シンデレラ2

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

12 夢〜父娘の最期2

 私は二度、瞬きをした。
「助かる見込みは?」
 教授は、首を振った。
「その前にだよ。思い当たることはないか?原因となるものがわからないことには、対策が取れない」
 私は、動揺のために急速に体温が下がって行くのを感じながら、記憶を探った。
 それらしいものはないか?症状を覚えるようになる以前、何をしたか、何を口に入れたか、どこを通ったか。
 思い当たるものは、なかった。
 だが、妻の顔が、思い浮かんだ。
「なにか、思い出すようなものがあったかね?」
 教授は、私が表情を凍らせたのを察知し、私の心情をおもんばかるような様子で、慎重に問うた。
「いえ……、特には」
 断定ができない以上、口に出すことはできなかった。しかし、私の予想がもし正しいのならば、
 フロラはどうなる?
 思ったときには、教授に尋ねていた。
「それで教授。率直に言って、私はあとどれくらいもつのですか?」
 教授は、面食らったようだった。
 しかし、すぐに冷静になって、答えた。
「カールラシェル教授、おちついて聞いてくれ。あと数週間、もつかどうかだ」
「これから私の症状は、どうなっていくのですか?」
 教授は、目を見開き、無言で私を見つめた。何と言っていいのものやらわからない、信じられないものでも見たような表情だった。
 きっと、私が何故こうも意識の切り替えがきくのかと、思っているのだろう。たった今、命の刻限を聞いたばかりなのに、どうして取り乱さないのかと思っているのだろう。
 大切な娘がいるからなのだ。たった一人で、ひどい環境に残さねばならない、小さい大切な娘が。
「私には一人娘がいるのです。私が逝く前に、彼女に話さねばならないこと、残さねばならないことが、沢山あるのです。娘には愛してくれる母がいない。一人きりになってしまうのです。教えてください。私はこれからどうなります?いつまで、起きて話せる状態でいられるのです?」
 教授は、渋い顔でうつむき、やがて、意を決したようにうなずいて、顔を上げて私を見た。
「いいかい、カールラシェル教授。一週間、一週間はまだ大丈夫だろう。原因が分からない以上、食べ物、飲み物、皮膚に触れるもの、すべて、由来が分からないものに接触するな。次の一週間、君はきっと、高熱を発する。意識が途切れがちになる。そして体の自由がきかなくなる。最後の一週間、おそらく昏睡状態に陥るだろう。あなたがそうしていられるのは、あと一週間だ」
「一週間……」
 私は目を見開いた。
 時間がない。
 フロラのために、何がしてやれる?小さいあの子に。城に住む恐ろしい女と暮らさねばならない、あの子に。
「教授、そうおっしゃられるからには、解毒する方法は、ないのですね?」
 教授は苦い顔でうつむいた。
「ああ」
「わかりました」
 私は教授の部屋を退出した。
 急いで自分の研究室に戻った。必要な物を全てそろえ、助教授や大学院生が何事かと怪訝な顔をするのに軽くほほ笑んであしらって、大学を出た。
 全て、フロラに託す。
 あの子に何かあれば、妻自身の首が落ちるようにしておかねば。
 私は王宮へ向かった。ほとんど完成しつつあった新しい王宮へ。

 私が管理している時計室の扉を開け、いつか、フロラが開けるであろう時のために、手紙を置いた。
 そして、健やかに駆動しているからくりのうちの一つを抜き取り、別のものに変えた。
 娘の未来のために。
「フロラ、ごめんな。父様がフロラにできるのは、これくらいなんだ」
 そして時計室の扉を、閉じた。

 次に向かったのは、王子の部屋だった。
 王子は私を見ると、喜んで駆けて来た。
 私は、今までの焦燥感を少し忘れて、微笑んでみた。
「王子、お勉強は頑張ってらっしゃいますか?」
「ああ頑張ってる!待っててくれ、カールラシェル教授、きっとあなたの研究室に行くから!」
 すっかりこの分野が気に入っているらしい王子は、目を輝かせながら、そう言ってくれた。
「お待ちしておりますよ。王子。ところで、今日はあなたに、新しい王宮の秘密を託しに参りました。」
 ほほ笑む私の言った「秘密」という言葉に、王子は目を見開いた。
 この方に、私の計画の命綱を持ってもらおう。私はそう思っていた。フロラの命綱を。決して離せない命綱を。フロラにとっては、切れそうに頼りない紐のように思えるだろう、あの城から出るための手段、そのもう片方の紐を。
 話をし終えると、王子は、青い顔になっていた。娘とそう変わらない年の王子に、重い頼み事をしたものだと申し訳なくも思ったが。娘の命には変えられない。このからくりに興味を持ち、そして、やがて国を背負う身となる以上、これが彼にとって重荷となる依頼ならば、この王子には王になる資質はない。
「わかった。あなたの挑戦を、受けて立とう!」
 王子は、毅然とそう言って承諾した。
 私は王子の前に膝をつき、ほほえみながら見上げて言った。
「全てが終わった暁には、あなたに王宮のからくりの設計図を差し上げます」

