全身から雷のような光を発する、青白くなった火竜が、金糸の君の前に姿を現した。
「逆鱗にひびが入っている。……誰がやった?」
金糸の君が、火竜を一瞥してシルディに尋ねた。
「さあ?」
シルディは答えなかった。やったのは、あの二人の子供たちだが。口にはすまい。犯人を教えた途端、責めたりやる気をなくされたりしては困る。
「道理で、竜にしてはたがが外れた行動を取る」
つまり、カイと明理沙がめちゃくちゃに石をぶつけなければ、こうはならなかったのだ。やはり、教えずにいよう、と、シルディは思った。彼は絶対に馬鹿馬鹿しくなって帰ってしまう。
「それで、どうするの? リディアス」
「そうだな、」
突如、火竜が青い炎を吐いた。
もはや炎とは言えない。雷のような放電現象をともなった高エネルギーの奔流。
しかし、どういうわけか金糸の君に届かずそれは四散し消滅した。
ゴオオオン、と、大気が鳴動する。
金糸の君が、右手に持っていた水晶玉を宙に浮かせた。
水晶玉が、銀色の強烈な光を放った。
「見物する余裕はなくってよ。シナーラ」
菜の花色のひかりの塊が、3人の所へと降りてきた。まるで太陽だ。
「ハニール・リキシア!」
その光を見て、シナーラが驚いている。
「どうしてここに?」
手のひら程の大きさの、輝く優雅な女性はうすく微笑んだ。
「リディアスが水晶を使う。あなたがたの身は、シナーラのその魔法では守れない。だから私が来た。私ならば、あなたがたを守れる。または、ここから転移させてあげられるわ。守るか移すか選びなさい? シナーラ、カイ、そして……明理沙」
「え?」
明理沙は驚いた。
なぜ私の名前を知っているのだろうか? この、輝く小さな貴婦人は。
「見たいわ」
シナーラが即答した。
「僕と明理沙は、王を探すために、金糸の君に会いに来たんだ。だから、ここにいる」
明理沙も、心中に浮かんだ疑問をいったん引き止めて、返事をした。
「私も見たいです。金糸の君の魔法を」
エフィルが目標にしていると言った、彼の力を。
そう、と、ハニール・リキシアはうなずいた。すると、3人の周りが純粋な黄色の光に包まれる。
「ではよくご覧なさい。私の主の力を」
彼の前方に浮かんだ水晶玉が、鮮烈な銀の光を発している。
火竜は、水晶玉の光を目にした途端、口から大量の青い炎を落としながら、突っ込んで来た。どうやら、青い炎はよだれのようだ。水晶玉を食べたくて仕方がないらしい。
「食欲と、逆鱗の破損の影響で、分別すら無くしたか」
金糸の君がつぶやく。
火竜が、水晶玉に食らいついた。
主はそれを防ごうとはしなかった。
満足そうに食らった竜は、しかし次の瞬間、悲鳴を上げた。
「ギャアアアアアアア!」
空気が歪んだ。
水晶玉の放つ銀色の閃光が、火竜の体を貫く。竜の絶叫が、赤の炎と白の炎をゆらし、そして、銀の光に侵食された夜闇に、慄然と響き渡る。
「……この竜をどうする気なの? リディアス」
シルディが尋ねた。轟音に顔をしかめつつ。
「どうしたい?」
金糸の君が聞き返した。シルディはきょとんとした。
「私に聞くの?」
「君を追っていた竜だ。君の意見を尊重しよう」
「でもあなたの水晶玉を狙っていた竜よ?」
「君に任せる」
「……私に?」
それきり金糸の君は黙った。竜の絶叫は続く。竜の口内に入った水晶玉から発せられる銀の光が、容赦なく竜の体を突き通していく。
ふと、金糸の君の右手が動いた。逆手招きをするように。すると、竜の周囲の空気が白色に染まり、竜は、銀の光に突き刺されたまま、動きを止めた。光も、その状態で止まった。
「うわっ時間魔法。これって時間魔法だ。あんなにあっさりと……そんな簡単なもんじゃないのに、ああ」
カイが、上空を見上げて呆然とつぶやいた。
明理沙には、カイが何故そんな顔をしてポカンと口を開けてるのか全くわからない。
「時間魔法がどうかしたの?」
そろりと明理沙が尋ねると、彼は上空の光景に目を釘付かせたまま、呆けた様子で口を開いた。
「ふつうは、あんなでっかい範囲では使えないんだ……時間を操る魔法は、それはべらぼうな力が必要で……。あの大きな火竜だろ? それから、金糸の君の水晶玉……しかも水晶玉を使っている最中に、その水晶玉ごと……時間を止めさせた。あんなのは、できない」
明理沙は「へえ……」といって感心し、今度はシナーラの様子を見た。
彼女は、鬼のような形相で、その光景を睨んでいた。
こわい。
……見なきゃよかった……。
明理沙は、金糸の君の力よりも、シナーラのその表情の方に恐れを感じた。
一体、どうしてそんな顔をする必要があるのか?
