来の姿を、ご存知ありませんでしたか?」
「本来とは?」
 主は、こと巫女に関しては恋情ゆえに豹変する。その声色にまったく調子が変わる様子がなかったので、雪葉の父は「ああ、セイシェルについて本当に何もご存知ないのだ。お耳に入れなかったこちらにも非があるといえばあるが、しかし……」と後悔と非難とがいりまじった気持ちになった。気さえ向けば全て知りうる立場にあるはずの主は、他に対してひどく無関心なのだ。今は雪葉だけには関心を示すが。
 意を決して、白柳は申し上げた。苦々しい顔をして。
「あれが主上の物となったときは、あのような外見でしたが。セイシェルが人として産み落とされたときの性別は……男でございます」

 針金のように硬く荒い黒い毛髪、そしてひげをごうと蓄えた巨漢の男が現われた。
「ああんいやだわん、やっぱり少しハズカシイわん。けど、これも、私なのん」
 男は剛健な身を揺すってはにかみながら、雪葉を見た。
「どうお? 何処から見ても、私、男でしょう? ホントはこんななのん。アタシね、心は女なのよ? だから、今まで外見だけでも女に合わせていたんだけど」
「……」
 巫女は言葉をなくして、ただ呆然とセイシェルを見るばかりだった。初めて会った時に、雪葉はこんな女らしいもの見たことがない、と思ったが。今は、こんな男らしいもの見たことがない、と思っていた。
 でも男になっても外見以外に特に変わった様子はなかった。女のときと同じ口ぶりに、雪葉は安堵した。これなら大丈夫だ、きっと狂わない、と。
「そうだったの。考えもしなかったわ」
 返す言葉から硬さが抜ける。
「ネ? あ、あのッ、どう? アタシのこと、ああん『私』ねッ。私のこと、嫌いになった? こんな姿の私は、き、嫌い?」
 おずおずと問いかける、その外見とはそぐわない不安げなセイシェルの声に、雪葉は首を振った。
「いいえ」
 静かな否定には、雪のひとひらが緑の笹に落ちるような趣があった。
「では、二通りの姿を持っているのね?」
「そうなのん。物だから、なんにでもなれるけれど。本来はこっちかあっちのどちらかなのよん?」
「そう」
「そ、そうよん? き、嫌い?」
 いやん今度こそ嫌われちゃう? と、心配して身をくねらせて思わず上目遣いになる大男を見上げて、その強面に雪葉は微笑みかけた。
「いいえ。好きよ。セイシェルさん」
「……」
 ほけ、と、セイシェルは巫女を見返した。今までにない表情が浮かんできた。今までというのは、初めて会ってからついさっきまでという意味で。
 その表情はしかし雪葉にとっては、よく知った類のもので。
「セイシェル、さん?」
 相手の名を呼びつつ、少し、後ずさった。
 大男セイシェルの口元がだらしない笑みにゆるみ、鼻の穴が広がり、鼻の下が伸び、全体にゆでたように赤く上気してきて。黒くて赤い大男が出来上がった。しかも、熱い。
「雪葉ッ!」
 野太い熱い声が、ほとばしった。
「!」
 同じだ人間の男と。
 人だったときに何度も何度もついには塗籠にこもるほどに味わってきた「どうしてこうなるの?」というやり場の無いやるせなさを思い出し、かつ、現在進行形で思いながら、雪葉は、逃げた。
「駄目、駄目、セイシェルさん落ち着いて!」
「雪葉ッ雪葉ー! なんて可愛いんだ愛らしいんだきれいだ! 好きだぁああッ!」
 今、この雪葉に与えられた能力など無いに等しい。それは封印のためだった。ゆえに消えるだの転移するだのという技などもちろん使えるわけも無く。己が足で逃げるしかない。
 一方の新殻衛兵は、兵や武器や防具としての機能に特化された物であるので、ほとんどなんでもできる。
 それゆえ。
 巫女を捕らえることなど、新殻衛兵には容易いことで。
 華奢な黒髪の巫女は、いわおのような黒髪の大男に安々と抱え上げられた。
「雪葉ッ! 好きだ! 好きすぎてわからないっくらい好きだ! まずは交換日記からよろしくお願いしまース!」
 主とは違う男の香りに、雪葉は身の危険を震えるほど感じ、首を振って願う。
「離して、セイシェルさん怖い!」
「アォウッ! 雪葉ッ、交換日記は怖くないんだよ怖くないからじゃあ一緒にやってみようッ! 一緒に、……ウハッ、なんてドキドキな響きだ!? 是非ご一緒に!」
「そうではなくてセイシェルさんが、」
「俺は雪葉に愛を捧げているけれどもそれが何か? 愛が必要なのかいッ? それならいくらでもいくらでーも捧げるよ!?」
「そうでなくて、」
「好きだ好きだ好っきだー雪葉!」
 話が通じない。
 かつてと同じだった。こんな間抜けな応答をした男はセイシェル一人だが。とりあえず話が通じないというところは、かつて雪葉が人だった時に遭ったことと同じで。
「セイシェルさん……」
 悲しい顔で、雪葉はつぶやく。
「セイシェルさんも同じになるのね」
「雪葉好きだーッ!」
 その黒曜石の瞳から、涙がひとしずくこぼれて頬をつたった。
「……聞こえてないのね」

