シルディが、北の荒地に雨を降らせて王宮に戻ってきた。するとそこに、王女ティカがすばやく駆け寄ってきた。愛らしく幼い姫君だった。
「シルディー!」
ゆるく波打つ金の髪、繊細な花模様の刺繍が入った銀色の絹の靴に、真っ白なドレス。胸にはすでにゴールドスターが輝いている。彼女は、言葉を覚えると同時に星が降ってきた、世界で一番幼い魔法使いだった。
「シルディ聞いて!」
魔法の力でぴょんと飛び上がると、シルディに抱きついた。
「なんですか? ティカ?」
彼女は王女から、敬称を省いて呼ぶことを許可されていた。つまりはそれほど親しい間柄という訳で。
「カイをねッ、またお池の噴水のそばに置いたのっ!」
「……」
シルディの微笑みに、汗が浮かんだ。
「また、というと、王宮一大きなあの池に、また?」
「そうよ!」
シルディは、王子の泣き顔が容易に想像できる。それは、彼が毎日数えられないほどの回数、姫のイタズラを受けてそうしているからで。
「ねえシルディ、一緒に見に行きましょうよ! それはそれは面白くってよ!?」
王女に同意するのではなく、王子を助けに行くために、シルディはうなずいた。
「ええ、そうね」
「ティカぁ、たすけてくれよー!」
響きわたるは、幼い男の子の哀れな泣き声。
王宮一大きな池は、王宮の南の庭園にのまん中にある。白鳥が10羽ほどゆうゆうと浮かんでいる。
まあ噴水がなんて遠くにあること、と、シルディは目を凝らして王子のいる方角を見た。
「たすけてー!」
ごていねいに、王子を乗せた皿状の噴水の下には大蛇がうねっている。これでは、王子は池に下りることすらできない。
「ティカ?」
シルディは、右腕に腕をからませている王女を見下ろした。
「蛇まで。少しやりすぎでは?」
「物事は完璧に仕上げたいでしょう?」
ティカは王女の威厳と気品をもって答えた。
「ふふふ。降りたくっても降りれなくってよ?」
鈴を転がすように愛らしい笑い声は、兄を窮地におとしいれたよろこびの表れで。
「うわーっ! 助けてよお!」
魔法が使えない兄王子が泣き叫ぶ。
「ふふふふ!」
世界一幼い魔法使いの妹姫が笑う。
「わーんわんわーん!」
「ふふ、うふふふ!」
姫はお腹を抱えて大笑いだ。
「これだから兄様へのいたずらは止められないわ! 何度でも引っかかって、必ず泣くのだもの! ふふふ!」
王子は魔法の力がとても弱い。こんなことをされれば泣くしかないだろう。
シルディは「もうこのへんで止めてはいかが?」とたしなめる代わりに、はしゃぐお転婆姫の頭をなだめるように撫でて、宙に浮いた。
上機嫌のティカを連れて、兄王子の所へ行く。
「カイ、」
名前を呼ぶと、それまで両手で顔を覆って激しく泣いていた王子が、勢いよく顔を上げた。
「ぅあーん! シルディー!」
頼れる存在を目にして、今度は安堵の涙を流す。
「シルディー! よかった! お願いだよ、僕を助けて!」
ぷっ、と、妹がふきだした。
「お兄様の、なーきーむーしぃ! 泣き虫毛虫ー!」
ティカがきゃっきゃとはやしたてる。
「さあ。カイ、帰りますよ?」
苦笑しながら、シルディは小さな王子に救いの手をさしのべた。
「うわーんシルディありがとう。ティカが僕をいじめるんだよー!」
小さなカイはシルディに抱きついて泣きじゃくる。
「こわかったよ、こわかったよぅ!」
「カイ、もう大丈夫ですよ」
「泣き虫にいさまー!」
ティカときたら楽しそうにカイを指でつつく。
「えーいっ! 泣き虫は落ちちゃえ!」
どん、と、カイを突き落とそうとする。
シルディは、どこまでお転婆なのかしらこの姫は、と呆れながら、「ぎゃああ」と悲鳴を上げるカイの手をしっかり握る。
二人の関心を他に向けるべく、シルディは言った。
「そういえば二人とも、午後のお勉強のお時間がもうすぐですね?」
「!」
「!」
切り札の言葉だった。二人は背筋をしゃっきりさせた。いじめられっこの泣き顔もいじめっ子の笑い顔も、共に消し飛んで跡形も無くなった。
「さあ帰りましょう。教育係が待ってます」
どんよりと顔を曇らせた二人を、逃げないようにきっちり抱えて、シルディは王宮へ帰った。
実力もあり、人望もあり、王族からの覚えもめでたい彼女。不幸の影はどこにも、見当たらなかった。
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