女子高生の異世界召喚「君こそ救世主?」物語
Magic Kingdom

すぎな之助(旧:歌帖楓月)



29 沈思の森 夜の魔物

 森に入って3時間以上は経過した。
 また、キキョウ畑の時と同じく、夕闇が迫って来ていた。
「やばいぞー」
 こわばった表情で、カイがずんずん歩いて行く。
 明理沙はこわごわたずねた。
「カイ。ここって夜になると、魔物とか出るの……?」
 彼は、しばしの沈黙の後、予想通りうなずいた。
「……うん」
「えー。ねえ、どんな魔物なの?」
「明理沙」
 カイは、暗く低い声で応じた。
「昼間さ、ルイルの出した火竜を……覚えてる?」
「うん。すごく、こわかったね。火の塊だよね」
 カイは、自分の気持ちを落ち着けるべく、ひとつ息を吸った。そして、口を開く。
「あれが出るんだよ。腹を空かせてエサをさがすんだ」
「……」
 明理沙は、言葉もなかった。

 夕暮れの湖面。曇り空は晴れ、地平線には赤い太陽。オレンジの鏡面のような湖に、若い女性は微笑みかける。
「じゃあね。また会いましょう」
 マリモの精霊たちは笑いながら、次々に湖水へと身を沈めていった。
 精霊を見送り、彼女は笑顔を引っ込めて、肩をすくめた。
「さて、私も帰らなければ。でも困ったわ。あたしはこの森を飛べるほどの魔法なんて使えない。お昼なら、彼に借りた水晶玉で何とかなったけど、……太陽が沈んだら……あたしにとっては、水晶玉なんてただの丸い玉でしかないもの。しかたないわ、森の中を通って帰りましょう」
 ここの湖水の聖霊の記憶を司っているマリモの精霊が人前に出てくるなんてあまりない。それでも、彼女の前にはよく姿を現して、よく遊んだ。
 時間を忘れてはしゃぐなんて、私ったらまるで子供ね。
 彼女は呆れた微笑みを浮かべながら、森の中へと消えて行った。

「とは言っても。大丈夫さ、滅多に出てくる魔物じゃないからさ。頭も良いし。竜は光り物が大好きで、それに呼び寄せられるらしいけど、僕がもってるこの水晶玉なんか、……まだ王の持ち物じゃないしね。僕が持っている限りは、その辺に転がってる普通の水晶玉と大差ないから大丈夫。火竜なんて高等な魔物には、こんな、ちゃっちいものなんて興味ないし」
 自分たちの身の安全を、カイは熱心にしつこいほど主張した。
「大丈夫さ。たしかに王の水晶になる予定だけど。今はまだ、これらは力の強い魔法使いが持ってる水晶玉じゃないんだから。だから、明理沙、大丈夫! ほらそれに、さっき、夕暮れのときちらっと晴れたろ? あのお陰で太陽の沈む位置から今いる場所がわかったし、城の方角もわかった。大丈夫!」
「うん。そうだよね」
 明理沙もうなずいた。お互いに、最悪の可能性を提示しないようにしている。こういうときは、気持ちを明るく強く持っていることが重要なのだ。
 あの後も、数度、沈思の森から、気持ちが流れ込んで来た。悲しみ、惨めさ、怒り、喜び、……流れ込んでくるたびに、翻弄されたりもしたが、そのたびに、心が鍛えられて強くなった気がする。
 どんな思いに襲われても、やることさえやれば、なんとかなる。それに、一人じゃない。
 お互いに、お互いがいることが心強かった。隣には明理沙がいる。隣にはカイがいる。大丈夫、きっとそれなりになんとかなる。
 あたりはどんどん暗くなり、空に色々な色の星が出てきた。梢ごしに、赤や青や金の星の光がほの見える。
「よしよし、星も出て来たし。これで方角がはっきりわかる」
 カイの機嫌がよくなった。火竜が出るかもしれないけれど、それよりも、城への方向がはっきりしたのだから、事態が好転している。
「よおし、北の青大星が見えたぞ! だから、あの星に向かって進むんだ。そしたら、島の北の湖岸に着く。そしたら、金糸の君の城が見える」
 カイは、前方斜め45度上方に輝く大きな青い星を指さした。
「明理沙! 行こう!」
「うん!」
 二人の足取りが、がぜん軽くなった。
 どちらに進めばいいかがわかる。それがとても心強かった。

