女子高生の異世界召喚「君こそ救世主?」物語
Magic Kingdom

すぎな之助(旧:歌帖楓月)



55 悲しみが開いた記憶

「いけないな。忘れたはずなのに、思い出してしまった」
 城の廊下を歩きつつ、エフィルは軽くため息をついた。
 そうだ。思い切ったはずなのだ。納得したはずなのに。
「あきらめきれないものだな」
 城の外に出ると、沈思の森から、軽やかな小鳥の鳴き声が聞こえてきた。
 今のこの気持ちでは、この森に入る気がしないのだが、……しかしカイを捜さなければ。
 沈思の森が、感情を運んでくる。
 ブナの木立には下生えがほとんど無い。あてどなく散策するに向いた森だが、森の不思議な力で、さまざまな感情が来訪者の心にもたらされる。しっかりしていないと、心までもあてどなく彷徨うことになる。
 エフィルは森に入る前に二つ深呼吸をして、きりと前を見て歩み入った。
「カイー! どこだ?」
 声は森の木立をすり抜けていく。返事はない。
「カイー!」
 ふと、悲しみが心をよぎった。
 幼いときの記憶が呼び覚まされる。母と父は自分が幼いときに亡くなった。彼の物心がついたときに、養育してくれた伯母の魔法使いから、数枚の紙片が渡された。
「これを、よく見ておおき。エフィル。これが、あなたのお父様とお母様が残したもの、あの二人が精一杯、真摯に生きて、私たちに残してくれたもの」
 白魔法の精髄が、記されていた。それ即ち、白魔法の才覚がある者のみに見えるもの。
「読めるかい? エフィル。読めるのなら、あなたは両親の歩いた道を選ぶかもしれない。どうするかはあなたが決めること。ただ、おぼえておいて。これは、あの二人が、真剣に生きた証し。そして遺された財産。……生きて残った人々、白魔法を志す者に、遺された財産。エフィル、あなたの両親の生涯が、貴方にとって誇りとなるか、重荷となるか……あなたの誇りにおいて、あなたはそれをお考えなさい」
 エフィルはこくりとうなづいて、伯母からそれを受け取った。
 白魔法の精髄。十の手に満たない歳の子どもは、父と母の生涯を、伯母の口から聞いて育った。文字の読み書きができるようになり、やがて十になり、父と母の遺品を受け継いだのだった。流麗な文字が、そこには書き連ねてあった。読み入る子どもの目から、はたはたと涙が落ち始めた。父と母の生涯と、それは見事に符合した。

 どうしておとうさんとおかあさんは、そんなことをしたの? 
 言葉のわかる時には、伯母からもう聞かされていた。父母の生涯の話を。エフィルは何度も何度もそう問うた。できるならば、昔のその場に行って、父と母を止めたかった。もうやめてと。
 伯母は、その度に首を振った。
「エフィル、あなたのお父様もお母様も、前を向いていた。気負うでもなく、悲しい顔もせず、つらい顔もせず、自然に前を向いていた。お母様とお父様はね、前を向いて進んで行ったの」
「前ってどっち? 僕にはそんなのわからない。どうしてそんなふうに生きたの?」
 話を聞くたび、行って助けてあげたかった。もう過去の話で、どうしようもないのだけれど、父と母を助けたかった。そんな状況は自分にも分けて欲しかった。そしたら少しは負担も減っただろうに。
 伯母はエフィルにうなずき、指を組んだ。
「……白魔法は、善き力。伯母さんに言えるのは、それだけ」

 紙片をめくる幼い手が震える。生きていた母と父とが、遺したもの。彼らの生涯を貫いていたもの。
 エフィルの中にあった、母と父との生涯が、別の光彩を帯びた。そして、同時に、幼いころから常に思い続けてきた思いが、強くなった。あのとき散った二人の命……自分は、彼らを助けたかった。
 おとうさん、おかあさん

 エフィルは顔を上げる。幼いときの記憶だ。あれから自分は、白魔法の世界に入った。
「カーイ! どこだー!」
 カイは自分の意志でこの森に入った。
 今、何を感じていることだろう。

 歯を食いしばりながら、少年は歩み続ける。森から贈られる気持ちを、記憶に変えて。
 日だまりの中の、幼少の記憶。聡い妹。明るくしっかりした母。尊敬する父。そして、自分。家族と共にありながら、自分はいつも、家族の陰に隠れている自分を感じていた。
 そう、家族の後ろに隠れていた。
 母も父も妹も、一人前の魔法使い。僕だけが、星をもらえなかった人間。彼らの支えがあって、自分は今の精神的な安定と充足とを、得ていると、……庇護されていると、思ってきたのだ。
 だから、時折、妹がするいたずらに悩まされた。
 ある時は、王宮の広大な池のどまんなかの噴水のてっぺんに、転移させられた。
 あはははは! と鈴を転がすような妹の笑い声。僕は、みっともなく噴水にしがみつきながら、「なにするんだよ! ティカ! 戻せよ!」と騒いでる。はた目には、単なるふざけあいだったろう。けれど、僕には、そのとき僕の中には、確かに別の思いがあったのだ。
 自分はこんなにも無力なのだ。と。
 多分、自分の命さえ、魔法使いのきまぐれによってどうにもなる。あの時に、自分は大層小さく儚い存在だと、思った。
 父と母との関係もそうだ。とりあえず、自分は両親の実の子で、だから、こんなふうに対等に暮らせている。だけど、彼らと自分とには決定的な違いがある。
 彼らは魔法使い。自分は、ただの人間なのだ。
 あのときの気持ち、いや、今も続いている気持ち。自分の身があっけなく吹き消されそうな不安。
 やがて、母は他界し、父は亡くなり、そして、妹は……。
 カイの表情に一層の陰が落ちる。
「僕は、馬鹿だったんだ」
 金糸の君の言葉が、胸に刺さる。
 しかし同時にそれは、彼が立ち上がるきっかけとも、なりつつある。
 少年は、顔を上げた。




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