女子高生の異世界召喚「君こそ救世主?」物語
Magic Kingdom

すぎな之助(旧:歌帖楓月)



1 それぞれの日常

 ほんのりした、黄色とも銀色ともつかないひかりが夜の住宅街を照らす。
「なんて明るい月なのかしら。こんな素敵な夜は、妖精が浮かれて、わたしの目の前に踊り出てくるかもしれないわ」
 どこにでもある建て売りの住宅。その二階に、少女がいた。勉強机に向かって、窓の外ではなく、広げられた国語の教科書を見つめる少女が。
「あははは! 言いすぎですって? そうよね。でも、詩人の心をくすぐるじゃない? こういう夜は」
 階下からは、妹の声が、歌のように響いてくる。
 楽しそうだな。
 少女は、教科書から全く目をそらさずに、そう考えてみた。
 あんなに無邪気にはしゃげたら、楽しいかもしれない。
 けれど、そんな妹のことをうらやましいとは思わない。
 妹のように、自分で詩や絵を描けて、しかもそれが好きでたまらないというのは、良いことだ。きっと楽しいだろう。好きなことが多いのだから。
 でも私は、そういうことには興味がまるで無い。だから、詩や絵が描けてうれしそうな妹を見ても、楽しそうにしている、としか思わない。
 少女は、ぱらりと教科書をめくった。
 そこで思考は、すみやかに現実に帰る。
 明日は定例委員会がある。うちのクラスから出た生徒会への要望を発表しなきゃ。
 そのとき、妹が嬌声を上げた。
「そうそう! そうなの! 絶対にいるのよ! ミス・ハニール・リキシアは! ルシールの森で、冒険家のエドガーブラウンが発見したのは、幻じゃなくて本当にその妖精だったのよ。素敵よねー! 菜の花色に輝く、光の妖精!」
 今夜は随分盛り上がっているようだ。妹の声が一段と高い。
 少女は教科書からは本当に全く目を離さずに、クス、と、笑った。
 あんなふうに騒げる、とても気が合う友人がいるのも良いことだ。と、思いながら。
 そして、少女はその夜、窓の外に浮かぶ月を一度も見る事なく、宿題と予習を終えて、眠りについた。

「ごめーん相模さん! 英語のプリントさ、提出が今になっちゃったけど、いい? やっぱ、昨日の放課後までじゃなきゃ、だめ? 先生怒るかなあ?」
 朝の学校。
 どこでも同じように、校舎は生徒達の活気に満ちた喧噪に包まれる。
「いいよ。昨日の放課後に受け取った人のが、何枚かあるから。まとめて先生に渡しとく」
「ありがと! ごめんね、お願いね」
 相模明理沙は、公立高等学校のクラス委員をつとめている。クラスをまとめる、世話をする、ということを、自然体でやってのける。
「ホント、授業がやりやすいわー。あの子がクラス委員だと。クラスでひと悶着! ってことがないのよねえ。どうやったら、そうできるのかしら? 逆に教えて欲しいくらいだわ」
 とは、担任が同僚に職員室でもらした感想。まことに、彼女はよくできた生徒だった。
 そして、1時間目の始まりのチャイムが鳴った。

 この国も、朝を迎えていた。
「リーディーアースー! 今日こそは仕事! きっちりするのよ!」
 若い女性の、秋空のように澄んだ声が響く。
 そこに続く細い一本道以外は全て断崖に囲まれた大きな城の中。
 声に続いてカツコツカツコツという足音が響く。鏡のように磨き上げられた石の床を、堅い革の靴が、軽快に走って行く。
「リディアス! 起きなさい!」
 バタン! と、勢いよく、飴色の大きな木の扉が開かれた。部屋の外には、茶色の短い髪の女性が、やや仁王立ち気味に立っている。
「起きなさいってば!」
 まるで元気なお姉さんが寝坊の弟を叩き起こしに来たような勢いだった。
 だが、それにもかかわらず、部屋の主の反応はふるわなかった。
 活発な働きかけに対し、優雅ともいえる動きで、白い絹張りの寝台から起き上がり、「はあ」という呆れたため息で返したのだった。
「シルディ……。君も飽きないな」
 乳白色の肩まで届く髪には、幾筋かの金の髪が混じっている。そして、高い背に、名工の神技のような玲瓏たる造作の顔。
「あなたこそね! こんな大きいだけの城に年から年中ひき籠もりっぱなしで、よくもカビが生えないわね? ちゃんと、しっかり働きなさい!」
 女性は彼の容姿には全く頓着せず、そこまで流ちょうに言ってのけ、ふん、と、息をついた。
 均整の取れた肢体、きれいな顔には、陰のないくるりとした深緑の瞳が、呆れた気色を浮かべている。
「『金糸の君』。あなたの通り名には、疑問を感じるわ。まったく。私に言わせれば、あなたは『三年寝太郎』。そんな優雅な人じゃない」
「さん?」
 聞き慣れない単語を耳にしたリディアスは、眉根を寄せて、「なんだそれは?」と聞き返す。
「え? 知らないの? 三年寝太郎っていうのはねえ……」
 シルディが、沈黙と数度の瞬きの後に出した声は、ある者によって遮られた。
 菜の花色の光輝。まばゆい光が、彼の肩に留まる。
 そして、光は、気品ある女性の声を奏でた。
「それは、異世界の物語……」

