女子高生の異世界召喚「君こそ救世主?」物語
Magic Kingdom

すぎな之助(旧:歌帖楓月)



81 ティカ

 目を覚ましたら、カイがいた。
「明理沙、」
 長く会えなかったかのように、寝台の脇に立つ少年は、目にいっぱいの涙をためていた。
「目が覚めたね。顔色もよくなってるし。よかった」
「カイ……」  明理沙は、ただ、名前を呼んだ。
「ごめんよ」
 カイは、頭を下げた。
「どうしたの? カイ」
「ぼく、嘘をついてたことがある」
 カイは、心の中にわだかまった何かを切り開くように、くっと顔を上げた。
「本当は、シルディは候補者じゃないんだ」
「……」
 明理沙は、ただ黙って少年の言葉を聞くばかりだった。
 もはや、カイの言葉には驚くべき事実はない。それは、歪曲された事実のひとかけらに過ぎなかった。
 明理沙は、すでに、カイ以上に、王について知っていた。王は、昔、既に選ばれていたのだということ。少年は、力無い自分が、王の死んだ不安定な世界では消えるかもしれないという誤解ゆえに、明理沙を呼んでしまったということを。
 カイの言葉は、続く。
「『最後の一人』は、多分、駄目だと思う。王にはなれないんだ。だから、最初から明理沙に会わせないつもりだった。でも、僕はどうしても、王の候補者として明理沙に見てもらいたいんだ。見てもらいたくなったんだ」
 候補者なんて、いないんだよ? 明理沙は、心の中でつぶやいた。それはカイが恐れのあまりに作り出した「幻想」。可哀相だと思った。
 明理沙は、カイのために、うなずいた。
「わかったわ。会わせて。最後の一人に」
「うん」
 しかし、明理沙は、カイが抱えていたもう一つの真実を、これから知ることになる。
 二人は、王宮のある街にある、木々がまばらに生えた広い庭を持つ、屋敷の前に来ていた。
「様子が、おかしいな」
「ここが、その最後の一人の家ね」
「そうなんだけど」
 屋敷の門の中まで入った二人は、前庭に何本も立ちっぱなしになっている枯れ木や、枯れたつるバラの絡み付く門の上のアーチを眺めた。
 ここはまるで冬枯れの世界。屋敷の外は、緑に満ち満ちているにもかかわらず。
「おかしいな。随分朽ちている」
 カイは、ひどく落ち着かない様子で、おろおろとあちこちを見回した。
 屋敷を見ると、たくさんある窓のガラスが、あちこち割れていた。
 明理沙は、カイに言った。
「カイ、もう、人は住んでいないんじゃないの? ここには」
 廃屋にしか見えない。
 カイは、目を伏せた。
「うん、そんな感じだよね」
 そう応じながらも、それを信じたくない様子で、カイは必死になって言い加えた。
「でもね。明理沙、つい一週間前までは、ここのつるバラには桃色のバラがたくさん咲いていた。そして、庭の枯れ木は全部、すずしそうな薄緑の木陰をつくるケヤキの若木だったんだよ?」
 明理沙はにわかに信じられなかった。
「そんな。……一週間で、こんなになるかな?」
 カイは首を振った。
「ううん。魔法でこんなふうにしたんだ。時魔法といってね、時間の進み具合を、自在に操れる魔法があるんだ。だから、」
 言葉を切り、今にも泣きそうな目になった。
 それを見て、明理沙は、彼にとってここにいる人がとても大切な人なのだとわかった。
「時魔法……」
 金糸の君の昔話で、聞いた魔法だ。
「とても難しい魔法で、マジックキングダムにも、使える人はそうはいないよ。金糸の君が、この前、沈思の森の竜に簡単に使ってたけど、彼は例外」
「ここに住んでいた魔法使いは、その中の一人なのね」
「そうだよ。ティカって言う名の、可愛い小さな女の子なんだ」
「小さいのに……すごいのね」
 明理沙は感心して数度うなずく。それとは逆に、カイは消沈してうつむいた。
「うん。ティカ、一体、どこに行ったんだろう。あの子は、外には出られない子なのに。……あ、」
 カイは何かを思い出した。
「そうだ! 王宮かもしれない!」
「王宮?」
 答えるのももどかしく、カイは明理沙に手を差し出した。
「行こう!」
「いいの? 王宮なんて、」
「いいんだ! あそこは一応、まだ僕の家なんだから!」
 そうだ。彼は前王の息子。
「わかったわ」
 明理沙の手を握ると、カイはすごい勢いで走りだした。
 そんなに慌てることなのだろうか? と、明理沙は、少年の挙動を奇妙に思いながらも、カイに引っ張られて走った。

