女子高生の異世界召喚「君こそ救世主?」物語
Magic Kingdom

歌帖楓月



50 死の影の浄化

 波の音が聞こえる。

 明理沙は酩酊状態にあった。
 体はだるく、動かない。波打ち際に立っているように、潮騒の耳なりが間断なく続いている。それは、心躍る波音ではなく、命を削って行く時間の鼓動のように虚脱感に満ちたものだった。
 目を閉じると、海に揺られているようだ。
 ……また、家を見下ろす高い位置に立っていた。風も何も感じない。空はそのままで動かない。晴れているのに、空はあんなに青いのに、この憂鬱さはどうだろう。
 せめて、家に帰りたい。ここにはいたくない。
 だが、どうにかしてこの身を地に降ろそうともがいても、体はいっこうに動かなかった。宙に浮いたままだった。
 やっぱりこのままなのだろうか。
 わたしはずっとここにいるのだろうか。
 誰に自分の居場所を教えることも出来ず、ただここにこうして。
「明理沙、」
 カイの声が、聞こえたような気がした。
 彼が泣いているような気がする。
 さっき別れた時に見た、こらえるような顔ではなく、沈思の森で心細げに泣いていたあの顔が思い浮かんだ。
 泣かないで、カイ。
 あなたが泣くことは、もうすぐなくなる。  私、かならず王様を見つけるから……。

 灰色の石の城。少女はあてがわれた部屋で眠っていた。白灰色の壁と天井、床には控えめなつる草模様が配された灰桃色の絨毯が敷かれている。
 明理沙は呼吸する以外、全く動かない。
「金糸の君、……一体、彼女に何の魔法をかけたのです?」
 部屋に入るなり、明理沙の様子を一目見たエフィルは金糸の君を振り返った。
「これはひどい状態です」
 つぶやいて、青年は眠る少女の傍らへと歩み寄った。右手を取り、困ったような表情を見せた。隣に立つ金糸の君を見る。
「まるで、抱え難い課題を与えて、それを乗り越えるのを待っているかのようです。彼女自身の回復力に頼るのもいいかもしれませんが、それだけでは彼女が辛い。回復させるための術を施したのは、ハニール・リキシアですか? 彼女は何と?」
「リキシアは、」
「自分で答えるわ。リディアス」
 声が現れ、次に、きらり、と、部屋に光が灯った。
「お久しぶりです、エフィル」
 美しい声がかかった。エフィルの前、横たわる明理沙の上に、ハニール・リキシアが浮かんだ。
「リキシア。あなたがこれを?」
「ええ」
 優雅な婦人は、珍しく肩をすくめた。表情が、やさしい笑みから沈んだものへと変化する。
「ごめんなさいね。私にできる範囲外だったの。私にはそこまでだったわ」
 エフィルは困ったように首をかしげる。
「これでも治ることは治るでしょうが……明理沙の負担がとても大きい。ところで、光の魔法を司るあなたに、異種の白魔法が使えることが驚きです」
「お褒めに預かり光栄だと言いたいけれど」
 光輝の妖精は、軽いため息をついた。
「見よう見まねで使っただけなのよ。どうにも駄目ね」
 エフィルが控えめに口を開いた。
「リキシア、私が、後を引き継いでも、よろしいですか?」
「こちらこそお願いするわ。どうかよろしく」
 にこりとほほ笑みを浮かべ、ハニール・リキシアは金糸の君の隣に飛んだ。
 主のそばで妖精はため息をつく。
「不甲斐ないわ」
 本当に珍しく、彼女は主にこぼした。
「お互いにな」
 金糸の君も同調し、横目でリキシアを見た。
「エフィル、お願いしていいか?」
 二人に頼まれた白魔法の若者は、頷いて、床に膝をついた。明理沙の右手を両手で握った。