 この国の王様は死んでしまった。
 それからもう一カ月は経っている。盛大なお葬式も行った。お墓も立派なものを造った。皆、良い王様の死を悲しんだ。
 そこまでは、不幸な話だが、まあ、当たり前に進行したのだ。
 問題は、その後だった。
「次の王は、誰がなるんだ?」
 誰もが、首を傾げた。
 跡継ぎが見つからないのだ。
 この国では、王の息子が跡を継ぐ、とか、選挙で決める、とか、そういうしきたりは、全くなかった。
 では、どうやって決めるのか?
 王の決め方すら、多くの者が知らない。
 王がいなくても、今のところはそう困らない。そう、今のところは。
 ここは、そんな国。

「相模さあん! 放課後の委員会で緊急に言って欲しいことがあるんだ!」
 5時間目の休み時間。相模明理沙は、クラスメートの男子に声をかけられた。
「どんなこと?」
 明理沙が聞くと、男子は、フン! と鼻を鳴らした。
「隣のクラスのさあ、ロングホームルームのことさ? いっつもいつもうるさいでしょー? んで、何してるかっていうと、なんと運動してんだよねこれが」
 一拍おいて、明理沙はうなずいた。
「うん。そうね、知ってる」
 男子は、はあー、と大きなため息をついた。
「でしょ? 有名でしょ? 職員会議でも問題になったくらい有名でしょ? あれを、やめさせたいわけ」
 明理沙はとりあえずうなずく。
「そう」
「そうなんだよー。んだからさ、委員会で隣の委員長にびしっと言ってやってくんないかなあ? やめろ迷惑だうるさいって」
「……そうね。とりあえず、言ってはみるね?」
「やった! 相模さん頼んだよー」
 男子は、踊るように去って行った。
 今度は女子が2人寄ってきた。
「相模さん。今のことだけどさ。いいって、そんなの言わなくても。めんどいよー? 向こうの委員長がそれで気い悪くしてクラス同士が険悪になったら、……めんどくない? 合同授業とかで、やな感じになっちゃうでしょ?」
 女子二人は、体をやや傾けたり、髪を手ですいたりしながら、だるそうに言った。
 明理沙はやや、首をかしげる。
「うん、まあ、ほどほどに言ってみるかな? 隣もねえ、その件では困ってるみたいだからね。委員会で言っても、うちと向こうの争いにまでは、ならないと思う」
 女子二人は、「ふーん……」と言ってうなずいた。
「そっかな? うーん。まあ、あっちも体育教師が担任だから不可抗力よね。あっちの人達も、やる気まんまんでやってる訳じゃないでしょからね。ま、なんでもいいからさ、争いがないようにしよーね。んじゃ、相模さん、そういうことで」
「そうね、うん」
 そして、女子二人は去って行った。
