新殻衛兵で只一つの女が主に呼ばれた。
彼女は、星を壊す任を解かれた。これから巨大な赤橙色の星を離れて、主の館へ向かう。
星の最期の光よりもまぶしい金の髪をざっと振って、白い鎧を脱ぎ落とし、自慢の体躯に磨きをかけたのち、紫の前合わせの衣を身に着けた。くびれた細腰に帯を巻き、長く余ったそれを後ろで蝶のように結った。彼女は蝶が好きだった。
仕上げに、衣の胸元を、気前よく右に左にぐいぐいっと開く。
「ほ。これで、少ぅし楽だわ。うん、おっぱいが大きいのは嬉しいコトだけど、あぁん苦しいのよねぇん」
女は赤紫の唇に色めいた笑みを浮かべた。結わずに流した金髪をかきあげると、それは恒星の光が放つ風になびいた。
「んふ。主上、貴方のセイシェルが、今まいりますわッ!」
北の賢者が、紫の炎が燃える暖炉の前に立ち、水晶を崩しては火にくべ、また崩して火にくべていると。
紫の衣を着た彼の物が召喚された。
「主上。セイシェルが参りました」
艶麗な申し上げに、無言で振り返った主は、
ひどく不機嫌だった。
「……」
顔では艶美な笑みを浮かべながらも、セイシェルは内心で「あらん、いつにもまして不機嫌だわ、いやぁん、こわーぁい」と、ひるんでいた。
しかし同時に「でもぉッ、そこがイイの! 主上のそのザクザク突き刺す視線がたまらないわん! いやん、セイシェルとろけちゃう!」とも思っていた。
「御用は、どのようなものでございますか?」
「ついて参れ」
たずねる言葉と、命じる言葉が同時だった。
セイシェルは、「いつも思うンだけど。アタシと主上って……ソリが合わないのかしら?」と思った。しかし同時に「この投げて寄越すような命令っ、相手の都合なんか全く考えないお言葉っ、あーん、シビレちゃうわん!」とも思っていた。
セイシェルは、今までは無用だった客室に連れて行かれた。館の北にある、誰も何も泊めたことのない部屋へ。
薄茶の扉を開ける。木造りの硬い軽いそれは音もたてず開き、右に見える北向きの窓からは荒野が見えて風が吹きさらしていた。
「まぁっ、」
それを見た新殻衛兵の女は、声を漏らした。
ありえないものが、いた。しかもそれは、寝台の上に横たわって。
「人だわ。どちらの娘様?」
「……」
答えず、インテリジェは早足で寝台にむかった。そして眠る娘の、長い黒髪を手ですき上げた。一房取って、口付ける。彼女が目覚めないことに苦しみ、焦がれた瞳で。
セイシェルは、それら一連の信じられない光景を見てしまったのだった。
ええッ、主上、主上、お正気かしら?
「あの、主上?」
どうなさいましたの? と、問う新殻衛兵の女に、これまた訳のわからない言葉が返った。
「この娘の世話をせよ」
「はい?」
「世話をせよと申している。具合を悪くして寝ている。介護をせよ」
「介護?」
星崩しを中断して参じてみれば、
……介護なの?
「あ、あら。それだけでよろしいんですの?」
アタシみたいなオトナの体に仕上げてご覧にいれますわよ? と申し上げたかったが、止した。
だって、アタシのこと、もう見てらっしゃらないんだもの。ヘンなこと申し上げたら、叱られちゃうわ。ああんでも叱られたいケド。
セイシェルは、別の、当たり前のことを尋ねてみた。
「お名前は、なんとおっしゃいますの?」
「雪葉」
返事はすぐに得られた。必要最小限のそれは、そっけない響きだったものの、……なぜか、どこか、とても重く感じられた。
「雪葉ちゃんは、白柳様の令嬢ですか?」
「そうだ」
「まッ。初めてお会いしますわ。お名前は伺っておりましたが」
「だろうな。……私も、」
初めて会った、と言って、賢者は娘を注視し続ける。
まあそんなにそぉんなに見るなんて、雪葉ちゃんには何か問題でもあるのかしら? と、怪訝に思ったが、セイシェルは聞けなかった。
だって叱られちゃいそうだから。ああんでも叱られたいケド。
「あとは頼んだぞ」
「え? ハイかしこまりました!」
言い切って部屋を去る賢者にあわてて応じはしたものの、セイシェルは心の切り替えができなかった。
「アタシが、介護?」
新殻衛兵たるアタシに介護? そういうオシゴトって、累機衆ではなくって? あら? あら?
