そして、夜になってしまった……。
「どうしよう、カイ」
夕暮れ時に座り込んだ木の下で、明理沙は心細そうに尋ねた。
ちょっとの休憩のつもりで立ち止まったのに、周りは急速に暗くなっていき、身動きが困難になってしまった。
「ねえ、ここって、夜になると狼とか盗賊とか……危険なものって出てくるの?」
明理沙の問いに、闇の中、ネズミは、申し訳なさそうに、……うなずいた。
「どうしよう!」
顔色を変えて、明理沙は叫んだ。
「そうだ、この木に登ってたほうがいいかな? 地面にいるよりはその方が安全だよね? ね?」
明理沙は狼狽(ろうばい)しながらも、自分で考えうる一番用心深い案を提示した。
すると、ネズミはしばし迷って、おずおずとうなずいた。
「よし、じゃあさっさと登るね!」
明理沙は早速木によじ登った。ネズミは身軽に幹を駆け上がって行く。
空には星が出始めていた。
「エフィル様! 夕食も食べて行ってくださいなっ! うふっ! ユエね! エフィル様のために、手料理作りまーす!」
「ユエ。私はまだ仕事がある。もう帰らせてくれ」
「だめでーす!」
あれからずっとエフィルは、ユエに捕まっていた。
「駄目だ私は帰る! 仕事があるんだ!」
「いやーん! ユエかなしい! エフィル様ぁ、そんなの代わりの方に任せればよろしいじゃありませんの! あ、どうしても仕事がしたいっておっしゃるんでしたら、ユエ、悪いことしそうな人とか、危険な動物とか、その他いろいろエフィル様のお仕事の種になりそうなこと、ぜーんぶ、消しますわ! そしたら、エフィル様、お仕事しなくていいでしょう? ね?」
「そんなことするな」
エフィルは、ユエに張り付かれて、ぐったりしていた。自分のことを思うあまり黒魔法に手を出したユエが可哀想になり、こうして屋敷にいたエフィルであったが、もういい加減疲れ切ってしまった。
「頼む、ユエ、今日は許してくれ。……仕事に行かせてくれ」
「いやでーす!」
「……」
エフィルは、にべもないユエの返答にがっくりとうなだれた後、やおら立ち上がった。
「ああん!」
エフィルの腕にしがみついていたユエが、立ったエフィルにぶら下がった形となる。
「じゃあな、ユエ」
「いやいや! エフィル様ぁー!」
「力づくでも出て行ってやる」
エフィルはユエをぶら下げたまま一歩また一歩と踏み出す。屋敷の玄関に向かって。
エフィルの腕に、まるで猿の子のようにぶら下がったユエが、花のように笑った。
「じゃ! あたしも! 一緒に行きますわ! ね? うふっ!」
「かんべんしてくれ……」
そして、危機は訪れる。
「……ねえ、カイ。あれ、なにかな?」
落葉樹に登って遠くに光る街の明かりや、輝く空の星を眺めることで、夜の恐怖から気を逸らしていた明理沙は、あるモノに気づいた。
明理沙たちが歩いて来た道、偽りの桔梗畑のある方角から、ぼうっと、青紫色の光るもやが現れ、そして、ゆらゆらと近づいて来た。
「……カイ、あの、変な光るものって、……危険なものなの?」
ネズミにされてしまったカイを両手の上に乗せ、自分の顔の前に持って来てそう尋ねると、夜の暗さでよく見えないが、ネズミは、その方向を見ると、ビクッと毛を逆立てて、尻尾を針金のようにピンと延ばして「チュッ!」と悲鳴を上げた後、頷いて「チュウー」と鳴いた。情け無さそうに。
「どうすればいい? カイ」
明理沙はがたがたと身震いが起こるのを感じた。
どうしよう。一体あれは何だろう? 私の世界では、ああいうのは、……普通「幽霊」とか「怪奇現象」とか、そういう方面でとらえられる……。まさか、
「ねえあれ、幽霊、なの……?」
明理沙はそう尋ねた。
すると、否定すればいいものを、頷きが返ってきてしまった。
「うそ!」
明理沙は本格的に震え始めた。
「ど、どうすればいいのよ、カイ!」
多分どうしようもないのではないだろうかと、絶望的な予想を立てながら、明理沙は尋ねた。あの青紫のもやは、どんどん近づいて来ている。
ネズミは、ピョンと、明理沙の手の上から木の幹の上に降りた。そして、小さな爪先で、カリカリと、幹に何やら絵を描き始めた。
「なにこれ……?」
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