シンデレラ2

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

4 舞踏会2 ローズとマリー

 ローズは、ダンスの輪には入らずにいた。大広間の一角、王子のいる場所とは対辺に設けられた、お菓子や酒類の乗ったテーブルの前にいた。
「ローズ。踊りの輪に入らないの?」
 母の問いに、上の空で首を振っていた。
「ああん。王子様、素敵ん」
 夢の底無し沼に沈み込んでいるような、忘我の表情で、遠くにいる王子を見つめている。 母は愛しいわが子を甘い表情で見つめる。「引っ込み思案な子ね。ご挨拶にいきましょうか?」
「恥ずかしいわん。もっと食べてからにするわん」
「まあ。恥ずかしがり屋さん。……あら、」
 母は、何かに気づいたらしく、視線をローズから、遠くの方にきりかえた。
 甘い一辺倒だった母の顔が、別のものになった。果物の山を注視しているローズは、それには気づかない。
「ローズ。お母様は、向こうで少し話をしてきますからね」
「はあーい」
 母は去って行った。彼女は、広いテーブルに並べられた菓子類の山を前に、まるでそこの主が自分であるかのような威厳で、ずんと鎮座した。右手にバナナを2本、左手にクッキーを10枚つかんだ。
「王子様、すてき」
 クッキーを口の中にどんどんほうり込みながら、夢見る表情で王子を見て、もりもり咀嚼していく。手に持ったものが無くなると、次は、ケーキの皿に手を伸ばした。
 かわいらしい姫たちが、ローズの背後を通り過ぎながら、それを見てくすくす笑う。
「まあ。とてもおなかが空いてらっしゃるのね」
「踊りに来たのではないのかしら?」
「食事をしにきたのではなくて?王宮の料理人たちの腕は、たしかですもの」
「それならもう少し、ゆっくり味わって召し上がればよろしいのにね。あんなに沢山あるのですから」
 おっとりと鈴を転がすような声を耳にして、ローズは、両手にケーキを持ち、険しい表情で振り返った。
「うるさいわよん!あなたたち!私の美しさに嫉妬してるんでしょ!」
「まあ!」
 すでに少し離れたところを歩いている姫たちは、きょとんとした表情でローズを見返して、次いで、小鳥のように可愛らしい声で笑った。
「うふふふふ!面白い方」
「嫉妬ですって!初めて本当に聞いたわ!作法の先生がおっしゃられた、世俗の話のようだわ!」
「めずらしい方ね!うふふふ!」
 無邪気に微笑む姫たちの回りには、上品に着飾った青年たちが、微笑みながら近寄ってくる。
「どうなさいました?楽しそうですね?」
「なんて可憐な微笑みでしょう。わたくしもその楽しい雰囲気に参加させていただけませんか?」
「姫様方、お一人でしたら、次のダンスは私たちとはいかがでしょう?」
 ケーキを握り締め、引きつった形相で睨みつけているローズの目の前で、姫たちは青年達に導かれてダンスの輪の中に入って行く。
「なんて失礼なの!」
 ローズは、顔を顰め、勢いよく席に着き直した。重厚な作りの椅子だったが、ギシッ、と軋む音がした。
「よりによってこの私に食事にきたですって!失礼にもほどがあるわよん!」
 美しく成型されたケーキたちを、一口で飲み込みながら、ローズはぶつぶつ独り言を言った。
 奇異の目が沢山向けられていたが、ローズは、自分のおかれた状況に全く気づかず、王子を見つめる。
「うーんん。やっぱり王子さまよねん。あの殿方よりも、こっちの殿方よりも。そこの殿方よりも。向こうの殿方よりも。引く手はたくさんあるけれど。うふふふふー。ローズは、王子様だけの恋の虜よん!」
 ローズに見つめられた、というよりも、稲妻のように強く激しい視線で『睨みつけられた』殿方は、殺気すら感じて一様に顔を背ける。なかには、頬を引きつらせている者もいた。
 ローズは、殿方たちの反応に、うふ、と、心底うれしそうに笑った。むっちりとした頬の肉が、微笑みによって歪められて、しわが寄る。本人はこれを可憐な微笑みと確信し、自信をもっている。
「いやだわーん。皆さん、私のかわいさ、愛らしさに、照れてらっしゃるのねーん。でも、だめだめ。私は王子様のもの!」

