女子高生の異世界召喚「君こそ救世主?」物語
Magic Kingdom

すぎな之助(旧:歌帖楓月)



26 沈思の森 翻弄

 二人は森に入った。
 途端、空気が重くなった。というより、雰囲気が重くなった。
 ……嫌な感じ。
「?」
 明理沙が怪訝な表情になる。
 情けない声で、カイがうめいた。
「うわああ。僕、こんな気持ち、駄目なんだよなあ」
 一方の明理沙も、口には出さなかったが、突然の気持ちの変化に驚いていた。
 なんで、私は、悲しくて惨めな気持ちになっているの? 
 明理沙は困惑して、あごに手を当てて首をかしげる。
 別に悲しい理由もないし、惨めな理由もない。でも、悲しく惨めな気持ちだ。心の中に、勝手に荒廃した部分ができて、乾いた風が吹き抜けるような感覚。
「うわあ駄目だ、僕。もう、動きたくなくなってきちゃった……ああー」
 カイの方は、しょんぼりした声を漏らして、その場にしゃがみこんだ。
「あ、大丈夫? カイ」
 明理沙は、カイの隣に、同じようにしゃがみこんで、彼の顔をのぞき込む。どうも、惨めな気分が晴れない。明理沙は顔をしかめる。何をしたって駄目なんだ、という気持ちがまとわりつく。
「これが、沈思の森の性質なの? 勝手に自分の気分が変わるの?」
 明理沙の戸惑いに、うずくまって顔を両手で覆っているカイは、うなずいた。
「そうだよ。こうやって、どんどん勝手に変化していくんだ。今みたいに、どうしようもなく惨めになったり、悲しくなったり。他にも色々な気持ちに変わる。その気持ちの変化は、その人が、心の中でそれと同じ気持ちで考えている物事を引っ張り出してくるんだ。例えば、僕が、こんな気持ちで考えることは、僕がどんなに頑張ったって、王は決まらないんじゃないか、っていうことで……」
 弱く渋い声でそうつぶやいたカイは、両手に覆われた顔を左右に何度も振った。
「ああ、どうしよう……どうすれば」
 明理沙は同情を込めた面持ちで、うめく少年を見つめ、それと同時に、自身の内面を見つめた。
 もしも、このまま、この世界から帰れなくなったら? 可能性はないとはいえない。王の継承が終わったら、カイの手から水晶玉はなくなる。王の手に移るのだ。その王は、明理沙を、帰してくれるだろうか。私は、誰を王に選ぶのだろう。その前に、大体、私は生きてるかどうかも怪しいんだ。カイは、この世界は夢だって言った。私にとってこの世界は、たしかに、この目で見ているし、実際に触りもできる、こうして、カイとも話をしているけれど、でもそれが何? ここはどこ? 私が暮らしているはずの世界と、まともな繋がりは、期待できない。自分が眠って見ている夢にしては生々しいにもほどがある。死出の旅路に見る夢、死にかかって、体の機能がおかしくなって、見ている世界、本当は、こういう取り方の方が、この感覚を表すには、相応しいような気がするのだ。
 でも、ここから、抜け出せないのだ。
 私は、本当は生きてるのか死んでるのかさえ、今は、判らないのだ。
「カイ、」
 明理沙は、声を出していた。うずくまる少年の腕を引っ張って、立たせる。
「行こうよ。沈思の森の奥にいる人達に会わなきゃ」