 涙が落ちきるその前に、巫女の体は新殻衛兵の豪腕から抜き取られ、彼に代わりに下賜されたのは白紫の雷だった。
「オオウ!?」
 直撃をくらっても傷一つつかないその頑強な体は、たしかに神の持ち物だった。
 しかし精神的な衝撃は大層なもので。
「しゅしゅ、主上!?」
 縮み上がって腰砕けになった黒毛の大男の前には、紫の主がいた。巫女を奪い返してがっちりと抱き込んで、凍れる刃のような視線を振り下ろしてくる。
「何をしている何のまねだその姿は!? セイシェルそなた女ではなかったのか!」
 怒りに燃えて一気にまくしたてるインテリジェに、セイシェルは恐れおののきながらも勇気をふりしぼり、精一杯、誠心誠意、主の問いに答えた。
「イイエッ! 女ですわ!? アタシ、身もココロもッ、オンナです! でも、あのなんて申し上げたらいいか、えっと、……今しがたオトコ?に目覚めたみたいなカンジで。ああん、でもでもアタシも信じられないんです! アタシにも、オトコなところがあったんだっていうことが! うおうっ雪葉好きだーッ!」
 こらえきれずにした最後の激白だけが、低く太い野生的な声をしていた。それそなわち、本心。
 対するインテリジェは、凍れる怒りに燃えた冷たくも激しい口調だった。
「壊されたいか!?」
「止してくださいませ主上!」
 それまでおびえた様子だった雪葉が、声を上げた。
「止めるな雪葉!」
「セイシェルさんは、初めはただ自分のことを知って欲しかっただけで。私が見なければよかったのです。どうか壊さないでくださいませ」
「ほだされるな! 見よこの欲にくらんだ顔を! ああ見なくて良い! そなたの目は私だけを見ていればよい!」
「主上、怖い、」
 雪葉はひどく悲しげな顔をして、主にすがりついた。
「そんなお顔をなさらないでくださいませ」
 愛しい娘の哀願は、むしろ賢者の耳には得がたく甘やかに聞こえ、ゆえに彼は勢いをそがれた。
「何を言う。そなたに対してしているのではないぞ? するものか」
 とまどい顔にも恋情に浮かされた朱が走る。
 雪葉はただ首をふって、主の胸に添う。物言わぬその仕草にはあどけない可憐さがあり、紫の青年は庇護欲をかき立てられた。
「わかった。わかった雪葉」
 インテリジェは、あやすように巫女を抱きしめて、観念したささやきで安心させる。
「そなたの願いをかなえよう」
 同時に突き刺して凍りつかせて破砕するような視線を、セイシェルに叩き込んだ。
「今回だけは許す。だが今すぐ私の前から消えろ」
「は、はいッ!」
 セイシェルはびくりと肩を揺らし、しかし顔を赤らませて「ああん素敵ッ」と小さな声で漏らすと、姿を消した。
「セイシェルさん、」
 気の毒そうに、新殻衛兵が消えたところを見つめる雪葉を、インテリジェは強引に腕の中に収めて視線をさえぎった。
「そんな物の名を呼ぶな」
「主上、でも、」
「いらぬ口を利くな、……悲しくなる、」
 白いきゃしゃな顎を持ち上げて、浮かぬ言葉を奏でる可憐な唇を口付けでふさぐ。触れるだけのそれを数度重ねた後、かかる吐息と共にかわすささやきは互いにひどく甘い。
「呼ぶならそなたの主の名を」
「はい……。インテリジェ様、」
「雪葉、」
 二人の姿は、紫の世界に消える。

「雪葉のこと、先に教えなかった私にも責任はある。すまなかったなセイシェル」
 暗闇の中に浮かぶ星海のほとりに立ち、白柳は流れる星々の光を見つめつつ、背後に座して控える部下セイシェルに言葉を寄越した。
「男の姿で雪葉を見てはならん。あれは『言霊の娘』で、見た男は狂うのだ。主上が大方封じてくださったが……それでもまだ強いようだな。親愛の情から色欲を煽るとは」
 そしてくるりと振り返り、眉間にしわを寄せて見下ろした。
「聞いているのか?」
「はへ?」
 見上げる部下は、たいした腑抜け顔だった。
 白柳は、ため息を吐き捨て、「厄介なことだ」とこぼした。
「もうよい。セイシェル、お前を北の都の公安庁舎に封ずる。星巡りの任は解く。主上から離れよ」
「ェエーッ!? 今、なんとおっしゃられましたか白柳様?!」
「聞こえていなかったのか? 駄目だなこれはもう。お前を封じると言ったのだ。北の都の公安庁舎に」
「エエエエエェーッ!? 嫌ですよう白柳様! アタシ、アタシは主上との星巡りがダイスキなんですよう! 主上と離れ離れなんてッそんなのイヤアアア!」
 いまや金髪美女に戻ったセイシェルの哀切な嘆きに、しかし白柳が返したのは、殺気を放つ鋭い恫喝だった。
「この痴れ物が! お前は我が娘雪葉に不埒な真似をしたのだ! 寛容だと感謝されこそすれ、そのように泣きつかれるいわれなどない!」
「きゃー!?」
 すぱりと左腰から抜いた銀影は、長がこれまでいくつもの星を落としてきた刀で。
「滅却されたくなければ、早々に去れ!」
 主ではなく、新殻衛兵が長の一存でも、物の生殺与奪はできぬことはない。ましてや、賢者の掌中の巫女であり、新殻衛兵の長の愛娘でもある雪葉に粗相を働いたとなれば。斬り壊されても、当然のこと。
 女の顔は青白くなった。額に浮かぶ汗は生きている証ではなく、恐怖の証。
「ハイィッ! すみまっせーん! よろこんでイかせていただきますぅー!」
 即座にセイシェルは北の都へ去った。そう流星のごとく速やかに。
 やがて、傷心の物は公安庁舎という狭い世界の中で、意外にも己の存在意義を見つけることになるが。
 それは、すでに語られた物語。


←戻る

万の物語 作品紹介へ inserted by FC2 system