「しゅ、主上?」
どうして兵たるアタシが身辺のお世話ですの? 理由がおありでしたら教えてくださいませ?
と、聞こうと思ったときには、すでにもう賢者の姿は無く。
「ああん、」
フシギなことだらけで、んもうどうしたらいいの? と、戸惑うセイシェルだったが、同時に「いやん、でもソコがスキ! 主上のヘンな秘密主義がダイスキィ!」とも思っていた。
目が覚めたら、またあの白い部屋の寝台に寝かされていた。
窓の外に広がる荒野。
強い風が、地面の固い岩を削るように吹きすさぶ。
雪葉は哀しげにその風景を見つめた。
自分の気持ちと同じだ、と。もう、この先には何も無い、希望の絶えた自分と。
そろそろと、上掛けを取って起き上がった。
着ている衣が違っていた。それまでは、きっと母が着替えさせてくれたのであろう、自宅から持ってきていた衣服。
今着ているのは、薄紫の前合わせ。
神の色と同じ紫。
彼は……どうして見てくれないのだろう、私を。
それが哀しくて仕方がなかった。
まさか、神も狂うのだろうか。私に。それならば、私を差し上げるからどうか側に置いて欲しい。
それとも、そうでなくて、害になるのだろうか……。
雪葉は首を振った。
いいえ。彼はそうは言わなかった。
では、どうして?
乱れる感情を持て余し、雪葉は泣き出しそうな顔で寝台を出た。
そこで部屋の扉が開いた。
娘は、賢者が来てくれたかと思い、扉へと駆けた。
「あん、イヤン!」
しかし、扉の取っ手を握って立っていたのは、若い女だった。
「……」
初めに驚き、すぐに落胆して、雪葉は女を見上げた。
長く波打つ金髪の女だった。赤紫の口紅も鮮やかな、派手な顔立ちの。
女も驚いていた。しかし落胆はせず、それどころか喜んだ。
「あらーん! 起きたのネ! 雪葉ちゃーん!」
「ぶつかってごめんなさい、」
誰だろうこれは、と思いながら、雪葉は謝った。
素直な娘に、女は相貌を崩して微笑んだ。
「ウウン、いいのよ? 走れるくらいに元気になッたのね? アハン、セイシェル嬉しいわ!」
彼女はセイシェルという名前、らしい。
父がそんな名前の物の話をしてるのを聞いたことがある。でも、それはたしか「男」だった。この人は女。名前が同じだけで別の物。
「白柳お父様、元気でやってるわよぅ? 安心してネ? 雪葉ちゃん! ウフフフ!」
「父のことをご存知だなんて……。あなたは新殻衛兵ですか?」
「あら? そうよぅ! アタシは、雪葉ちゃんのお父様の、部・下!」
では、セイシェルという名の新殻衛兵は二つ若しくはそれ以上いるらしい、と雪葉は思った。同名の物が複数いたっておかしくはない。もとは人間だったのだから。
「ヨロシクねッ!」
セイシェルは片目をバチンとつぶってみせた。
そのしぐさは何を意味するのだろう? と、雪葉は不思議に思った。新殻衛兵では、挨拶をするときに必要なものなのかもしれない。
それにしても、
「アアン、雪葉ちゃーん! 元気になったつもりでも、しばらく安静にしてなきゃ駄目駄目ン!」
セイシェルさんは、とても「女」らしい物だ。
雪葉は、セイシェルに肩を抱かれて言われるがままに寝台へと連れ戻されながら、感心していた。女らしいというよりも、色香を過剰に振りまいているのだが、雪葉には今ひとつ違いがわからない。とにかく、身長差から雪葉の肩に当たる胸が大きくてやわらかい、とは思った。