 街の真ん中にある王宮へ走り着いた。
「ねえ、王宮の中のどこにいるかっていう、あてはあるの?」
 カイの後を追いかけながら、明理沙は叫んだ。
「あるよ! あの子のいそうな場所が一つだけ!」
 カイが駆ける。鏡のように研磨された石の床が、柔らかい革靴がそれを蹴るに従い、キュキュキュキュと、音を出す。
「それは、どこ?」
 明理沙は、一生懸命に走って、カイを追った。
 ここは迷宮のように入り組んでいる。階段、ホール、回廊、吹き抜けの広間、階段、議会場のような場所、階段、そして、膨大な数の小部屋。
「カイ!」
 見失いそうになって、あわてて明理沙は声を上げた。ここで迷子になったら、外に出るのにいつまでかかるか、わかったものではない。
「明理沙! こっちだよ!」
 そして、王宮の、おそらく最も奥まった部屋の前に、カイは立っていた。明かり取りの窓から、細工されたガラスを通して、虹色の光が落ちる。
「ここは、何の部屋なの?」
 息を切らせて、明理沙は尋ねた。
 石造りの、まん丸い形の扉の前だった。
「ここは、……あ!」
 カイが答える途中で、突然円形の扉が開き、室内から、真っ暗な闇がこぼれでた。
「くすくすくす」
 鈴を転がすような、愛らしい美声。
「ここは、マジック・キングダムで唯一、光の届かない場所。代々の王が、世界を見つめる場所なの」
 幼い、そしてこれ以上にないほど、優美な声。
「初めまして、明理沙さん。私はティカ。カイの妹です」
 開いた丸い扉の中から、こぼれでた闇。そこから、光の塊のような美しい金髪の、美しい少女が現れた。
 夜に輝く太陽を見たように、明理沙はまぶしくて目を細めた。
「あなたがティカ?」
 光そのものといえば、妖精ハニール・リキシアだけど。ティカは人の形をした光のようだった。
 ティカは、にっこりと笑ってうなずいた。ゆるく波打つ肩までの金髪が、それは美しく虹色の光に反射した。長いまつげに縁取られた、くるくるした大きな水色の目。紅水晶のような唇。まるで人形のように愛らしい少女だった。
「そう。私は、あなたが捜した最後の『王の候補者』です」
 優雅にうなずいて、ティカは言う。兄の幻想を肯定して。
「でもね。残念なことに」
 まるで歌を唄うかのように、世の愁いを知らないかのように、少女は言う。
「もういいよ、ティカ、いいんだよ! 早く部屋に戻るんだ!」
 しかし、カイは、何故か真っ青な顔になった。ティカを部屋の中へ押し戻そうとする。が、ティカは、まるで幻のようにそれをかわした。
「大丈夫、兄様。最後まで話をさせて。残念なことに、私は、もうこの部屋以外では、生きていけないの」
 ふんわり笑ったティカの、美しい金髪が一房、虹色の陽光にさらりと溶けて消えた。
「あっ!」
 目の前で起こった現象に、明理沙は驚愕して血の気を失った。
「もういいよ! いいんだティカ!」
 カイが今度こそ、妹を部屋に押し込み扉を閉じた。
 美しい少女の一部を消し去った、美しい虹色の光が、笑うように降り注ぐ。
「……どうして?」
 明理沙が、それだけつぶやいた。
 カイはうつむいたまま、首を何度も振った。
「ごめん。もう少し、ティカの具合はいいと思っていたんだけど。……時魔法の、影響なんだ」
「時魔法の影響?」
 たずねると、カイが涙を落とし始めた。
「父が、亡くなる時ね、小さなティカは……何度も何度も時魔法を使って、父の死を止めようとしたんだ。だけど、それを越える力で父は死に、……時魔法ってね、副作用があるんだよ。魔法を使いすぎたティカは、その時には、もう、光の中では生きていられなくなっていた。……光には、ものをどんどん朽ちさせる働きがあるんだ。時魔法の副作用は、光の効果をさらに強くしてしまう。……時魔法を使い過ぎたティカは、もう、光のある所では生きられないんだ。光がティカを消してしまう。……ティカは、小さいのに、どんな魔法でも使えた。マジックキングダムでゴールドスターをもらえた、一番小さな子供だったんだ。それほど才能があるから、こんな悲しいことになったのか。それなのにそうなったのか、もうどちらでもいいことだけど」
 少女は、この小さな黒い部屋にしかいられない。
「……」
 明理沙は、カイにかける言葉もなかった。
 カイはその場にしゃがみこみ、膝に顔をうずめて嗚咽を漏らした。
「ごめん、ティカ。僕、必ず、次の王を見つけるから。ごめんよ」
 もし、彼女が元気なままだったのなら、……もしかしたら、カイはこんなにおびえることはなかったかもしれない。
 そうだ、カイには、彼女がたった一人残った家族。
 扉の向こう、闇の中から、少女の優しい声が、響く。
「兄様、大丈夫よ。私は、この部屋の中にさえいれば、生き続けられるから。兄様、泣かないで」