「北の青大星があそこ、そして、東に上ってきた、鍛冶屋の炎座の中心にある星があれだから、こっちね」
 真っ暗になった森の中、若い女性がすいすいと歩いて行く。
「久しぶりだわ。この森をこんなふうにじっくり歩くなんて。何年か前は、足が動かなくなるまで歩いたけど」
 それほど遠くない過去を思い出す。
 考えて考えて考えて考え抜いて、何日も何日も、この森を歩き回って、彼女は絶望の淵から答えらしき一片を見いだし、……そして、彼女はこの森で、光輝の妖精に出会い、
「その次に会ったのが、一番顔を見たくなかった人だったのよね」
 彼に会いたくなかった。彼が、欲しくもなさそうな表情で簡単に手に入れた未来は、実は彼女には喉から手が出るほどに望んでいた未来だったのに。
「あの時ほど面白くなかったことはなかったわ」
 人前では決して、そんな顔をしない彼女が、さすがに、複雑な表情になった。
「でも、リディアスは何にも変わってない表情だった」
 何を思ってるんだかわからない顔。何にも興味が無さそうな顔。だけど、多分、誰も見ることができないものを、見てる。
「あなた、……何を見てるの?」
 最初に、そう聞いた。
 そしたら、彼は、無表情のまま、答えを返した。
 それを聞いた彼女は、瞬きを一つして、そして肩を竦めて、空を見上げて息をついた。「そっか。なるほど……」
 なら、いいや、と思った。この星は私から全部を消した。光輝の妖精は、彼を選んでいた。あのとき全てを思い切ることができたわけじゃないけど、彼のあの答えを聞いたら、なるほど、と思った。
 そして、彼女は彼のそばにいる。
「真っ暗ね……そういえば、ここには火竜が住んでた。でも、ルイルが沢山捕らえたらしいから、もういないかも」
 漆黒の沈思の森。彼女はさっぱりした口調でつぶやき、歩を進めた。

 今まで、涼風になびく木の葉の音しかしなかった森に、甲高い鳴き声が響いた。
 クェー!! 
 クェー! 
 突然の嬌声に、明理沙は驚いて飛び上がった。
「び、びっくりした。カイ、……火竜?」
 左隣を歩くカイの腕を引っ張ると、しかし、彼は、立ち止まってしまった。どうやら、目を見開いて、梢の方を見上げている。
「カキとシナだ……。どうしてこんなところに? ティカに何かあったのか?」
 クェー! 
 また、鳴き声が響いた。
「カイ? カキとシナって?」
 カイの様子を怪訝に思った明理沙が呼びかけるが、少年は、上を見ていて返事をしない。
「わかった。隠れるよ。カキ、ティカの様子はどうだい? 元気にしてる?」
 クェー! 
「そう。……うん。僕は大丈夫だよ、そう、ティカに伝えてね?」
 バサバサバサ、と、鳥の羽音がした。
 そして、静寂が戻った。
「カイ、今のは何?」
 明理沙がたずねた。
 カイは笑った。
「知り合いの魔法使いが飼っているカラスさ。危険を知らせに来てくれたんだ。火竜がその先で歩き回っているって。ここから左にある茂みに隠れろってさ。あの2羽のカラスが、竜除けの魔法陣を作ってくれた」
「カラスが?」
 明理沙が腑に落ちない顔をすると、暗闇で見えないはずなのに、カイは笑い声を上げた。
「あはは。普通のカラスじゃないんだよ。僕よりずっと賢いカラスたちさ。もう何十年生きてるのかなあ。僕の知り合いの魔法使いが小さい時はその子のお守りを、赤ちゃんじゃなくなってからは、その魔法使いの下に仕えてる」
「お守りまで? じゃあ、人の言葉をしゃべれるの?」
 明理沙がそう聞くと、カイは「うん」と言った。
「彼らがしゃべりたい相手には、ちゃんと人の言葉に聞こえるように言うんだ。他の人間には、何を言っているのかわかんないけど。ただのカラスの鳴き声に聞こえるはずだよ」
 たしかにさっきはカラスの声しかしなかった。だから、それに返事をするカイが不思議だった。
「じゃ、行こう。火竜が出てきたみたいだ。運が悪かったけど、カキとシナがいてくれて助かった。運がよかったね」
「本当だ。運が良かったよね」