「さー、寝ててネ? お腹すいてるでしょー? ここに食べ物持ってくるからねッ? アタシが雪葉ちゃんのお世話をするコトになったからン!」
セイシェルは雪葉を寝台に座らせ、上掛けを足にかけて、肩には薄手の上着を羽織らせた。実にかいがいしく世話を焼く。
新殻衛兵の女は、金の長い髪をきらめかせながら、雪葉の瞳を覗き込んだ。
「ウッフン、きれいなお目目!」
そう言うと、右手の人差し指で娘の左頬を、優しくつついた。
雪葉は驚いたが、彼女のしていることが一つの愛情表現であるのだと理解した。
愛情。
それなら、大丈夫だ。
これは物で女だから何ともならない。人間の男ではないから、欲望に狂ったりはしない。
……大丈夫だ。
雪葉は、ここでようやく落ち着いて、微笑みかえした。
「セイシェルさんも素敵」
「……んまぁ、」
セイシェルは、一瞬、呆けたように雪葉を見て声を漏らした。そしてすぐに、どぎまぎしながら確認した。
「んまあ。そお? そォお? アタシ、素敵? ステキ? そ、そう?」
まるで初めて褒められたようなうぶな顔をする。頬を紅く染めて、落ち着かない様子で。
雪葉は、彼女のそんな態度を不思議に思ったが、本心からの言葉だったので、素直にうなずいた。
「はい」
「んッまーあ! いやだ嬉しいわ! アタシ、嬉しいッ!」
セイシェルは両手の指を組み合わせると、左耳の下辺りに持っていき、上体をくねらせた。
感激している。
「イッヤーン、嬉しいわあーン!」
嬉しいーィ! と小躍りしながら、セイシェルは「食べ物持ってくるわネェェー!」と叫んで部屋を出て行った。
「……?」
一人、部屋に残った雪葉は、過剰な反応に戸惑っていた。
そんなに、嬉しかったのだろうか。
「何をはしゃいでいる?」
扉を閉じて三歩、たった三歩踊りながら進んだ所に、彼女の主が居た。つまりすぐそこに。つまり、部屋でのやりとりが聞けるほどのところに。
腕を組んで、壁に背を預けて。
「キャアァア!?」
さすがのセイシェルも驚き、両手を上げて叫んでしまった。そして、しばし言葉を失った。
「……」
なんでここにいらっしゃるのッ? 主上は、主上は、アタシに介護を命じたのに!? も、も、もしかして、もしかして、アタシのする仕事を、信用してナイの!? 安心して任せておけないの!? ……ああんそんなッ、セイシェル、悲しいわん! でも、そんな疑い深い主上も、ス・キ。
セイシェルはちょっぴり悲しい微笑を浮かべて返事をした。
「雪葉ちゃんが、アタシのことを褒めてくれましたの。『素敵』って。ですからアタシ、んもう踊っちゃいたいくらい嬉しかったんですの。褒められたことなんてありませんもの! 主上、ご心配には及びません。アタクシ、お命じになられたお仕事は、キチンといたしますわ? ええ、誠心誠意、雪葉ちゃんのこと、お世話いたしますわ?」
顔では笑えたが、内心では涙にくれていた。
アタシ、主上から信用されてないのかもネ。……いいのよ、慣れているわ。だってアタシ、人だったころに信用されるコトなんて、ほとんどなかったんだもの。そう、どんなに成果を上げても、どんなにマジメに頑張っても……ほんとに、わかってもらえないって、辛いわね。でも、この辛さが、ああん快感ッ!