 そして、クリスティーナに会った。
「どうしたの兄さん?えらい顔色ねえ?」
 魔法使いの妹は相変わらず、人をくった笑顔だった。冗談めかして、私は返答した。
「毒をもられてね」
 クリスティーナは、眉を上げてくすくす笑った。
「まあこわい。誰の恨みを買ったのかしら?また相手の顔も見ずにネジ山ばっかり見ながら、いい加減に返答したんでしょう?」
 私は息をついた。彼女の皮肉まじりの冗談は、真をついているのかもしれないと思った。
 もう少し、相手を見ればよかったのだ。
「妻かなあ。そうかどうかは、わからないんだが」
 そこにきて、妹の表情は、凍りついた。
「兄さん?」
「クリスティーナ。頼まれてくれ。私はあと二週間しか持たない。正気でいられるのは、あと一週間なんだ。城にフロラがたった一人で残ってしまう。フロラを助けてくれ」
「そんな」
 クリスティーナの泣きそうな顔は、初めて見た。幼いころなど、私の方が彼女に泣かされているほどだったのに。
「兄さん、そんな」
「済まない。泣いてもらう暇は本当にないのだ。頼みを聞いてくれるか。」
「でも兄さん、私は魔女よ?フロラを助けたいけど、そう表立っては助けられないの。家に呼ぶこともできないわ」
「いいんだ。フロラの命を守ってくれればいいんだ。私の話を聞いてくれ。そしていつか、時が来たら、フロラを城から連れ出して欲しい」

 最後に、フロラに話した。
 教授から検査結果を聞いて、走り回り、自分がフロラのためにできることをした上で城に戻ると、案の定、今日一日を城で過ごしたフロラは表情無く私を迎えた。
「父様。おかえりなさい」
 私はフロラを抱き上げ、ほほ笑む妻を見た。
「ただいま」
「おかえりなさいませ。あなた。夕食はどうなさいます?」
「大学で食べて来たよ」
「まあ……そうですか?おいそがしかったのね。どうか、お体を壊さないようになさってくださいませ」
「ありがとう」
 妻の背後にたたずむプリムラを見た。冷たい表情で、ただ追従のように優しく笑う母の背中を突き刺すように見ている。この母子の表情は、点対称のようだった。
「今日は少し疲れたから、もう寝るよ」
 フロラは私にとりついたまま、顔も上げない。
「あら、そうですの?まあ、お疲れですのね?大丈夫ですか?」
 妻は、非常に心配そうに目を伏せて、首を傾げてみせた。そして、慈愛に満ちた母の表情をして、フロラの背中に言った。
「それじゃ。フローレンスちゃん。お休みなさいね。よかったわね。お父様がお戻りになって」

 ひざの上で私にとりついて、泣きじゃくるフロラの背をなでて、私はささやいた。
「フロラ、大切な話があるんだ」
 フロラは私から小さな体を離して、私を見上げた。
「……、どうされたの?父様」

 その日も、父様がいなくなると、あの継母は、私をぞっとするほど冷たい目で睨みつけた。
「私のかわいいローズが読み書きもできないというのに。この子は生意気に、教授のそばでべったり英才教育よ!今日は残念だったわねえ?おいてけぼりで!」
 継母の背後では、プリムラが冷たい目で継母に言葉を刺す。
「うるさい女。そんなのローズが馬鹿でどうしようもないからでしょう?あの子いまだに食べ物とそうでないものの区別すらついてないじゃない」
 継母は振り返って、プリムラを敵のように睨んだ。
「おだまり!プリムラ!いいえ!この小娘が、私の可愛いローズを、教授から離そうとするんだわ!私の子が可愛いからって、嫉妬してるのよ!」
 継母は、私の服の襟をつかんで、思い切りゆする。
「生意気な子!実子だからっていい気になってるんじゃないわよ!その上、妻の私を差し置いて、教授に始終くっついてばかりで!もっと遠慮したらどうなのよ!」
 プリムラが母に向かって冷たいため息をつく。
「お母様。その子の服、あんまりよれよれにしたら、虐待してるって簡単にわかってしまうわよ?本当に知恵の無い女ね」
「プリムラは向こうへ行っておいで!いいわね!これは虐待でもなんでもない、ただの躾よ!生意気なこの子を、教育してやろうとしてるんじゃないの!しゃべったらただじゃおかないわよ!返事は?フローレンス!」
 私は、継母の手が緩んだのをきっかけに、駆け逃げる。
「お待ち!」
 行き先はいつも決まっていた。鍵は私だけが持ってる。内側から鍵がかかる、城の塔の鍵。何かあったらここに逃げなさいと、父様が私に預けてくれた。
「父様」
 塔の一番上はからくりある部屋になっており、沢山の歯車が回っている。私はその中を歩き、部屋の中央に来て、膝を抱えてうずくまった。
 どうして今日は置いて行かれたのだろう。何か大切なご用だったのだろうか。それなら、馬車の中で待ちぼうけでも、研究室の中に一人ぼっちでもいいから、連れて行って欲しかった。
 とにかく、夕刻近くまでここにいればいい。あの継母は、父様が帰ってくる予定の時刻になると、ぴたりと何もしなくなる。午前中は私に当たったり、他所から得体の知れない人間を沢山呼び込むけれど。
 ここにいると落ち着く。父様と建築現場に一緒にいるみたいで。音も立てず回る歯車。ネジ山ばかり見てる父様。たまに私を抱き上げて、高い高いしてくれる。
 私は膝を抱えたまま、眠りに落ちる。
 やがて、外が暗くなると、私は塔を降りて、父様の帰りを待つ。
 父様は、その日は遅かった。