 沈思の森を流れる思考。揺蕩う迷い。駆け抜ける情熱。そして、湖より流れてくるもやに翻弄される自我。
「歩かなきゃ。……でないと、目的の場所にはたどり着けないよ。足を前に出そう? カイ。ね? 金糸の君の城へ、行くんだよね?」
 沈む寂しさ。さしこむ悲しみ。動かない不幸。
 マジックキングダムは必ず崩壊して、自分は消える。
 マジックキングダムに連れて来られた自分は、もしかしたら、本当の世界では死んでいるかもしれない。
「歩かなきゃ、最後の二人に会えないよ? カイ、聞いて」
 動かなければ、少年の世界は間違いなく崩壊し、少女の身は絶対に元の世界には戻れない。
「行こうよ、カイ。ねえ、カイ」
 明理沙は、もはや一人では一歩たりとも足を動かさなくなったカイを、ただうつむくばかりのカイの手を引いて行く。
 周りをさやさやと流れる風から、皮膚に染み入り毛細血管に流れ込んでいくように、次々に沸いてくる悲しい惨めな気持ち。
 気づけば、明理沙の頬を涙が伝い落ちていた。
 ぞっとする感情が胸を占めていた。
 ……死んでるかもしれない、私。
 生きている保証は、どこにもない。この世界にいる限り、ない。
 行かなきゃ、
 行かなきゃ、
「明理沙」
 カイが。弱々しい声を出した。
「よそう。もう止そうよ。多分、きっと、ぜったいに、いくら頑張っても、良いことなんて起こらないよ」
 少年は自分が抱えている問題のことを言っているのだけれど、同じように深く沈んでいる明理沙には、彼女自身のことを言われているような気がしてならなかった。
 どのみち死んでいるんだ、と、言われている気がして仕方がなかった。
「……カイ……?」
 なんてことを言うんだろうか、彼は。
 そのカイが、またうずくまった。
 明理沙がいくらひっぱっても、立とうとすらしなくなった。石のように固まって、動きはしない。
「カイ、行こうよ。もうすぐ終わるんだよ。私は候補者全員に会える。そしたら、王が決まるんだから。そしたら、あなたは消えなくてすむ。カイ!」
 明理沙は必死で話しかける。
「行こうよ? お願い」
「ううん。もういいんだよ何もかも」
 カイが、顔を上げずに首を振った。
「ぼくは、随分随分、苦労してきたんだ。たくさん歩いて来たんだ今まで。あのね、明理沙……僕が今までしてきた苦労……それに見合うだけの何かがあるんだろうか? ……誰も、手を貸してくれなかった。僕一人でやって来た。ひょっとしたら、僕は、……消えてなくなる苦しさよりもずっとひどく、今まで苦しんで来たのかもしれない」
「カイ……?」
 明理沙がしゃがみこんで、とまどったようにカイを見つめる。
 少年から、弱々しい声が染み出す。
「僕は、別に死んでもいいんじゃないかと、思うんだ。冷静に考えれば、こんなに苦労するほど、僕にとって、今のこの世界は、生きる価値はない世界なんだ。……僕には何も残っていないんだ。僕には、……生きていて元気で幸せな家族はいない。僕は魔法使いじゃなかったから、この先、……あんまり希望もない。よく考えたら、世界のためにこんなに必死になること、なかったんだ」
「違うよ!!」
 明理沙は声を荒げた。
 そんな考え方は、絶対に違うと思った。
 何が違うのか、……明理沙は説明できる言葉を持ち合わせていなかったが。しかし。
「カイ! そういうのって違う! 絶対違う! そういうのじゃないよ! そういうことじゃないよ! 私きっと、絶対あなたみたいに苦労はしてきてないから、あなたがどんなに苦しいかはわからないと思うけど、でも、それ違うよ絶対! 行こう!」
「でも……もういいんだ」
 明理沙は、大きく首を振った。なんだか、無性に腹が立った。そういうのってない、と思った。
「駄目! 行かなきゃ! 行って、王を見つけて、あなたのしてきた苦労の何十分の一くらいは返してもらうの! そして、世界が崩壊しなくなってから、残りの苦労の分を返してもらうの! 行こう、カイ! あなたの苦労に見合う結果が出てくるんじゃないわ! これから、あなたは、どんどんそれを返してもらわなきゃ! あなたが世界の為にしてあげてるんじゃないの! 世界があなたに借りを作ってるの、今までずっと! だから、返させるの! これから返させるの!」
 カイが、驚いた表情で顔を上げた。
「……そういうふうに、考えるの?」
 明理沙が力強くうなずいた。
「そう! 世界の為にあなたが犠牲になってるんじゃないわ! 世界が、あなたに借りを作っているの! だから、世界はあなたに、借りを返す義務があるの! さあ、行こう! カイ! 苦労の結果を見つけにいくんじゃないわ! あなた一人で苦しむ必要がどこにあるの? みんなは、あなたにやってもらってきた分を、返さなければならないの!」
 カイの重苦しさが、抜けた。悲しみが四散した。
「そんなふうに考えたこともなかった……。そういうふうに、そうか、そういうふうに、……そうだよね」
 カイが、笑った。
「変な僕」
 そうして、「よいしょ」、と掛け声をかけて、カイは立ち上がった。
「そうだよ」
 明理沙は、笑った。
 でも、
 一方、少女の重苦しさは、消えてはいなかった。
 もしかしたら、私は死んでるかもしれないんだ。

 少女と少年は、薄暗い森を歩く。
「あと、どれくらいかかるの?」
 明理沙の問いに、カイは答えた。
「ここはあんまり魔法が使えない場所だから。普通に歩かなくっちゃならないからね。えっとね、あと、一時間くらいは歩かなきゃ。あと、迷わないように気をつけなきゃいけないし」
「あと一時間。そっか」
 その時。
 ふと、心の中を、一陣のさわやかな風が吹き抜けて行った、ような気が、した。
「あれっ?」
 なんだか、自分の意志とは関係なく、颯爽とした気分になってきた。
「おお。僕、……なんでもできるような気がしてきたぞ? なんだこれ、すごいぞ!」
 カイが、自分の右手のひらを、じっと見ている。その瞳に、力強い光が生まれた。
 やおら、少年は顔を上げた。
「よーし! 善は急げだね! 城まで走ろう! 明理沙!」
 明理沙も、なぜか走りたい気分になっていた。
「うん! 走ろう! どこまでも走ろう!」
「よっし!」
 二人は、薄暗い森を、明るい表情で駆けていった。
「あはははは!」




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