ぼそ、と、狡猾な魔女の口からくぐもった声が漏れた。
「悔しいったらないわ。あのくらいの力があたしにもあれば」
声には陰惨な響きが十二分にあった。
どう考えても、まともな目的を持っている感じではない。
あたしにもあれば世界征服できたのに、とか、あくどい金儲けができたのにとか、そういったえぐい言葉が後に続きそうだ。そう考えていてもおかしくないほどに恐ろしい形相だった。
この人が金糸の君でなくて良かった。と、明理沙は思った。
「早く決めたまえ」
金糸の君が、面白くもなさそうに促した。
「うーん」
シルディが言いにくそうな顔で言った。
「そうねえ。できれば、助けてもらえない?」
金糸の君が、面白くも無さそうな表情に、理解できんという顔を上乗せして、シルディの顔を見た。
「ほう……? 理由は?」
シルディは、ゆっくりと首を傾けた。相手に自分の気持ちが果たしてわかってもらえるだろうかという苦い顔だ。
「理由はねえ……。私が夜中にあなたの水晶玉を持って沈思の森を走った。竜にとっては、水晶玉はごちそうですもの。そりゃあ、襲われて当然よ。そして……逆鱗を傷つけられなければ、こんな風に凶暴にはなってない。逆鱗を傷つけたのは人間。だから、この竜は何も悪いことはしていない」
竜は何も悪いことはしていないでしょ? と言って、シルディは笑った。
「そうだ。あなたに謝らなきゃね。ごめんなさいリディアス」
ひょいと頭を下げたシルバースターに、金糸の君は首を傾げた。
「何がだ?」
「マリモの精との遊びがあんまり楽しくて、帰るのが遅くなっちゃってこんなことになったのよ。あなたの大切な水晶玉、駄目にするところだったわ。何か償いをするから許してね、ごめんなさい」
シルディは、丁寧に頭を下げた。
金糸の君は、その様子を無表情で見つめる。
「償いか。では、寝ている私を叩き起こしにくるのを、やめてもらおう」
「それは聞けないわよ。放っておけば、あなた一生寝過ごしかねないもの。駄目です」
申し出はすみやかに却下された。
「償いの内容まで君が決めるのか?」
金糸の君は憮然とした。
対するシルディも面白くなさそうだった。
「当たり前でしょう? そんなの駄目。内容によるわね」
「やれやれ。では、君の言った通りにして、さっさと帰って寝るとするか」
ため息を吐いた後、乳白色の髪に輝く金の光彩を持つ魔法使いは、右手を胸の前まで上げ、見えない何かを持つように手の平を上に向けた。
「すべてのものに等しく流れる時間を逆に返す。壊れたものは壊れる前に、消えたものは消える前に。死に絶えたものは死ぬ前に」
表情のない声。異界の空を見つめるような顔。
シルディは、しかし、無関心にも見える彼の様子に、過去のことを思い出していた。
ぱっと見はこうだけど、あの時、彼は私にこう言った。絶望の果てに沈思の森を歩くしかなかった私に。
『あなた、一体、何を見ているの? 』
『さまざまに形を変える、同じ形のもの』
それは、……たしかに私の心を救ったのだ。
金糸の君の右手の上で、金の光輝が生まれる。
大気が、震撼した。
竜の周りが白色から薄い金色になり、その輝きは徐々に増していく。
「これくらい、僕にも力があれば。あるわけない、あるわけないんだ。ああ、僕はなんて無力なんだろう。ごめんよ、ティカ」
カイは、上を見ながら、我知らずそうつぶやいていた。その涙色の声にはっとした明理沙は、カイの方を見た。少年は、悲しさや悔しさを交ぜ混んで、そして力無い表情をしていた。
3人のことをハニール・リキシアの黄色の光輝が守っている。しかし、カイの表情は、その、祝福された黄色の空気とは対称的だった。
明理沙は、そんなカイを心配した。
どうしてそんな辛い顔をするんだろう? 自分に魔力が足りなくて、世界から消えるかもしれないから? それとも、次の王になれる資格がないから? ……それとも、まだ、私には話していない理由で?