 遠くから、「燃え盛る怒りの声」と言われる、火竜の鳴き声が聞こえてきた。
「まずいわ。どうやら生き残っていたのね……」
 あの、「根こそぎ拝借」のルイルが嬉々として火竜を捕獲していたという噂を、つい先だって聞いたばかりだったのだが。
「取り残しがあったって、教えてあげよう。……今度会うことができたら」
 若い女性は、非常に危険な状態にさらされていた。口調にも苦いものが感じられる。しかし、それでも気持ちからゆとりが失われてはいない。
「この水晶玉、……ここに置いて、逃げようかしら」
 狙いは、間違いなくこれなのだ。これ以外にない。何せこれは、彼の持ち物だ。
「でも、リディアスはこれを相当大事にしてるのよね」
 毎日毎日、彼はこれをそれはそれは丁寧に磨いていた。お陰でこの水晶玉ときたら、曇りがないどころか自発的に発光すらしている。おかげで、灯りのない夜道でも楽に歩ける。
 掌中の珠、というたとえそのものだ。
「置いていって傷でもつけたら怒るかな? もしかして泣くかしら。一度でいいから本当に怒った所とか感情を出すところ見てみたいわ。ものは試し、やってみようかしらね」
 言いながらも、彼女の歩調は速くなる。水晶玉をしっかりと抱え込んで。
 城まであと半時ほどで着く。走ればもう少し早く。
 だがしかし、火の竜の声はそこまで来ていた。

「この魔法陣は絶対に大丈夫っ! なにせ、カキとシナが作ったものだからね! たとえこの魔法陣の隣に火竜が立ったって、たとえここにいる僕らに、炎の息を吹きかけたって、この中にいれば、絶対に大丈夫!」
 カイが力強くそう言った。虚勢でもなんでもない。むしろ余裕すら感じられる。二匹のカラスが作った魔法陣は緑色に輝き、そのために、明理沙とカイは、お互いの顔が見える。
「よかった。朝になったら、火竜はもう出て来ないのよね?」
 明理沙は胸をなでおろした。
 カイは勝ち誇ったように満面の笑みを浮かべた。
「うん! だから、今晩はここにいて、夜が明けたら、出発しよう」
「うん。あれ? だけど、私たちって、星が出てなきゃ、どの方向に進んだらいいのか、わからないんじゃなかったっけ? 迷ってたのよね? 私たち」
「あ……そうだった」
 しいん、と沈黙が落ちる。
 自分たちは道に迷っていたのだった。
 努めて明るく、カイが口を開いた。
「で、でもさ。夜明けごろなら、まだ太陽は東にあるし、まあなんとか、その太陽から方角を予測して、それを頼りに、進めないこともないんじゃないかな! 要は、湖岸に出ればいいんだし」
 明理沙も努めて軽い調子でふるまう。
「そ、そうだよね! そんなに大きな島じゃないんだし! 食べ物だって、カイが魔法で出してくれるから飢えることもないし、じっくり探せるもの。大丈夫だよね!」
 あははははは、と、二人とも強いて明るい雰囲気を作る。
「じゃあ、明日に備えて、もう寝よう!」
「そうよね! 寝よう寝よう! 明日も頑張ろうね! お休み!」
 二人は、急いで眠りに就いた。
 嫌なことを考えるのは、今はよそう。いいかげん疲れているし、こんなときに落ち込んで、さらに沈思の森から影響を受けたら、死を選びかねない。
 睡眠を取り、疲労を取り去ってから、改めて考えればよいのだ。そうすれば、なにか打開策が浮かぶかもしれない。
 彼女は走った。もうすぐ、城へと続く断崖の道だ。
 金糸の君の城へと続く森の出口は、そうとは気づかれないように魔法が施されており、注意深く見なければ抜け出せない。
「これでは追いつかれてしまう。そりゃそうよね、人間の足なんて竜の速さになんか到底及ばないもの」
 ここが沈思の森だから、それでもここまで逃げられたのだ。立ち並ぶ木々が邪魔をして、竜は中々獲物にたどりつけない。そして、森の力は竜にも作用して勢いをそぐ。
 まもなく森を抜ける。そしたら城はすぐそこ。だけど、森を出れば、力を取り戻した火竜に私は焼き殺される。だからといってこの森にいつづけても、火竜は必ず私を見つける。やっぱり殺される。竜よけの魔法陣は、私には作れない。たとえ作れたとしても、この水晶がある限り、魔方陣を乗り越えて火竜は襲ってくる。竜にとってこんな美味は他にない。
 そして、森の出口に着いた。火竜は、もうすぐ彼女の所にたどりつく。森から出ても、ここにいても、恐らく結果は同じ。
 この森に慣れない者にとっては、ここは森の真ん中にしか見えない。慣れている者は、あの茂みに足を踏み入れる。いくつも分岐した道の一つにある行き止まりの茂みに。
 ここにいても、誰も私がここにいるなんて感知できない。いちるの望みは森の外。
 外に出て助けを求めたら、……彼が来てくれるかもしれない。
 彼女は、迷わず走った。行き止まりの茂みへと。
 そして、

