シンデレラ2

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

5 舞踏会3 王子と美姫とローズとマリー

「それは、」
 魔法使いの化けた姫の言葉に、王子は息を詰めた。
「どこの姫なのだ。誰から虐待を?」
「どうしますか?という私の質問に、まずはお答えください。王子、あなたならどうします?」
 王子は、姫を見つめた。
「その事実を知った以上は、何とか助けたいが」
 姫は、軽く微笑んで、怜悧な表情で王子を見上げた。
「どうしてそう思われるのです?」
 問われたこと自体に気分を害されたように、王子は眉をひそめた。
「どうしてだと?痛め付けられている者を助けることは、人として普通のことだろう。それとも何か、お前を納得させうる理由が必要なのか?」
「いいえ」
 姫は息をついた。
「憐れみのつもりでしたら、必要ありません。別の気持ちでそう行動されるのでしたら、理由を教えていただくところですけれど」
「別の気持ち?」
 姫はうなずく。
「愛とか恋とか好きとか」
 王子の頬が、ひきつった。
「お前も、私の親類知人と同じたぐいの人間か」
「そんなわけないでしょう?私はあなたを玩具のようにしか思ってませんの」
 姫は首を振る。
 王子は不機嫌に目を細めた。
「そうだったな。済まないな、普通の人間と同列に扱ってしまって」
「扱って結構ですのよ?その心積もりを裏切って、王子の純真な心を弄んで差し上げますから」
「勘弁してくれ。……お」
 額を押さえてうんざりしようとした王子は、向こうからずんずん近づいてくる丸いものに目を奪われた。
 王子は、それに目を釘付けにされながら、声をもらした。
「クリスティーナ、じゃなく、姫、あなたは何があってもその席を死守するのだ」
 姫は、王子の視線の先を眺めやり、さらりと言った。
「ここはもう飽きました。失礼します」
 それは人込みを弾き飛ばす勢いで近づいて来た。
「後生だ」
 背後には、保護者とおぼしき細い婦人を引き連れている。普通は保護者が前で令嬢は後ろだから、順番が逆なのだが。
「嫌です」
 すぐそこにきた。
「嫌がらせするな」
 目がらんらんと輝いている。まるで獲物を見つけたウシガエルのように。
「します」
 にっこり微笑む姫を、王子は問答無用で引き寄せた。
「させるか」
「王子様あー!」
 ローズは、ショッキングピンクのドレスをわさわさ揺らめかせながら、王子の座っている、他から一段高くなっている壇上に、のしのし上がった。
 王子は、隣に座っていた美貌の姫の肩を、しっかりと抱き寄せていた。
 鷹揚に、王子は微笑んで問う。
「これは、どちらの姫でしょうか?元気の良い方だが」
 ローズの背後についていた母が、ローズと王子の間に割って入り、取り繕うための上品な笑いを浮かべた。
「これ、ローズ。王子様にご挨拶できる喜びで、心がはやっているのはわかりますけど。まずは、お母様に王子様とご挨拶をさせてちょうだい」
「いやあん!お母様!」
 王子との出会いを母に妨げられたローズは、ぶうっと膨れた。
 母はそれに全く取り合わず、王子のそばに膝をついて、端正な美貌を見上げた。
「ご無礼をいたしました。王子様。私、カールラシェルの妻の、マリアンヌと申します。本日はご招待にあずかり、この上ない光栄ですわ」
 王子の瞳が、わずかに見開かれた。
「カールラシェル教授の?」
「はい」
 引かれたように、言葉を紡ごうとする王子を、どうしてか、姫が制した。
「王子、」
 そっと、王子の胸の衣を引き、自分に注意を向けさせる。
「姫?」
 怪訝そうに見つめる王子に、姫は優しい微笑みを向けた。
「答えは、すぐ近くでは得られないのです。お待ちください。魔法使いを信じてくださいませ」
 水底の真実を覗くように、王子は姫を見つめた。
 姫は、姉のように柔らかく微笑んでたずねた。
「お返事は?」
「わかった」
 姫は、王子の衣から、手を離した。
「?」
 ローズと母は、彼らの交わした話が、全くわからなかった。
 二人に向き直った王子は、余裕のある微笑みを向けた。
「ようこそいらっしゃられた。どうぞ舞踏会を楽しんでください」
 暖かい微笑みでもって、王子が社交辞令を告げた。
「ありがとうございます」
 母は、立ち上がるほかなかった。
「さ、ローズ。帰りましょう」
 立ったままのローズを、母がそう促す。
 だが、ローズはぷうっと頬を膨らした。
「嫌です!」
「ローズ!」
 ローズは、王子と自分との間に立つ母を押しやった。
 勢い込んで、ローズはまくしたてた。
「王子様ん!わたくし、ローズと申しますの!えっとえっと、カールラシェル教授の、娘ですのん!」
 周囲の空気が、冷えた。
 あちこちで、密やかな声が交わされる。
「何でしょう、あの方。案内もなくあんな場所まで上がって」
「一体どこのどなた?」
「まあ、あれ、ごらんなさい。ちょっと見ないタイプのドレスだわ。もしかして、異国の方?」
「では、あのように直談判しに行くのも、どこかの異国での流儀なのかしらね」
 そのようなささやき声が起こり、ローズ以外の当事者全員の耳に入った。
 王子は苦笑して、ローズの背後に押しのけられた母を穏やかに見つめた。「あなたは保護者として、このお子さんをどうします?」と言外に仄めかす。
 母は羞恥の為に、顔色が青くなったり赤くなったりしている。
