女子高生の異世界召喚「君こそ救世主?」物語
Magic Kingdom

歌帖楓月



72 霧の中

 明理沙は、霧の中にいた。
 湿り気を心地よい割合で含んだ、濃淡のある白色の空気が揺れる。
 左右を見る、上下を見る。だが、霧の中から時折、遠くに木立の陰がほの見えるだけで、自分がどこにいるのかはわからない。
 しかし、自分は確かに存在するのだという安心感と、心身を癒すやさしい香りとが、明理沙を守っていた。
 しばらく前まで続いていた重い風景が、ずいぶん昔のように感じられる。
 あの悪夢の風景。良く晴れているにもかかわらず、憂鬱な青い空だった。そして、足下に見えている自宅。石のように、空中で身動きできない自分。その恐怖。自分は、もう死んでしまったのではないかと、おびえた。
 今、それらの苦痛は全て消えている。
 ふう、と、明理沙は息をついた。この霧の中に来て、何度目かの深呼吸。その度に、どんどん体が軽くなっていく。
 それにしても、なんて心地よい場所なのだろうか、ここは。癒しの空気とでもいうのか、そんな安らぐ空気に満ち満ちている。
「まさか、ここで会うとは思わなかったな」
 抑えた笑いと落ち着いた声が向こうから響いてきた。
「?」
 私のほかにも誰かがいる?
 明理沙は、首をかしげた。
 誰かいる。
 今は、とても霧が深くなっているので、自分の姿さえも満足に見えないが。一体、誰? 
「……」
 なぜか、明理沙は声を出せない。その代わりに、明理沙の考えは、まるでこの世界を流れる霧のように相手に伝わったらしい。返事が返ってきた。
「君が倒れるときまで一緒にいただろう?」
 ……これ、金糸の君の声だ。
 霧は濃く、自分の姿も、相手の姿もまるで見えない。だが彼の気配は伝わってきた。実際に会って話すよりも、今はずっと印象が柔らかい。
 ここでは良い人みたいだ。
 明理沙はちょっと笑った。カイの話でも、シルディさんの話でも、その他の人の話でも、金糸の君のことは、まともな表現では伝わってはこなかったのだが。どうしてそう思ってしまうんだろう。何の根拠もないのに。
 この考えも相手に伝わったのか、返事が返ってきた。
「ずいぶんな言われようだ。別に他人がくれる評価など、私にとって何の価値も無いが」
 後半の言葉は本当に本心らしく、気にも留めない口調だった。
 明理沙は、彼のことを面白い人だと思っていた。ここまで他人を意識しない人は珍しいと思う。明理沙は、金糸の君のそんなところに興味を持っていた。カイに言ったら、変な顔をされるかもしれないが。
 どうして金糸の君はそういう考えができるんだろう? 他人の思惑に左右されないのだろう。
 彼の内面を知りたい。
「どうして? そう言われてもな……。私には、やることがある。それが何であるのかを確かにわかっている。だから、その他のことに一々興味を持ってはいられない」
 明理沙は、それを聞いて驚いた。答えてくれるとは思いもしなかったからだ。
 金糸の君はその考えにも答えてくれた。
「そんなことは、隠す必要もないことだ。そう思っているからそう言ったまでだ」
『どうして、そう思うんですか? 自分がなすべきことが何であるか、どうしたらわかるのですか? 』
 心で話しながら、明理沙は、学校にいたとき、漠然と心に浮かんだ疑問を思い出した。
 私は、今の自分のままで良いのか? という疑問を。
 私は、自分のなすべきことなんて、考えていなかった。ただ……、なんとなく、教室の中でもそういう立場に、つまり相談役のような立場に、いつのまにかいたのだ。選んだ訳でも、そうなろうと決めた訳でもない。いつのまにか、そういう立場におさまっていた。いつもそうだった。
 金糸の君は、そんな私とは違って、自分がすべきことをわかっているのだ。彼は、自分の意志でそこにいる。いつのまにか、ではなく、自分の考えでその場所にいることを選んだのだ。
 金糸の君は、問いに答えてくれた。
「他者との関わりや、自分の生きてきた時間の中で、それは、雑多な土の中から、砂金をふるい分けるように残ったものなのだ。だから、私はそれが何かわかっている。……それは、おそらく、自分一人だけで考え抜いても、出せない答えだろうな」
『自分がすべきことは、人との関わりの中で、わかっていくものなんですか? 』
「そう。他人と自分との違いを知ることで、自分が何をしたいかがわかる。さきほど、ルイルが私の所へ来て、うるさくてかなわなかったが……。そんな他人との関わりの中でも、自分の向き不向き、したいこととそうでないこと、できることとできないこと。それがわかる。その積み重ねで、自分の中にある自分の姿が、見えるようになっていった」