 不安や恐れを
 全てをこちらにゆだねなさい
 あなたに留まったもの、あなたを脅かすものは
 全て私が浄化するから
 
「明理沙、また会えたね」
 エフィルが、明理沙に語りかける。
「君はどんな夢を見ているのだろうか? きっと、水底に沈むような心地で苦しいと思う。それは私がなんとかするよ。だから、寄越しなさい、君が苦しいと思ってること全部」
 右手を明理沙の手から放し、明理沙の頭をなでた。
 すると、
「……」
 つう、と、明理沙の閉じた目から涙が流れた。
「よしよし、」
 泣く子をあやすようにして、エフィルは明理沙を抱き起こして抱き締めた。
「辛い気持ちでいるようだね? こちらに寄越して楽になりなさい。私に寄越せばいいんだから」
 とんとん、と、明理沙の背を掌でたたくと、しばらくして明理沙からつぶやきが漏れてきた。
「し……、」
「し?」
 エフィルが促すと、眠る明理沙がとぎれとぎれに語り始めた。
「しんでるかもしれないの……わたし、いえにかえれないの。だってそうでしょう? わたしはどこにいるの? ここはどこ? いきてるかしんでるかもわからない……、まだしにたくないのに……、」
 エフィルは少女の発した言葉に目を見開く。なるほど。何に憑かれているかと思ったら。死の影だ。
「死んでないよ、大丈夫。君は向こうの世界では眠っているだけだ。夜になって眠っているだけ。私が保証する」
 穏やかに明理沙にささやくと、鼻をすする音が聞こえた。
「でもからだがうごかないの、とてもきぶんがわるい、」
「気分?」
 ささやくエフィルの、明理沙の背をさする右の手から、ふわりともやが生まれた。ドライアイスの煙ように、ふかふかとやわらかく心地よい涼気を伴ったもやが。
 エフィルはそのもやを伴った右手で明理沙の頭をなでた。
 ふう、と明理沙がつめていた息を吐き出した。安堵するように。ゆっくりとエフィルがささやく。
「どう? 楽になったろう?」
 眠る明理沙は、エフィルに身をゆだねながら、こくり、とうなずいた。
「らくになった……」
「……あとは? 苦しいところはない?」
 ふと沈黙が落ちてから、答えが返った。
「かい、が……、」
「かい? カイのこと?」
「そう……、ずっとないてるの、わらってられるように、しなきゃ……かいがかわいそう」
 エフィルはゆっくりと何度も明理沙の頭をなでた。
「それも私がするから、寄越しなさい、明理沙」
「ほんとう……?」
「ああ。他には、ないかい?」
「……ううん……あとは、いいの……」
「じゃあ、眠りなさい」
「うん……おやすみ……」
「おやすみ明理沙」
「……」
 すう、と本当の寝息が聞こえてきた。
 エフィルは、明理沙を再び寝台に横たえると、上掛けをかけてやり、彼女の額に手を当てて、何事かつぶやいた。
 少女の顔が安らかになった。
「お休み、明理沙。次に目覚めたときは、笑っていられるようになるよ」

「見事ね」
 パチパチパチ、と、ハニール・リキシアが拍手で迎えた。
「よく眠ってるわ。さっきまでとは全然様子が違う」
 エフィルはにっこりと笑う。
「はい。元気になりますよ」
「素晴らしいわ」
「いえ、それほどでも」
 二人はにこやかに言葉を交わす。
 黙っていた金糸の君が軽く息を吐いた。
「本当に恐れ入る。感心した」
 エフィルが驚いて金糸の君を見た。
「お褒めに預かり、光栄です」
 驚いた。半ば信じられない気分で言葉を返す。まさか、よりによって彼に称賛されるとは。
「私には白魔法はまるで使えない」
 金糸の君は率直にそう言った。
 エフィルは少し微笑んだ。
「お役に立ててよかったです」
 そこに、着替えを済ませたシルディが入って来た。
「ああ、終わったのね?」
 さっぱりした声が響いた。
「シルディ……」
 声を受けて、エフィルが振り返った。彼女は彼に笑んで、それから部屋を見渡し、眩しそうな表情になる。
「なんてきれいなの。部屋一杯に、雪みたいに、真っ白い力が降ってる。エフィル君の白魔法は、いつも迷いがない」
「シルディ」
 エフィルはほっとした。
 よかった。彼女は、魔法は使えなくなっても、様子が見えるのだ。……そんなふうに、具体的に魔法の姿を見られるのはシルディくらいだ。シルバースターになる以前、いつも魔法を教えてくれて、自分の練習の成果をそうやって教えてくれた。
「シルディが教えてくれたから。私は白魔法をおぼえたんだ」
 そう言うと、シルディはからりと笑う。
「ほんのさわりだけね? 私はいっつもエフィル君のやってるのを見て、すごいなって思ってただけよ」
 
 エフィル君の魔法は本当に白いの。皆が清らかになる魔法。こういう魔法は見たことがない。すごいよ、エフィル君。
 そう言って、称賛と嬉しさがきれいに調和した微笑みを、シルディがしてくれた。
 いつも姿勢崩さず微笑んでいられるしなやかな強さ、他者の心情をくみ取ることのできる聡明な心。自身を律し、他人への配慮ができる、そしてそれを主張しない。そんな生き方ができるシルディに、そんな表情で微笑んでもらえる。彼が生来もっていた資質、そして努力し続けられる鍛練された心、そして、彼が尊敬する彼女の微笑み、それらが、今のエフィルを作った。
「シルディに褒めてもらえると嬉しいな」
 エフィルは少し照れ、そして誇らし気にそう言った。
「何言ってるのよエフィル君は」
 シルディは肩をすくめて、過ぎた言葉を受けたように笑った。
「さて、それじゃかなり遅いけど、朝ごはんにしましょう? 本当に今日は朝から大変。……あれ、カイは……?」
 少年の不在に気づいたシルディが首をかしげる。
「明理沙のそばにいると思ってたのに。自分の部屋の方に行ったのかしらね?」
 エフィルが首を振ってそれを否定した。
「ここには戻ってきていないかもしれない。あの後、沈思の森の方へ降りて行ったみたいだった。でも、あの森に、一体、何をしにいったのか」
「あの者なりに、考えることがあるということだろう」
 珍しく、無表情か不機嫌そうな顔が常の金糸の君が、断罪するように厳しい表情で窓を見てそう言った。
「どしたの? リディアス」
 シルディは、彼のその表情が不可解だという顔で問うが、答えは返ってこなかった。彼女は肩を竦めて言葉を次いだ。
「まったくもう。さ、取り敢えずは朝ごはんね」




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