「ぐぎゃっっ!」
 カエルがつぶれたような悲鳴が響いた。

「カ、カイ!? 一体どうしたの大丈夫!?」
 少女と若い女性から、異口同音に声が上がった。
「なんでこんなところにいるの!? カイ! しっかりして、カイ!? ああ駄目、思いっきり踏んじゃったから。気を失ってる」
「カイ! カイったら! しっかりして!? うわ……靴跡の形に背中がへこんでる……痛そう」 
 道路で車に轢かれたカエルのような格好でカイがのびている。
 寝ていたら突然そうなった。
 可哀想な少年を取り囲み、少女と若い女性は、おろおろしている。
「ああっ、でも、あたしは行かなきゃならないの! あなた、どこのお嬢さんだかわからないけれど、カイをどうかよろしくね! あら、ここは竜除けの魔法陣なのね。丁度よかった。いい? これから火竜が来る。決して、ここを出ちゃ駄目よ! じゃあね! さよならー!」
 若い女性は一気に言うと、明理沙ににこっとほほ笑みかけ、走り去った。茂みの向こう、道のない方向へ。
「お姉さん待って! お姉さんも危ないから行かないでください! ここにいたら竜が来ないから!」
 若い女性の言葉にハッと我に返った明理沙は、走りさる彼女の背に向けて叫んだ。このままだと彼女は竜の餌食になるから。
 女性は、走りながら振り返った。
「いいえ! 竜の狙いは私の持ってる水晶玉なの! そこから出ちゃ駄目よ! 絶対に!」
 彼女の姿がだんだん曖昧になっていく。
 明理沙は、このまま彼女を行かせるわけにはいかないと思い、魔法陣から駆け出した。
「お姉さん、待って!」
 背後を振り返ると、火竜の姿がずっと向こうに見えた。森の中を体をくねらせて進んで来る。竜というよりはオレンジ色の大トカゲのようだ。そんなに大きそうでもない。大きいには大きいが、象くらいの大きさだ。ルイルが持っていた大層恐ろしげな火竜とはまるで違う。それに、どういうわけか、随分と速度が遅い。牛の歩みのようだ。
 なんだ……あんなものか。
 明理沙は気抜けした。
 あれくらいの鈍さなら、私がお姉さんを連れ戻しても十分に間に合う。
 若い女性の姿は、消えていた。もう遠くに行ってしまったようだ。
 彼女に追いつくべく、明理沙は走る速度を上げた。




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