 そうなんだ。と、明理沙はその言葉を聞いて、あせりを感じた。私は、今までそんな気持ちになったことすらない。
『私は、……金糸の君、私には、まだ、見えないんです。つい最近、気づき始めたばかりで。』
 すると、金糸の君は、ため息をついた。明理沙へ向けてかと思ったら、どうやら自分自身に向けてだったようだ。
「自分が他人と違う。ということがわかるということは、ごく普通の人間からすれば、あまり幸せな事態ではないらしい。例外として、他人より優れているという相違であれば、喜ぶべきことだが。普通の人間ならば、他人との相違など、そう意識するほどの大きさでもない。大多数の人間とその人とは、ほとんど同じなのだから」
 その言葉を聞き終えて、明理沙は、周りの景色に変化が起こりつつあることに気づいた。霧が、晴れてきている。向こうにかすんでいた木立が次第に明らかになってゆき、広葉樹の森であることがわかった。ふと手をあげると、自分の手が見えた。霧はどんどん晴れていき、目の前には金糸の君が立っていた。
 霧はなくなった。これは、魔法の霧だったのだろうか? だが、癒しの空気と、優しい香りは、一帯に満ちたままだ。
 金糸の君がわずかに苦笑した。
「君は沈思の森のようだな。私に言葉を語らせていく」
「ごめんなさい」
 明理沙は謝った。どうやら、聞き過ぎてしまったらしい。謝った後で、声が出せたことに気づいた。
 金糸の君は首を振った。
「私が話す気にならなければ、私は口を開かない。君が謝る必要はない。君は、……回復してきているようだ。エフィルのおかげだな」
 エフィルさんが? 
「エフィルさんが、あなたのお城に来たんですか?」
 金糸の君は軽くうなずいた。そして、明理沙に横顔を向けて、遠くにある広葉樹の森を眺めた。枝が、そよそよと風に揺れている。
「君が倒れた後で、エフィルがやってきた。君を癒すには白魔法が必要だったのだが、私もリキシアもほとんど使えない。彼が全部やった。ここは君の夢の中だ。……私の夢にしてはめずらしく、浄化された空気が流れていると思ったら、君の夢の中にいた」
 明理沙は瞬いた。
「ここは、私の夢の中ですか?」
「そうだ」
 では、この癒しの空気はエフィルの白魔法なのだ……そういえば、つらい夢を見ているとき、エフィルさんの声がした覚えがある。その後、真っ暗になって、何も覚えていなくて、気が付いたらここにいた。花の香りのする、この場所に。
「でしたら、この、いい匂いもエフィルさんの白魔法ですか?」
 金糸の君は、金の髪が数条混じった乳白色の髪を揺らした。明理沙の方へ顔を向ける。
「いや。これは……本物の花の香りだ。君が寝ている周りにまいてある」
 私は、魔法と、花とに癒されているのだ。
「これも、エフィルさんが?」
 明理沙が問うと、金糸の君は肩を竦めた。
「いや。さして足しにもならないが、私がまいた。……どうも白魔法は使えん。だから、それくらいの助けしかできないが。さきほども、別の件でシルディにやりかたを聞いたが、まるっきりだ」
 明理沙は首を振った。
「いいえ。お陰で、すごくほっとしました。前見た悪い夢では、強い太陽の熱で干上がった地面の匂いがしてたんです。だから、この花の香りがして、すごくほっとしてるんです。……白魔法は、そんなに難しいですか?」
 金糸の君は、再び、すう、と横を向いた。心なしか表情が暗い。
「私にはな。何一つ使えん」
「あ……」
 明理沙は後悔した。
 ……しまった。私は、聞いてはいけないことを聞いてしまったのではないか?
「あの」
 言葉を探すが、見つからない。
 すると、金糸の君が言を継いだ。彼は、過去の記憶をたどるような、遠い目をした。
「白魔法は、世界に満ちる御力をわけてもらう善き魔法。しかし私は、そのように、観念が前提にあるような力は、受け付けない」
「そうですか」
 彼の発した静かな言葉に、わずかに気弱さが感じ取れ、明理沙は言葉を切った。彼の内面では、白魔法に対してまだ消化し切れないものがあるようだ。沈んだ雰囲気を醸し出している。
 金糸の君ともあろう人が。きっと、大層、難儀を抱えているのだ。
 そんな明理沙の控えた相槌に対して、瞬きした金糸の君は、ゆっくりと明理沙の方に向き直った。
「本当に、君は沈思の森のようだ。そういえば、君がさっきした質問に答えていなかったな。では、夢の中の戯れ言だと思って、……私の話に耳を貸してくれるか? 君の疑問にも、なにがしかの答えにはなるかもしれない」




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