 こんなふうに、明理沙は皆から話を持ちかけられる。クラスに問題があれば相談にくる。愚痴を言いにくる。ケンカを明理沙の前でしてみせる。
 明理沙は、クラスにおいて、調停者の役割を果たしていた。クラス委員という名前は持っているが、リーダーシップを全面に出すタイプではなかった。明理沙は自己を主張しない。「世話役」あるいは「相談役」という名前の方が当てはまる。
「相模さーん……」
 また明理沙の元へと、クラスメートが寄って行く。言いたいことを言って去って行く。
 明理沙は、相手に流されるでもなく、自分の意見をぽつりぽつりと返す。
 相手は、なにがしかの答えを得られて帰って行く。
 ところが、たまに、そんな明理沙に対してこういうことを言う者が出てくる。
「相模さんさあ、そんな相手の言いなりばっかならないでさあ、たまには言い返したら?」
 それに対して明理沙はこう答えたのだった。
「うーん、別に? 言いたいことは大抵言ってるし、どうかなあ? 相手の意見に流されてる訳でもないよ? ホームルームでも、私、だめなものはだめって、ちゃんと言ってるでしょう? だから、そう見えたとしても、そうじゃないよ」
 相手はきょとんとして、「ああ……、そうだね。そういや、そうだよね」と言ってうなずいた。
 しかし、そんな自分の姿に対して明理沙自身はこう考えていた。
 今の自分に不満はない。まるで地でやっている。神経を張り詰める必要も、自分を取り繕う必要もないし、力を入れたいときにはきちんとそうしている。
 ただ、たまに、こう思うのだ。
 波風の立たない自分の生き方だが、これだけで良いのか? と。
 明理沙の周りは皆、自分の意見を主張して、時には争いに発展することもある。明理沙には、そういうことがまるでない。必要ないからだ。そこまでする必要はないので、しないだけだ。
 だから自分の意見を主張して争いになるとか、声高に自己を主張するとか、それは、あまりに自分に無関係な世界で……。やっている人には悪いけれど、「お芝居」を見せてもらっているような気持ちにすらなる。
 しかしまた、こうも思う。それをしている他人は、実に生き生きしている。それはすこし、うらやましいと思う。そして、自分は今の生き方だけでいいのだろうか? と、疑問に感じるのだ。ああしたいとは、あまり思わないのだが。あんなに生き生きした表情をするのだから、明理沙が感じたことのない「何か」が、そこにはあるのかもしれない。
 そんなこと考えてもしかたないかもね、他人の心なんて、想像だけしても実際わかるもんじゃないし、と、明理沙はそこで考えるのをやめた。
 さて放課後だ。委員会に出席しなければ。
 
