シンデレラ2

すぎな之助(旧:歌帖楓月)

21 開かない扉の向こうには

「この扉の向こうに、たどり着けないがために」
 深更。王子は時計室の扉の前に立っていた。王宮の大広間の裏側、漆喰が塗られた廊下の壁に、それはあった。扉は鉄でできており、わずかにサビがついていた。真っ白な漆喰の壁のなかに、鋼の扉。この王宮の性質を、よく表していた。
 王宮の建築にかかわったカールラシェル教授は、石と土と木で建てられた王宮の中に、金属のからくりを組み込んだ。王宮中にある作り付けの時計は、すべてこのからくりの一端であった。正確な時を刻み、一刻の遅滞も進みもない。時計室の扉に耳をつけると、規則正しく静かな、歯車の回る音が聞こえて来る。まるで王宮の鼓動。
「もう、あとわずかしか、猶予がない。そうなれば、私は国中に触れを出さねばならない。『誰か助けてくれ』と」
 このからくりは、王宮に張り巡らされた精緻な神経組織。時を刻み、季節を知り、年を重ねて、王宮を支え、動かすもの。
「私は、教授に負けたことになる」
 もう約束の十年が経つ。
 今でも、目を閉じると、あのころの情景が浮かんでくる。この王宮が造られつつある、あのころ。
 ここは原野だった。西の森の向こうには、今は取り壊されてもう無い、前の王宮があった。草をなぎ倒して積まれる石材。行き交う日焼けした工夫たち。汗の匂い。照りつける黄色い太陽。現場で飛び交う威勢の良い言葉。私は、両親や兄弟にあきれられながらも、今日も建築現場に走って行く。後ろから駆けてくる私の「見張り番」たち。そして、
「またおいでになったのですか?」
 教授の声。
 私は、呆れた響きのある教授の言葉に、現場監督のような威厳で笑い、胸を張って偉そうに答える。
「私は将来王宮を背負って立つ者です!自分のすまいが建つさまを見届けるのは私のつとめです!」
 すると教授はいつも苦笑して言う。
「それはお疲れさまです。どうぞご覧になってください」
 私は誇らしそうに教授のそばに立って、教授が工夫たちや学生達に出す指示を興味津々で聞く。
 なんのことはない。単に私は教授の扱うからくりの不思議さに魅かれていただけだった。口では一応、王の跡継ぎとしてのつとめとは言っていたが、本心は他の子供と変わりない。単に、本物の「積み木遊び」や、ごっこでない「機械いじり」にあこがれていた。それだけだった。やがて、あこがれは本当に興味として育って行ったのだが。
 王子は息をついて、こつんと扉を叩く。決して開かない扉を。扉の向こうには、沢山の歯車が回っているはず。十年前に見たきりの部屋。
 十年前、できあがった王宮の私の部屋に、突然、教授が現れた。とても、思い詰めた表情をしていた。そしてこう告げた。
「この王宮は、十年後にからくりの調整を行わなければ、崩れます。今、私の跡継ぎを育てています。良いですか、王子。この国のどこかにある、これと同じからくりを見つけなさい。私の妻にも、あなたのご両親にも内緒です。誰にも知らせないでください。密かに捜すのです。十年後までに見つからなければ、皆に話しなさい。そして、この王宮から逃げなさい。ぎりぎりまで、秘密になさってください。そして、たとえ早く見つかっても、調整は十年後にしか行えません。公にするのは、最後の最後の手段です。見つかった暁には、王子、あなたに、王宮のからくりの設計図を差し上げましょう。王族として、私と同じものに興味を持った者として、この話を、受けてくださいますか?」
 否とは言えなかった。私は、青天の霹靂に立ち尽くした。私は、できあがった王宮の「時計室」と呼ばれるからくりの中枢を覗くことを、楽しみにいていたのに。教授は、鍵をどこかへやってしまい、それ以来、この扉は開かずの扉だった。
 扉を見つめる王子の瞳は、うらめしそうなものに変わる。
「壊そうと思ったがそれもできない。何しろ、設計図から何から、教授がどこかへやってしまった。仮にこの扉を壊したとして、その衝撃で、どこに何の悪影響が出るかすらわからない」
 今までこのからくりはずっと順調に動き続けている。だから誰も気にしない。この扉が開かなくとも、気にしない。
 王子だけが、この時計室の秘密を知っている。いや、もう一人、今は魔法使いクリスティーナも知ってくれている。
「ああ」
 王子は、扉に背を預け、床の上に腰を下ろした。遠く左側にある、西の出入り口から夜風が吹き込んでくる。出入り口の形に切り取られた夜の闇は、昼であれば、西の森の鮮やかな緑が見えているはずだった。
「好きなこととはいえ、十年間も、よく費やしたものだよな。私も」
 王宮が崩れるという脅しに、王子に時計捜しを続けさせる強力な効果があったのだが。それでも好きでないことには、他のことを置いてまで、こうして捜しはしない。
「教授はあのとき、一体、何を考えていたのだろう。」
 あの後、2週間と経たないうちに、教授は亡くなった。