 魔法使いが化けた姫は、ローズの言動を見ても聞いてもいない素振りで、ただ、王子のそばに、微笑みながら寄り添っている。
 母は、汗をかきながら、ローズのドレスを引いた。
「ローズ、ご挨拶申し上げましたし、帰りましょうね?」
 ローズはぐるりと振り返り、首を大きく振った。
「なんでですの!せっかくご挨拶にきたのです!やっと王子様とお話ができますのに!どうして今帰らないといけないのです?嫌です!」
 ぷい、とそっぽを向いて、再び王子の顔を見て、何を言うでもなくニタニタ笑った。
 周囲が、今度はあからさまに失笑した。
 母の顔は真っ赤になり、恥ずかしさといたたまれなさで、体が震えた。
「ローズ、お願いよ、」
 王子のそばに控えるお付きの者たちが、苦笑いを浮かべながら近づいて来た。
「お嬢さん。こちらは王族の席ですから、どうかお引きくださいね」
「ここに来てはいけないのですよ」
 まるで幼児に言って聞かせるように、ゆっくりと噛んで含めるような物言いをする。
「ええー!せっかく来たのに!」
 ローズは大声で言い放った。
 お付きの者たちは、やんわりとローズの背中を押しながら、しかし、後戻りを決して許さないような歩調で、段下に導いて行く。
 母はがたがた震えながら、膝をついて許しを請うた。
「王子様、大変なご無礼を致しました。きつく叱ります」
 王子は苦笑して手を振り、ここからの退出をうながした。
「そのように恐縮なさらなくとも、結構ですよ。元気なお嬢さんだ」
 母は、平身低頭し、そそくさ立ち上がり、この場を去ろうと歩みかけた。
 そのとき、
「あー!王子様の横にくっついてるあの姫!誰かに似てると思ったら!シンデレラそっくりじゃないのっ!」
 広間中に大声が響き渡った。
 王子のお付きの者に連れて行かれているローズが、こっちを振り向き、あまつさえ人差し指を向けて、叫んでいた。
 母は、ローズのとんでもない振るまいに、気絶しそうな気持ちだった。
「ロ、ロ、ロ、ローズ!なんて失礼なことをするの!」
 ほとんど泣き叫んで、母はローズのそばに駆け寄った。
「やめてちょうだい!」
 荒々しく、ローズが掲げて指さしている手を掴んで降ろす。
 普段優しい母がした乱暴な振る舞いに怒ったローズは、ことさら声を上げた。
「痛あいっ!何なさるのよう!お母様っ!んもう!信じられない!」
 異様なものを見るように向けられる周囲の視線には全く気づかずに、ローズはふてくされたかと思うと突然、下賎な好奇心に満ちた表情に変えて、真っ青な母に訴えた。
「ほら、ほらごらんなさいよっ!あの、王子様の隣にいる女!シンデレラにそっっくりよ!」
 母の頭は、話の内容よりも、自分たちが大恥をかいているということで一杯だった。
「もういい加減にして!これ以上しゃべらないで!」
 母は、声を粗げて命じた。一度もこの子に向けたことのないものだった。
 びくっ、と、ローズの肩が痙攣した。
「う、う、う、」
 ローズの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うわああああーーーん!お母様がわたしを怒ったああああ!」
 ローズは、大声を上げて泣き出した。
 周囲は、一様に眉を顰めて、母子を冷たく睨んだ。
「すみません、この子、ちょっと具合が悪いみたいですわ。あの、王宮の外まで、運び出していただけないかしら?」
 母は、引きつった笑みを浮かべて、王子のお付きの者たちに、そう頼んだ。
 お付きの者たちは、丁重な姿勢で義務的に、母と子を大広間から退出させた。
 舞踏会は、一気に白けた。
「すっかり冷えきったな。」
「ええ。本当に。」
 王子と姫、もとい、王子と魔法使いが化けた姫は、表面上は穏やかに、内心では冷静かつひややかに、目の前で繰り広げられたドタバタ劇を見ていた。
 あちこちからささやき声が漏れ聞こえる。「なんでしたの、あれは。」
「王子様主催の優雅な舞踏会には、相応しくない方々でしたわね。招待状が間違えて送られたのかしら?」
「いやいや、病気の子供を、親が憐れんで見学させに来たのかもしれないぞ。」
「いずれにしろ、不釣り合いな方々でしたわねえ。」

 二人は、同時に立ち上がった。
 二人とも、表情には花咲かんばかりの笑みを浮かべている。
「舞踏会はうんざりだが、舞踏会をぶち壊しにされる展開はもっとうんざりだ。」
「そうでしょうね。仮にも王子主催なのですから。」
 立ち上がった美しい二人に、それまで珍妙な招待客の話に向けられていた人々の意識が、残さず向けられた。
 王子が立ち上がったのを機に、楽士たちが奏でる曲調が、壮麗で格調高いものに変わった。
「王子が立たれたぞ。」
「隣のうるわしい姫君もだ。」
「いよいよ踊られるのか。」
 ざわざわと上がる声に、王子は、自信に満ちた笑顔を浮かべていた。
「一応、確認しておくが。踊れるんだろうな?」
 王子が、あざやかなほど優雅に、姫に右手を差し出した。
 姫は、その動きの一つ一つに花びらが飛ぶのではないかと錯覚するほど優美にそっと、王子に左手を預ける。
「ええ。王子がついてこられなかったら、私がエスコートできるくらいには。」
 二人は、湖を進む白鳥のように、優雅に、そして滑るように、舞踏の輪の中に入っていった。



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