 大きな大きな城を囲む森の中に、小さな納屋が頼りなく建っていた。まるで、ここにあること自体が申し訳ないかのように、ぽつんと。
 かやぶきの屋根の下からは、深刻な声が聞こえてくる。
「このままじゃ、駄目なんだ。このままじゃいけないんだ、でないと、僕や僕と同じ人間たちが……!」
 古びたかまどや土器のような壷が並ぶ、炊事場のような所で、少年が難しい顔をして立ち尽くしていた。たった独りで。
「僕には、僕にはこの3つの水晶玉がある。でもこれはどれも、僕のものじゃない。僕にできることは、ただ、次の王を、捜すことだけ……」
 少年は、ぐっと口を引き結び、納屋の入り口から見える朝の森の風景を眺め、意を決した表情で、再び口を開いた。
「王を、見つけださなければ!」

「だから言ってるだろ! ウォータークーラーの修理を、学校の予算ではできないんならさ、生徒会予算から出しゃいいじゃないか!」
「出せないんだよ! 出すとしたら費目は総務費からだが、もともとウォータークーラーの修理費なんて見込んだ予算額じゃないんだ! 修理代8万だぞ8万! そんなの出したら、離任式の花束代さえ出せなくなるんだからな!」
「それじゃ予算の流用しろよ!」
 委員会は、最初から白熱した。ところで流用とは、他の費目の予算から別の費目にお金を回すことである。
「どこの費目にそんな余裕があるんだ? 生徒会長として断固として断る! 駄目だ! どうしてもって言うんなら、君の入ってる野球部の、潤沢な部費から削るが?」
「……なんだよ。チッ。わかったよ! ぬるい水で我慢すりゃいいんだろ! もういい!」
 一つの議題に決着がついた。しかしあと議題は3つある。どれも、大変そうだ。
 議論の程度はどうであれ、活発な空気の中、まるで水を差すように、生徒会副会長が「うあっ、」とぎょっとした声で言った。
「次の議題で各クラスに配る資料、足りないよー!?」
 書記が口を出す。
「え? たりないって、何枚ですか? どうして?」
「これクラスごとに内容が違う資料だからなあ。え、と、2年B組があと5枚、1年Cがあと7枚……、あと、今集まってる委員の分が3枚」
 生徒会長が苦い顔になる。
「誰だよそれ刷った奴。あ、わかった、その枚数の不足からして、きっと去年のクラス表見て刷ったんだ。間違えて」
 副会長が舌打ちした。
「……もう。しかたねえな。んじゃ、書記。印刷してきて!」
 書記の生徒は、面倒臭そうに返事をした。
「……はーい」
 委員会はしばし中断した。皆、一息つくために背伸びをしたり、隣の者と雑談を始める。
「ねえ、山元君、」
 明理沙は、隣のクラス委員である山元に声をかけた。
「なに? 相模さん」
 山元はメガネごしに、実直そうな目を明理沙に向けた。
「あのね。そちらの、ロングホームルームのこと、」
 ぽつり、と明理沙が切り出すと、山元は、ああ、と言ってため息をついた。
「うるさいんだろ? ごめんな。こっちもさ、困ってたんだけど、……うち担任があれだろ?」
 隣のクラスの担任は、熱血体育教師。情熱の向け方がどこかずれていて、ロングホームルームの間中、他のクラスが静かにしている場合でも構わず教室内で運動をさせ、「おまえらー! 声出せ声!」と、げきを飛ばすのだ。そんなことはグラウンドですればよいものを、ロングホームルームとは教室内で行うべきだ、との強い信念から、室外に出ようとしない。
 山元は、メガネのつるを、ひとさし指でさすった。
「ほんと、ごめんな。でも、もう、体操もしなくなるよきっと。この前の職員会議で、うちの担任、その件でずいぶん槍玉にあげられてたみたいでさ。ついには校長室にまで呼び出されたくらいだから。いくら彼が強情でも、おとなしくなるよ」
 山元は、軽く笑った。彼は、担任の所業によって、随分他クラスの委員長たちに非難されたのだ。困った担任を持つと、生徒が苦労する。
「大変だね、山元君」
「うん。正直、というか、本当にというか、嫌になってるよ。この仕事にも、あと、担任にも。困ったもんだよ。でも、ま、きっともう、おさまるだろうしね。彼も校長にあれだけ絞られれば」
「ただいまです!」
 明理沙と山元の話が終わったところで、印刷に行った書記が帰ってきて、会議は再開した。

 みいんみんみん、と、蝉の声が、夕日のようにぎらぎら鳴り響く。空はまだ清流のように青い。
 委員会が終わり、明理沙は一人、帰路についた。
 夏の空は、熱い夕焼けにはまだ侵食されていない。その、色だけは涼しそうな空をふと見上げて、明理沙は、また例のとりとめもつかない考えを、頭の中に広げてしまった。
 私には、争いがない。
 周りはいつも、活気のある主張で埋められている。今の自分に不満はないが、……私はこれでいいのだろうか? 
 これで良いのか悪いのか、その判断がつかない。不満があれば今の自分を変えようと思うのだが、それはない。ただ、これでいいのかという疑問が、陰のようにつきまとう。
「なんか、……なんでこんなに悩むんだろう。……私はどうすればいいんだろう」