 大広間の一角、酒類を設けられたテーブルの側には姫たちの保護者らがどっしりと陣取っていた。
「盛況ですな」
「そうですな。若い者たちの踊りは、見ていて微笑ましい」
「王子様のお妃にしていただけたなら、など、わたしの姫は夢を持っているでしょうが。あのように沢山の素晴らしい青年達がいる。彼らの誰かと親しくなれれば、それが姫の幸せでしょうな」
 落ち着いた会話を続ける多くの者の中、その集団の隅の隅で、密やかに話をする男女がいた。あたりをはばかるような小声で。
「久しぶりだな。マリー」
「ええ」
 隙の無い、狡猾そうな目をした中年の男が、ローズの母に、紅いカクテルの入ったグラスを差し出しながら、ささやいた。髪は黒髪。鼻髭を細く延ばしている。
 眉を顰める母に、男は片頬でわらう。
「ようやく舞踏会に顔を出すようになったな。何年振りだ?」
「今日は娘が一人なの。だからついて来ただけ」
 苦くつぶやく母に、男は、なめるような視線を向けた。
「もうお前を覚えている者なんて、いやしないよ。マリー。心置きなく、どの舞踏会にでも来ればいいんだ」
 男は、マリーの腰を抱いて自分の側へと、引き寄せる。
「やめて。人が見てるわ」
「いいじゃないか。私は独身だし、お前を覚えている者はもういない。たとえ覚えていても、お前はもう、上品な家の未亡人だ」
「その話はよして」
 低く告げて、睨みつける母に、男は首をかしげながらささやく。
「今や城の女主人じゃないか。そんなに険のある表情をするものではない。マリー」
 母は目を背け、カクテルを口に含んだ。
 その横顔を見つめ、男は笑う。
「もっと優雅に構えたらどうだ」
 母は横目で見た。
「ねえ、お願いがあるの。わたし、そのためにここに来たの」
 男の顔に、狡猾そうな光がよぎった。
「どんな話だ?」
「ここで話したくないわ。庭に出ない?」

 庭には、仄かな明かりが点けられ、仲良くなった姫と青年や、大人たちが静かに語らっていた。
 二人は、ガラス越しに大広間が見える、暗い木陰に来た。
「やめて、」
 腰を抱いて口づけようとする男を、マリーは拒絶した。
「話を先に聞いてちょうだい。あなたにとって、絶対に悪い話ではないわ」
 手を放そうとも、離れようともせず、男はささやいた。
「城持ちの夫人がしていい話か?」
「さあ」
 マリーは顔を背けて、吐息と共につぶやいた。そして、そっと耳元にささやく。
「私には二人の娘と、一人の継子がいるの。私たちは女ばかりの家族よ」
「それで?」
「話というのはね、ロビン……」
 きらびやかな饗宴の続く大広間の外。母は、男に、ある提案をした。


 ローズが、テーブルの上に盛られた果物やお菓子を平らげたころに、母が戻って来た。優しい微笑みを浮かべて。
「可愛いローズ。よい殿方は見つかったの?王子様にはお近づきになれた?」
 ローズは、口をへの字に歪めて、むっつりと母を見た。
「いいえ!お母様。」
「まあまあ。そんなに引っ込み思案になって食べてばかりではいけませんよ。さあ、可愛いあなたを皆が待っています。どなたかと踊ったら?それとも、王子様のところに、ご挨拶に伺う?」
 お菓子を食べ漁っていたローズの両目が、ぎらりと輝いた。まるで、さらに大きなケーキの山を発見したかのように。
 ローズは、ずどん、と立ち上がった。
「王子様のところに参りますわん!」



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