 私は、まだ涙も乾かないフロラに言わなければならなかった。
 ずっと一緒にいるつもりだった。再婚して間もなく半年、そうしたら法が許し、妻と別れられる。そして再び二人暮らしに戻り、フロラを育て上げて。
「父様、フロラに謝らないといけない」
「どうして?」

 父様は、抱き着いて泣いていた私をそっと離して、そう言った。
「どうして?」
 今日のことだろうか?置いていったこと?
 首を傾げたフロラの瞳から、残っていた涙がはたりと落ちた。
 この子を残していくのか。こんな場所に。小さいこの子を。愛しいフロラを。
 そう思ったら、涙が落ちていた。

 父様は私と同じ色の青い目から、私と同じように涙を落とした。
「父様、どうしたの?」
 驚いて、私は父様の頬に手をやる。涙がつたわった。何かあったのだろうか?
「父様、泣かないで?どうしたの?」
 少しでも、父様に涙を流させた何か重いものが自分に分けてもらえるならと思い、私は父様に抱き着いた。
「父様、泣かないで」

 何も知らずに、とりついてくるフロラに、私は言わねばならない。これからのことを。長く辛いものになるであろう。これからのことを。
「フロラ、よく聞いておくれ」
 フロラを離さないように抱き締めて、私は慎重にささやいた。この小さな体が、驚きで壊れてしまわないように。幼い心が悲しみで壊れてしまわないように。

 そして父は話した。自分のこと。これからのこと。私がすべきことを。
 私は父に抱き寄せられ、私は父に取りすがり、ただ父の顔を見上げていた。父様の言葉は、夜空から降る、流星雨のようだった。私は目を見開き、まばたきを忘れてそれらを聞いた。瞳からわき水のように涙があふれて流れ落ちていくけれど、それもわからないほど、父の顔をただ見ていた。

「父様はね、どうやら病気らしい。ごめんなフロラ。もう、ほんの少ししか一緒にいられないんだ」
「父様?」
「よく、聞きなさいフロラ。フロラがこの城で生きていく方法を教えるから。フロラのために父様にできる方法は、これだけなんだ。ごめんなフロラ。本当はもっと」
「父様」
「いいかい。この城を守りなさい。塔の新しい鍵を渡すから、明日から新しい鍵を使えるようにするからね。塔のてっぺんにある城のからくり、あの調整の仕方を、フロラだけに教える。毎日調整するんだよ?一日でも欠かしたら、この城のどこかが壊れるようにできている。放っておくとそのうち、この城は崩れていく。もしもフロラに何かあって、どうしても動けなくなったときは、助けを呼びなさい。声に出して「助けて」って叫べばいい。そうすれば、絶対に誰かが助けに来てくれる。でも、我慢できるうちは我慢して、大時計の調整を続けて、腕を磨きなさい。あの、新しい母様には内緒にするんだよ。あの人を怒らせてはいけない。時計の調整を邪魔される以外のことなら、我慢できるものは我慢なさい。いいかい、長くても十年待てば、きっとここから出られるから」
「父様」
「ごめんな、フロラ、本当はもっと」

 父は私に、そう言った。私は、父様が病気になって、もう長くないということだけで頭が一杯で、父様が何を話したのかも、よくわからなかった。
 ただ、言葉の最後に父様が言った、謝罪の言葉に、
 ああ、もう駄目なのだ。この暮らしは終わるのだ。と、思い知らされた。
 私は考えていることを全て娘に話した。可哀想に、涙を落とすだけできっと、私の話なんかわからないに違いない。それでも今、わからなくても今、話しておかねばならなかった。
 あともう、わずかなのだ。フロラのそばにいられるのも。

 その夜、父と娘はお互いを離さないようにしっかりと抱き合って眠りに落ちた。
 時間がない。
 父と娘の時間は、もうすぐそこに、終焉が見えていた。



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