 
「ただいま、」
「ああー! おかあさんやめてよお! 綾子これでいいって言ったでしょー!」
 明理沙が帰宅すると、半泣きの声が家中に響いていた。
「何いってんのよ綾子! 片付けなさい片付けなさいって、母さん、もう何度も何度も言ってきたでしょ! どーしてできないの!?」
 一階のリビングから声がしていた。
 母は、右手にほうきを持ち、左手を腰に当てて、妹にどなっている。
 妹は、木綿糸で織られたカーペットの上にぐしゃりと座り込んだまま、言い返した。
「だから! あたしには、あれが片付けてるって状態なの! いいでしょ私の部屋なんだからどうやったって!」
「駄目よ! 女の子の部屋じゃないわこんなの! 何よあの雑誌の山は! そしてなんなのあの本の山は! どうして床いっぱいに広げるのよ! 本棚があるんだから、そこに片付けなさい!」
「もう! これが一番、本を読みやすい配置なのー!」
「読みやすいんじゃなくて、片付けなさいってお母さん言ってるでしょ!」
 妹も母も、お互いに声高にまくし立てて、いいかげん息が切れてきているようだ。肩が上下している。明理沙はここで口を出した。
「どうしたの二人とも?」
 くるっと、母が明理沙の方を向いた。
「どうしたもこうしたもねえ! あなた綾子のあの部屋見てどう思う?」
 明理沙はしみじみと言った。
「ちらかってるねえ?」
「そうでしょう? そうなのよ! ほら、お姉ちゃんもそう言った!」
 明理沙から得たい答えを得られて、母は満足そうに数度うなずいた。
「そんなことない! あれが使いやすい配置なのお!」
 が、妹綾子が声を上げる。
 明理沙は妹をつくづく見た。
「綾子、あれは汚い部屋」
 ぼそっとこう言われて、妹は、ガン、と、ショックを受けたようだ。
「そんなことないのにいい……。やだあ、あたしの部屋、使いやすいのにい……」
 明理沙はしばし沈黙して、とつとつと語り始めた。
「綾子、もう少しさ、他人の目で見たきれいさっていうのも、考えてみたほうが良いよ?」
 妹は悲しそうにうつむいた。
「きれいじゃないのかなあ……? いい感じなのに」
 それに対しては、母も明理沙も、何も答えなかった。
 なきべそをかきながら、妹は床をなでた。
「ねえ。お姉ちゃーん。あたしの部屋って、ほんとに汚いかなあ?」
 明理沙は、苦笑してうなずいた。 
「綾子、雑誌とかであるじゃない? 美しい部屋特集っていうの。あれを見てきれいな部屋のなんたるかを考えてごらんよ」
 妹は悲しげに首を振った。
「わかってるけど。でも、そんなきれいな部屋追求してたら……私の大切な大切な本を捨てなきゃいけなくなるう……。そんなのやだ、汚い方がいい」
 母は口中で「あんなに役にたたなさそうな本の山のどこがいいのかしら?」と呟いたが、声に出すと綾子がそれはもう怒り出すので、よした。
「じゃ、適当に折り合いつけなよ、ね? 今より少しは、きれいにしよう?」
 明理沙がそういうと、綾子は「うん……」と、なんとかうなずいて、とぼとぼと自分の部屋に帰って行った。
 それを見送って、母が、ふう、と、息をつく。
「ありがと明理沙。もー、私がどれだけ言っても、あの子、聞きゃあしないんだから」
 明理沙は苦笑した。
「頑固だからね。夢見がちなのにさ」
「そうなのよねえ……」

 今日は疲れた。
 夕食後。
 いつもどおり明理沙は机に向かっていたが、どうも気が乗らない。
 教科書を開ける気がしない。
 ふう、とため息をついて、肩を回した。
 やっぱり疲れているのだろうか? いつもは委員会が長引こうが、担任から任された仕事が増えようが、大抵やっていけるのに。いや、それはいいのだ。別に、無理はしない程度に、私は、やっていける。
 ただ、どうもひっかかるのだ。私はこれだけで良いのか? 争いのない生活。不満はない。
 ただ、周囲と自分は、どうも、違うようだ。
 周囲のように、主張して争ってでも行動するべきなのか。私の生活はこのままでいいのか。……判断がつかない。
 でも、こんな疑問に答えてくれそうな人は、周りにいない。皆、こんなささいなこと考えないだろうな。
「今日は勉強やめた。もう寝よう」
 明理沙はベットに入ることにした。
 そこで、ふと、部屋の隅っこに目をやった。
 妹の本が落ちていた。
 綾子は、家のあちこちを移動して、あちこちに座って本を読むくせがある。姉の部屋も読書に使うのだ。
「読みっぱなしにして……。忘れていったのね」
 明理沙は苦笑して、本を拾い上げて自分の本棚に一時置いておくことにした。
 本の表紙には妖精やら星やら花やら、夢のような絵が描いてある。
 妹は夢が大好きだ。空想の世界や、あり得ない話が、とても好きだ。
 明理沙は、妹が楽しげにそれらの話をしてる姿を思い浮かべて、ふっと笑った。
「綾子はいいな」
 と、口について出た。何がいいのか、明理沙自身、わからなかったが。
 そして、本を置いた明理沙は、顔を上げて、窓の外の風景を見てしまったのだ。




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