 そして、王宮を出た。
 カイは沈んでいる。
 明理沙は思った。初めて会ったときから、変に落ち込む人だなと感じていたが、なるほど、随分大きな悲しみを背負っていたのだ。
「カイ」
 明理沙は、隣をとぼとぼ歩く少年に声をかけた。
「うん」
 少年はようよう返事をした。
「カイ、私、早く王様を決められるように、誰がふさわしいかを、良く考えてみるから、頑張って考えるから。ね、答えは出るよ。王様は決まる。大丈夫だよ、カイ」
 明理沙は、一生懸命「カイのために」言葉を紡いだ。事実は、違うのだけれど。
 カイはふらふらと顔を上げた。
「うん。うん……、明理沙、……ありがとう。うん……」
 カイは道端にしゃがみこみ、口をぐっと結んで涙をこぼした。
 明理沙は隣に屈み、少年の肩をさすった。
「大丈夫。カイ、大丈夫だよ」
 カイが胸のうちに閉じ込めていた、これが全部だったんだ、と、明理沙は思った。
 そう思ったら、明理沙は、しかし、そうではないことに気付いた。
 ……弱ってしまった妹に対して、こんなに悲しんでいるのなら……。
 明理沙は、気付いた。
 これが全部ではない、それどころか、本当の隠し事が別にあると。
 彼が一度も口にしない、彼にとって重大なことを、もしも自分が彼の立場であれば、きっと、一番重く感じていることを隠している、と。
 こんなに沢山のことを背負っているカイ。でもどうしても、そんな彼の姿が下手な芝居めいて見える。彼が薄っぺらな人間にしか見えない理由を。
 新しい王を探すカイ、私をこの世界に呼んだカイ、でも全てを話そうとしないカイの、その向こうにいるカイを。
 彼は、私が今わかったことに等しい重さの「思い」を、まだ抱いているのだと。




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