 私に言葉を遺して。
 王子の思いは、やがて、教授の娘に至った。
「そうだ。あの子がいたのだった。あの子は、一人ぼっちか」
 クリスティーナが化けた姫。
 思い返して、頬が赤くなる。
 ずいぶん、綺麗な姫になっていた。しかし、そう思った瞬間、王子は照れ隠しのように首を振り、誰もいないのに弁解した。
「いや、中身がクリスティーナだったから……5割方苦々しい印象だったが」
 王子は、西の森を隠している暗闇を見つめた。あの森や、この王宮が建つ途中ではまだ存在していた原野で、教授が連れて来たあの子と、ずいぶん遊んだのだった。
「木登りやら追いかけっこやら、草笛を吹いたり……。女の子と遊んだという気がしなかったな」
 王子はおかしそうに笑った。
 王宮に来る女の子たちは、皆、深窓の令嬢で、王子とはまともに話をすることもない。必ず、大人の後ろに、宝石箱に入った宝石のように、そっと隠れ、守られていた。
 だから、私と同じように屈託ない動きをするあの子を、初めて見たとき、とても驚いた。出会った最初に「これ、そのように走り回って良いのか?」と聞いた覚えがある。するとあの子はきょとんとして、「どうして?なぜ走ってはいけないの?」と聞き返したから、私の偏見は解けたが。同じ人間なのだから、それは走りもするし笑いも泣きもするだろう、と。
 建ちつつあるこの王宮の前で、私とあの子は走り回り、木登りをして高いところからできかけの王宮を眺め、教授のところに駆けて行ってあれこれ聞いて、
「フロラ……」
 あのサファイア色の瞳を思い出す。王家の紋章である金の鳩、その瞳にはめ込まれたサファイアと同じ瞳。あんまり似た色なので、私がつけていたペンダントをやったこともある。あの子とは、友達というより同志だった。教授の話を、わからないながらも二人そろって熱心に聞いた。夕刻、教授に抱き上げられて帰るフロラは私に手を振った。私は大きく手を振り返して、「また明日な!」と声を上げる。
 楽しいばかりの、幼い思い出だ。
 王子の口元には、笑みがのぼっていた。
 そして、思いは現在に立ち返り、クリスティーナの言葉を思い出す。
「王子、この姫は毎日、こんな表情で、」
 王子はうつむく。肉親が亡くなって、沈んでいるのだろうか。虐待を受けているとも、クリスティーナは言った。
 城から出たことのない姫だと言った。
 閉じ込められているのだろうか?
 王子は天井を仰いだ。漆喰の壁と石組みの天井の接点には、飴色の細い木材が付けられており、唐草模様の彫刻が施されている。
「クリスティーナ」
 王子は魔法使いを呼んだ。
 目の前の、誰もいなかった場所に、クジャク色の長い衣をまとった女が現れた。
「時間外勤務手当ですよ?王子」
「この守銭奴。それ以上貯め込んでどうする気だ?」
「なら帰らせていただきます。お休みなさいませ。うなされないようにお気を付けて」
「待て根性悪!わかったから、行かないでくれ」
 再び消えかかる魔法使いを、王子は引きとめた。
 クリスティーナはにっこりと微笑む。
「交渉成立ですわね。余計な一言が気になりますけれど。何か御用でしょうか?」
「教授の姫のことがもっと知りたい」
 クリスティーナの片頬だけが、笑んだ。
「ああら。お気になりまして?いやだわ王子ったら。切ない物思いで、こんな訳の分からない場所に座り込んでらしたの?ホッホッホッホ!」
 笑い飛ばされて、王子の頬に朱がはしる。図星を指されて照れているのではなく、憤慨している。
「お前の頭の中には色恋しか入ってないのか?」
「とんでもない!」
 心外だと言わんばかりに、クリスティーナは首を振った。
「大違いですわよ。わざと王子の嫌がる話題を選びましたら、必然的に色恋になるのですわ?」
 王子はむっつりと、嬉々として自分をからかう魔法使いを見上げた。今まで深く真面目に考えていたのに、この魔法使いが現れた途端に、どうとでもなる事のようになってしまった。
 息をついて、表情を改めて、魔法使いを見る。
「頼む。本題に入らせてくれ、クリスティーナ。わたしはあなたのように、落ち着いて構えていられないから、どうも気になって仕方がない。……教授の時計のことだ」
 魔法使いは、微笑んだ。
「あらまあ、残念。王子もずいぶん大人になられましたのね?そうね。もうじき二十ですものね。もっと直情的にからかわれてくださるかと思ったのに」
 王子の肩が震えた。
「私は…おまえの玩具か?」
 魔法使いは首を振った。
「そうではありませんわね。私としては、人の家の飼い猫とじゃれている気持ちですのよ?責任も何もいらなくて、とっても気軽ですわ。はいはい、そんなこわい目で睨まなくったって。本題にどうぞ、本題に」
「もう、いい」
 王子は、息をついた。



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