彼女の主は、その悲しい思い(と、不純な思い)を汲んでるのかそうでないのかわからないことを言った。
「雪葉と、もう仲良くなれたか。ほう」
「……?」
セイシェルは内心で小首を傾げた。
感心、されてるの?
あれれ、会話が噛みあってないみたいねェ。っていうか、あらン? なんだか、主上らしくないことをおしゃっているわ? 仲良く、ですって? 仲良く? 一体どうしちゃったの? そんな言葉を使われるなんて。主上は「仲良く」の対極にいるお方なのにん。
「ええ。雪葉ちゃんって、ウフン、可愛らしい女の子ですわね!」
セイシェルが気を取り直して明るく応じた瞬間、今度はインテリジェの表情に陰がさした。
「可愛い、か」
「!?」
エエッ!? どうしてェ!? どうして今度はご機嫌が悪くなっちゃウの!? なんで無表情になるの!?
セイシェルは、何がなんだかわからなくなった。
なんなの一体!? ああん、主上が、主上がッ、おかしいわーん! でもソコがスキ。
インテリジェは、深くため息をついた。
「その調子で頼んだぞ」
ではな、と言い置いて、賢者は唐突に姿を消した。
「はい。このセイシェル、及ばずながら全力をつくさせていただきます! って、……え?」
セイシェルは条件反射で応じはしたものの、その後の主上の行動がまったく理解できなかった。
彼はもう、いなかった。廊下には彼女一人が立っていた。
ど、どうしていきなりいなくなっちゃうのよー!?
「しゅ、主上? ああん、主上ー、いずこへー!?」
心通わせられる者がそばにいれば、起きている間はそれでいい。セイシェルとうまくやっているというのなら、彼女に雪葉をまかせておこう。
宙(そら)の中で、インテリジェはため息をついた。
紫の髪をかきやる。それは星の光にきらめいた。
どうにも気が重い。
雪葉の存在が負担になるという訳ではない。
逆だ。
雪葉から離れるのが、嫌でしかたがないのだ。
賢者は星を離れて、独り、宙にいる。
雪葉が目を開けている間は、他の星を巡っていようと思った。
北の空、二万の星は自分の物。何処にどのような星があるのかはわかっている。
想いを持て余した北の賢者は、嵐の星々を巡った。固体がなく、液体と気体のみで構成された、嵐の星々へ。
星の中は、激しく渦巻いていた。
「どうしたものやらな……」
星と自分とを重ねて、インテリジェは苦笑した。
白柳から申し出があった時、雪葉を知った。その時に、彼女が「言霊の娘」であるとわかった。それがどんな性質かも知っていた。しかし自分は例外だと思っていた。南の巫女の星華を見た時にも大丈夫だった。ゆえにとらわれるはずがないと。
……生きた「言霊の娘」を見たこともないというのに。
娘が死ぬ前に会いたいというなら、些細な願いだ叶えてやろう、という、手向けのつもりだったのだが。
それが、こうも簡単にとらわれてしまった。あの瞳の虜になるのは、賢者だとて例外ではなかったのだ。
南の賢者ノウリジが大丈夫だったのだから、と、たかをくくっていたのだが。かの紅い賢者が、祖母でもある巫女星華にとらわれなかったのは、ひとえに、身内であるがゆえに他ならない。雪葉の父白柳もそうなのだから。
言霊の娘は、賢者の心をも、とらえるのだ。
ひとつ勉強になった、と、心の一部では冷静にそう思う。しかし残りの大半は、すでに彼女への思慕に占領され焦燥していた。
欲しい、と。
「私が、人に興味を示す日が来ようとはな」
嵐の星。
これまで好んで訪れてきたのは、生物のいない、岩石で構成された星だった。少なくとも表層が固体である星に。そもそも大気が無い、風のない星に。
これからしばらくは、これら嵐の星に出向くことになるだろう。定かな固いものが何もない星に。
己の内面と同じ状態を示す、これらの星に。
……娘の瞳に、囚われようとは。
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