明理沙は、瞬きを二つほどして、再び空を見上げた。
銀の月を霞ませる、金の光。
隣のシナーラが、ぎり、と、歯軋りをした。
「逆鱗を、元に戻すのね」
「竜のまま生かすにはそれしか思い浮かばない。それとも別の生き物に変えてしまうか?」
金糸の君の右手からは、ゆらゆらと、陽炎のように金の光が立ちのぼっている。
あんまりな提案に、シルディの表情が曇る。
「竜じゃなくなったら、せっかく助けた意味がないじゃないの。ううん、そういうことを言いたかったんじゃないの。私は、ただね、傷ついた逆鱗に時間魔法を使えば元に戻って、火竜もまたのんびり森で生活できるようになるからよかったなあと思ってただけなのよ。ああリディアスはそういう大きなことができるから、よかったと思いながら、『逆鱗を元に戻すのね』と言ったの。おわかり?」
「そうか」
金糸の君は気のない返事をした。
「普通の魔法使いには、できないもの」
シルディは、弱いけれどさわやかに笑った。
「やっぱり三年寝太郎でなくって、金糸の君なのねえ。ハニール・リキシアをゴールドスターの代わりに持つ、世界一の、魔法使い」
じわりと苦さがにじむ。
そんなシルディを支える腕に、ほんのわずか、力がこもった。
金色の光に包まれた火竜は、その体を青白から白、そして炎の赤、柔らかい橙色に色を変え、竜の長大な体から、地上を這う大トカゲのそれへ変化していった。
そして、金の光が落ち着いていき、炎も消えた。やがて、夜空は月と星の光だけになった。
明理沙たちを包んでいた菜の花色の光は、いつしか消えていた。
「あー終わった!」
カイがそう言って大きく息をはき、今まで力を込めていた肩を降ろした。まるで、自分がやっていたように緊張したようだ。
「あれ? ハニール・リキシアは帰っちゃったな」
上空の金糸の君のそばに、輝く小さな存在があった。
あのひとは、妖精か何かだろうか?
明理沙は、口を開きかけた。
「カイ……」
が、カイの言葉に遮られた。
「じゃ、行こうか明理沙! 金糸の君の所に! 早くしないと彼は城に帰ってしまう」
「え? あ、うん」
カイは明理沙を連れて、さらに高く、金糸の君が浮かんでいる所へ向かって上昇する。
「あいつが城の外に出てることなんて……ここ数年間全くなかったし、今を逃したら、きっとあいつは絶対に寝てしまう! そして起きない!」
それは、彼がとても怠け者である、と言っているかのようだ。
この人もおかしな人みたいだ。
「へ、へえ……。そんな人なのね」
呆れた明理沙は、ふと、下を見た。
「シナーラさん?」
さっきまで隣にいたシナーラの姿は、もうなかった。
『あたしもう帰るから! アイツのこと嫌いなのよあたし! じゃね! 明理沙!』
「おおーい! 待ってくれ! 帰るのはちょっと待ってくれええ!」
金糸の君が、睡眠を取るべく城へと転移魔法をかけた瞬間、馬鹿でかい声が下方から登ってきた。
「待って頂戴。リディアス。あなたへの客人よ」
彼の右肩に乗った光輝の女性がささやく。
「……私に?」
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